82年生まれ、キム・ジヨン
僕と同世代の82年生まれの方が主人公という本作。
あれから30数年が経ち、世界はめまぐるしく変化しました。
技術の発達により便利な世の中になりました。
便利な世の中のおかげで、時間を有効活用できるようになりました。
当時の環境とは比べ物になりません。
便利な世の中になったけど、人間はどう変わったのだろう。
生きやすい世の中に変わったのだろうか。
男も女もそうでない人も、生き方が尊重される世の中になったのだろうか。
確かに男女の格差は当時に比べたらかなり変化したことでしょう。
でも。
まだまだなんじゃないでしょうか。
海の向こうから流れてくる悲しいニュース。
同じ人間なのに、肌の色や人種や性別の違いから溝が埋まれ、やがて軋轢が生まれてしまう。
技術は進歩したのに、人間はなかなか進歩しませんね。
さて今回鑑賞する映画は、現代で生きづらいと感じる全ての女性が共感したとされる作品。
主人公に共感し、絶望し、応援し、その果てで主人公が選んだ生き方に、希望を感じる映画だそう。
男の僕でも共感できるのでしょうか。
いや、理解しなきゃいけないんでしょう。
女性がまだ生きづらい立場にあるということを。
早速鑑賞してまいりました!
作品情報
「キム・ジヨン」という女性の記憶に基づいた告白と、それを裏付ける統計資料の二つの記事で綴られたチョ・ナムジュ原作の小説を映画化。
韓国のジェンダー意識に関わる現代史や社会問題を織り交ぜていきながら、現代の女性の生き辛さを映し出した原作は、世界16か国で翻訳され、大ベストセラーとなった。
世界が広いと信じた子供時代から、少女、大人へと成長するにつれて、女性というだけで立ちはだかる壁に直面、結婚や出産を経てもなお抱える「痛み」と「違和感」。
そんなどの世代の女性にも共通する生き辛さを、キム・ジヨンの人生を通じて描く。
本作は主人公と同じように子を持つ監督とスタッフの手により、現代の女性の生き辛さを繊細に演出したことが共感を呼び、韓国で大ヒットを記録した。
女性は共感し、女性を愛する男性はさらに理解を深めていく、そんな作品です。
あらすじ
結婚・出産を機に仕事を辞め、育児と家事に追われるジヨン(チョン・ユミ)。
常に誰かの母であり妻である彼女は、時に閉じ込められているような感覚に陥ることがあった。
そんな彼女を夫のデヒョン(コン・ユ)は心配するが、本人は「ちょっと疲れているだけ」と深刻には受け止めない。
しかしデヒョンの悩みは深刻だった。
妻は、最近まるで他人が乗り移ったような言動をとるのだ。
ある日は夫の実家で自身の母親になり文句を言う。
「正月くらいジヨンを私の元に帰してくださいよ」。
ある日はすでに亡くなっている夫と共通の友人になり、夫にアドバイスをする。
「体が楽になっても気持ちが焦る時期よ。お疲れ様って言ってあげて」。
ある日は祖母になり母親に語りかける。
「ジヨンは大丈夫。お前が強い娘に育てただろう」――
その時の記憶はすっぽりと抜け落ちている妻に、デヒョンは傷つけるのが怖くて真実を告げられず、ひとり精神科医に相談に行くが・・・。(HPより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、キム・ドヨン。
本作で長編映画デビューをする彼女は、主人公と同じように2人の子供を育てる母親とのこと。
「ジヨンの人生を辿りながら、自分探しをする物語、そしてジヨンを取り巻く家族、職場の同僚たちの姿もまた顧みる物語を見せたかった」と語る監督は、彼女や彼女の周囲の人物たちの緻密な関係性や距離感、感情表現などを繊細に描いたことが評価され、韓国のゴールデングローブ賞と称される第56回百想芸術大賞で見事新人監督賞を受賞したそうです。
マイノリティを描く映画が数多く製作されている昨今。
主人公と同じ境遇を持つ方が描くと、作品に説得力が生まれます。
本作は、きっと多くの方に共感できる作品となっていることでしょう。
その実力やいかに。
キャスト
本作の主人公、キム・ジヨンを演じるのはチョン・ユミ。
キム・ジヨンとほぼ同年齢の彼女。
彼女と同姓同名の、しかも同世代の女優さんが韓国には存在するそうで、向こうではよく間違えられたりするそうです。
そんな彼女の代表的な作品をサクッとご紹介。
ドラマよりも映画のほうで活躍する彼女は、短編映画「愛する少女」で映画デビュー。
韓国の聴覚障害学校で実際に起きた性的虐待事件を描いた「トガニ 幼き瞳の告発」では、国内で大きな反響を呼びました。
その後も、高速鉄道車内を舞台に、パンデミック化したゾンビとの死闘と恐怖を描いた「新感染 ファイナル・エクスプレス」や、ある日突然念力が使えるようになった男が娘と町を守るために奔走するSFアクションコメディ「サイコキネシス—念力—」などに出演しています。
また、本作でキム・ジヨンの夫を演じるコン・ユとは、「トガニ~」、「新感染」に続いて3度目の共演。
ゴールデンコンビが初の夫婦役ということも話題なんだそう。
出演作品はこちらをどうぞ。
他のキャストはこんな感じ。
ジヨンの夫、デヒョン役に、「新感染 ファイナル・エクスプレス」、「サスペクト 哀しき容疑者」のコン・ユ。
ジヨンの母、ミスク役に、「ホームランが消えた夏」のキム・ミギョン。
ジヨンの姉、ウニョン役に、「ビューティー・インサイド」のコン・ミンジョン。
ジヨンの弟、ジソク役に、「長沙里9.15」のキム・ソンチョル。
ジヨンの父、ヨンス役に、「光州5.18」、「純愛中毒」のイ・オル。
ジヨンの同僚、ヘス役に、「EXIT-イグジット‐」、「タクシー運転手~約束は海を越えて~」のイ・ボンリョンなどが出演します。
僕にも彼女たちの「痛み」が少しでも多く理解できるように、彼女たちの「悩み」に少しでも多く労わることができるように、懸命に鑑賞したいと思います。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
鑑賞中、ずっと心の中でジヨンに「ごめんなさい…」と呟いてました…。
幸せを望んで選んだ「妻」なのに「母」なのに、どうしてここまで辛くなってしまうのか。
それは型に嵌めようとする男であり、社会だからだ。
以下、ネタバレします。
男こそ見ないとダメじゃないか?
一生懸命勉強して大学に入りバリバリ働いてきたのに、結婚し子供を産み育てる選択をしたことで、自分がしたいことができずに苦しむ女性は沢山いると思う。
一昔前に比べたら、育児休暇を推進する企業も増えたり、託児所だとか保育園だとか、家庭の事情に適応し始めている現状から、だいぶ進歩したようにも思えます。
しかしまだまだ女性に優しい社会、というか性差別のない社会にはなってないのが現実。
本作は、懸命に「女」として「妻」として、そして「母」として生きるも、精神を病んでしまう主人公を通じて、如何に女性が男性優位社会の中で型に嵌められているか、またそれに苦しんでいるかを、あくまで「違和感」として描くことでむやみな誇張をしない描写で積み上げていく、丁寧な作品でございました。
一応私の身分を明かすとすれば、独身未婚の男性であります。
普段は今社会で問われている問題、特に本作のような性差別だとかに関しては敏感に捉えて改心しなくては、今までのような考えや価値観ではいけない、改心しなくてはという気持ちです。
劇中何度も涙しました。
いや、正確には涙をこらえようと踏みとどまったけど、こらえきれなかった、というのが正しい表現です。
何故堪えようとしたのか、と問われれば、これまで女性に対して発言した何気ない言葉や態度、行動が如何に軽率だったかを身をもって痛感した過去がありまして。
そんな自分が、本作を見て泣いたとか、一体どのツラ下げて言ってんだ?と、もう一人の自分が言ってまして。
だからなんていうか、僕がこれまでしてしまった軽率な行動で傷ついたかもしれない女性に対して、お前この映画見て泣くなんて気持ちがあるなら、なんであの時そういう軽率な言動とかしたわけ?
バカなじゃないの?と言われそうで。
本作で泣いてしまったという行為自体が、返って失礼にあたるんじゃないかと。
・・・説明が難しいな。
とにかくジヨンを追い詰めてしまった他者の発言や行動ってのが劇中たくさんありまして、それが凄く心当たりがあったり、思い当たる節があったりと色々自分がしてしまったことを思い出させてしまいまして。
回りくどくてすみません。
要するに本作を男たちが見れば、これまで女性に対してしてきた失言や恥ずべき行為を改めるきっかけになるのでは、と。
多分心を痛めてきた女性たちからすれば、こんなの見る前に気づけよバカ!って言われそうですけど、もう何を言っても僕にとっては「ごめんなさい」としか言えません…。
憑依したジヨン
だいぶ私的な感想から始まってしまいましたが、ジヨンがどうして精神を病むほどの事態に陥ったのか、劇中では意外と唐突に始まるんですね。
夫の実家に帰省することになり、朝から晩まで台所で家事をするジヨン。
妻を労わろうと早々に身支度を済ませ、頃合いを見計らって帰ろうとした矢先、姉夫婦が訪問。
姑はジヨンに疲れてやってきた姉夫婦にお茶やら何やらやるよう伝えます。
帰省して以降、何をやるにも小言を言われてきたジヨンは、苛立ちを募らせエプロンを取るやいなや、別人のような発言をします。
どんなことを言ったかは思い出せないのですが、恐らくジヨンか夫の亡くなった親族になってジヨンを労わるよう語るような内容でした。
このような憑依をしてしまうジヨンを度々見てきた夫は、ジヨンを連れて足早に実家を出ていきます。
ジヨンは劇中で何度も憑依をしては、ジヨンを労われよ、といった発言を繰り返していきます。
どのような状態の時に憑依してしまうのかというと、夫や姑、自分以外の誰かから「妻」や「母」でいろ、みたいなことを言われた時。
例えば、パートでパン屋さんで働きたいとジヨンが夫に言うと、夫は家のことはどうするの?もっと疲れるんじゃない?やめた方がいい、とジヨンを一人の女性としてアドバイスするのではなく、母なんだから妻なんだから、という趣旨の発言をしてしまうんですね。
すると怒ったジヨンは夜な夜な飲めない酒を飲みながら憑依しています。
一番辛かったのは、憑依してしまうことを知ったジヨンの母が自宅を訪ねるシーン。
ジヨンは職場復帰をする代わりに夫が育児休暇を取ることを姑に伝えた途端、夫の将来を潰す気か!と怒鳴られ、再び意気消沈状態でした。
そんな中でやってきた母親を前に、ジヨンは祖母に憑依して母を慰めます。
母の右手の人差し指には大きな傷がありました。
それは母が兄たちを大学に行かせるためミシン工場で働いていた時の傷でした。
ジヨンは祖母に憑依し、一生懸命働いた母=自分の娘を労われずにいたこと、母が給料を持ってくるたびにむめを痛めたことなど、申し訳ないと語るのです。
母は祖母から言われたことと、ジヨンが精神を患ってる事のダブルパンチで号泣してしまいます。
自宅に帰った母は、寝込んでしまいます。
そこに父が帰宅。
末っ子長男のために漢方薬をお土産に持って帰って来たのですが、母はジヨンが今どれだけ辛い状態か知らずに、何故息子にばかり目をかけるんだと激昂してしまいます。
このシーンは本作の中で一番胸が痛むシーンでした。
ジヨンもそうですが、先生になる夢を捨てて家族を養い自分を犠牲にしてきた母の思いに、自分の母を重ねてしまい、涙が止まらなかったです。
このように、ジヨンは「妻」であること、「母」であることに、時として幸せを感じているにもかかわらず、誰かから押し込められると鬱憤が溜まって、別人格になってしまうわけです。
多重人格者が何かから逃れたいときに別の人格に委ねてしまうのと同じ現象でしょうか。
性の搾取
自分が劇中何度もごめんなさいと感じたのは、とにかく些細な一言や一つのエピソードが、ジヨンを生き辛くさせてる事を伝える描写になってる事。
正直、女性がこれだけ生きづらい世の中だよってのを全く感じてない人、鈍感な人にとっては気づかないくらいさりげなく描かれてるんですね。
それが逆に生々しいというか、リアリティがあって、僕はグサグサ刺さりました。
夫が妻のために親身なっているのはよく伝わるんですが、病院行けよ、とか、顔がつかれてるから休めよ、とか。
夕食の時間になんで君は食べないの?と。
そりゃ子供にご飯食べさせるからだよ!と。
昔は我慢して帰省しろって言ってたのに、自分が疲れてるから帰省はやめようってどういう神経なのかとか、どこか他人事のように接しているんですよね。
帰省シーンは中々つらかったですね。
夫が気を遣って洗い物をすると、ジヨンは姑の視線が気になって私がやるからと強引に場所を変わろうとするシーンとか、姑が朝早く起きて朝食の支度をしてるもんだから、自分も起きてすぐ手伝わなければいけないとか。
夫の言動も妻を労わるのではなく、あくまで「手伝う」意味合い。
ジヨンが世話になった上司が起業するタイミングで職場復帰しようとするんですが、シッターが見つからず復帰が難しくなってしまう事態に。
そこで夫は中々取り辛い育児休暇を取るよと提案。
良い事なんですが、育児休暇取れたら育児の合間に読書とか勉強できるから丁度いい機会だとジヨンに語るんですね。
はい、育児なめてるぅ~!とジヨンは思ったことでしょう。
そんな片手間で出来る仕事じゃないんだよ、育児ってのは!と、きっとお母さんが本作を見たら真っ先に感じることでしょう。
このように、ジヨンはジヨンであるにもかかわらず、様々な障害が彼女を「妻」に「母」に押し込めてしまってることで、彼女は普通を装いながら違和感を持ち、やがて不満や鬱憤を募らせてしまってるわけです。
また「女」であるが故に「男」から性的な扱いをされている苦しさも描かれてます。
夫の会社で休憩中に卑猥な画像を共有している同僚や、ジヨンが公園で一休みしているシーンでは、「俺も誰かに嫁ぎたいよ」と誰かが話していたり、セクハラに関する研修に疲労困憊の同僚が「朝鮮時代で暮らしたい」と発言したりと、普通の暮らしの中で「女」を軽々しく扱うような発言をしている人たちで溢れています。
またジヨンが働いていた職場の3階のトイレが盗撮されていた事態が発生。
警備員が仕掛けていたことが発覚しましたが、上司はそれを知っておきながら警察に言わず、しかも職場の男性が映像を共有していたという気味の悪さ。
他にもジヨンの学生時代の回想シーンでは、バスの中で痴漢に遭遇。
辛い顔をしていたジヨンに気付いた女性が異変に気付き、彼女をフォローします。
急いで父が迎えに来てくれましたが、父は「女は短いスカートを履くな」、「誰にでも笑顔を見せるんじゃない」と怒られます。
他にも、女性が職場復帰する難しさや家庭や育児との両立の難しさも描かれています。
かつてジヨンが務めていた職場のチーム長は、結婚や出産を経験しながら仕事もバリバリ働く女性。
とある会議では、理事から執拗なことをネチネチ言われるんですが、チーム長は皮肉をぶつけながらも、サラリとユーモアに返しつつ場を緊張と緩和で自分の空気にしていきます。
また能力がありながらも昇進できないジヨンに対し、チーム長は長期のプロジェクトに女性を入れると、結婚や出産で離れざるを得ない時、プロジェクトとして成り立たなくなる問題をあげ、女性が仕事で活躍する機会が作りにくいことを示唆していました。
なぜ女性として生まれたのに、男からたくさんの仕打ちをされなければならないのか。
30数年間生きてきたジヨンを通じて、女性を搾取され続けられている現状が浮き彫りになっていきます。
最後に
物語は、ジヨンの病気に対してジヨン自身がどう向き合うか、周りがどう理解するか、そしてジヨンが何をすれば病気から回復することができるかを提示し結末を迎えます。
正直腑に落ちる部分もあれば、それでいいのかこの映画は?という疑問も浮かびました。
もっと彼女を通じて社会の空気が変わるような流れにするとか、せめて夫がもっと家事に専念するとか(実際結構やってはいるんだけども)、何か劇的な変化があった方がいいのでは?とも感じました。
しかしあくまでどこにでもいるような名前「キム・ジヨン」の問題と解決に留めるミニマムな世界観にすることで、女性は大いに共感し、男性は身につまされる思いを感じることができる作品になったのではと思います。
終始「ごめんなさい」と思いながら見ていた僕が、本作を鑑賞して何か劇的に考えを変えることができるのか、正直わかりません。
しかし気付くことはできた、鑑賞していて色々と気づかされた自分がいたことは収穫というか。
・・・またこういうこと言うと攻撃されるんですけども。
気付けたとか、気づかされたとか、そういう話じゃねえから!と。
安易な発言だって十分わかってるんですけど、所詮僕はこの程度なんで軽蔑して構いません。
何とか頑張ってはいるんですけども…。
チョン・ユミもコン・ユも、ナチュラルな芝居をしていてとても良かったと思います。
凄く疲れ切った表情や憤りを感じる感情的な表情を見せながら、え?アタシそんな疲れてる?平気平気!とあっけらかんな顔をして夫を安心させる演技。
コン・ユもすごく妻を心配してるような顔をしながら、全然わかってないじゃん!みたいなことを平然と言ってしまう感じ。
原作未読なんですけど、ちょっと読んでみようとも思いました。
あと、本作を見て感じたのは「タリーと私の秘密の時間」ですかね。
あと、「来る」でも本作に当てはまるような描写があったな。
あと、メシがウマそうでしたw
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10