15時17分、パリ行き
実話に基づく話が映画にされることはよくある話。
だけど、実話に基づく話を当事者本人が演じる映画なんて誰が聞いたことあるだろうか。
本人出演の再現ドラマって言われても仕方のないように聞こえるけど、これを自ら発案し撮影し映画にしたのが、クリント・イーストウッドだからめちゃめちゃ説得力のあるやり方に感じる。
早撮りの名人といわれる監督は彼らに念入りに指導したのだろうか。
そもそもド素人にどうやって芝居をつけて成立させるのか、我々はそれを見て感動できるのか。
いろいろな疑問が浮かぶんだけど、巨匠のことだからきっと大丈夫だろう。
そんな思いを抱きながら早速観賞してまいりました!!
作品情報
2015年に起きたパリ行きの特急列車内で起きた無差別テロ襲撃事件、通称「タリス銃乱射事件」。
偶然居合わせた3人の若者は、なぜ死の危険に直面しながらも、犯人に立ち向かうことができたのか。
その真実を当事者本人が演じ、乗客までもが出演。
実際起きた場所で撮影に望んだ究極のリアリティ映画が誕生した。
まだ誰も踏み込んだことのない新しい映画の可能性を、87歳になってもなお挑戦し追及し続ける監督が、今を生きる我々にこの映画を通じて問いかけようとしている。
- 作者: アンソニーサドラー,アレクスカラトス,スペンサーストーン,ジェフリー E スターン,田口俊樹,不二淑子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2018/02/09
- メディア: 文庫
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あらすじ
2015年8月21日。
アムステルダムからパリに向けて高速列車タリスが発車。
列車は順調に走行を続け、やがてフランス国内へ。
ところが、そこで事件が発生する。
乗客に紛れ込んでいたイスラム過激派の男が、自動小銃を発砲したのだ。突然の事態に怯え、混乱をきたす500名以上の乗客たち。
その時、犯人に立ち向かったのは、ヨーロッパ旅行中のアメリカ人の若者3人組だった。
なぜ彼らは、死の恐怖に直面しながらも、困難な事態に立ち向かうことができたのか……?(Movie Walkerより抜粋)
監督
今作を手がけたのはクリント・イーストウッド。
今作を手がけるにあたって監督は、原作を読んでこの構想を思いつき、「彼らの持つリアリティをそのまま映画に採り入れたら面白いんじゃないか、彼らがリラックスして、映画で描かれる出来事を追体験すれば、プロの役者に負けないリアリティを再現してくれるんじゃないかと思った。」と仰っていて、究極のリアリティを出すことに対する効果は抜群だったようです。
「アメリカン・スナイパー」で、PTSDに悩みながらも国のために狙撃手として戦った彼を称える「名もなきヒーロー」を描き、「ハドソン川の奇跡」では、長年の確かな積み重ねによって突然訪れた危機を回避したパイロットを称えた「名もなきヒーロー」を描いていたわけで、これまでの直近の作品を通して見てみると、監督は遅かれ早かれこういう映画を作るんだろうなということがわかる気がします。
もっといえば、「ハドソン川の奇跡」のエンドロールで、事故に関わったパイロットはじめ、乗客たちが称えあっている姿を映像として流していることを考えると、いずれ本人出演映画への布石になっているんじゃないか、こういう作品を撮ることが必然だったじゃないかとさえ思ってしまいます。
そして監督は初めてテロを取り上げています。
これまで俳優として監督としていくつもの作品を世に送り出した監督が、なぜ今になって「テロリズム」を取り上げるのか。
日本ではこういった事件に巻き込まれることは滅多にないと感じる人が多いと思いますが、日本だってどうなるかわからない。
今を生きていくうえで、こういう危険にいつさらされるかわからない。
そんな中でたくさんの命を救った彼らを、映画を通じて伝えることに意味があり、価値がある。
そんな監督の思いが詰まった作品になっていそうです。
いつもと違うイントロダクションですが、監督のインタビューを引用しつつ今作への思いを書いてみました。
彼に関してはこちらをどうぞ。
キャスト
本人ということで、名前のみになります。
写真左より。(左から2番目はオバマ前アメリカ大統領)
- アメリカ軍人オレゴン州兵・・・アレク・スカラトス
- アメリカ空軍兵士・・・スペンサー・ストーン
- アメリカ人大学生・・・アンソニー・サドラー
報道記事を読んでいくと、概要は確かにわかりますが、これをどう映画にしたのか。
幼馴染3人の数奇な運命を描いたヒューマンドラマ。
なんと上映時間84分!!!
非常に楽しみです!
ここから観賞後の感想です!!!
感想
監督はもはや神の領域にまで達したのか!?
徹底したリアリズムを追求した、名もなきヒーローを称える映画でした!!
以下、核心に触れるネタバレがあります。
本人が本人を演じることはアリなのか。
ヨーロッパを旅行中出くわしたテロ事件を阻止した3人の若者たち。
彼らはなぜ犯人の犯行を未然に防ぎ死者を出すことなく対処できたのかを、3人の出会いと一時の別れ、つかの間の休暇を回想しながら物語を展開。
随所で事件勃発時の映像を少しづつ明かすことで緊張感を醸し出しながら、クライマックスでそれを加速させる、監督の巧みなテクニックが光った作品でした。
正直申し上げると、とても不思議な映画だなと感じたのが率直な感想。
観た者それぞれ、映画に対して着眼点が違えば視点も違うわけですが、自分は結構役者の演技や芝居だったり、物語の構成だったり、監督や脚本の意図だったりと、色々な部分を加味したうえで、心動かされれば素晴らしい映画だなと判断しているわけです。
ということで、今回の作品、やはり本人が本人を演じているという試みのため、普段とは違う見方をしないといけないと中盤辺りで感じてみ観ていました。
少年時代を本人が演じるわけではないので、そこは映画として物語として何のためらいもなく見ていたのですが、大人のパートになると、彼らは役者ではないのでどことなく表情や動きが鈍かったり固かったりする点が多々あり、芝居が巧いかどうかっていう基準がここでは通用しないわけです。
他にも、そんなところに影を落としたら演者がちゃんと見えないじゃないか!とか、こだわってるんだかこだわってないんだかわからない部分もチラホラ。
しかも登場人物たちの回想が思いっきりとびとびで描かれているから、中々バックボーンが掴めないというか話に乗ってこないというか。
そうなってくるともう物語の流れに身を任せるしかないわけで、ここから「どう彼らに感情移入できるかこれは見ものだな!」なんて超上から目線で見ていたわけですが、クライマックスからラストまで自然と涙が流れ、心を完全に持っていかれてたんですね。
ひねくれた見方をするとやっぱり変なんですよ。
だって本人たちが過去に体験したことを思い出しながらやっていて、それを映画にするんですから。
それを映画にしてしまう監督のすごさが際立った作品だったなぁと。
無添加な映画。
そのすごさってじゃあどこなのよ、ってことに話はなってくると思うんですが、この映画のゴールは
「彼らがテロリストの犯行を阻止して乗客を助ける」
ってことはわかってるんですよ。
で、ゴールまでの道のりの中で彼らはどう選択してたどり着いたのかってのを、長い人生の一部分をちょっとずつ繋いだだけで物語を完成させてしまう筋書きがまずすごいなと。
3人の出会いってのは、彼らが校長室によく呼ばれる劣等生ってことで互いを知ることになり、しかもその後の体育の授業でバスケのチーム分けの際、先生が適当に名前の頭文字のアルファベットを真っ二つにわけたことで同じチームになったからという偶然から始まってるんですね。
まずここで彼らのアルファベットの頭文字が同じでなければ、彼らは知りあうことはなかった事が描かれてます。
その後、スペンサーを中心にサバイバルゲームにずっとハマっていることから、後に軍人となって人を救いたいという気持ちが芽生えてくるわけです。
学校の授業で、今目の前で危機が訪れたら君たちはどう行動するのかという先生の質問もゴールへと繋がる伏線のようになっているし、先生から第二次世界大戦の資料を欲しがる彼らがどれだけ軍人に憧れを抱いているかが描かれています。
それから一時の別れが訪れます。
アンソニーは別の学校へ行き、アレクは多分お父さんでしょうか、大人の男性に連れられオレゴン州へと引っ越してしまいますが、彼らはちゃんと連絡を取り合い大人になっても友人関係を続けていたのです。
そしてアレクはオレゴン州兵として、アンソニーは学生として、そしてスペンサーはたまたまバイトしていたスムージーの店に訪れた空軍兵士を見て、パラレスキュー隊に志願していきます。
ここからはスペンサー中心の話。
彼は少年時代から肥満体型でしたが、このままでは軍隊に入れないことをアンソニーに野次られたことがきっかけで、努力の成果を見せてやると過酷なトレーニングを積んでいきます。
(ここでイマジンズドラゴンズのBelieverを聞きながらトレーニングしてるのが個人的に好きw)
結果見事に合格するわけですが、希望していたパラレスキュー隊には奥行視覚のテストが不合格になり入ることができませんでした。
これだけ努力したのに報われないんなんてと嘆くスペンサーでしたが、他の軍隊に配属されても、寝坊と裁縫の荒さが減点対象となり除隊を命じられ、他の部隊へと場所を移します。
そこでは身を守るということを教えるような場所でしたが、武装した男が所内に侵入したという警告アラームが鳴り、皆が机の下に隠れても、スペンサーはペンを武器にドアの前に立ちはだかり、迎え撃とうとする姿勢を見せたり、重傷を負った人をどう判断して助けるかという訓練も、とっさの判断で対処できる才能を開花しようとしていました。
そしてアレクは中東へ派遣され任務に勤しむも退屈な日々を過ごしています。
そこへスペンサーから無事任期を終えた彼のためにヨーロッパ旅行を計画を打診されます。
学生の身分のため旅行の代金がないアンソニーも半ば強引に巻き込み、イタリアのヴェネチアからアレクとベルリンで合流。
途中のバーで老人からアムステルダムの素晴らしさを聞きつけ予定を変更。
アムステルダムのクラブで夜通し飲んで踊りまくります。
二日酔いになりながらも、この後パリへ行こうか悩むスペンサー。
ここまでの道中誰からもパリはそれほど楽しくないという話を聞き躊躇してしました。
ニュートンの万有引力の法則になぞらえて、哲学ぶりながらあれこれ語るスペンサーでしたが、結果彼らはパリ行きのタリス号に乗り込み、事件に遭遇する運びとなります。
と、こんな物語なんですが、彼らの人生の中でゴールに関係しているエピソードだけを抽出して物語は構成されています。
配分的には少年時代が4割、旅行が5割、個々の生活1割といったところでしょうか。
やはり一番活躍したスペンサーには、彼がどうしてテロリストに突っ込んでいき、柔術で羽交い絞めにして拘束し、負傷者を手当てできたのかってのを、きちんと過去の回想できっかけになった部分を描いており、何の前触れもなくサラッと入れてるところが巧いなぁと。
事件を見ていくと、それがきれいに回収されているんですね。
彼らが友達になっていたから。
サバゲ―好きが高じて軍人にあこがれたから。
トレーニングで努力することを学んだから。
パラレスキュー隊に落ちたから。
柔術を習得していたから。
訓練で緊急手当を学んでいたから。
ヨーロッパに旅行していたから。
あれだけ悩んでいたフランス行きを決めたから。
それを経験し、体験し、選択し、いざ訪れた危機に対し、とっさの判断力で行動し未然に防いだ。
まさに人生によって導かれた運命だったわけです。
そして何よりスペンサー自身が平和の道具として生きたいという思いがそうさせた、と見終わった後に気付き感動を起こす仕組みになっているんですよね。
もうですね、そこまで無駄なエピソードないんですよ。余計なものはいらない、まさに無添加な映画だったと。
あえて言えば、旅行中のセルフィーだったり、コロッセオやトレヴィの泉といった観光地巡り、そこで出会った女性との他愛のない会話、そしてベルリンのクラブやバーでの会話などなど、無駄だと思える箇所があったかもしれない。
しかしそれこそが我々の日常と何ら変わりない光景であり、バケーションの中で脅威というものはいつ何時訪れるかわからない、という対比として重要な役割を果たしているエピソードとも考えられるわけで、そこに監督が求めたであろうリアリズムが詰まっていたと思うと、決して避けてはいけない部分なわけで。
それでいてきちんと構成された物語になっている。
どうなってんだイーストウッドよ、あなたは歳を重ねてもなお実験し挑戦しているのですか。
今なぜここに立っているのか
神さまも信じないし、運命なんてものも信じない、ただただ今を生きているその辺の奴らと何ら変わりない平々凡々な私モンキーですが、この映画を見て色々と考えさせられました。
彼らは我々と変わりない一般人です。
そんな彼らが運命に導かれ出くわした事件。
今までの行動や選択や経験体験がもし違っていたら、そこへはたどり着けなかっただろうし、たどり着けたとしても未然に防ぐことが果たしてできたのであろうか。
自分に置き換えてみるときっと防げなかったでしょう。
犠牲者になって終わりです。
だってこれまでをおろそかにして生きて来たと自負しているから。
世界ではあちこちでテロ事件が勃発し、何の関係もない我々と同じような人たちが犠牲になっています。
凶悪な事件に出くわした時、私たちはどうすればいいのか。
やはり行動するしかないとこの映画は謳っています。
現在とは過去の積み重ねによって立っている場所だと思います。
どうして今自分はここにいるのか、どうして今自分はこんな生活をしているのか。
これまでの幾度となく訪れた選択によって我々は現在にいます。
今を生きているということは、これまでが平和に暮らせたことの証なのでしょうが、脅威はいつ訪れるかわかりません。
それが災害なのか人的なものなのか。
その時僕らはどう対処できるのか。
この映画を通じて、僕らもとっさの判断力を身に付けなければいけないんじゃないだろうかと思わされました。
そのためにはまずどうするかを考えそれを実行し、運命に抗うのではなく、そうなる運命のために備えることが大事なのかなと。
最後に
とまぁ、最後のパートは超蛇足なんで無視してもらってw
なんかもうですね、あれこれ語っておりますが、きっと監督はもっとこの作品をシンプルに見てほしいと思ってるんじゃないだろか、と考えてしまうんですね。
途中でもドイツ観光しているときに、チャリンコでヒトラーが自決した場所を訪れるんですけど、いやそれ史実と違うよ、ヒトラーはここで自決してないだろ?みたいな反論をするんです、スペンサーたちが。
そこでガイドは、アメリカ人は間違った歴史を学んでしまっている、何でも史実はアメリカ人が成し遂げたものじゃないんだぜ!みたいなことを言ってる部分があるんですけど、そこってちょっとアメリカ人に対しての皮肉みたいなことを意識して描いてるのかなとか考えるんだけど、実はどうでもよかったりするようなエピソードなんじゃないかなと。
「俺は名もなきヒーローがいたことをお前たちに映画を通じて伝えたかったんだ」ってことを監督は一番言いたかったんじゃないかって感じるんですよね。
一番リアルに伝えるには本人が本人を演じるのが一番効果的だろうと。
そしてこの映画になぞらえて監督の導かれた運命を語るならば、アメスパもハドソン川もこの映画を作るための布石であり、導かれた運命めいたものであり、それを見る我々もその運命に従って観て感動したというわけで。
正直変な映画です、でも感動しました。
エンドロールの曲を聞きながら涙が出ました。
僕はこういう話が大好きです。
何て淡泊な締めだw
というわけで以上!あざっした!!
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満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10