私というパズル
僕には3つ年の離れた妹がいるんですけど、小学2年の頃に母親から「3人目ができる」なんて言われてですね、長男としてはそりゃもうワクワクだったわけですよ。
当時8歳とかですし、妹が生まれた時とはまた違う「兄としての使命感」というか「この年齢差だからできる面倒見の良さ」みたいな、ちょっとした余裕もあるし、空気も読める、機転もきくといった、8歳なりの余裕があって、ほんと楽しみだったんですよ。
でも、まだ母親のお腹が大きくなってないうちに入院するって時があって、何日か後に父親から「赤ちゃん死んじゃった」と聞かされましてね。
どうやって子供が生まれるか仕組みもよくわからないガキンチョでしたから、その時ロクに悲しんでないし、むしろ母親に「またいつか3人目生まれるよね?」なんて、つぶらな瞳で結構酷なことを平気で言ってしまうというね・・・。
母親の立場からしたら、かなり凹んだにもかかわらず、息子からこんなこと言われてしまうっていう。
さぞ辛かったことでしょう。
さぞ悲しんだことでしょう。
でも僕は母の悲しんだ顔も見てないし、むしろ「ごめんね」って謝られたし。
母は強いなぁと。
息子は優しさの欠片もない馬鹿野郎だなぁと。
…という在りし日の思い出。
今回鑑賞する映画は、死産してしまったことに絶望を抱く母親が、いくつもの悲しみを乗り越えてたくましくなろうとする物語。
初主演の女優が高い評価をされていることに興味を抱き、早速自宅で鑑賞いたしました!!
作品情報
不運にも子供を死産してしまった女性の葛藤をとらえたヒューマンドラマ。
悲しみを乗り越えようと努めるも、支えである夫との衝突や高圧的な母との関係、助産師との法廷劇など、一変してしまった人生からどう成長していくのかを描く。
本作は2020年に行われた「第77回ベネチア国際映画祭」コンペティション作品としてプレミア上映され、初主演となったヴァネッサ・カービーが最優秀女優賞を受賞した。
また、「ホワイトゴッド/少女と犬の狂詩曲」や「ジュピターズ・ムーン」など、独特な映像表現を使って社会問題を提起し、我々に衝撃を与えてきた監督の初の英語作品としても注目されており、今回もどんな表現で我々を驚かすのか期待したいところ。
つらい経験をした彼女に、新たな光は照らされるのか。
同じ経験をした人たちを励ますような作品になるだろうと語るカービーの、繊細な心の機微に注目です。
あらすじ
マーサ(ヴァネッサ・カービー)は出産を間近に控えており、自宅で出産する準備を整えていた。
夫のショーン(シャイア・ラブーフ)は不器用ながらも懸命にサポートしていたが、その甲斐もなく死産になってしまった。
悲しみのどん底に突き落とされた2人だったが、その悲しみを思うように分かち合うことができず、夫婦の間に徐々に溝が生じ始めた。
そんなマーサに追い打ちをかけたのが母親のエリザベス(エレン・バースティン)だった。
エリザベスは「助産師(エヴァ)(モリー・パーカー)を告訴して然るべき責任を取らせるべきだ」と強硬に主張し、マーサを強引に原告席に着かせたのである。(Wikipediaより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、コルネル・ムンドルッツォ。
名前こそ存じ上げませんでしたが、数年前に劇場で鑑賞した「ホワイト・ゴッド」の監督さんということで、ようやく一致しました。
当時犬版「猿の惑星」と称されて話題になった作品なんですが、雑種犬に重税を課すということで、父から愛犬を捨てられてしまった少女が、愛犬探しの旅に出るという流れ。
一方犬は、住処探しに街をさまよい、仲間と出会い、やがて人間たちに反旗を翻そうとするというお話。
なんといっても多数の犬たちをどう操って撮影したのか驚き。
登場人物たちの構図も善悪がはっきりしている分、決して難しくないお話でしたし、何より愛犬を想う少女の健気な行動にグッとくるのと、物語が徐々にサスペンスからスリラーへと変貌を遂げていく流れにもドキドキものです。
他にも、ヨーロッパの難民問題を背景に、医療ミスした医師と浮遊する能力を得た青年の逃避行の行方を描いたSFサスペンス「ジュピターズ・ムーン」を手掛けています。(こっちは観てない…)
キャスト
助産師のミスにより子を失った女性マーサを演じるのは、ヴァネッサ・カービー。
「ミッション・インポッシブル/フォールアウト」や「ワイルド・スピード/スーパーコンボ」など、アクション映画で知名度を上げた彼女。
特にワイスピでは二人のハゲに負けず劣らずのかっくい~アクションを披露して、僕らを虜にさせました。
今回は彼女の「動」ではなく、「静」の演技を堪能できるというわけですね。
元々は「ザ・クラウン」というドラマシリーズで奔放な性格のマーガレット王女を演じてたそうですが、今回それとも真逆の立場の女性を演じるということで、どんなお芝居を見せてくれるのか楽しみです。
他のキャストはこんな感じ。
マーサの夫ショーン役に、「ハニーボーイ」、「ピーナッツバター・ファルコン」のシャイア・ラブーフ。
マーサの母、エリザベス役に、「レクイエム・フォー・ドリーム」、ドラマシリーズ「ハウス・オブ・ガード/野望の階段」のエレン・バースティン。
助産師エヴァ役に、ドラマシリーズ「THE FIRM ザ・ファーム法律事務所」、「ルイの9番目の人生」のモリー・パーカーなどが出演します。
予告編では、大きな失望を抱く無表情状態のマーサが目に焼き付き、文字通り「心ここにあらず」です。
一体自身でどう乗り越えていくのか。
カービーの演技に期待です。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
お産のシーンは圧巻!
自分の欠けた一部を探し彷徨うような女性の人間ドラマでした。
以下、ネタバレします。
一体誰のせいなのか。
自宅出産に挑むも死産してしまったことから、妻、夫、妻の母を中心に心の喪失感をどう埋めていくかの「ズレ」とたどり着いた答えを、始まってすぐ訪れる出産シーン30分長回しや、橋やリンゴの隠喩、ほぼ瞬きをしないマーサ、「ガサツ野郎」と自負する夫の苦悩、法やお金で償いをさせようと企む母、姉ばかり特別扱いするも愛を注ぐ妹など、登場人物たちの様々な視点から「出産における痛み」と「子を失ったことの痛み」を存分に抽出した素晴らしいドラマでございました。
自宅で鑑賞したこともあってお酒を飲みながら見てたんですけども、まぁ没入感が凄い。
一見生まれたばかりの子供が死んだことで、ぽっかり空いた穴=パズルの1ピースをどうやって埋めていくかを探す旅路を秋から春にかけて描いたお話で、結末はまぁそうなるよなってだけの物語ではあったんです。
とはいえ、ヴァネッサ・カービーとシャイア・ラブーフ演じる夫婦の掛け合いだったり、立ち会った助産婦の一瞬の表情、裁判で決着させることが何よりの正義であり喪失を埋めることだと豪語する母親の気持ち、当事者と周囲の考えのズレ、一貫して映し出される曇り空と降りしきる雪の美しさ、そして気合の入った長回しや敢えて説明しない心情など、どれも見ごたえがあるんです。
僕は独身男なので産みの苦しみってのを理解できないし体験もできないわけで、気持ち的にはシャイア・ラブーフ演じたショーンの夫としての不器用ながらの献身的な振る舞いだったり、失ったことに対する怒りや苦しみ、歯がゆさなんてのに共感したんですが、主人公であるマーサの考えってのにもものすごく共感して。
もし仮に自分がマーサだったら、周りにどう振る舞ってほしいのか考えちゃいましたね。
無かったことにはできないだろうけど、ごく自然に前に向けるように支えてほしいなとも思ったし、少なくとも、数分ではあったけれどこの世に授かった命をもっと慈しむ気持ちでいたいとか。
あとは本当に裁判を望むのか。
生まれたばかりの子供が死んでしまったのは、果たして助産婦のせいなのか。
それが正しい事なのか。
産んだのは自分で、何故周りの人たちが自暴自棄になるのか。
誰のせいでもないのに誰かのせいにして前へ進もうとするのが果たして正しいのか。
それでも「頭を持ち上げて」未来を見据えてほしいと願う周囲。
きっとマーサのような経験をした人もたくさんいると思うので、そんな方たちにそっと寄り添ってくれるような作品だったと思います。
圧巻の長回し
本作がまず素晴らしいと思ったのは、始まってすぐ訪れる陣痛から自宅出産に至るまでを「長回し」で描くシーン。
最初はショーンが橋をかける仕事をしている姿が描かれてるんですけど、もうここから「俺はもうすぐパパになるんだ!だから気合い入れて仕事すんぞ!」っていう気合の表れが見えるシーン。
そこからマーサの母親に車を買ってもらうシーンへと繋がり、マーサとショーンが母親から祝福されてる光景が見えることで、ここまで順風満帆なんだろうなってのが窺えるシークエンスになってるんですね。
帰宅後の夜、逆さまのエコー写真が入った額を眺めながら生まれてくる子供を想像するマーサでしたが、立ってるのが苦痛になってきます。
やがて陣痛、破水を起こすことで、ショーンは喜びと焦りが出始めます。
当初は助産師経験豊富なバーバラに自宅出産をお願いする予定でしたが、来るのに時間がかかるということで彼女推薦のエヴァが担当することに。
到着するまでの間、ショーンはマーサにバランスボールに腰掛けてストレッチさせたり、立ってるのが辛いなら椅子に座ろうとさせたり、吐き気を催し始めたマーサに水を差しだしたり、出来る限りのサポートをしています。
エヴァが到着すると、まずお腹の中の赤ちゃんの心音を計り、マーサを仰向けにさせたり横向きにさせたりと手際よく出産の準備をしていきます。
お風呂に入ってリラックスさせる間にエヴァはベッドにタオルを敷き、ショーンは音楽をかけ、ずっとそばで見守ります。
少量の出血が見られましたが、エヴァ曰く大丈夫ということでベッドでマーサに態勢を変えさせたりいきむように伝えます。
2回目の心音で、若干弱いことに気付いたエヴァは、このままの状態では危険かもということで、すぐ病院で出産できるように救急車の手配をするようショーンに託します。
しかしマーサは自宅出産したいことに固執したことから、エヴァは一瞬取り乱すも彼女をサポートします。
ようやく頭が見え始めたことでホッとするエヴァは、マーサに「もっといきんで!」とはっぱをかけます。
生まれたばかりの子供は最初こそ泣き声を出さなかったのですが、次第に泣き出したことでエヴァもマーサも安堵。
子供を抱くマーサに感極まったショーンは記念写真だ!とカメラのシャッターを切ります。
ショーンも子供を抱きますが、体温が冷たいことに気付きます。
この時、助産師として仕事を終えほっとしていたエヴァの顔色が一気に変わります。
あれこれ処置を施しますが、子供の肌の色は徐々に青ざめていき、サイレンの音がしたことで急いで外に飛び出し救急隊員を呼び込むショーンの姿を映します。
ここで「Pieces of a woman」とタイトルバック。
上映開始30分弱に差し掛かった辺りで、物語が始まるという演出。
これから起こる出来事の前に我々に「産みの苦しみ」をマジマジと魅せる構成なんです。
そしてここまで書いた部分を、一体どれほどリハーサルしたのか想像もつかないほど完璧な流れでひたすらカメラを回すという手法にもびっくり。
僕が見る限り変な切れ目は見当たりません。
恐らくどこかで切ったとは思うんですけど。
ここですべきなのはやっぱりヴァネッサ・カービー。
陣痛に苦しみ、破水して小パニックになり、ショーンのサポートに対し平静を装うも、
途中何度もゲップをしたり吐き気をもよおしたり、どんどん訪れる痛みに声が荒げ出す。
早く出て!と叫びながらショーンの腕を噛む辺りもリアルでしたし、彼女を通じて如何に子供を産むという行為が凄まじく大変なのかを痛感させられたシーンでした。
橋とリンゴ
本作では、ショーンが橋をかける仕事をしてることから、建設途中の橋と川をバックに月日の表示をしてるんですね。
また裁判を頼んだ女検事と情事をしてしまうショーンが、検事の部屋に飾られた橋の絵画を見ながら「共振」についてを力説するシーンがあります。
そしてラストシーンではマーサが子供の遺骨を川に流すんですが、その場所も橋の上です。
このように本作は「橋」が何らかの意味をもたらしているのが印象的な作品でした。
一体どういう意味なのか自分なりに色々語っていこうと思うんですが、普通に考えれば夫婦や母娘の関係性を橋で表現しているのかなと。
端っこと端っこから少しづつ真中へ向かって建設されていく橋は、どこか人間と人間が関係性を築き上げたり絆を深めていったりってのに似てるわけで。
物語では死産してしまったことで、せっかく築き上げた橋=絆が壊れかけていくんですね。
マーサは一体何を考えてるかわからず、ショーンが歩み寄っても御座なりの態度を取られることから、彼はやめていたタバコを吸い、浮気をし、どんどん自分で自分を追い込んでしまう。
「共振」とは外と内の振動が重なった時に起きる現象だとショーンは劇中で語ってるんですが、きっとマーサとの関係が「共振」によって壊れてしまうのではないかということを示唆してるというか。
またマーサの母親エリザベスとマーサの間にも築き上げてきた橋が共振で崩れてしまうような感じになっていきますよね。
娘のことをまるで自分のことのようにコトを進めてしまうあたりは、マーサからしたら余計なお世話であるんだけど、エリザベスとしてはやっぱり自分の子供の身に起きた出来事に対する「落とし前」をつけないといけなくて、結果それが「押し付け」になってしまっているあたりから、母娘の温度差が浮き彫りになっていくわけで、劇中では実家で対峙するシーンが正に「壊れかけた橋」を象徴しているように感じました。
そんな関係性が危ぶまれていく中で、マーサが一つの答えにたどり着いたとき、建設途中だった橋が完成され、子供を弔い、絆という橋が修復されていく結末は演出的にお見事だったように思えます。
また、もう一つ物語を象徴したのが「リンゴ」でしたね。
劇中では、マーサが何の気なしに頬張ったリンゴの中から種が出てきたことや、ポケットから出てきた食べかけのリンゴが腐っていたことを映すシーンがあり、やがてマーサが発芽に関する本を読んで、自宅で種を冷蔵庫で冷やすシーンが描かれてます。
マーサ的には、自分をリンゴに例えて色々研究していったのかなと。
子供を失ったことでこのままの状態であれば、食べかけのリンゴのように腐ってしまう。
でも自分の中にある種をちゃんと育てていけば、春には実になってやがて大きな木=希望になると。
リンゴに執着したのも、終盤で子供を抱いたときに「リンゴの香りがした」と言っていたので、リンゴを無意識に手に取って食べていたのかなぁと。
最後に
子供が死んでしまったとしても、母体は子供を育てるための身体のままで、母乳が出てしまったり、おっぱいが貼っていたいから冷凍庫にあった冷凍食品で冷やす描写を映像だけで見せるのが、観ていてものすごく辛かったですね。
他にも「橋」や「リンゴ」同様に隠喩が多く、グランジやガレージロックが復活したことでロックが盛り上がった、ホワイトストライプスのおかげだなんて言う世間話から、実はあいつら姉弟じゃなくて元夫婦なんだぜ、というところから「夫婦」におけるショーンとマーサの価値観の違いに発展したり、実家の内装をとにかく飾りで華やかにしているエリザベスの心情が窺えたり、朝帰りしたマーサにショーンが八つ当たりでバランスボールを投げつけた時に、タバコを押し付けてボールをしぼませることで、マーサの心情とリンクしたり、部屋の奥にいるマーサを時折見せることで彼女がまだ外側に出られない=殻に閉じこもったままであることを見せていたりと、映画的な演出が際立っていた気がします。
ようやく俳優としての第2章を歩み始めたにも関わらず問題を起こしてしまったシャイア・ラブーフですが、それでも子を失った夫、父親になりたいために苦労したのにその夢が絶たれてしまったことに対する葛藤を見事に演じた辺りはさすがでした。
薬物依存だったりニコチン中毒だった過去がうっすら見えたり、感情的な態度や汚い言葉が出る辺りから自ら「ガサツ野郎」といってましたが、日ごろの行いがこういうカタチで芝居に反映されるのも僕は悪くないよなぁとは思います。
彼だからできる芝居という意味で。
私というパズルは、決して「私」だけで完成されるものではなく、周囲との「橋」も必要で、それらがあってこそ「パズル」だと。
失った子供だとしても命がそこにあったこと、悲しい出来事だったけどいつか思い出になる日が来ることを願うこと。
気付いたことでようやく他者に本心を語るマーサの法廷での発言は涙モノです。
独身男である僕でさえ色々身につまされた映画でしたし、何より映画としてよくできた作品だったと思います。
監督、お見事でした!
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10