流浪の月
ストックホルム症候群てワード、よく聞きますよね。
誘拐や監禁された被害者が、時間を共有するにつれて加害者に好意をもちはじめ、さらには信頼や結束の感情を持抱く現象なんですけど。
映画でも「完全なる飼育」だったり、アル・パチーノの「狼たちの午後」、ダニー・ボイル監督の「普通じゃない」、「007 ワールド・イズ・ノット・イナフ」などがあります。
ただ今回鑑賞する映画は、ストックホルム症候群とは違ったケースかもしれません。
行き場を失った少女と、孤独な青年が寄り添うように一緒にいただけなのに、周囲が「誘拐事件」と見做し引き離されてから15年のご再会を描くというもの。
人間が持つ感情を最大限に引き出し感動を煽る演出を得意とする監督が、今回どんな作品を生み出したのか。
いざ、感想です。
作品情報
2020年韻本屋大賞を受賞した凪良ゆう原作の同名小説を、「悪人」や「怒り」など多くのドラマを世に送り出した李相日監督の手によって実写映画化。
帰れない事情を抱えた少女を招き入れた孤独な大学生は、やがて誘拐事件の加害者と被害者として切り離されていく。
そして15年後の偶然の再会を経て、運命の歯車が動き始めていく。
『悪人』で善悪の境界を朧にし、『怒り』で信じることの困難を世に問うた李相日監督が、本作では「魂と魂の揺るがない結びつきを信じてみたい」という思いをぶつけることで、世界の片隅に生きる男女のパーソナルな物語を丁寧に描いた。
そんな監督の作品を「パラサイト 半地下の家族」や「バーニング劇場版」など韓国映画の傑作を撮影したホン・ギョンピョが撮影を担当し、美しい自然はもちろんのこと、演者の繊細な表情を余すことなく映し出す。
さらには広瀬すずと松坂桃李という現代の日本映画を支える二人が主演。
何度もリテイクを重ねることで有名な監督作品で、魂をぶつけあって熱演した。
いつまでも癒えない傷を抱えた二人。
手を伸ばした先には何があるのか。
息が止まるほどの感動と共鳴を是非体感してほしい。
あらすじ
15年前に世間を騒がせた大学生による小学女児誘拐監禁事件で被害者となった家内更紗(広瀬すず)。
今はある地方都市のファミレスでバイトをしながら、恋人の中瀬亮(横浜流星)とマンションで静かに暮らしていた。
そんなある日、パート仲間の安西佳菜子(趣里)に連れられてカフェに立ち寄ったところ、マスターらしき男を見て思わず息を呑む。
その男は、かつて自分を誘拐した佐伯文(松坂桃李)だった。
やがて更紗の脳裏に、15年前に文と出会って彼のアパートで過ごした日々が蘇る。
父を亡くして母にも去られ、伯母の家に引き取られた更紗が公園でびしょ濡れで佇んでいたところ、19歳の大学生・文が傘をさしかけてくれた。
伯母の家に帰りたがらない更紗の意を汲んだ文は、更紗を部屋に入れてそのまま2カ月間一緒に過ごす。
そこは、伯母の家で孤独と苦痛を感じていた更紗にとって、初めて得た心の底から安心できるかけがえのない場所だった。
しかし文は更紗の誘拐罪で逮捕され、文は“誘拐事件の加害者”、更紗は“傷物にされた被害女児”という烙印を押されてしまう。
再会後、文が自分のことに気づいているか分からないまま、店にたびたび立ち寄る更紗。
そんな更紗の行動の変化に気づいた亮は、彼女の行動をチェックするようになる。
一方の更紗も、文の傍らに寄り添う看護師・あゆみ(多部未華子)の存在に気づいてしまう。(Pen Onlineより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、李相日(リ・サンイル)。
殺人事件の犯人と出くわした女性が心を寄せ合っていく「悪人」や、とある事件の容疑者かもしれない3人の人物に疑いを持ってしまう周囲の人たちを描いた「怒り」など、人間の善と悪の両面を描くことで、私たちの魂を揺さぶってきた監督。
スローモーションと感情を露わにした表情をクローズアップすることで、演者がもつ力をおさらに引き出すことに成功しています。
しかし僕個人としては、そろそろこのパターンで観衆を煽るのではなく、それこそ引き算形式の演出で魅了してほしいなというのが本音です。
寄りの画で思いっきり泣いている演者の映画って、正直一度見たらあとは「もうお腹いっぱい」になっちゃうんですよね・・・。
「怒り」なんかではそれが何度も映し出されるもんだから、いい映画だったけどしつこかったです。
今回も「悪人」のような設定ですが、それとは一歩違った物語になっており、監督の力量が試されるのかなぁと。
一体どんな映画になっているのでしょうか。
登場人物紹介
- 家内更紗(広瀬すず)・・・10歳の時に文と出会い「女児誘拐事件の被害者」とされる。レストランでアルバイト中。
- 佐伯文(松坂桃李)・・・大学生の時、更紗と過ごし「誘拐犯」とされる。カフェcalicoを営む。
- 中瀬亮(横浜流星)・・・更紗の現在の恋人。上場企業のエリート会社員。
- 谷あゆみ(多部未華子)・・・文の現在の恋人。看護師。
- 安西佳菜子(趣里)・・・更紗の同僚のシングルマザー。
- 湯村店長(三浦貴大)・・・更紗の働くレストランの店長。
- 10歳児の更紗(白鳥玉季)・・・両親と別れ、伯母の家で暮らす。
- 安西梨花(増田光桜)・・・安西の娘。
- 佐伯音葉(内田也哉子)・・・文の母。
- 阿方(柄本明)・・・アンティークショップのオーナー。
(以上HPより)
「誘拐事件の加害者と被害者」とみなされた許されない二人。
一体どんな感動を見せてくれるのでしょうか。
ここから観賞後の感想です!!
感想
#流浪の月 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2022年5月14日
んー。
松坂桃李のアレいる?
言葉だけでよくね? pic.twitter.com/Hc1KxlqgHB
ただ静かに、一緒に居たかっただけなのに。
周囲から搾取され居場所を失った二人の男女の世界。
余韻も間も十二分過ぎて、緩急って言葉はないんかい。
以下、ネタバレします。
いちいち口出しすんなよ
互いに複雑な過去を抱える男女が、それなりの幸せを現在で掴みながらも受け入れられない葛藤を、15年前の誘拐事件を真相を間に挟みながら進む本作は、風景や人物描写を優れた解像度で映し、余韻と行間に時間をかけながらゆっくりと紐解き、周囲のステレオタイプに苦しみながらもなかなか声を挙げることができない辛さとやり場のない怒りを静かに描いた力作でございました。
李監督がまた「怒り」みたいに諄いスローモーションを何度も入れて来たらどうしようかと思いましたが、さすがに適度な演出でとりあえずホッとしてますw
ざっくりいうと、叔母さんの息子に夜な夜な体を触られるのが嫌で仕方のなかった少女と、親から「不良品」扱いされ、とある病気で「大人」になることができずに苦悩する孤独な大学生が、ともに共同生活を送るんだけど世間的には「誘拐」ということになってしまい「居場所」を失うことになってしまう。
それは15年後の私生活でも同じ。
絵に描いたような幸せを送りながらも、心の中ではどうしても受け入れられない行為によって崩壊の一途を辿っていくというもの。
とにかく更紗と文が声を出したくても出せない辛さが終始描かれていた、なんとも言えないお話だったと思います。
確かに当事者でなければ、当事者の気持ちはわからない。
「誘拐事件」というイメージは、背景を知らなければ「そういうもの」と割り切って、色々勝手な想像を膨らませて、言いたい事だけ言ってしまう。
何がよくできてるって、ファミレスのおばちゃん店員たちも同僚も、DV彼氏も文の彼女も、どいつもこいつも「言うだけ」なんですよ。
更紗と文が話し始めるまで待てないでいる。
てめぇの言いたい事だけ言って、あとは終わり。
聞く耳を持たないし、聞こうともしない。
これってこうだよね、だからこうした方がいいよ。
もしかしたらそれが助言だったり、相手を想っての行動かもしれない。
だけど更紗も文も「余計なお世話」なんですよ。
そっとしておいてほしい、詮索しないでほしいんですよ。
ぶっきらぼうに言えば「勝手に俺の世界に入ってくんな」なんですよ。
ファミレスの店長も「好き勝手みんな言うけど、そうじゃない人の声も聴いてほしい 本気で君を心配してる人もいるんだ」と更紗の身になって寄り添ってくれてるけど、あれも実は余計なお世話だったりする場合もあるんですよ。
だったらここ以外の居場所を作ってくれよと。
だから更紗はただただ黙ってそばにいてくれる文のところに行きたかったんだろうなと。
まぁだからって隣の部屋に引っ越すことはねえと思うんだけど。
文は文で最終的に「なぜ少女でないといけなかったのか」が明かされるんですけど、それまでは僕はマジでロリコンなんじゃねえかと疑って見てたわけですよ。
実際、最後の最後で少女の更紗のケチャップを拭くついでに唇を触るじゃないですか。
あれ要らない描写っちゃあ描写なんですけど、ああいうのを挿入することでこっちの感情を揺さぶってくる巧い演出だなとは思ってます。
でも理由が明かされた時に「なるほど」と。
確かにこれじゃ大人がダメな理由に合点がいくし、まだ未熟で善悪もなく自信を恋愛対象として見ない子供の方が一緒にいて気が楽なんだろうなと。
さすがに「誘拐事件」は僕らがどう捉えていいかわからないですよね~。
高校生らがYouTube見てああだこうだいうのも自分だってやるし、きっと情報番組かなんかで得た知識を、さも自分の意見のようにいい振る舞って「正義」を主張してんだろうけど、やっぱり何があったかって事実をしっかり踏まえてから意見は言わないとなぁと。
とはいえ、十中八九「少女誘拐」なんてアレしかないだろって思考になっちゃいますけどね。
それこそ思うんだけど、この事件て更紗がはっきり「おばさんの息子にイタズラさたことが嫌で」ってことを警察に打ち明けることができなかったから、文は少年院に行く羽目になったんですかね。
未成年を勝手に家に連れ込んだ行為そのものが「誘拐事件」だと思うんですけど、そんなに世間を騒がせたのなら、もっと世間に情報が溢れていてもおかしくない気がしたんですよね~。
単純に文も更紗も何も話さなかったのかな。
ただただ更紗が「なにもされてない」しか言わなかったのかな。
警察に関して言えば、終盤起きる梨花ちゃんの保護は、あれどうなんですかね。
母親からの被害届なり捜索願みたいなものがあれば理屈は通るんだけど、更紗の恋人の自傷行為から、普通に週刊誌のネタだけで前科のある青年の家に踏み込んでいいんですかね?
どうもあそこだけは腑に落ちないんですよ。
恐らく文にはお咎めなしだったと思うんですけど、警察ってあそこまでしていいんですかね。
ひっぱるね~
物語の構成としては、更紗パートが前半、中盤から文との生活が始まり、社会的にレッテルを張られてしまった文が徐々に苦しめられ、彼の本当の理由が明らかになるという流れの中に、少女時代の更紗と大学生の文との短くも濃い生活風景を挟んでいくって感じでした。
あくまで僕の好みの問題ですが、どれだけ行間を入れて2人の関係性や心理描写を描こうとしたとしても150分は長いです。
何故って緩急がないから。
ひたすらスローモーションで見てるかのようにダラダラダラダラ生活を追いかけても、かったるくなるだけだろうと。
所々ダイジェスト風の生活模様を挟んでるけど、それも特に作品自体のペースを変える要素として機能してなくて、基本的にはスローペースなんですよ。
もちろん監督の作風を割かし理解してるつもりではあるので、恐らくこの尺だとゆっくり進んでいくんだろうなという覚悟はあったんです。
でも一旦更紗と恋人の亮の間に決定的な亀裂が入り、家を飛び出す辺りがクライマックスくらいの盛り上がりになっていて、ここで文に「大人になった更紗」を認識してもらってTHE ENDでもよかったんじゃないかってくらい気持ちのいい流れだったんですよ。
まぁそれだと文パートが全然ないから物足りない!とか文句言うんだろうけど、単純に僕の気持ちもあそこでMAXになったんですよ。
そこからがまた長いでしょう。
実際大人になった更紗を再び受け入れて生活する文の話にスライドしてくので、必要不可欠なパートなんだけど。
それこそ更紗と文のパートを交互に入れ、再会するけど世間の風当たりは冷たいって辛さに持っていく流れじゃダメなんですかね。
あとは同じシーンを入れ過ぎですよね。
雨が降っても公園で赤毛のアンを傘もささずに読んでる更紗に、傘を差しだして「ウチくる?」ってシーンを3回も4回も入れたところで、大きな変化はないと思うんですけどね。
せめて2回じゃないですか?両者の視点で。
逮捕されるシーンもあんなに使う必要性がわからないです。
これも動画の映像含めて結構使われてるんですけど、誘拐事件の顛末として使用するのと、あとは断片的に両者の視点くらいでいい気がするんですよね。
寧ろYouTubeの動画とかで見せちゃうのがいらないかな。
あと途中で妙に編集されたシーンがありましたよね。
どこかは忘れましたけど、恐らく多部未華子演じるあゆみと更紗が交わった辺り。
あれだけ全体的にゆったりたっぷりの~んびりなシーンが続いているのに、急にぶちっと切って次のエピソードに駆け足で行くのが逆に不自然というか。
別にあそこで交わらなくても、後々週刊誌読むんだから顔を合わせなくても良かったと思うんですけどね。
最後に
凄く愚痴をこぼしてしまった感想になりましたが、「2人の世界」を構築したいのにさせてくれない理不尽な世の中を描いたって意味では、なかなかの作品だったように思います。
ただ愛想笑いをするだけなのに深みを感じる被写体や、地方都市のオアシスかのように佇む湖や森林といった自然の風景、ただ静かに暮らしたいと願う二人に寄り添うように奏でる音楽。
これらを総合して描く物語として見ごたえのある映画でした。
自分を殺してまでその場所に留まる必要はなくて、でもだからと言って居場所があるのかというとないわけで。
ただ「救い」のようなものが物語のどこかでメンターのような存在としてあってほしかったというか。
流浪なんでああいうエンディングになったと思うんですけど、世の中捨てたもんじゃないって思わせてくれるような人物って出せなかったのかな。
あと、梨花ちゃんの母ちゃんはマジで帰ってこないの?
まぁこうして当事者でもないイチ鑑賞者が、さも2人を思ってのようなこと書いてますけど、二人からしたらこれもノイズでしかないんだなぁ…。
俺もファンミレスのおばちゃんたちと一緒だ…
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10