ジャスティス・リーグ/スナイダーカット
クリプトン星で数百年ぶりに自然出産によって生まれた「希望の子」、カル=エル。
地球に送られて以降、自分の力を制御できず人間と共生する苦悩を抱えた少年は、育ての親による「正解を与えない」教えによって、「人間を信じてみる」答えにたどり着き「スーパーマン」として正義を全うするヒーローとして誕生。
彼の力を「神」と崇める者たちがいる一方で、「脅威」とみなす人間もおり、再び「正義」とは何かを問われ、仲間を得るも命を落としてしまう。
そんなスーパーマンの「正義」を継承すべく立ち上がった「メタヒューマン」たちが同盟を結んだのが「ジャスティスリーグ」であります。
新たなる「スーパーマン」3部作=「現代の神話」としてザック・スナイダーが全て監督を担うプロジェクトでしたが、娘であるオータムさんの自殺により、監督は完成間近で降板。
彼の意志は「アベンジャーズ」を監督したジョス・ウェドンに引き継がれ、見事な編集の下2時間の上映時間で収められたジャスティスリーグは、無事公開されました。
長尺とダークシリアスな描写に「つまらない」という声が多かったスーパーマンシリーズは、ウェドンの娯楽要素多めの編集によって無事成功を収めたわけですが、ウェドン監督のパワハラ問題の発覚や、根強いスナイダーファンの声によって「スナイダーカット」として今回配信される形となりました。
ウェドン版はスナイダーにはないテンポの良さと展開の速さによってヒーロー映画らしい作風に仕上がっていましたが、キャラの葛藤などによる深掘りや、明らかに無理がある繋ぎが散見されていたので、モンキー自身ももし「スナイダーが監修した作品」が見られるのであれば、いくら出しても見てみたい!!と思っている一人。
今回配信での観賞ではありますが、4時間に及ぶ長尺に相当な覚悟を要する以上に、正真正銘「スーパーマン」3部作の完結編を拝めることに大きな期待を寄せております。
というわけで早速鑑賞したしました!!
作品情報
DCスーパーヒーローたちが初めてタッグを組み、地球を未知なる脅威から救うアクション・エンターテイメント 『ジャスティス・リーグ』
アメコミファン待望のザック・スナイダー版が、遂に解禁!
劇場版では語られなかったヒーローたちがそれぞれ抱える葛藤、仲間や家族との絆、成長、スーパーヴィラン・ステッペンウルフを操る悪の支配者ダークサイド初登場。
更にデスストローク、マーシャン・マンハンター、グリーン・ランタン、ブラックスーツ スーパーマンの姿も?!
そして、ベン・アフレック版バットマンとジャレッド・レト版ジョーカーが初対峙
尺も、映像も、アクションも、全てにおいて規格外!
監督ザック・スナイダーが本当に描きたかったものとはーーー
その全てが、想像を超える。(HPより抜粋)
あらすじ
スーパーマン(ヘンリー・カヴィル)の壮絶な犠牲を決して無駄にしてはならない。
ブルース・ウェイン(ベン・アフレック)はダイアナ・プリンス(ガル・ガドット)と手を組み、迫りくる破滅的な脅威から世界を守るために超人たちのチームを作ろうとする。
だが、その困難さはブルースの想像を超えていた。
彼が仲間に引き入れようとする一人ひとりが、乗り越えがたい壮絶な過去をもつために、その苦しみからなかなか前に進めないでいたからだ。
しかし、だからこそ彼らは団結することができ、ついに前例のないヒーローたちのチームを結成する。
バットマン、ワンダーウーマン、アクアマン(ジェイソン・モモア)、サイボーグ(レイ・フィッシャー)、そしてフラッシュ(エズラ・ミラー)は、ステッペンウルフ(キアラン・ハインズ)、デサード(ピーター・ギネス)、ダークサイド(レイ・ポーター)とその恐るべき陰謀から地球を守れるのか、それとも時すでに遅しなのか……。(HPより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、ザック・スナイダー。
ヒーローを、神を信じる男ザック!
これまで一貫して「人間のヒーロー化」を模索してきた彼が、スーパーマンを神に見立て製作した「スーパーマン」3部作の最後をどのように映像化したのか非常に楽しみであります。
正直言えば脚本の荒さはあります。
しかし驚異的なビジュアルによって我々の視覚を刺激し続けてきたことは事実であり、その功績は非常に大きいのではないでしょうか。
今回のスナイダーカットに至るまでの背景には、ファンの「見たい」という声が大きな後押しとなったのが話題になりました。
スナイダーは実際に「スナイダーカット版」があることを明かし、紆余曲折を経て追加撮影を施し完成、配信というカタチで我々の元に届けられたとのことです。
映画ではさまざまな「特別篇」や「ディレクターズカット」が存在しますが、今回のパターンは異例中の異例ですし、とんでもない出来事だと思います。
ただ僕自身としては今回の「スナイダーカット」こそ最初の時点で公開してほしかった思いもあり、「ファンが動けばファンが見たい映画が見られる」前例を作ってしまったことは正直いかがなものかと。
また、監督ファーストな映画って「面白いかどうか」の判断として難しいんですよね。
やっぱり会社なりプロデューサーなりが介入して世に出されるのが1番なんじゃないかなと。
とはいえ、神を信じるかの如くスーパーマンを崇める人たちが劇中で描かれていたのと同様、スナイダーを信仰する人たちの熱意ってのも共感できます。
世に出された以上、見ない選択肢はないですから、心して拝もうと思います!
監督に関してはこちらをどうぞ!
果たして様変わりした「ジャスティスリーグ」は、本当はどんな物語だったのか。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
ジャスティスリーグ/スナイダーカット!!
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2021年5月25日
4時間あっという間だったよぉ‼️
早起きして良かったぁ😭😭😭😭
ハレルヤ‼️‼️ pic.twitter.com/OWoXC6PBin
ウェドン版と全然違うじゃんっ!!
圧倒的「美」ジュアルで魅せてくれた、これぞ正真正銘「ジャスティスリーグ」でした!!
以下、ネタバレします。
あっという間の4時間。
マザーボックス収集のために地球に襲来したステッペンウルフを倒すため、孤独の闇を抱えながらも前に進むために「団結」したヒーローたちの物語は、配給会社首脳陣の顔色をうかがいながら2時間の枠にしっかり収めたウェドン版とは違い、7つのエピソードから個々の苦悩や葛藤やリーグ結成までを、これぞスナイダーと呼べる多彩なスローモーションと重厚感といったビジュアルで描き、「スーパーマン3部作」でありながら次世代や女性、さらには娘への想い迄詰め込むことで、いかにスナイダーが英雄を、神を、超越的存在を愛し、正義のバトンを渡そうとしているかが読み取れる最高の映画でございました。
はい、あっという間でした。
7つのエピソードで区切っているから、1エピソードずつ見れば大したことない。
そんな気持ちで見始めたわけですが、結局一気に全部見てしまいました。
いや、見入ってしまいました。
配信での鑑賞の場合、自宅で鑑賞される方がほとんどだと思います。
となると、映画館とは違ってマイペースで見れるもんだから、スマホいじったり余計なことを始めて、集中力を欠いてしまう恐れがあるかと思います(見方は自由ですけどね)。
しかし本作は画面を釘づけにしてしまうような「決め画」がいくつもあったり、ウェドン版で削られてしまったエピソードがいくつもあったり、なによりヒーローもヴィランもその他人物たちもみんなかっけ~のよ。
そのカッコよさをスナイダーがお得意のスローモーションで、ダークシリアスな色味で、むちゃくちゃかっこいいショットで魅せてくれるから、目が離せないのよ。
だから、ちょこちょこ見てももちろん問題ナッシングなんですけど、そのまま見続けてしまう魅力が山ほどあるってことを、声を大にして言いたい!!
それくらい没頭した作品でした。
他に感じたのは、そもそも僕は「ジャスティスリーグ」を鑑賞していることもあって、全体のプロットは覚えてるわけです。
だから話を追うことに関してはウェドン版以外のエピソードに集中して、あとはスナイダービジュアルに圧倒されればいいといった「心の余裕」もあったのかもしれません。
とはいってもだ!
これがウェドン版と全然違うんだ!!
ビクターにそんな葛藤があったなんて、バリーがあんなに頑張るなんて、アーサーの前にあの人が登場するなんて、ダイアナのセリフがウェドン版より活きてくるなんて、ブルースが言う「信念」がこんなにも重くなるなんて、そしてクラークがいつもと違うスーツを着るなんて!!
一体どこまで違うかはこの後語るとして、端折られたエピソード以外にも、まったく意味を変えてしまう会話のやりとりや、逆にウェドン版でのエピソードを削って別のシーンを入れたりとか、ウェドン版には登場してこなかったキャラが出たりとか、劇場版であったシーンなのに構図もカットも微妙に違うし、ものすごい量の新たなシーンが出てくる出てくる!!
そりゃ2時間を倍にしたんですから山ほどあるんですけど、上映時間を増やすだけでこうも物語や見せ場による感情移入に変化をもたらすのかと思うと、今回のスナイダーカット=完全版は大成功だったと思います。
ウェドン版との違い
じゃあ具体的にどう違うのか。
箇条書きではありますが、ザックリ解説していこうと思います。
-
サイボーグ=ビクター・ストーン
彼はアメフトのスター選手である一方で、経済面で苦しんでるクラスメートを助けるためにテストの答案をハッキングして不正を行うなどの行為もしていました。
試合には必ず母親が応援に駆け付ける一方で、STARラボでクリプトン星の宇宙船を研究している父・サイラスは仕事のせいで一度も応援に来ませんでした。
試合の帰り道の車中、応援に駆け付けてくれない父にいら立ちを見せるビクターを慰める母。
そこに車が横から衝突してしまったことで母は亡くなり、ビクターは重傷を負ってしまいます。
急いで病院へ駆けつけたサイラスは、息子を絶対に死なせないと強く心に決め、国防総省から預かり、研究材料として使っていた「6-1-9-8-2」と書かれた謎の箱を使って、ビクターを蘇生させる研究を始めます。
こうして生まれたのが「サイボーグ」。
全身機械の姿で蘇らせた父に憤りを感じている姿はウェドン版でも描かれていますが、こうした背景があったんですね。
ですが父は「二度父親になれた」というボイスメッセージをビクターに向けて遺しており、一度は怒りによってレコーダーを破壊したものの、最後のエピソード「プロローグ」では元に戻し、父の遺言を胸に「前へ進む」姿を見せています。
このようにスナイダーカットは、明らかに「サイボーグ」が主要人物として描かれているのが象徴的です。
そもそも「マザーボックス」の力によって蘇ったわけですし、彼の存在があったからこそ、マザーボックスでスーパーマンを蘇らせたのですから。
さらにはマザーボックスの解体も彼ナシではなし得られないですから、本作での大活躍を目に焼き付けてほしいですね。
もっと言えば、亡くなってしまった監督の娘さんをビクターに重ね描いていたといってもいいでしょう。
その辺はあとで書きます。
-
フラッシュ=バリー・アレン
ペットショップのアルバイトの面接に訪れたバリー。
ウェドン版と同じく、落ち着きのないおしゃべりな性格が登場時から窺えます。
この面接のシーンでは、外の交差点に停車している女性に目を奪われるんですが、彼女はそのあと、よそ見運転をしていたトラックに撥ねられてしまう事態に。
その瞬間を見たバリーは能力を発揮し、見事彼女を救出します。
この女性が、彼ののちの恋人になるといわれているアイリスという女性とのこと。
ファーストインプレッションから好印象を思わせる目配せだったので、早く「ザ・フラッシュ」が見たいです!
劇場版同様ユーモア担当だったバリーですが、スナイダーはどうも彼のウケ狙いのセリフはお嫌いなのか、「ペットセメタリーだ!」とか「ドストエフスキー!」(ロ品の家族は一切出てこない)といったセリフは一切ないし、ブルースに「能力は?」「金持ちだ」といった掛け合いも、本作は劇伴と車内のカッコよさもあって、笑いとして機能させない工夫が見えます。(ユーモアシーンはウェドンが撮ったってことでしょう)
また個人的にはクライマックスでの彼の「スピードフォース」のシーンは涙モノでした。
バリーの光速スピードによって電流を生み出し、マザーボックスの分裂を狙うサイボーグでしたが、ステッペンウルフの猛攻をスーパーマンの登場で回避するも、あと一歩のところで次元の扉が開き、ダークサイドの姿が見えたところで失敗してしまいます。
パラデーモンの襲撃によって腹部に大けがを負ったフラッシュでしたが、「前に進む」精神で再び加速。
光よりも速く走る「限界突破」を見せ、消滅寸前のサイボーグの場所まで走り、彼を救います。
このシーン、とにかくスローモーションで引っ張りまくったのちに、怒涛のCG描写で光よりも速く走るフラッシュを演出してるんですよね。
爆風から逃れるように走るフラッシュは、地面が粉々になりながら懸命にスピードを上げ、辺り一面稲妻が大波のように映し出されています。
劇伴との相性も加わって、非常に劇的な見せ場となってました。
劇場版では戦闘が初めてだということで、いろいろなシーンでためらいが見えましたが、本作はすがすがしいほど頼もしいバリーが拝めます。
-
アーサー・カリー=アクアマン
本編始まって最初に登場するのがアーサー。
漁村を訪れたブルースに、仲間として勧誘されますが「孤独こそ一番強さを発揮できるとき」と、ものの見事に断られます。
劇場版ではマザーボックスを強奪されたことでジャスティスリーグに加わりますが、本作では「アクアマン」でも描かれた通り、亡き母への複雑な思いからアトランティスに背中を向けている姿がより濃く描かれています。
なぜ彼がアトランティスに背を向けているのかを見せるために、「アクアマン」で登場したバルコ(ウィレム・デフォー)が出演。
メラとの会話からも、現在のアトランティス王=オーシャンマスターがあまりにも先のことを考えない(マザーボックスを警備するにあたって)指示を出していることが窺えるなど、先に「アクアマン」を見ているからこそ、アーサーの葛藤や憤りに納得がいくし、リーグに参加する理由も明確になっていたように思えます。
他にも、「アマゾンとアトランティスの民が会話するのが何千年ぶり」とダイアナを会話するシーンがあれば、真実の縄によって弱さを見せるアーサーの姿はなく、終始強さが溢れていたように思えます。
さらには自分を捨てていった母への想い、アトランティスの王を継承する身から、彼もまた「前に進む」ために父に会いに行く決心をする姿も映し出されており、ヒーローたちを通じて本作が何を伝えようとしているのかが、徐々に透けて見えてきます。
-
ダイアナ・プリンス=ワンダーウーマン
劇場版では大活躍だったワンダーウーマンですが、本作では劇場版と同程度の活躍です。
アマゾンからクレタ島の神殿に向けて放たれた火矢をTV中継で見たダイアナは、急いでギリシャへ飛び、今地球で何が起きているのかを神殿の地下にある壁画を見て知ります。
劇場版でもそうだったように、彼女は戦闘以外では説明を任されている節があります。
一番の高齢ですし、古くからアマゾン族に伝わる伝説を語れるのは彼女しかいませんし。
ですが、裁判所を襲って街ごと破壊しようとする集団との戦いは、劇場版以上の迫力とかっこよさです。
基本流れは一緒なんですが、ダイアナが俊敏に動くアクションやタイムリミットに焦る姿、爆発を回避した後の人質へのケアなどを、おなじみのテーマソングに乗せて緩急をつけてダイナミックに描いています。
この他にも剣でパラデーモンをガンガン切り刻む姿や、ステッペンウルフに向かって戦いに挑む姿も劇場版以上の迫力です。
個人的にはサイボーグとの初対面でのシーンが印象的です。
機械仕掛けの体になってしまったことによって、誰の手も借りたくないビクター。
そんな彼にダイアナは「かつて愛していた人」の話をしだします。
愛した人を失ったことで何十年も姿をくらまし、能力を隠して生きてきた彼女もビクター同様「孤独」を抱えていたのです。
だけど苦しいからこそ人に助けを求め、手を差し伸べたくなる。
だからあなたも会いに来たんでしょう、と。
「かつて愛した人」とは、スティーブ・トレバーのことですが、「ワンダーウーマン1984」での再会と別離を見たことも手伝って、スティーブに対するダイアナの想いは劇場版よりも重く切ない気分にさせてくれます。
またビクターの内面もしっかり描いているので、劇場版と同じセリフなのに余計に刺さるんですよね。
-
ブルース・ウェイン=バットマン
亡きスーパーマンの遺志を引き継いでリーグ結成に意気込むブルース。
アーサーやバリーを勧誘し陣頭指揮を執るわけですが、劇場版ではちょっとしたジョークを言ったり、体に鞭打って戦う姿勢にアルフレッドから叱咤されるなど、未だ過去に縛られ、痛みや辛さを背負いこんでる姿勢がいかにもバットマンらしく見えました。
ですが本作は自暴自棄な部分がありつつも、「なんとしてでも仲間を集めてスーパーマンの遺志を継ぐんだ!」といった前向きな姿勢が垣間見えます。
特にアルフレッドから皮肉を言われても「信念だよ、アルフレッド」とまぶしい表情で我々を驚かせますし、「BvS」でだいぶ心境が変わったんだなぁとも見えます。
またスーパーマンを蘇らせることを提言するシーンですが、劇場版ではブルースの半ば強引な説得が見え隠れしましたが、本作では机上から見上げるようにカメラで彼らを捉え、スーパーマンを蘇らせることは可能」と皆が思うように会話を映しています。
そうすることでブルースが無謀な試みをしないように見せているし、どこか自殺願望気味だった彼を打ち消すことに成功しています。
彼の最大の見どころといえば、ジャレット・レト演じるジョーカーとの対峙でしょう。
最後のエピソード「エピローグ」の1シーンで描かれているんですが、バットマンの周囲にはサイボーグに、固い金属の仮面をつけたフラッシュ、なぜかメラとデスストロークが仲間として加わっており、最後に出てくるのがジョーカーというよくわからないメンバー構成に。
そして彼が誰と戦うのか、いったいこれが何なのかワクワクするのと同様に、これまでのジョーカーとの忌まわしい過去に対する憤りを抑えて語る二人がたまりません。
-
クラーク・ケント=スーパーマン
劇場版同様、死から蘇り一時の暴走を見せるも、ロイスの出現により心を穏やかに保ち、ジャスティスリーグに加わる姿が描かれています。
最大の違いは、「黒いスーパーマン」としての登場でしょう。
スーツもマンとも全身黒づくめの姿は、配信前から話題になってましたが、こうしてお披露目されると、普段のスーツよりかっこいいですねw
また劇場版になかったシーンで言うと、「BvS」で渡した指輪をはめていたロイスに気づいたり、ロシアへ向かう途中にジェネシスチェンバーでスーツを調達、アルフレッドの元へ立ち寄り、戦いに身を投じていく姿が描かれています。
ステッペンウルフとのタイマンは、圧倒的な力でフルボッコしていて、黒スーツ着ていることも手伝って、なんだか異様にも思えたのは僕だけでしょうか…。
背後から覗いているワンダーウーマンが制止したりするのかなぁと思ってましたが、ただ覗いてるだけだったのがちょっとツボでしたw
他には、ブルースが見る夢の中でバットマン率いる新生ジャスティスリーグと対峙する姿だったり、何かに打ちひしがれてダークサイドにやられそうになる姿だったりと、今後予想されるかもしれない展開が描かれてたのが印象的です。
スナイダーは今後DC映画を撮影する予定も構想もないそうですが、ここまでダークな展開ならめっちゃ見たい!と思わせる瞬間でもありました。
-
ステッペンウルフ
劇場版では、アマゾン族のいるセミッシラ島に急に表れてマザーボックスを奪う姿が描かれてましたが、正直色々と唐突だし魅力もなく、ヴィランとしてどこか説得力のないキャラになっていた気がするんですが、本作はビジュアル面で威厳を持たせるようなこわもてぶりを見せており、劇場版からかなり強化を図っていた感じがします。
また、彼の背景にも時間を割いて描かれていたのが印象的。
彼の上司的な立場であるデサードと、最上位に位置するダークサイドから一度追放されていたことが明かされ、名誉挽回するためにマザーボックスを回収し、これまで落とすことのできなかった地球を狙うという目的でした。
劇場版で感じた「小物感」は、要するに上の立場にいるキャラがいたからってことでしょうか。
また彼の最期も劇場版とは違い、スーパーマンの強さによって抱いてしまった恐怖心を、パラデーモンが察知し彼を襲ってジエンドという結末でしたが、本作はスーパーマンのフルボッコから、アクアマンの串刺し、とどめはワンダーウーマンの首チョンパで、ダークサイドのいる次元空間に放り投げてジエンドでした。
マザーボックスを探しながら近況報告をしたり、マザーボックスに触れたことで、ダークサイドが探していた「反生命方程式」の在りかを伝える手柄をたてたりと、敵にもかかわらず「元のポジションに戻りたくて必死だなぁ」と少々斜めから見てしまう部分もありました。
しかしトランスフォーマーとも思えるほどのギザギザ感や銀×紫といった不気味な配色といったビジュアルが、クスッとしてしまいそうな隙を見せない「敵としての威厳」を十分に発揮していたように思えます。
スナイダーの想い
結果として本作は、近しい人を亡くしたり、孤独に打ちひしがれたヒーローたちが、「団結」して敵と立ち向かい、これまで留まっていた場所から「前に進む」ことを強く描いた物語だったように思えます。
そしてそれは娘を亡くした父ザック・スナイダーの想いとしても強く出ていたように思えます。
やはりビクターのシーンを多く入れた理由って「父との確執」があることと、「父によって二度生きた」子供だからだと思うんです。
エピローグでビクターは一度破壊したレコーダーを元に戻し、父の肉声に耳を傾けるんですよね。
どんな内容かというと、
「本心を話す。
科学者でなく父親として。
2度父親になれた。
またこの世界にお前を連れ戻した。
どれほどお前を自慢に思ったか。
生まれた時からだ。
だが何年も親子関係を無駄にし悪化させた。
全ては壊れ すべては変化する。
世界は傷つき壊れ取り替えもできない。
だが世界は過去ではなく未来に続いている。
まだ見ぬ未来、そして未来に。
そして今お前がいる。
今こそお前の時代だビクター。
立ち上がれ。
使命を果たせ。
私はなれなかったが、お前はヒーローだ。
勇敢なヒーローであれ。
過去現在未来のヒーローの一人として。
立ち向かう時が来た。
戦い、発見、癒し、愛情、勝利。
今が、その時だ」
このテープの内容を流しながら、アーサーが父と会う決心をしたり、科学捜査官になれた報告をするバリーに喜ぶ父の笑顔だったり、セミッシラ島に住む母に想いを馳せるダイアナだったり、両親の墓前で点固く飛び立つビクターの姿が描かれています。
スナイダーは娘をビクターに重ねることで2度父親になったのではないでしょうか。
もしかしたらスナイダー父子にもちょっとした確執があったのかもしれません。
複雑な親子関係だったかもしれません。
修復しようと何度も試みたのかもしれません。
けれども・・・。
だからビクターに前を向いてほしい。
与えられた能力で世界を守るために。
自分がなれなかったヒーローに。
使命を果たしてほしい。
立ち向かってほしい、と。
劇場版でバッサリ切られてしまったビクターのエピソードを中心に構成したと言ってもいいくらいのスナイダーカットは、こうした見方もできるのではと思えて仕方ありません。
最後には「For オータム【娘の名前】」で締めくくれられるし、劇場版で流れた「Come Together」ではなく、レナード・コーエンのカバー曲でアリソン・クロエさんの「ハレルヤ」が流れます。
歌詞の内容は宗教だったり聖書に基づいたものらしいんですが、実は「恋がもたらすもの」を物悲しく綴った内容らしいです。
これ実は「ウォッチメン」でも流れる曲なんですよ。
確かナイトオウルとスペクターがアーチ―号で一つになるシーンだったと思うんですけど。
それは置いといて、どうやら娘さんが大好きな曲なんだそうです。
そして娘さんの葬儀で流した曲でもあるんだとか。
だから「ハレルヤ」を流すことで娘さんへの鎮魂を捧げたエンディングになっていたのではと。
もちろん監督の個人的な思いを秘めたものでありながら、分断が叫ばれる今こそ「団結」しようよと、2017年の作品なのに2021年にピッタリなメッセージ性にもなっているのが素晴らしいですよね。
またスナイダーの作品って一貫して「正義のバトンリレー」を描いてるんですよ。
300も、エンジェルウォーズも、ガフールも、そしてマンオブスティールも、BvSも。
そして本作も、サイボーグやフラッシュなどの次世代に正義のバトンを渡したかのような時間配分と構成だったと思うんです。
色々解釈が過ぎる部分もありますが、こう考えてみてみるとザック・スナイダーという男がいかに「英雄」や「神」を好きな人物かが伝わるのかなぁと。
最後に
ものすごく長くなっちゃいましたが、ぶっちゃけ空っぽで見ても全然面白いんですよ!!
スナイダーの映画は!!
だってビジュアルがめちゃくちゃカッコイイから!!
これだけでもお釣りが来ちゃう楽しさがあります。
クライマックスでのステッペンウルフとの対決。
劇場版ではシールドが赤いせいで、空も真っ赤になった状態でバトルを繰り広げるんですけど、スナイダー版はどんより重い雲が立ち込める中でのバトルになっています。
ここが一番色味が違うかなぁ。
というか全体的に配色のトーンが全然違います。
こんなにもビジュアルが変わるのかと。
アクションもダイナミックです。
全員がカッコイイ。
ヒーローはかっこよくなくては。
とにかくありがとうスナイダー。
僕はこれからも彼を応援します。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆☆★★8/10