モンキー的映画のススメ

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主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「運び屋」感想ネタバレあり解説 10年ぶりでも枯れないイーストウッド。

運び屋

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予告編のラストのイーストウッドの顔が今にも尿漏れしそうな(そんなことはない)追い込まれた老人過ぎて、どうしたらそんな表情になるんですか!?という意味で興味津々な今回の映画。

もちろんグラントリノ」から10年ぶりに監督主演てのも魅力的な謳い文句ではあるんだけども。

 

 運び屋。

っていうくらいだから、アマゾンだかZOZOTOWNで頼んだ商品を配達するネコんトコの会社でもなく、青と白のシマシマんとこでもなく、民営化してから色々大変そうなバカまじめんとこでもなく、もっと言えばピザでも寿司でもファミレスでもなく。

運び屋。

そう、明らかにヤバいブツを届けるのが、

運び屋。

それをなぜ90歳近いクリント・イーストウッドが演じるのか。

 

というわけで、なぜかアカデミー賞にも引っかからなかった(時期ずらしたから?)今回の映画。

早速鑑賞してまいりました!!!

 

作品情報

巨匠クリント・イーストウッドが「グラン・トリノ」以来10年ぶりに自身監督作に主演した映画は、90歳にして麻薬の運び屋として巨額を手にしていた伝説の男の前代未聞の実話。

ニューヨークタイムズに書かれた記事を原案とした、80代にして麻薬カルテルの運び屋となった第二次世界大戦の退役軍人・レオ・シャープを基にしている。

 

彼の愛弟子ブラッドリー・クーパーとの初共演や、娘役にイーストウッドの実の娘を起用するなど、彼らしいキャスティングが話題。

 

仕事に精を出したために失った男の悲哀が画面いっぱいににじみ出た今作。

アメリカン・スナイパー」、「ハドソン川の奇跡」、「15時17分、パリ行き」、そして今作と実話を元にした映画を作り続けた先の監督兼主演作。

 

劇中様々な描写や説明調のセリフをそぎ落とすことで、映画におけるフィクション性をギリギリまで打ち消しながらも、巧みなストーリーラインによって観衆を唸らせた彼の作家性は、この映画でさらに深度を増すものへとなっていくのだろうか。

 

俳優人生に一度ピリオドを打った男が、今再び蘇り、我々に静かに語りかける。

 

 

 

あらすじ

 

アール・ストーン(クリント・イーストウッド)は金もなく、孤独な90歳の男。
商売に失敗し、自宅も差し押さえられかけた時、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられる。
それなら簡単と引き受けたが、それが実はメキシコの麻薬カルテルの「運び屋」だということを彼は知らなかった…。(HPより抜粋)

 

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監督・キャスト

今作を手がけ、主演のアール・ストーンを演じるのはクリント・イーストウッド。

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 「15時17分、パリ行き」は実際事件を未然に防いだ青年や巻き込まれた人たちに至るまでを、当事者本人たちが演じるという中々の実験的映画だったわけですが、これがまぁ面白かったですよね。

 

まず演技が全然普通だし、結末までの過程が何気ない日常な癖に、中心人物たちがどんな体験を経て人物像を形成していったかってのを、さらっと入れちゃってる辺りが非常にうまくできていて。

 

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 元々監督の映画、特に最近のはものすごくシンプルな作りにこだわっている。

なのに奥が深いという印象を受けます。

 

早撮りのイーストウッドとよく言われておりますが、例え意図しなかったものが撮れてしまったとしても、それを作品に入れてしまえるセンスが他の監督たちとは違うんですよね。

多分完成のビジョンが撮る前から出来上がってる気がします。

 

 

そして今回なぜ俳優引退宣言したのに復帰したのか、という疑問なんですが、そもそも自分が演じられる作品がなく、「グラントリノ」のような作品にめぐり合えるまで待っていた、そして巡ってきたのが今の自分の年齢に近い老人の物語だったとのこと。

 

年齢を重ねても立ち止まることを知らないイーストウッド。

今作でも家族を顧みない人生を送るも、新たな出会いによって多くを学び続ける主人公に共感し、それを吸収して次回作に望んでいくのでしょう。

こりゃあと5本くらいは作るでしょうね。

 

監督に関してはこちら。

 

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その他のキャストはこんな感じ。

コリン・ベイツ捜査官役に、「アリー/スター誕生」のブラッドリー・クーパー。

その上司役に、「マン・オブ・スティール」、「ジョン・ウィック2」のローレンス・フィッシュバーン

ベイツの同僚役に、「アントマン」、「オデッセイ」のマイケル・ペーニャ

メアリー役に、「ハンナとその姉妹」、「アイ・アム・サム」のダイアン・ウィースト。レイトン役に、「アンタッチャブル」、「ジオストーム」のアンディ・ガルシア

娘アイリス役に、「目撃」などに出演し、クリント・イーストウッドの実の娘でもあるアリソン・イーストウッド

ジニー役に、「ハリウッド・スキャンダル」、「死霊館のシスター」のタイッサ・ファーミガなどが出演します。

 

 

 

 

 

 

 

なぜ老人は捜査官の包囲網をかいくぐり、いとも簡単に運び屋として巨額の報酬を手に入れることができたのか。

そしてイーストウッドの10年ぶりの俳優復帰に深い意味はあるのか。

ここから鑑賞後の感想です!!

 

感想

予告編での重々しい雰囲気どこにもねえくらい笑いと涙が絶えない!

イーストウッドそのものを体現した、運び屋体験記でした!!!

以下、核心に触れずネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イーストウッドらしくない、のほほんな映画。

家庭を一切顧みずユリの栽培に情熱と人生を注いだ男が、これまでの人生を金で取り戻そうと、危ない橋を渡りながらも悠々自適に満喫し、最後に大きな覚悟を決めるまでの姿を、主人公の役柄にクリント・イーストウッド自身の人生を投影したかのような内容、ポリコレに対する白人代表としての見解やアメリカで今起きていることを示唆する描写、それをイーストウッド独自のユーモアに変換して語られる登場人物とのやり取りなどを盛り込んだ、最近の彼の作風とは一線を画す素晴らしい作品でした。

 

見終わって感じたこと、びっくりするくらい予告編の重々しい雰囲気がねえ!

ある意味予告詐欺です。もちろんいい意味で。

 

端的に言えばですよ、イーストウッド流のハートフルコメディで、イーストウッドが女とイチャつきたいがために作ったようにも見えるし、枯れてしまっている年老いた人たちに向けたメッセージ性のあるドラマでもあるし、また誰かの命令に縛られることなくやりたいことをやりたいようにやればいいという、社会人や老人たちに向けた応援映画でもある。

 

その反面しっかり彼の社会に対するメッセージも入っていて、なんでもスマホやネットに頼る現代人への警鐘といった我々でも感じる問題から、黒人とのやり取り、メキシコ人とのやり取り、白人以外のアメリカ人が、どれだけ冷ややかな目で見られたり不遇な対応を受けているか、果てはパッと見ただの職質が彼らにってどれだけ危険な数分間かってのを、さらっと物語に取り入れるあたりは非常にニクい演出。

 

そして、コカインを運ぶという犯罪の片棒を担ぐおじいちゃんの話であることに間違いはなく、そこに一定の緊張感をもたらすような犯罪モノである描写はありますが、やってる本人は鼻歌交じりでのんきに寄り道しながらブツを運ぶという、なんとも朗らかでのほほんとした雰囲気で描かれているもんだから、彼の気分にのせられて思わず気が緩んでしまうくらい砕けた物語になっていたんですね。

 

彼の人生を投影した映画。

そしてそしてこの映画は、イーストウッドの人生そのものにも見えるというおまけ付き。

主人公アールは、1日に数時間しか咲かないユリの栽培に人生をささげ、事あるごとに賞をもらうことで称賛される一方で、家族の行事に一切姿を出さない男でありました。

イーストウッドも俳優として監督として数々の受賞と称賛を浴びる一方で、2度の離婚に加え愛人との間に子供を作り、合計5人の女性と8人の子供を作るという中々の奔放ぶり。

これを見比べてみれば主人公とうり二つの人生を送って見えてしまうのも容易です

 

そんな彼がこの映画を通じて、また自分と重ねた主人公を通じて一体何を描いたのかってのがこの映画だったんですね。

やりたいように生きてきて約90年。人生の終わりが見えてくるこの歳になって彼は、仕事よりも大切なことに気付くわけです。

 

また何が良いって、運び屋の追いかける捜査官の役に、弟子であるブラッドリー・クーパーを起用しているところ!!!

「アメリカン・スナイパー」で主役に抜擢してきて以来、クーパーも彼を師と仰ぎ、イーストウッドが製作しようとしていた映画をクーパーが引き継ぎ初の監督をした「アリー/スター誕生」は、まさにイーストウッドがやろうとしていた雰囲気の作品でした。

実際イーストウッドもこの映画にガガを起用したことに、その選択は間違っている、なんて苦言をさしたようですが、その完成度に驚き、発言を撤回したとかしないとか。

そんな愛弟子に自分を追う役目を与えることで、師弟関係が如実に見て取れるし、追いかけるクーパーに対し、愛ある言葉をかけるイーストウッドの姿に、ニヤニヤとウルウルが止まりません。

 

そして彼が最後に出した答えにきっと涙する人も多いはず。

内容としては非常にベタな感じですが、そこは巨匠。

明るい描写を入れながらもしっかり深みを入れてくるテクニックもあって、「いい映画を見たなぁ」というシンプルな思いを抱きました。

 

もうどこをとってもイーストウッドそのものの映画でしたし、もっと言えば娘役に本当の自分の娘を起用しているんですから、そう思わないわけがない。

とにかくですね、彼の映画でこんなにニコニコしながら見た映画はありません。

あの歳でこういう映画を作ってしまう彼に、もっと映画を作ってほしいなと感じた作品でした。

 

 

ただのエロジジイw

ここからは深く書いていこうかと。

 

主人公のアールが一体どんな人物だったか。

話は12年前から始まります。

1日に数時間しか咲かないデイリリーという百合の栽培を、メキシコ人のスタッフを時にいじりながら仕事に精を出していました。

品評会があれば必ずと言っていいほど賞をもらい、固いことは言わずジョークで場を和ませたり、その後の打ち上げではバーにいる全員に酒をおごるほどの気前の良さ。

 

しかしその日は娘の結婚式。これまで記念日も娘の出産も行事にも一切顔を出してこなかったアールは、この日もすっぽかしていたんですね。

もちろんこれにはさすがに我慢の限界とあって、これを機に娘は父親と一切口を利かないことを固く誓うのでした。

 

そして時は経ち現在。

これまでトラックで運転して百合を届けていたことありアメリカ41州も周ったアールでしたが、インターネットの普及によって事業は悪化。

職場をたたむことになり自宅も差し押さえという状況にまで追い込まれます。

さらには唯一の理解者である孫娘のパーティーに顔を出した途端、妻と娘に遭遇し、険悪なムードに。

 

どうして理解してくれないのかと悩む彼の前に現れた一人の青年。

 

彼を慰める態で近づいた青年は、荷台の乗った家財道具を見てアールに居所が無いことを悟り、さらには彼が無事故無違反であること、長距離での移動はお手の物だということを知り、仕事をしてみないか?と依頼します。

な~に、言われた荷物を運ぶだけの仕事さ。

それなら一丁やってみるか、と渡された住所へいくとそこはタイヤ屋。

奥へ車を移動すると、出てきたのはいかにもおっかなびっくりのメキシコ人3人。しかも一人は銃を持っています。

朝鮮戦争の退役軍人である彼は、そんなものを突き付けてもびくともしない勇ましい心と、ジョークで場を和ます特技もあって、すんなり彼らと溶け込み、言われた物を運ぶ仕事を引き受けます。

 

こうして彼の運び屋家業人生が始まるのであります。

 

 

 

序盤では家族を顧みない老人てのがドンと前に出ることで、あ~こういう昭和的な男ってまだいるんだなぁ全くダメな男だなぁ、結婚式まですっぽかすなんて!と、今のご時世にふさわしくない男性像が見て取れるんですが、運び屋として働くシーンになると、百合の栽培が出来なくなった分新しい仕事に楽しく前向きに働いてる姿が前に出てくるんですね。

あれ?さっきの件はいったん忘れてってこと?と。

 

で、この運び屋をやってる時のアールがどんどん出てくることで彼の人柄の良さが出てくるんですね。

まず稼いだ金で新車購入。これは自分のためですが、そのあと稼いだ金は孫娘の学校の学費に充てたり、退役軍人たちが集うダイニングバーの改装資金を出したり。

もちろん周りの人は喜びます。

だから彼も生きている心地がしてもっと仕事に精を出すんですね。

冒頭でのバーでの一杯奢るっていう気前の良さがここでも理解できるかと思います。

サービス精神が凄いってことですよね。

 

そしてアールは時間にルーズです。

鼻歌交じりでドライブがてらにブツを運ぶスタンスで臨み、途中で寄り道するのも当たり前。

これにはさすがに麻薬組織のボスも偵察と尾行をつけます。

その役目を仰せつかった下っ端サルとリコ。

おい爺さん、いくらちゃんと仕事するからって良い気になるなよ!今回からは俺らがちゃんと尾行して時間通りきっちり運んでもらうぜ!と銃を突きつけ脅すんですが、こちとら朝鮮戦争の退役軍人でい!そんなもん見せたってオイラへっちゃらだぜ若ぇの。

と、普通ならビビる状況ですが強気な姿勢で跳ね返すアール。

そして再び運び屋仕事。

車内に盗聴器をつけ尾行しながら盗み聞きするリコたちですが、アールの鼻歌につられてニコニコしだすんですね。

そして監視されているのに余裕で飯を食いに行くアール。

まぁ2人も車の中で待ってるわけにもいかないので一緒に食うことに。

そして出発する時に白人警官が2人に職務質問をしてきます。

こっちはメキシコ人でことで白人警官はもろに偏見の目で彼らを強引に尋問するんですが、ここでアールが機転を利かせ白人警官を追っ払うんですね。

これを機にリコの中でアールに対する気持ちが変化してきます。

 

そしてそして、アールはこの歳にもかかわらず美女を、しかも二人を相手に夜を共にする元気の良さ!

序盤孫娘のパーティーで孫娘の友人とEDMにのってダンスするイーストウッドがめちゃめちゃツボったんですけど、それ以上の事が劇中で起こります。

疲れたのでモーテルで1泊することになったアール。運び屋家業で金持ったおかげで、コールガールを二人も呼んで朝まで盛り上がるんですね~。

これを監視していたリコも驚きの表情。なんだあの爺ちゃん…と。

しかもあまりの働きぶりにボスが家に招きたいってことでアールは御呼ばれされます。

ここでもメキシコの陽気な音楽に乗って腰をクネクネしながら美女とダンスをするアールの姿が。

そしてボスにアールをご奉仕しなさいと頼まれた美女が、彼をベッドに誘います。

するともう一人美女が登場!またもや二人相手に男になるアールが描かれます。

このエロジジイ!wwですよ。

 

一体どこにそんな元気が!です。

 

このように、アールという男は、家族に見捨てられても決してめげず、与えられた仕事が長距離往復、しかも運んでるのがヤバいものだとしても楽しく前向きに励み、その金でサービス精神旺盛にばらまき、生きる悦びを感じていることで高齢にもかかわらずバイタリティ溢れる毎日を送っていたんですね。

さらには持ち前の性格で、若い人たちに的確なアドバイスをしたり、白人以外の人種やLGBTたちにもジョークを交えながら分け隔てなく優しく接したりする姿も。

こんなおじいちゃん、ある意味ステキでないですかね。もちろん家族からは煙たがられていますがw

 

映画から読み取る社会的描写。

劇中では、今の多様性にあふれた社会にアールがどう接するのかが描かれていました

 

冒頭百合の栽培を手伝うメキシコ人が、スペイン語でアールに何か言うと、聞こえてるぞカス野郎とスペイン語で暴言を吐きまくるんですが、これにお互いが嫌悪感を見せず笑顔で言い合う姿が出てきます。

運び屋として働く際、道中で車をパンクして立ち往生している黒人家族を手助けしますが、彼らにニグロと言うアールに対し、そこで今はニグロって言いません、ブラックですと訂正されるシーン。ここでも、そうか!wと笑って返すアール。

リコとサルを連れて白人だらけの飯屋でバーガーサンドを食べるんですが、皆がジロジロ見ていることに嫌悪感を出すリコとサルに、堂々としていればいいと諭すアール。

バイクのメンテをしている巨漢の人たちに軽くアドバイスをすると、男ではなく女であることを知ったアール。

 

このように、色んな人種やセクシャリティがドライブ中=人生の旅路の中でいることを学び、それでも分け隔てなく接する白人男性の姿というのを何事もないように描いてるんですね。

僕がこの部分を見て感じたのは、確かに白人が未だに差別を繰り返している、昔のような時代に戻りつつある、いや何も変わっていない、と世の中で言われているけど、そういうやつらはほんの一部で実際は寛容なんだ、確かに不謹慎なことを言ってしまうかもしれないけどそれはコミュニケーションなんだ、昔だってそうだったろう?とイーストウッドが言っているように感じます。

そして彼はそこで学ぶんです。今黒人がどう呼ばれているか、とか、見た目で判断してはいけないということ、時代が変化していることに。

またアールに出会った人たちも寛容です。

SNSに頼らず対話をすれば自然に振舞える、そんなことをこの映画は裏テーマとして入れているのかもしれません。

 

 

さらには、劇中怪しい車を職務質問する捜査官たちが映ります。

そこにはメキシコ人が乗っていて、彼はものすごく脅えています。

白人警官が尋問するときは人生で最も危険な5分間だって語るんですね。

もちろん彼は潔白でした。そして真摯に接する捜査官の姿を映ります。

実際問題、白人警官が銃を持たない黒人に発砲する事件が多発しているアメリカ。

イーストウッドがこのシーンを入れたのは、白人警官全員がそんなことはしないってメッセージに見えます。

 

フォードからリンカーン。

劇中ものすごく引っかかることがありました。

 

アールは百合の栽培を運送する際、自動車メーカー「フォード」のトラックを愛用していました。

だいぶ年季の入った車なので運び屋としての長距離移動はさすがに厳しかったようで何度かエンジンがかからないなんてシーンもありました。

最初の運び屋の稼ぎがあまりにも高額だったっ事から、アールは車を買い替えるんです。

そして選んだ車が自動車メーカー「リンカーン」のマークLTという車種(おそらく)。

 

リンカーンといえば大統領専用の車ってのがまず浮かぶイメージですし、モンキー的には「リンカーン弁護士」でマシューマコノヒー演じる主人公の弁護士が事務所代わりに使っていたあの車を真っ先に思い浮かべるんですが。

ここで僕は「ん?フォードからリンカーン?」と。

 

もちろんどちらも有名な自動車メーカーで、リンカーンはフォードの傘下に入ったから、結局アールはフォード車が好きなのね、なんて簡単に結びつけてもいいんですが、じゃあなぜフォードの同じタイプの車にしなかったのか?なぜリンカーンに変えたのか、ってのを劇中ず~っと頭の片隅で考えながら見ておりました。

 

ここからはあくまで僕の仮説であり考察であり深読みですので鵜呑みにしないでください。

僕がなぜに引っかかったのかというと、フォードもリンカーンも大統領の名前であるということ、そしてこの二人がイーストウッドが支持する共和党の人間だということ。

この二つが物語にきっと意味をもたらしてるのではないか、というのが行きついた疑問です。

 

まずフォード大統領。

彼は大統領選で選ばれず大統領になった唯一のお方だそうです。

彼が副大統領の時に大統領だったニクソンがウォーターゲート事件を起こし、辞職したことから大統領に昇格。この事件を片づけることに奔走したといわれております。

当時不誠実だったアメリカとホワイトハウスに誠実を持ち込んだ人としても評価されているそうで、アールも百合を育てることに関しては誠実だったことを考えると近いのかなと。

と、まぁフォードに関しては正直こじつけですwきっともっと深い意味がある気がするんですが、僕こういうの苦手でしてw

 

で、これからリンカーン車に変えたのはなぜか、って部分なんですが。

リンカーンはご存じ南北戦争の指導と奴隷解放宣言をしたことが有名ですよね。

この大統領と同じ車種のトラックに乗り換えたアールは、リンカーンの選挙区だったイリノイ州からテキサス州まで往復する日々を送ります。

その中でリコと少しづつ親しくなるアール。

リコはボスに拾ってもらった恩があり、彼の命令には絶対なんだ反発するわけにはいかない、そうアールに語る場面があります。

それに対しアールは、君は君のやりたいように生きたほうがいい、と話します。

君がカリカリしている理由はそこなんだ、誰かに言われて動くなんてのは奴隷にすぎんん、みたいなことを言うんですね。

アールはある意味奴隷を解放させるようなことをサラッと言っていると。

ここで僕はこの車を選んだ意味ってのが透けて見えた気がしました。

 

とまぁめっちゃ浅い仮説ですし思いっきりこじつけになってますが、何かの参考になればと。

単純に金が無いから大衆車のフォードで、金持ったら同じメーカーの高級車リンカーンに変えただけ、ってのが一番しっくりくると思うんですがw

思いついたときは、あっ!ってなったけど文にすると大したことねぇなぁw

 

 

最後に

仕事の成功こそ男の生きがい、男の価値を上げるバロメーターの一つ。

そう思う世代は多いはず。

アールもまたそれが正しいことだと信じて家庭の事など二の次で生きてたわけですが、価値観や人生観は時代を経て変化していくわけです。

人生において一番大事なのは何なのか、ということを。

歳を取ると頑固になりがちですが、そういった変化に順応できる対応できる心を持てば、柔軟に物事を見て行動できれば年齢など関係ない、遅くはないのです。

それが仕事であれ社会の多様性であれ家庭であれ。

アールはそれにあの歳で気づき実行しました。もちろん贖罪のような形にはなりましたが。

 

イーストウッドが10年ぶりに主演した今作は、「グラントリノ」の精神性をスライドした彼なりの人生のまとめ、のように見えた作品でもありました。

早く次の名作を作ってほしいですね。

というわけで以上!あざっした!!

 

運び屋(字幕版)

運び屋(字幕版)

  • クリント・イーストウッド
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満足度☆☆☆☆☆☆☆☆★★8/10