モンキー的映画のススメ

モンキー的映画のススメ

主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「シンシン SING SING」感想ネタバレあり解説 劇的な演出がないがジワっとくる。

シンシン SING SING

かつてクリント・イーストウッドが、列車内で起きた銃乱射事件に立ち向かった青年たちを本人役に迎えて製作した「15時17分、パリ行き」という映画がありました。

 

鑑賞前は、素人のくせに演技なんて務まるのだろうか、ただの再現VTRになってやしないだろうかと思ってましたが、そこはイーストウッド。

彼の卓越した映画技法によって見事に「映画」の形を成し遂げておりました。

 

今回鑑賞する映画は、実際に刑務所にいた人たちが多数出演するというもの。

またもや演技経験0の人たちが登場するのかということで、イーストウッドの過去作を例に挙げましたが、それとは違い主役はれっきとした俳優ですし、内容は「刑務所内で演劇をする」という話だけあって、元収監者たちもそこそこお芝居ができるはず。

 

いったいどんな物語になるのか楽しみです。

早速鑑賞してまいりました!!

 

 

作品情報

映画ファンに支持されるSXSW(サウス・バイ・サウス・ウェスト)映画祭で、観客の投票により選ばれる最高賞「観客賞」を受賞し、第97回アカデミー賞で主演男優賞、脚色賞、歌曲賞にノミネートを果たした感動の実話を、主人公のモデルとなった人物による原案を基に、新進監督グレッグ・クウェダーの手によって製作された。

 

NYにある<シンシン刑務所>を舞台に、舞台演劇を通して収監者の更生を目指すプログラム 内で友情と再生を描いた実話を、主要キャストの85%以上が元収監者であり、演劇プログラムの卒業生及び関係者たちで構成された、ユニーク且つ挑戦的なプロジェクト。

 

主演を務めたコールマン・ドミンゴは、わずか18日間という短い撮影期間のなかで、実際に刑務所にいた人たちという「本物」と混ざって芝居をする、しかも中心人物として演じることはものすごく挑戦的だったと語る。

さらに主人公と友情を深める役柄として、多くの賞レースで絶賛されたクラレンス・マクリンは、演技以外にも作品の中に「リアルさ」を追求するため、製作総指揮や原案にも携わり、かつての自信を思い出しながら「変化の過程」を意識して演じたそう。

 

刑務所内で弱みを見せればたちまち標的にされてしまう過酷な場所で、舞台を通じて様々な表現ができる喜びを感じ、より良い自分になれたと語る更生プログラムが、本作が持つ「感動」にどのような機能をもたらすかに注目だ。

 

また多くのキャストが元収監者という肩書だが、彼らは出所後も演劇に携わったり、自分と同じような道を歩まないよう支援する仕事に就いている。

 

元収監者とオスカー有力俳優の誰も観たことのないキャストアンサンブル。

そしてラスト、心地よい感動が観るものを包み込む。

 

Sing Sing : The Scripts

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あらすじ

 

NY、<シンシン刑務所>。

無実の罪で収監された男ディヴァインG(コールマン・ドミンゴ)は、刑務所内の収監者更生プログラムである<舞台演劇>グループに所属し、仲間たちと日々演劇に取り組むことで僅かながらに生きる希望を見出していた。

 

そんなある日、刑務所いちの悪党として恐れられている男クラレンス・マクリン、通称“ディヴァイン・アイ“が演劇グループに参加することになる。

そして次に控える新たな演目に向けての準備が始まるが――。(HPより抜粋)

youtu.be

 

 

感想

演技はプロセスが大事だけど、仮出所は結果が大事。

そんなジレンマにあうディヴァインGの救いや挫折が痛いほど伝わる。

このプログラムがもっと知られても良いと思う。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

思っていたのと違ったが。

ディヴァインGとディヴァイン・アイ、そしてディヴァインGの相棒でもあるマイク・マイクを中心に、どんな演劇をやるかから始まり、新入りで加入したディヴァイン・アイを交えて、これまでやってこなかった「喜劇」をやることに。

最初こそ不慣れな場から巧く演じることができないディヴァイン・アイのために、ディヴァインGが手鳥足取り教える面倒をみるが、中々殻を破ることができず苛立つディヴァイン・アイ。

 

皆の協力や演じるということはどういうことかを知りながらモノにしていくディヴァイン・アイは、仮出所を申請するがどうせ通らないと諦めていた。

そこに世話好きのディヴァインGが様々な書類を用意して準備をしようと持ち掛ける。

彼もまた減刑を嘆願している身であり、互いが希望を胸に演劇に時間を費やしていく。

 

しかし相棒のマイク・マイクが脳動脈瘤によって死んでしまったことを皮切りに、ディヴァインGの様子に異変が生じ、減刑を嘆願するための面接もうまくいかず、舞台のリハもままならないほど追い込まれていく。

 

そこ仮出所の決まったディヴァインGが、手を差し伸べる。

ここまで来れたのは相棒のおかげだ、だから今度は俺が助ける番だ、と。

 

こうして互いが悔い改めながら更生プログラムである舞台を懸命に費やすことで、彼らは「演じる」という希望を抱き、刑を務めていくのだった。

 

 

刑務所内の友情を描いた「ショーシャンクの空に」や出所不可能に苦しむ「ミッドナイト・エクスプレス」、長きにわたり脱獄を計りながら友情を育む「パピヨン」など、脱獄を含む刑務所内の映画が大好きな自分としては、それらと比べるとちょっと歯ごたえが違う映画ではありました。

 

基本的に手持ちカメラで演者を捉えながらのドキュメンタリーな質感漂う映像で、いわゆるごく普通の娯楽映画とは違い、劇的なドラマがあるわけでもなければ、肝心の演劇が最後にみられるわけでもない。

 

だから正直物足りなさのある作品でした。

しかし主演のコールマン・ドミンゴが無実である証拠を自身で探し、減刑を求めながらも、演劇で演じることで希望を見出し、皆をこぶするというまとめ役までこなすという見事な芝居で引っ張っていたことが、本作を楽しく見られたのは事実。

 

ただそれ以上に収穫だったのは、実際に収監されていたクラレンス・マクリンが、当時の自分を思い出しながら元ギャングの囚人を演じつつ、徐々に演技のコツを掴んでハムレットの役を演じ切るという難しい役柄に感銘を受けました。

 

最初こそずっと体を揺らしながらかったるい感じで、自分から志願しておきながらやる気のない雰囲気を出しており、さすが向こうに入ってただけの事はあるなぁと思っていましたが、ディヴァインGから演技のコツを教わって以降、メキメキ上達し、振り付きの本読みのシーンで、それまで見せてこなかった一部を覗かせた演技は、僕の中dものすごいインパクトがありました。

 

明らかに演じていることがすぐわかるし、それまでただセリフを読むだけのことを、このシーンで一気に「役に入り込んでる状態」と分からせる技量があることまでわかってしまうほどの芝居。

アカデミー賞助演男優賞にノミネートされるのではと言われてたほどの実力があるなと思った瞬間でした。

 

自分が輝いてた瞬間を思い出し、それを語る。

またはこれまで出してこなかった感情を武器に別の何かを表現する、そんな演技メソッドをしながら、収監者は塞ぎ込んでいた自分の一部をさらけ出すことで、新たな喜びと兵の中という息苦しい環境の中で安らぎを手に入れていく。

それを繰り返すことで、少しずつ何かが変わり出し、更生の道を歩んでいく。

 

そんなプログラムが実際行われていること、それによってちゃんと更生し、社会で全うに暮らしているという事実を知れたことだけでも見て得な映画だし、何よりも実際兵の中にいた人たちが、自分の役を演じながら劇中劇までこなす器用さを見せている。

こんなすごい映画があるなんてという感覚でした。

 

一方で彼らが刑務所で過ごす、いつ出られるかわからなければ出られるという決まりもないという絶望感も惜しみなく描かれているのが本作の凄みでもある。

 

主人公であるディヴァインGは、劇中から読み取るに、第2級殺人を犯し25年以上の刑期を務めなくてはならない身だったが、自身で色々調べた結果刑期を減らせる可能性を見出し、プログラムに力を入れながらわずかな希望を抱いている存在。

しかしいざ面接となった途端、向こうのペースにハマってしまい、言いたい事すら言えない状況に。

この面接でさえもあなたは演じているのですか?という問いに戸惑うディヴァインGの表情は、これまでの苦労は何だったのかというあっけにとられた表情であり、絶望を通り越して虚無に陥った顔をしてましたね。

 

今こうして希望を抱きながら更生に務めてるけど、もし自分が違う人生を歩んでいたら、もっと違う人生だったろう。

そんな空想を思い浮かべながら、何も変えられない事態に嘆く姿も見ていて辛い。

 

マイク・マイクが自身の出自を語るシーンでも、そんな雰囲気を醸し出していたけれど、突然人生が終わりを告げるショックは大きかったですね。

 

 

とまぁ、全体的に褒めの感想ではあるんですが、個人的にはもっとドラマ仕立てにしても良かったのかなあとわがままな思いもあります。

 

そもそも本作でプログラムに新入りなのはディヴァイン・アイのみで、他のみんなは何度もプログラムで演劇を経験済みの状態。

だから演出家の話もディヴァインGの話も皆聞き分けがよく、好戦的なイメージのある囚人の姿はみてくれだけという設定。

 

ほぼ更生してるんじゃないか?という出だしから、新たな危険因子が入ることでもっと劇団自体がややこしいことになるのではないかと思ってたんですよね。

実際初心者のディヴァイン・アイが想定通り一悶着起こすんだけど、これもディヴァインGのアドバイスによって、物分かりの言い役柄になってしまっている。

 

様々な波乱を生みながらも一つになっていく過程が全体的にないため、やはり物語が単調なんですよね。

あくまで世話好きで希望を胸に抱いているディヴァインGが墜ちていく、逆にふてぶてしいディヴァイン・アイがディヴァインGの助言によって更生していくという、立場の逆転が物語を動かしているだけで、ぶっちゃけ予告編以上の何かは得られることはできませんでした。

 

 

最後に

こうした題材を映画という媒体を通じて世に知らせるという役割としては大いに買うんですが、いかんせん物語が物凄く面白いかと言われると、僕の中ではそこまでの満足度はありません。

 

あくまで評価できるのは、コールマン・ドミンゴの存在感と、実際に収監されていた人たちがナチュラルに自分を演じていたこと。

実際思い出したくもないことを思い出さなきゃいけない状況もある中で、当時の自分を引き出す作業って、辛いことかもしれない。

 

それでもこのプログラムを世に知らせるために一肌脱いでいる、また今も塀の中でこのプログラムに取り組んでいる人たちのために演じていることを考えると、簡単に「面白くない」とは言い難い作品ではあります。

 

社会に戻るということは、決して刑務所に入る前のまま戻ってはいけないのは当たり前。

しかし彼らにも人権はあり、刑期を務める中での安らぎや希望までは奪われてはいけない。

あくまで更生という名目で、この息苦しい場所で「別の誰か」になりきることで、本来もっていたはずの「社会性」を学び、自分の中に在るはずの一部を引き出す術を探していくプログラムを肯定したいと思います。

 

何かキレイごとばかり書いてしまったけど、そういう気持ちにさせてくれた映画だったんだよなぁ。

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10