真夜中乙女戦争
今回鑑賞するのは、残念ながらメンバー脱退となってしまうキンプリの残留メンバーが主演の映画。
よくTVやCMなどで顔を見かけますが、お芝居を見るのは今回が初めてです。
朝ドラにも出演されていたし、場数はしっかり踏んでいると思います。
また、映画の主演はこれが初めてでもないので、変な所は絶対ないでしょう(何の心配してんだw)。
ただ本音を言うと監督が好きだから見に行くってのが理由ですw
早速観賞してまいりました!
作品情報
新鋭作家Fの初の小説を、若者の光と影を絶妙なコントラストで描く新鋭監督の手によって映画化。
夢も趣味もなく退屈な日々を送る大学生の男が、2人の男女と出会うことで自分の殻を破り変貌を遂げていくが、水面下で進行していたある計画に巻き込まれていく。
「チワワちゃん」や「とんかつDJアゲ太郎」などを手掛けた二宮健が、何者になれず焦燥し、衝動に駆られてしまう若者の危うさと眩しさを、スタイリッシュ且つエモーショナルに描く。
また主演にはNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」で知名度を高め、アイドルとしても活躍するKing&Princeの永瀬廉が務め、脇には女優に映画監督、TV番組の司会も務める池田エライザ、そして「シン・仮面ライダー」でライダー2号を演じた柄本佑が脇を固める。
加速する恋心と、真夜中の暴走。
「東京を、破壊する」とは一体。
これは「最高に過激で美しい夜更かし」の物語。
あらすじ
恋と、破壊。
二つの出会いが退屈な日常を一変させる——
4月。上京し東京で一人暮らしを始めた大学生の“私”(永瀬廉)。
友達はいない。恋人もいない。
大学の講義は恐ろしく退屈で、やりたいこともなりたいものもなく鬱屈とした日々の中、深夜のバイトの帰り道にいつも東京タワーを眺めていた。
そんな無気力なある日、「かくれんぼ同好会」で出会った不思議な魅力を放つ凛々しく聡明な“先輩”(池田エライザ)と、突如として現れた謎の男“黒服”(柄本佑)の存在によって、“私”の日常は一変。
人の心を一瞬にして掌握し、カリスマ的魅力を持つ“黒服”に導かれささやかな悪戯を仕掛ける“私”。
さらに“先輩”とも距離が近づき、思いがけず静かに煌めきだす“私”の日常。
しかし、次第に“黒服”と孤独な同志たちの言動は激しさを増していき、“私”と“先輩”を巻き込んだ壮大な“東京破壊計画=真夜中乙女戦争”が秘密裏に始動する。
一方、一連の事件の首謀者を追う“先輩”は、“私”にも疑いの目を向けていた。
“私”と“先輩”、“私”と“黒服”、分かり合えたはずだった二人の道は少しずつ乖離していき、3人の運命は思いもよらぬ方向へと走りだす…
絶望は、光になる—
痛々しくも眩しい物語は予測不可能なラストへと加速していく。(HPより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、二宮健。
「とんかつDJアゲ太郎」に関してはボロクソ書かせていただいたんですが、正直監督の実力はあの映画で計ってはいけないと思ってますw
本作で監督作品を初めて観賞した方には、是非「チワワちゃん」を見ていただきたいです。
岡崎京子原作コミックを映画化した本作。
クラブでよく遊ぶ若者グループの中で中心的存在だった「チワワちゃん」が殺されたことから、残された仲間たちが彼女の思い出を語っていく物語。
成田凌や門脇麦、松本穂香など今を時めく若手俳優が競演したってだけで素晴らしいんですが、何よりも素晴らしいのは「若者たちの光と影」を見事に表現した監督の手腕。
主人公が心の中で抱くチワワちゃんへの羨望と嫉妬が徐々に浮き彫りになっていくと同時に、キラキラ眩しかった瞬間は泡沫でしかなく、やるせなさと切なさを突き付けられ、観る者の心をかき乱していく物語です。
監督は本作を様々な質感の映像で組み合わせたり、秒速で映像をチェンジしたり、音楽でアゲるとかと思いきやサゲたりと、まるで今のパリピな若者たちが過ごすかのような体感時間で描いてるので、スッとお話に入っていけると思うのです。
誰もがいつかは「大人」になる。
それがいつかは人それぞれだと思うけど、そんな「青春の別れ」の瞬間をこの「チワワちゃん」で体感してほしいですね。
だからこの「真夜中乙女戦争」もすごい映画になってるんじゃないか?と思ってしまうのです!
目指せ!チワワちゃん越え!
登場人物紹介
- 私(永瀬廉)・・・やりたいこともなりたいものもなく、無気力な日々を送る大学生。
- 先輩(池田エライザ)・・・かくれんぼ同好会で出会った先輩。気づけば”私”の片思い。
- 黒服(柄本佑)・・・若くして天才実業家。カリスマ性に溢れ、みんなに好かれる。
- 田中(篠原悠伸)・・・黒服に魅了され、東京破壊計画の遂行に加わる”TEAM常連”のメンバー。
- 松本(安藤彰則)・・・”私”の日雇いバイト先の現場監督。いつの間にか”TEAM常連”のメンバーに。
- カナ(山口まゆ)・・・”先輩”の親友。かくれんぼ同好会に所属。
- 佐藤(佐野晶哉)・・・”私”の高校時代からの同級生で、同じ大学に通う。
- 高橋(成河)・・・元財務相勤務の”TEAM常連”メンバー。
- 教授(渡辺真起子)・・・大学で講義へのフラストレーションを抱えた”私”と対峙する。(以上HPより)
高校生の青春とは一味違う、スパイシーな匂いのする「大学生の青春」。
大人になりたての彼ならではの暴走を堪能したいと思います。
ここから観賞後の感想です!!
感想
#真夜中乙女戦争 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) January 21, 2022
なるほど、これが噂のファイトクラブか。
オレは壊したくなるよ、今でも。 pic.twitter.com/LQa2vvaXPm
生きる目的の無い人にとってはハッピーエンドかもしれない。
しかし鬱になる映画だったなぁ…。
以下、ネタバレします。
ファイトクラブ感。
苦学生である「私」が、憧れの「先輩」や妙に気の合う「黒服」たちと出会うことで、少しづつ自身の殻を破っていくも、壮大な計画に加担してしまい奔走する姿を描いた本作。
SNSに蔓延され「幸福」も「人生」も見失いがちな若者たちの喪失感や絶望感を、陰陽なコントラストや絶妙な構図、天地をひっくり返したコンクリートジャングルなど実験的かつ映画的な映像で魅了し、滅びの美しさと儚さをラストで見事に表現した力作でした。
原作や本作を先に鑑賞されたインフルエンサーや評論家の言葉でほとんどといっていいほど目にしたワード「ファイトクラブ」。
デヴィッド・フィンチャー監督、ブラッド・ピット、エドワード・ノートンを主演に製作された作品であり、映画ファンなら絶対に外せない作品。
故に、永瀬君ファンはどれだけの人がこの映画を見ているのか。
そんな知らない人のためにさっくり説明。
ファイトクラブは一流企業で働き裕福な生活を送っているにもかかわらず、精神的に病んでしまっている主人公の物語。
そんな彼の前にいかにもマッチョで野性的な男が現れ、やがて2人で素手で殴り合う地下組織「ファイトクラブ」を作るんだけど、この組織が飛躍し過ぎてテロ活動をおっぱじめてしまうもんだから、主人公はそれを制止しなくてはと奔走するって話。
正直フィンチャーの作品としては1,2を争うほど人気の作品ですが、僕は正直そこまで好きではなく、10年以上見てないから細かい内容も覚えておりませんw
ですがプロットや結末はそりゃもう有名ですから忘れるわけがなく、本作を見え終えてまず発した感想が「なるほど、これが噂のファイトクラブか。」と。
もうそのまんまですよ、話が。
単身神戸から上京し奨学金で大学に入ったのもつかの間、バイトはクビ、代わりに見つけた深夜の工場で朝までバイト、終始眠い状態で授業を受けるという超苦学生となってしまった「私」。
講義があまりにもつまらないせいで、この授業に幾らの価値があるのか計算した結果「ネットフリックスベーシックパック3か月分」と同じ値段だと。
それならそれと同じくらい価値のある授業をしてくれ教授!と。
普通思ったとしてもそんなこと言わねえし、授業を金に換算なんてしません。
でもそれをやっちゃうのが「私」であります。
常に虚ろな眼差しで現実を見つめている彼から感じるのは、生きる目的なんて一体どこにあるんでしょうか?というほど、人生を謳歌できていない姿。
愛、自由、希望、夢、足元を見ればたくさん転がっているなんてJ-POP的ポジティヴワードを彼に突き刺したところで、「え?実際に転がってる証拠あるんですか?」と反論されそうで、正直こんな子と仲良くしたくありませんw。
このように「ファイトクラブ」の主人公と同じく、今置かれた環境と向き合うことができず、鬱屈としている姿が共通していると思われます。
さらにそんな「私」の前に、カリスマ性あふれる「黒服」が登場。
実は彼、勃起不全。
その理由が10代の頃にポルノサイトを製作し大金持ちになったが、いくら金を稼いでも幸福になれなかったことが原因。
そのためか自分で生きた証を残すべく「私」と大学内で様々ないたずらをおっぱじめていくのです。
この設定も「ファイトクラブ」でブラピが演じるタイラー・ダーデンと共通する点が多いんです。
そしてイタズラはエスカレートし、東京を壊そう!という計画「真夜中乙女戦争」を徐々に進行していくという流れに。
まんまだなぁというのが率直な思いだったんですが、本作は徐々に違うメッセージ性、物語へと加速していくんですよね。
実際「ファイトクラブ」では最後に大どんでん返しが描かれてるんですが、本作はそういう仕掛けがありそうでなさそうな内容になっていたと思います。
とはいえ、僕の中では「私=黒服」ではなく、「先輩=黒服」という解釈から抜け出せないんですが、その辺りも辿ってみましょうかね。
先輩=黒服説
あくまで個人の意見です。違うよ、正解はこうだよと言われてもぶっちゃけ「うるせえ」し、仮に自分が間違っていたとしても「あ~なるほどね」程度なんで、そこんとこよろしく。
大学の構内にある喫煙所で度々爆破事件が勃発していることを知った「私」は、奨学金の審査申し込みの列に並ぼうとする。
ちょうどそこで「先輩」を発見。
実はここ、彼女が過ぎ去っていくのと同時に現れるのが黒服なんですよね。
そして、黒いボトルから発火性のある液体を灰皿に流し込むいたずらをしかける。
たまたま通りがかった中年男性が吸殻を捨てた途端爆破。
「私」は警備員に「黒服」が犯人だと告げるのかとと思いきや、「黒服」が捕まるのを制止し、共に逃走することに。
気が合った二人は映画館を作り、SNSで「一緒に映画を見よう」と仲間を募集。
気が付けばどんどん増え、彼らを「TEAM常連」と呼ぶことに。
後日「先輩」から呼び出しがあり、構内にある森の奥へ行くと、寂れた建物が一つ。
そこには数年前に映画サークルが作った映画館跡があり、「先輩」はそこで友人と授業をサボっては遊んでいたと語っています。
話はどんどん進んでいくんですが、「先輩」は「私」が思っていたような人ではなく、恋人がいながら平気で遊び、SNSに色んないたずらをアップしては拡散していたわけです。
何度も言いますが、あくまで僕の推測。
このように、先輩の化けの皮が剥がれていくことで、黒服と同じ行動をしているかのようにさせているのは、やはり同一人物だったのかなと。
もしかしたらミスリードだったのかもしれないし、「黒服」は破壊願望から生まれたもう一人の「私」かもしれないし、「先輩」は「私」の恋愛願望が具現化された人物かもしれない。
実在するかもしれないし、「私」の妄想かもしれない。
しかし、サークルの集まりで二時間突っ立っていた「私」に、二年前の自分を見たというセリフや、友人の内定取り消しに苛立ちを覚え、SNSで何かを企てようとしていた姿を見ると、自分が抱いた説や解釈を信じたくなるというか。
そもそも本作はそういう推測や考察をする作品がメインだとは思ってないので、「あ~そういう風に見る人もいるんだ」程度に思ってくださいw
他人と比べるなよ
大学生は、「学生」という身分でありながら「大人」としても扱われる中途半端な位置。
たくさん遊んでたくさん学んでたくさん恋をすることは、これから始まる「社会人」という茨の道を進んでいく前での人生で一番優雅な時間なのかなと。
もちろんいつまでも自由に生活する時間はなく、刻一刻と社会人への扉が迫ってきているわけで、焦る気持ちもわかります。
「私」も「先輩」も、学生から大人、そして社会人になるという人生のサイクルや社会が作った歯車の一部にならざるを得ないことに、それなりにもがき苦しみ悩んでいる姿が垣間見えます。
特に「私」はこの講義に意味を求めたり、学んだところで今後必要になる機会はあるのか疑問を増やしていくばかり。
このように誰もがこの先の人生に不安を感じるお年頃なのが、この大学生活なんじゃないでしょうか。
誰かが導いていくれるわけでもなく、誰かの言う通りにしていいのかも迷う。
自分がこれからどう在りたいのか、明確なビジョンの無い人にとって辛い時期ですよね。
しかも今は「スマホ」から膨大な情報が押し寄せてくる。
SNSを開けば、誰かが自慢げに購入品を見せびらかし、○○へ行ってきた、恋人出来た、内定もらった、超楽しかったなどなど、承認欲求の強い人らによる「幸せアピールという名の自慢」が蔓延している。
なぜ自分以外の人間は楽しそうに暮らしていて、自分だけこんな目に遭わなきゃいけないんだ。
どうして自分だけ…となってしまいがちですよね。
だけどまずするべきなのは「他人は他人で自分は自分」という思考なんですよね。
誰かと比較すると、どうしても自分が不幸せに感じてしまう。
逆に自分よりも不幸せな人を見ると、優越感に浸ってしまう。
人生を測る物差しを「他人」にしてしまうと、どんどん不幸になっていく気がするんです。
それが今はSNSで可視化されることで色々錯覚してしまうから、多感な若者は目に入ったものを直接捉え、道を見失ってしまうのではと。
「私」や「先輩」や「黒服」のように全てを壊してしまえば、楽になれるという気持ちも理解できますが、僕としてはそれでほんとに楽になれるのかい?と。
劇中でも「タグ・ホイヤーもジョンロブもシャネルもハリー・スウィントンも所詮革で石ころ」みたいなセリフがありましたが、人によって価値は違うんですよね。
それらのアクセサリーに価値を見出す人もいれば、そうでない人もいる。
そしてそれらを身に着けている人を冷笑しても、人生が豊かになるわけでもない。
生きる目的が無くたって、生きてればいいんだよってことですかね(締めへたくそかw)
永瀬廉という人
本作はファイトクラブを下地に、現代の東京に住む若者が何に依存しているのかを描いた作品だったように思うんですが、そんな「依存」まみれの主人公「私」を演じたのがキンプリ永瀬君。
冒頭でも書いたように、今回彼のお芝居を初めて観賞したわけですが、良いじゃないですか。
何が良いって、あの生気のない眼差しですよね。
死んだ目をした魚でもあり、魂の通っていない人工AIともいえる、いかにも無気力な「目」。
あの目をしながら淡々と語りかける冒頭のシーンは素晴らしかったですねw
そりゃ珈琲かけたくなるわw
正直ナレーションに関しては、多分監督から「機械のように感情を乗せずに喋って」なんて注文があったように想像するんですが、僕が監督ならもう少しメリハリをつけるか過度でない抑揚をつけても良かったかなぁと。
ほんとちょっとね。
そうでもしないと「ただの棒読み」みたいに思ってしまう人がいるかなぁと思って。
苦言を呈したいのはそれくらいで、あとはもう「花いちもんめ」やってる姿とか、「先輩」の部屋に見立てられた場所だと知るや否や怒りを露わにする姿、当初の根暗な顔(夜間の工場に行くバスの中の表情はなかなか)から、「先輩」や「黒服」との出会いを機に少しづつ血が通って柔和になっていく表情など、彼なりに表現していたと思います。
台詞まわしも引っかかるところもなく、これからも主演として十分演じられる逸材だったのではないでしょうか。
最後に
しかし二宮監督は良いセンスをしてますよね。
今回も映像は素晴らしかったです。
冒頭の東京タワーを下から上へジワジワ見せながら、反転した都会の夜景へとスライド。
まるで宇宙に浮かぶ要塞のような画にすることで、本作が得体の知れない者と対峙するかを案じさせるオープニング。
さらには映画へのオマージュも溢れていて、「吸血鬼ノスフェラトゥ」を見てたり、「太陽を盗んだ男」、「ニュー・シネマ・パラダイス」、「E.T.」なんかもありましたね。
グラサンかけて闊歩するのは「あぶない刑事」?それとも「男たちの挽歌」?「ゼイ・リブ」?
スローモーションもふんだんに使われてましたね。
「黒服」がみんなと踊るシーンでヘンなダンスしてるんですけど、スローで撮影すると泡沫に見えたり儚さが現れますよね~。
ラストシーンの東京爆破も残酷でありながら美しかったです。
大きなものが滅んでいく姿って、時に「美」と捉える感覚が芽生えたりするんですよね。
ファイトクラブと同様のラストでしたけど、CGとはいえ同等の美しさがあったのではないでしょうか。
正直「先輩」とベッドの上で語り合うシーンは、眠気が襲うほど緩やか過ぎて・・・。
とはいえ、赤と青で対比したシーンで印象的でしたね。
あと長回しも上手だったなぁ。
ゆっくりカメラを回しながら、人が出たり入ったりする面白さ。
これからの監督作品が楽しみな映像演出でした。
何はともあれ、全国の「乙女」たちよ、誰かを巻き込むような破壊はいかん。
破壊するなら内なる自分を破壊するのだ。
…と一丁前なことを言うと逆効果なので、そのままでいいよ、うん。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10