リチャード・ジュエル
ここ最近のクリント・イーストウッド。
「アメリカン・スナイパー」に、「ハドソン川の奇跡」、「15時17分、パリ行き」などから共通するのが、「知られざる英雄」の物語であること。
アメリカでは注目されたような人物かもしれないけど、これだけ情報が飛び交っているにも関わらず、遠いアジアに住む私たちの耳にはなかなか入ってこない(入れようとしてないのか?)。
そんななじみのない事件やニュースを題材にし映画を製作することで、ようやく渦中の人物がどんな境遇に遭い、たくさんの人々を命を懸けて救ったのかを知ることができるわけで、そういった意味で言えばイーストウッドの功績は、映画自体はもちろんのこと、ものすごく大きなものだなぁと。
もちろん彼だけじゃないんだけど、ここ最近英雄譚をテーマにした作品を連発しているので、真っ先に名前が出てしまいますよね。
今回のイーストウッドの新作もまた知られざる英雄の物語。
メディアやFBIの執拗な印象操作、情報操作によって、爆破事件の容疑者に仕立て上げられてしまった男と、唯一彼を擁護する弁護士の壮絶な戦い。
政府の陰謀によって首相暗殺の濡れ衣を着せられてしまった主人公を描いた「ゴールデンスランバー」と、なんとなくではありますが似てるような気がします。
しかし仲間の協力を得て逃げまくるってのが醍醐味のこっちに対し、今回の映画は真っ向からNOといい続ける姿勢ですから、かなりの逆境に立ち向かう点においては、こっちの方がしんどいよなぁと。
去年の作品「運び屋」もベストに入れたほどよかったので、今作も大いに期待しています。
というわけ早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
生ける伝説クリント・イーストウッド監督の40作目となる記念すべき作品は、またしても「知られざる英雄」の物語。
1996年のアメリカ・アトランタオリンピックの7日目に起きた、野外コンサート会場での爆破事件で、第一発見者となった男に降りかかってしまう悲劇と、彼の無実を信じる弁護士、そして母の3人が、押しつぶされそうになりながらも無実を主張していく。
近年のSNS文化によって誰もが被害者に加害者になり得る現代。
真実が簡単に捻じ曲げられてしまい、それを全て受け止め信じ切ってしまう全世界の人間に対し、イーストウッドが警鐘を鳴らしていく意欲的作品です。
あらすじ
1996年、警備員のリチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)は米アトランタのセンテニアル公園で不審なリュックを発見。
その中身は、無数の釘が仕込まれたパイプ爆弾だった。
事件を未然に防ぎ一時は英雄視された彼だが、現地の新聞社とテレビ局がリチャードを容疑者であるかのように書きたて、実名報道したことで状況は一変。
さらに、FBIの徹底的な捜査、メディアによる連日の過熱報道により、リチャードの人格は全国民の目前でおとしめられていった。
そこへ異を唱えるため弁護士のワトソン(サム・ロックウェル)が立ち上がる。
無実を信じ続けるワトソンだが、そこへ立ちはだかるのは、FBIとマスコミ、そしておよそ3億人の人口を抱えるアメリカ全国民だった。(HPより抜粋)
監督
今作を手掛けるのはご存じクリント・イーストウッド。
もう彼の作品をこのブログで何度取りあげたか忘れましたが、それでも何かしら書かないとブログのカッコが付かないのでw
今作を製作するにあたって監督は、リチャードジュエルに関する興味深い記事を4年ほど前だそうで、丁度その頃にこの映画の脚本が送られてきたんだそう。
ワーナーと脚本の権利を持っているFOXの共同でやりたいと願っていた監督でしたが、FOX側がこれを拒否してしまう事態に。
そして去年、この話をもう一度見直そうとしたとき、FOXがディズニーを買収しており、今のディズニーのトップが昔のワーナーのトップだったことから、ワーナーが買収できた、という流れがあったそう。
一般ユーザーによるSNSでの些細な一言や、報道の自由を振りかざし野心的に報道するマスコミメディアによって、情報過多になり真実はどんどん捻じ曲げられてしまうことが特に多いこのごろ。
今作について監督は、一方を出した新聞社はそれを貫くしかなかったんじゃないか、と推測する一方で、どんどん新たな情報が上書きされるたびに、いったいどこまでが真実なのか疑問に思った人も少なくないはずとおっしゃってます。
今回監督はどんなメッセージを込めたのでしょうか。楽しみですね。
キャスト
爆破地面の容疑者にされてしまう不運な男、リチャード・ジュエルを演じるのは、ポール・ウォルター・ハウザー。
彼「アイ、トーニャ/史上最大のスキャンダル」で実行犯の一人を演じたんですけど、目つきから態度から口調から、全部まるごと含めてクズでw
確かラストで実際の本人のインタビュー映像が流れたと思うんですけど、それも激似ですげえなあ!って。
その演技が注目されてブレイクしたそうなんですね。
で、これ僕だけかもしれないんですけど、「ブラック・クランズマン」でも似たような人物を演じてたこともあって、既にポール・ウォルター・ハウザー=クズキャラのイメージしかないんですよ。
それを今回無実の主人公を演じるって、既に僕としてはクズにしか見えないから、容疑者でも通ってしまうよなぁって。
よく悪役が上手な人は演技がうまいなんて言いますけど、実際マジでクズに見えた彼ですから今回心の機微をうまく引き出して演じるんでしょうね。
待機作に、再びスパイク・リー監督とNetflix映画「ザ・ファイブ・ブラッド」という作品でタッグを組むんだそう。
そちらも楽しみです。
他のキャストはこんな感じ。
彼の友人であり、無謀な弁護を引き受けるワトソン・ブライアント役に、「月に囚われた男」、「スリー・ビルボード」のサム・ロックウェル。
リチャードの母ボビ役に、「ミザリー」、「アバウト・シュミット」のキャシー・ベイツ。
FBI捜査官トムショウ役に、「ベイビー・ドライバー」、「トップガン/マーヴェリック」の公開が控えるジョン・ハム。
女性記者キャシー・スクラッグス役に、「カウボーイ&エイリアン」、「ライフ・イットセルフ 未来に続く物語」のオリヴィア・ワイルドなどが出演します。
確かに今何がホントで何が捻じ曲げられたニュースなのかわかんないよですよね。
その辺もグサっと突くような爽快感ある映画になってるんでしょうか。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
リチャードよ、FBIとメディアに叩かれながらも、よくぞ戦い抜いた!
最後の啖呵が沁みたなぁ。
でもあれもっと早く言っても良かったけど。
以下、ネタバレします。
情報を発信する覚悟、理解する力。
アトランタオリンピック開催時に起きてしまった、爆破テロの容疑者にされてしまった「無実の英雄」が、法の執行という権威を尊重する正義感を持ちながらも、執行官らに犯人に仕立て上げられていく辛さを少しづつ炙り出していく展開と、彼の無実を信じてやまない相棒である弁護士の怒りじみた掛け合いにユーモアを持たせる流れによって、重々しくないテイストで描きながらも、一つの声が拡散されることで「正しくない」ことが「正しい」とされてしまう報道の在り方に異議を唱える作品であったと共に、何をもって当事者を「決めつけて」しまうのかも問う作品であったと思いました。
僕らはTwitterやネットニュースで書かれていることを、何かをしながら読んだりすることが多く、ものすごく大きなニュースであるにもかかわらず瞬時に目を通してしまうことで、ふぁぼを押したり、RTしたりして拡散することがしばしばあると思います。
僕もよくやることで、その記事がどういう意図を持ってるのか、どういう内容であるかをよく吟味せずに、理解せずに拡散してしまってることが、多々ありました。
その結果、事実と異なる内容やフェイク、誤報を広げてしまったこともあります。
本当にこのニュースは真実なのか、はたまた虚偽なのか、事実と異なる内容なのか、もっと言えばフォロワーを傷つけるような内容だったりしないか、もっともっと深く言えばその記事を拡散したことに、あたかも自分が賛同しているという意味合いにとられ、変なイメージを持たれてしまっていないか。
深読みではあるものの、下手をしたら親指ひとつで何かを変えてしまう力が我々にはあるのです。
情報を発信するということは、そういう覚悟が無ければいけないと常々思っていながらも、ついモノの弾みで、ながら見で、何かのついでで、さらっとやってしまうんですよね。
このブログだって、あくまで個人の意見であるとはいえ、自由度の高さから誰かの気持ちを損ねるような書き方を時にしてしまうことだってある。
受け取る側の気持ちも考えて発信しないと、という意識をもってないと、と最近は感じています。
また、特にTwitterでは140文字しか投稿できない縛りから、抽象的な言葉で投げてしまいがちで、真意を読み取ってもらえぬまま受け取られてしまうこともしばしばあり、発信する側も受け取る側も、自分の目を鍛える力、要はリテラシーを上げていかないといけないよねと。
今回鑑賞した映画は、まだ今のような情報化社会になる少し前の時代であったことから、誰もが大衆メディアに流されてしまったが故の悲劇だったなぁと感じました。
何をもって❝決めつけ❞るのか。
今作は、時系列に沿って描かれていました。
事件となる96年よりも10年も前から物語は始まり、リチャードと、後に彼を弁護することになるワトソンとの馴れ初めが描かれます。
中小企業庁で備品管理をしているリチャードは、怒り狂って電話対応しているワトソンの前を通ってしまうことで目を付けられてしまうんですが、リチャードの観察能力と気の利く処置(事前に備品をデスクにおいておく、彼の好きなスニッカーズまでも!)のおかげで、ワトソンは彼を仕事の出来る男として認知するんですね。
大柄でしゃべりがどもっていることから、周囲からまともな扱いをされなかったリチャードが、自分のしたことを認めて貰えたことで、人間としてちゃんと見てくれたことが彼らの信頼の始まりだったわけです。
それから10年の時が経ち、法執行官になるべく警備員の職に就いたリチャードが働くことになった、オリンピック内でのコンサートの会場でテロは起きてしまうわけですが。
この映画の主な軸は二人が大きな権力やメディアの扇動に負けない姿勢を描くことに重きを置いている作品でしたが、例えば、10年前のふたりの馴れ初めと信頼関係を描かずに物語を作ったとしたら、または、いきなりコンサート会場で爆弾を発見したリチャードの姿から物語を始めたら、
果たして本当に彼はやってないのか?
と、疑いをかけて観賞することになるんじゃないのかな?
と見ていて思いました。
映画を見ている際、二人の関係性やリチャードの人柄や価値観を先に教えてくれるから、彼が善人で、爆弾を仕掛けてテロを起こすなんて「あり得ない」と思い込んだ状態で見てることになるんですよね。
何が言いたいのかというと、当時この「リチャード・ジェエル犯人説」の記事を呼んだ人たちは、映画で描かれていたようなリチャードの側面を知らぬまま、彼を容疑者として実行犯として思い込みで捉えていたはずなんです。
ものすごく野心家である記者キャシーが発信した記事は、自身の足で見つけた「情報」であるものの、リチャードが犯人であることを裏付けるようなものはなく、あくまでFBIの情報のみで憶測で記事を書いていることが描かれていましたし、以前に逮捕歴があったとか、ライフルを所持していることとか、大学の警備担当をしていた時の度を越えた尋問だとか、彼を悪くさせるような事項のみを発信し続けることで、彼は本当に犯人ではないのか?と思わせるよう読み手に刷り込ませるわけです。
他紙を出し抜くために掴んだ一報で、世間をにぎわすことがあったとしても、キャシーは悪い方ばかりではなく、彼のいい面も発信しなければいけない立場だったと思ってしまった瞬間でした。
だから、実際に書いたかどうかはわかりませんが、彼女がFBIの捜査方針に穴があったことを記事として書くシーンがあったらなぁと。
でなければメディアが悪者に見えてしまう、という決めつけでこの映画終わっちゃうんですよね。
人間誰もが善人であるはずはなく、例え善人だとしてもそれはあくまで「側面」でしかないわけで、誰もが簡単に相手をいい人、悪い人、と決めつけるのには、材料が少なすぎるんですよね。
本当に相手を知るには、付き合っていく「時間」が必要だと僕は思います。
実際ワトソンも10年ぶりに再会し、彼の目を見て弁護を引き受けますが、会っていなかった間の彼の遍歴を知らなかったばかりに、キャスターに詰め寄られてしまう事態が描かれていました。
ホント、相手を見極めること、信じること、疑うこと、それらの判断を下すには難しいなと。
ちょっと個人的な話になりますが、僕が親しくしているTwitterのフォロワーさんが、先日あるツイートで炎上しまして。
どんな内容かは伏せますが、相当攻撃されてて。
確かに彼のスタイルってのは、反感を買うような書き方だったり、物議を醸すような内容のツイートが多いから、それが先行してしまって、っていう自業自得な面も正直あると思います。
しかし、彼のスタイルだけで悪いイメージを作り上げて、しかも文の行間を読まずに鵜呑みにして自分の反対意見をぶつけ、終いにはバッシングしかしないコミュニケーションてどうなんだろうと。
さっきも言いましたけど、所詮Twitterのツイートで形成される人のイメージなんて側面でしかないんです。
側面だけで❝決めつけ❞てはいけないんです。
よく知らない相手を、勝手な憶測で❝決めつけ❞てはいけないんです。
話がだいぶそれましたが、今作はリチャードとワトソンの冤罪を阻止するための戦いと、FBIやメディアへの警告を促す物語でしたが、手軽に情報を発信したり受け取ることができる僕らも教訓にしなきゃいけないお話だったよなぁと感じた映画でした。
最後に
あれ、映画の話全然してないww
リチャード演じたポールウォルターハウザー良かったですね!
彼の見開いた視線、初めて見たかもw
実家暮らしで母親を愛していてお人好しで、それでいて法執行官に憧れている正義心の強い姿っていう外見の人の良さと内面の強さをよく出せていたなぁと。
相棒サム・ロックウェルもひたすら怒り狂っていながらもうまいジョークとユーモアで和ませるナイスガイでしたw
危険なパンストが見つかったってどんなのよww
多分彼のキャラってイーストウッドですよね。
お母さん演じたキャシー・ベイツも今回アカデミー賞助演女優賞ノミネートされただけの素晴らしいアクトだったのではないでしょうか。
息子を讃えながらも窮地に立たされた息子を守れることができない歯がゆさを、終盤で惜しみなく感情を露わにしていた姿は印象的です。
ただ正直言うとですね、ここ最近のイーストウッドの中では、ちょっとパンチが弱い映画だったなぁと。
2人に焦点絞ってるから、世間がどう変化したかってのを見せてないんですよね。
メディアが集中してリチャードに執着してたけど、世間はそれにどう感化され、どう改心したか、ってのを見せないと、この映画が伝えたいことが弱いんじゃないかって。
あとはFBIの謝罪もなければ、キャシーが働くアトランタジャーナルのお詫びもない。
てか、リチャードが最後にFBIに向かって、「そもそも僕が犯人だという証拠があるんんですか?」っていうんですけど、なぜそれをもっと早く言わなかったんだろうと。
家宅捜索だって一体どういう理由でFBIは動いてリチャードは許可したのか。
無実を晴らすための決断だと思うんですけど、なんていうんだろ、疑われているならもっとはっきり主張しないといかんでしょう、俺じゃねえ!って、って思ってしまって。
まぁイーストウッド映画でこういうところを感じてしまってはいけないんでしょうけども。
黙って見ろ、っていうくらいですからあの方は。
でも、その後にリチャードが、「この件がきっかけで、仮に他の警備員が爆弾見つけたとしても、リチャードみたいにされたらいやだ!って言って、その場から逃げ出すようなことがあったら、一体何のための警備なんだろう、誰も人を助けなくなってしまいますよ」ってセリフは刺さりましたね。
またプロファイリング捜査を信用し過ぎているFBIの捜査の仕方もホント怖い。データによって作られた「よくいる犯人像」って❝決めつけ❞で、他の重要参考人を探すこともせずにひたすら責め立てるやり方(作りあげるという方が正しいか?)が、まさに今のネットの中でも起こってるわけだから。
あとは何でしょうね、マイケルジョンソン懐かしかったなぁw
あの走り方と口開けて走る姿を久々に見れた。
あとあれだ、恋のマカレナをまさかイーストウッドの映画で見ることになるとはw
確かに流行ったんだよ、あの年代。
もう25年前ですか…歳取ったな…
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10