シャザム!
アメリカから「見た目はオトナ、中身はコドモ!」という国民的アニメの逆を突いてきたアメコミ映画。
ヒーローとしてどう在るべきか。
正義とは。
そんな葛藤にグっとくるし、使命を全うする決断を下したことに胸が熱くなる。
そんなアメコミ映画が僕は大好きです。
でも子供のヒーローは、ここまで深く考えるのだろうか。
正義感とか使命感とかそんなことよりも、もっとおチャラけるというか、おふざけやいたずらの方が先行するんですよね。
だってコドモだぜ?
力を手に入れたらはしゃぐだろうよ!
きっとこのシャザム!が面白おかしく描いてくれるのでしょう!
いざ、感想です。
作品情報
1940年にDCコミックスで連載された「スーパーマン」に並ぶ地上最強の男であるヒーローを、「アクアマン」や「ザ・バットマン」のワーナーが、満を持して実写化。
身寄りのない少年が魔術師から受け継いだ能力で、悪ガキ振りを発揮するも親友を助けるため一念発起していく姿を、遊び心満載にコミカルに描く。
シャザム「SHAZAM」とは6つの神々の名前の頭文字からできており、ソロモンの智恵、ヘラクレスの剛力、アトラスのスタミナ、ゼウスの万能、アキレスの勇気、マーキュリーの神速、という正に神レベルの力を持ったヒーローなのである。
この力を少年はどんなことに使うのか。
そして彼の前に現れる強敵とは一体誰なのか。
コドモならではの神レベル能力無駄遣い。
笑いで世界を救うのだ!!!
あらすじ
身寄りがなく思春期真っただ中の今どきの少年ビリー・バットソン(アッシャー・エンジェル)は、ある日、謎の魔術師の目に留まり、世界の救世主に選ばれる。
そして「シャザム!」と唱えるやS=ソロモンの知力、H=ヘラクラスの強さ、A=アトラスのスタミナ、Z=ゼウスのパワー、A=アキレスの勇気、M=マーキューリーの飛行力という6つのパワーを持ち合わせた大人のスーパーヒーローに変身できるように。
しかし身体は大人になっても心は少年のままであるため、悪友フレディ(ジャック・ディラン・グレイザー)と一緒になって怪力をそこかしこで試したり稲妻パワーをスマートフォンの充電に使ってみたりと、スーパーパワーをいたずらに使ってしまう。
そんな彼の前に魔法の力を狙うDr.シヴァナ(マーク・ストロング)が出現。さらに7つの大罪というクリーチャーたちが召喚され、フレディがさらわれ、遊んでいる場合ではないことに気づく……。(Movie Walkerより抜粋)
監督
今作を手がけるのはデビッド・F・サンドバーグ。
僕は彼の作品を見てないんですが、「ライト/オフ」や「アナベル/死霊人形の誕生」といったホラー映画畑の監督さんだそう。
じゃあ今回のシャザム、怖いのかって?そういうことじゃないです。
ホラー映画を撮る方の多くは、低予算でいかにホラー描写を演出することができるか、というアイディアマンなのです。
そんな彼らが実際アメコミ映画を撮ったらどうなるか
,皆さん知らず知らずにわかっているんですよ、楽しい!”おもしれー!って。
例えば最初の方の「スパイダーマン」は「死霊のはらわた」のサム・ライミ。
「ドクター・ストレンジ」のスコット・デリクソンも「エミリー・ローズ」ってホラーサスペンス作ってるし、「アクアマン」を監督したジェームズ・ワンも「ソウ」や「死霊館」を製作している。
だから、きっと今回も監督のアイディアがたくさん詰まった映画になっている=面白くなっている、と思うんです。
というわけで、過去作もチェックしましょう。
キャスト
魔術師から力を受け変身したシャザムを演じるのは、ザッカリー・リーヴァイ。
「マイティ・ソー」のウォーリアーズ・スリーの一人、ファンドラル役を演じてた人なんですね。(2からみたい)
言われないと絶対気づかないよこんなのwってくらい見た目が違います。
正確には髪型か。
まぁこれよりも、奇妙な二重生活をする羽目になったオタク青年のドラマ「CHUCK/チャック」の主人公の方が有名かもしれません。
18年間一度も外へ出たことのない少女が大泥棒と外の世界で大冒険をする「塔の上のラプンツェル」のフリン・ライダーの声優も担当。
オタクもイケメンもいける彼ですが、今回はモロに3枚目なのかな?
他のキャストはこんな感じ。
シャザムの力を手に入れる少年、ビリー・バットソン役にアッシャー・エンジェル。
孤児であるビリーを受け入れたフリーマン家の息子で、彼と親友になるフレディ役に、「IT“それ”が見えたら、終わり」のジャック・ディラン・グレイザー。
今作のヴィラン、Dr.シヴァナ役に、「キングスマン」、「キック・アス」のマーク・ストロング。
謎の魔術師役に、「ブラッド・ダイアモンド」「キャプテン・マーベル」のジャイモン・フンスーなどが出演します。
一体どんな悪ガキっぷりを見せてくれるのか、またホラー映画出身の監督がどこでホラー要素をぶち込んでくるのか。
ここから鑑賞後の感想です!!!
感想
だよね~!!
俺も子供ん時にヒーローになったら力見せびらかすもんね~w
でも、ごめん、俺が歳とったからなのかそこまで笑えなかったんだよな・・・。
以下、ネタバレします。
孤独な少年が本当の家族を見つけるまで。
母親を探すためにイタズラと非行を繰り返し里親をとっかえひっかえしていた主人公ビリーが、突如勇者として選ばれスーパーパワーを手に入れ、悪友とも呼べる義兄弟フレディと共に子供ながらの力を無駄遣いっぷり。
そして勇者に選ばれなかったことへの苛立ちに固執したまま大人になってしまったヴィランとの純粋さと邪念を対照的に見せていく物語は、これ以上にない新たなヒーロー像を生んだ共に、ホラー描写とアクション活劇描写に懐かしくも笑いに特化したアメコミ映画でございました。
ビリーは3歳の時に母親とはぐれたのをきっかけに孤独な身となり、里親のもとで育てられていましたが、生んでくれた母親との再会を夢に見ており、悪さをしたり反抗したりすることで里親から里親へと居場所を転々としながら母親探しを繰り返していたのでした。
その結果、誰も自分の事を見ていないのだから誰に見られなくてもいい、と、卑屈な性格に。
ヒーローなら空を飛ぶのと透明人間になるのどっちがいい?というフレディの質問の真意は、普通なら皆空を飛びたいというけど、本当は透明人間の能力を手に入れたいというものでしたが、ビリーもフレディも孤児ならではの悩みを持っていたように思えます。
だからビリーは手に入れたスーパーパワーを一般市民に見せることで、自分の存在を知らしめることにある種の快感を覚えていたんですよね。
今でいう承認欲求みたいなものでしょうか。
加えてこれまで一人で過ごしてきた期間が長かったためか、誰からも愛されてこなかったバックボーンのせいで、自分が良ければそれでいいという考えが備わっており、フレディをいじめる同級生には「ランチに呼ぶ」という約束も無視し、自分のやりたいことだけやるという自己中ぶりを見せてしまう。
しかし里親によって育てられた兄弟たちが敵に狙われることで改心していくというのが本作の肝。
「自分が本当の力を発揮するときは家族の存在を見出した時」という意味を、ある意味意外な展開で見せるクライマックスのアイディアが僕は非常に好きです。
家族とは決して血で繋がった人たちのことではなく、心と絆と愛で繋がった人たちのことを指すという、今の家族の在り方にも直結するお話だったのではないでしょうか。
ヒーローって色々いるよなぁ。
と、一応この映画が何をテーマに描いてるのかを説してみました。
しかし表面を覆うのは「14歳の子供がスーパーパワーを手に入れたら、そりゃああんなことやこんなことするよね」をはじめとしたコメディ要素なわけで、まぁやらかしてましたよね。
予告でも映っていた稲妻ビームでみんなのスマホ充電したり、コンビニ強盗と戦ったり、ハイウェイから落下しそうなバスを腕でキャッチしするんだけど、結局は自分の愚行を尻拭いしただけ。
他にも飛距離を実験した際、ビルを飛び越えることが出来ず、途中の階のガラス突き破ってしまったり。
体が大人をいいことに、フレディの保護者のふりして居残り授業を抜け出したり、ストリップバー覗いたり、能力でATMの金を引き出そうとしたり、不動産屋で隠れ家物件をお願いしたり(なぜかバットケイブみたいなのを探そうとしているのがいいw)、コンビニでお酒をIDなしで購入して飲んだけどゲロまずで吹いたりと、大人である見た目をフル活用してあれこれやんちゃしてしまうのは、思春期を迎え背伸びしたくなるその辺のガキんちょと一緒。(でもかわいいw)
また、能力を限界をフレディと実験した時(ここでドントストップミーナウByクイーン!!)に廃墟ビルの柱を殴ったり、ドラム缶を小ピンでどこまで飛ばせるか試したり、自分の腕を殴ってどれだけ痛いか、瞬間移動、耐火実験などなど、とにかく力の可能性をあれこれ試した時の子供ながらの発想が非常に笑える描写になっています。
これを全て録画してYouTubeにアップするってのも、今どきの子供の考えですもんね。
このように、子供が偉大な力を手に入れてしまった場合、一体どんなことをするのか、いや、しでかすのかっていうのを詰め込んだ映画だったように思えます。
しかしこれを観ていた僕の心境は、これがヒーローなのか?ヒーローならではの行動理念はここでは描かれないのか?など、「大いなる力には大いなる責任」なる常套句を使用せず描くことの歯がゆさ、もどかしさを終始抱いてしまい、いくら子供だからって許させることと許されないことがあるぞと、少々大人げないクソつまんない感情を抱いてしまいました。
結局のところ、ヒーローとしての責任など採算度外視で、とにかく子どもたちだけで解決していくお話なんですよね。
そのため、偉大な力をどう活かすのかという人生の先輩たちの助言とか導きとか介入ってのが一切ないんですよね。
だからこそ僕としては、せっかく世界中の子供たちが見て楽しむのだから、せめて少しくらいは大人が子供を教育するようなシーンがあっても良かったんじゃないかなぁと、これまたクソつまんない気持ちを抱いてしまったのであります。
昔ならこういう映画見て、うぉ~~最高じゃん!
俺もこんなことして遊びてえ!!
みたいな子供ならではの発想に共感して、シャザムごっこなんかを友達集めてやったりしたんだろうけど、やはり歳をとったのか心が固くなったのか丸くなったのか寛容できない自分がそこにはいたんですよね。
とにかく子供がヒーローの力を手に入れたらってのを遊び心満載で描いたって部分は、これまでにないヒーロー映画を打ち立てたわけで、この路線は必要ではあるんですよ。
色んなヒーローがいていいんですよ。
今までは10代のヒーロー代表ってことでスパイダーマンが担ってたわけですけど、もっと低い年齢のヒーローがいてもいいんですよ。
そして子供ながらの発想や機転、ユーモアがあったからこそ、邪念で凝り固まった大人に打ち勝てたわけですから。
例えばシャザム!と唱えれば変身でき、元に戻れるのを戦闘中でも活かすことで、子供の体格でしか通り抜けられない足元をすり抜けたり、その時に発せられる稲妻を利用してピンチを脱したり、群衆に紛れこんだりできるってのはナイスアイディアですよね。
他にもシヴァナを挑発して体内に潜む七つの大罪の悪魔の一人「嫉妬」を体外に放出させるときも、子供が言いそうな嫌味を言いまくって放出させるのはうまい。
自分には向いていない映画でしたが、これは純粋な気持ちで見なければいけない映画だったんだなと、少しばかり反省しています。
ホラー描写が際立っていた。
監督が「アクアマン」同様、今作もホラー映画出身の監督ということで、ビクッとさせる描写や演出が多々ありましたね。
冒頭のシヴァナ少年が乗った車がスピンしてしまって、みんな無事かと思ったらそこに車が突っ込んでくるシーン、魔法文字を書いたドアに触れた研究者が急に灰になってしまう怖さ、七つの大罪の悪魔のグロテスクなデザイン。
その悪魔がシヴァナの肉親や役員たちを食い散らかすシーンも、一旦外から見る会議室ってのを静寂で見せてコミカルにしたいのかな?と追った瞬間、阿鼻叫喚な映像を見せる緩急の付け方。
こういった視覚効果やジャンプスケアを効かせた演出もうまかったと思います。
また、クライマックスで疑似家族たちに訪れる変化からの逆転劇も、80年代90年代の冒険活劇を彷彿とさせる音楽になっていて、ワクワク感を煽ってくれてるのがモンキー的には良かったです。
どこかのレビューでグーニーズみたい!なんて声を目にしましたが、子供たちが何かを成し得ようとするアドベンチャー的展開は、同じ胸アツだったように思えます。
最後に
最大のツッコミどころとしては、シヴァナに力が備わってしまってからの魔術師の勇者探しがすげえ雑。
あれだけ何十年も勇者を探し続けていたのに、そんな簡単に選ぶのってどうなのよwと。
直前にいじめられているフレディを助けるってシーンが入っているから、ビリーには勇者ならではの資格が備わっていたとも見て取れるけど、いやいや彼以外にも逸材いたでしょうwと野暮な考えがw
ああ俺も邪念だらけの男になってしまったのかw
音楽も色とりどりでしたよね。
記事の途中でも書いたクイーンのドントストップミーナウや、同じDCヒーローのスーパーマンのテーマ、舞台がフィラデルフィアということでロッキーのアイオブザタイガーを替え歌で使ったり、ブルーノ・マーズの24K magicとか、エンディングテーマが「スパイダーマンホームカミング」と同じラモーンズとか。
本当なら電撃バップ使いたかったんだろうな、電撃つながりでw
所々でスーパーマン出て来たり(エンドクレジットのおまけとかフレディが着ていたTシャツとか宝物の銃弾とか)、
バットマン出て来たり(バットラングとかおもちゃ屋でのバットマンのぬいぐるみとか)
バットマンVSスーパーマンの件とか(子供が二人の人形をガシャガシャして遊んでいるところにシャザムとシヴァナが同じことをしているって演出)とか、
アクアマンをいじるとことか(エンドクレジットの金魚に話しかけるシーン)とか、
あとはエンディングにDCヒーローと戯れるシャザムたちをお絵かき感覚で描いた映像とか、DCヒーローが総出演でしたね。
総じて子供ならではの発想に特化したヒーロー映画としてよくできていたけど、正直ヒーローとしての何たるかってのを全く描かなかったことはマイナスですかね…。
あとはコメディ描写がそこまで笑えなかったという好みも入り混じった感想でした。
というわけで以上!あざっした!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10