モンキー的映画のススメ

モンキー的映画のススメ

新作映画ばかり見ないで、旧作映画も見ようね。楽しいぞ。

映画「敵」感想ネタバレあり解説 どんなに準備しても奴らは突然やってくる。

「敵」と聞いて思い浮かぶモノ。

それは自らを正義と思えば悪は「敵」であり、仮にそれが悪でなくとも、自ら進みたい道を妨害するようなものも「敵」なんです。

変な話、友達と遊びに行きたいのに「門限」を言ってくる親も、時には「敵」になったりするもんだと。

まぁ極論ですよw

 

そう考えるとなんでもかんでも「敵」に置き換えられるわけですよ。

歳を重ねて言うこと聞かなくなってくる体も、真逆の政治思想を持つ人間も、税金ばかり上げるこの国も、自分の意にそぐわないものはみ~んな「敵」なんです。

 

そう考えると今回観賞するこの「敵」、ただのおっさん、いや老年の日常を切り取っただけでどこに「敵」が存在するのか、と。

いやその考えはおかしいか。

生きてる限り「敵」は存在するわけだから。

 

と、そんな壮大な話だったりするのだろうかと思ったり思わなかったり。

早速鑑賞してまいりました!!

 

 

作品情報

時をかける少女」「虚人たち」などでも知られる小説家・筒井康隆の同名小説を、「桐島、部活やめるってよ」で日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した吉田大八監督の手によって実写映画化。

 

妻に先立たれひとり老年を謳歌している元大学教授の主人公のもとに、日常を脅かす「敵」が現れることで、穏やかに過ごそうとしていた人生の最期が一変していく姿を、日常と非日常が交錯しながら「敵」に翻弄される様を全編モノクロ映像で描く。

 

これまでも「紙の月」や「桐島~」、「騙し絵の牙」など原作小説を大胆な解釈で映像化に取り組んできた監督。

原作の筒井道隆に「映像不可能」としながらも、鮮やかに映像化に成功したその手腕が本作でも冴えわたる。

もう二度とこんな映画は作れないと自ら豪語するその中身や如何に。

 

キャストには、映画「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」や「ひき逃げファミリー」などで知られ、「ひまわり〜沖縄は忘れない あの日の空を〜」以来約10年ぶりの主演を演じた長塚京三

人生最期の、いや最期から2番目になるかもしれない主演作品として努めたと語る。

他にも、「冷たい熱帯魚」、「沈黙~サイレンス~」の黒沢あすか、「火口のふたり」、「由宇子の天秤」の瀧内公美、「ナミビアの砂漠」、「あんのこと」の河合優美などが出演する。

 

果たして主人公にとって「敵」とは、苦しい存在なのか、それとも。

 

 

 

 

あらすじ

 

渡辺儀助(長塚京三)、77歳。
大学教授の職を辞して10年—妻(黒沢あすか)には先立たれ、祖父の代から続く日本家屋に暮らしている。

 

料理は自分でつくり、晩酌を楽しみ、多くの友人たちとは疎遠になったが、気の置けない僅かな友人と酒を飲み交わし、時には教え子を招いてディナーを振る舞う。

 

預貯金が後何年持つか、すなわち自身が後何年生きられるかを計算しながら、来るべき日に向かって日常は完璧に平和に過ぎていく。

 

遺言書も書いてある。

もうやり残したことはない。

 

だがそんなある日、書斎のiMacの画面に「敵がやって来る」と不穏なメッセージが流れてくる。(公式より抜粋)

youtu.be

 

 

感想

人生の終着点を準備なんてしても、本能はつい抗ってしまう。

そんな矛盾をコミカルに映しながら、徐々に複雑化してく面白さ。

大八先生の凄さはそこにある。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな生活は憧れるけど。

俺はまだ人生道半ばで、まだまだやりたいことだらけ。

映画だってもっと見たいし、旅行にだって行きたい。

とはいうものの、かつての若かりし頃のようなアクティブさはなく、友人付き合いも徐々に面倒になっていった。

 

あ~これが老いなのか、いや違うだろ、ただめんどくさいだけだろ、と自問自答しながら、気つけば一年経ち、年齢だけを重ねている。

 

いきなりネガティブな話から入りましたが、人間生きてりゃいつかは死ぬわけで、それなりに人生経験重ねるとなんとなく「終わり」を意識していくってのが性ってもんで。

本作は俺よりもだいぶ年上の老人が俺よりも遥かに「死」を意識しておきながら、いざ向かってくる「敵」に脅えていくというお話でございました。

 

実際「敵」とは何なのか、ってのは焦点になると思うんですが、いかんせんこれが物語の中で明確に現れるわけでもないので、解釈は如何様にもできるってのが本作の面白さの一つだったのではと。

 

で、結局お前はどう思ったのさってことで、端的に申し上げるとすれば、やはり「死」なのではと。

 

本作の主人公・儀助は、仏文科の元大学教授で、20年も前に奥さんに先立たれてからというもの、どこにも出かけることなくずっと家で普通に暮らしてる姿が描かれてるんですね。

 

朝起きて、米を研ぎ、魚を焼いて朝食をとり、顔を洗って歯を磨き、新聞を読みながら依頼されたフランス文学の批評を書く。

時には元教え子が遊びにやってきて、うんちくをたれながら時には話を聞き、一緒に食事をする。

物置の掃除をすれば体が言うことを聞かず、再び元教え子を呼んで整理をお願いする。

 

またある時には家で焼き鳥を作り、買ったばかりのウィスキーを飲みながら音楽や書物を読んだりするなど、もう少しで人生の終わりが来るというのに、どこか悠々自適。

 

人間ドックや健康診断なんて、逆に人生を不幸にさせる行いだと小馬鹿にし、体のどこかが悪いほうが生きてる実感がするとも語る。

そのくせ遺言書をすでに書いており、だれも身内がいないことから特に資産を残す必要もなく、これといったことを書けずに悩む姿も。

 

デザイナーの後輩とバーで酒を交わしたり、喫茶店でコーヒーを飲んだりしながら、今残っている残高と毎月もらう年金、そして依頼された仕事を10万でこなすことを考慮しながら、人生の終わりまでにきれいに精算できるよう逆算して生きている、そうすれば意外と暮らしに張りが出る、そんなアドバイスを語りながら、日々生きていることが窺える。

 

 

元とはいえかつては大学教授、しかもフランス文学の権威ということもあってか、どこか紳士的な容姿でありながら、カタブツそうにも見える。

人生を達観して生きてきたからなのか、博識な部分が邪魔しているようにも思える彼を見て、俺も「一人でうまいもん食いながら晩酌!きれいな教え子と家でメシ!」みたいな老後が過ごせたらいいなぁなんて憧れを抱きながらも、そんな老後で果たして生きてて面白いかとも思う。

 

 

言ってることとやってることが違くね?

そんな儀助の姿をシンプルな演出で見せつつ、徐々にその「割り切った」かのような姿が滑稽に見えてくるのが本作の魅力の一つ。

 

特に滑稽なのが、元教え子で雑誌編集の仕事をしている女性(瀧内公美)とのシーン。

最初は書物を借りに来た流れで、夜に食事を御馳走する儀助。

ワインを飲みながら。かつて彼女をストーキングしていた同級生が外国で出世した話や、当時そのことで親身に相談に乗ってくれた儀助に感謝していることなど、当時の思い出を語る二人。

 

やがて彼女は身の上話を始めたり、どこか儀助にモーションをかけているかのような妖艶な笑みを浮かべる。

飲みすぎてソファで寝てしまった彼女に、儀助は起こすどころかブランケットをかけ「どうする?泊ってく?」と話しかける。

 

あれだけ人生の終わりを意識していた男が、ここで性欲を増幅させていることがまず笑えてしまう。

教え子を「女性」として意識しているあたりはもちろん、年を考えろとも言いたくなるし、いやいやお前死ぬ準備してんだろ?何ワンチャン狙ってんだよwみたいな儀助の本音が丸見えのこのシーンは、本作のハイライトの一つといってもいいほど印象的。

 

 

他にも、家で少し辛めのキムチを入れたうどんを勢いよく食べたはいいものの、夜中に飛び起きトイレに駆け込む儀助。

結果、血便が出てしまい腸がやられていることに気づく。

 

このくだりの直前には、デザイナーの男と人間ドックなんて行くもんじゃないと語った後の出来事。

そして彼は急いで病院へ行き、検査を受け、いつも座る椅子に座布団を敷いて過ごす羽目になる。

 

この検査、1回目は男性の先生だったが、2回目に行くと女性の先生が担当することに代わっていた。

女性だからという理由ではなく、そこは単純に異性に肛門を見られるのが恥ずかしいという理由で、遠回しに拒否を促す儀助。

手枷をつけられズボンを下ろされ、四つん這いの状態で直腸カメラを入れられるのを待つ。

 

女医もただ突っ立ってるだけで何もしないことに、徐々に恥じらいが増す儀助。

しかし、彼が「早くしてください」といった瞬間、「もう入ってます」とものすごいスピードで肛門にカメラが入り、「あ~!」と叫ぶ姿を、テンポのいい編集で見せることで、笑いとして描写する演出はさすがでした。

 

 

このように、老いというもの、死というものを意識しておきながら、実年齢など無視して当時のままの感覚で欲を満たそうとする彼の姿が滑稽なのが本作の魅力のひとつ。

 

それは決して儀助だけがそうではないということも意識するべき瞬間で、自分自身いい年なのに若く見られようと努めるあたりは、やはりはたから見たら滑稽だということを、本作を通じて感じなくてはと。

 

ただ本作は「昔のようにはいかない」っていう哀愁の中に、矛盾もついてくるから面白いってことなんですよね。

だって、死ぬ準備してるんですから。

 

後半からわけが分からなくなっていく。

物語は、突然受信した「敵について」のメール、デザイナーの男性と足しげく通っていたバー「夜間飛行」が突如閉店したこと、そこで出会ったオーナーの姪っ子で立教大学の仏文科に通う女性とのやり取り、さらにデザイナーの男性が入院することになったことなど、普段の生活に異変が生じていくあたりから、複雑化していく。

 

彼のPCに送られてきたメールは、「北から少しずつ攻めてくる」とか「メディアは全然報道しない」など陰謀めいた旨の文が書かれており、日本家屋の中でひときわ目立つiMacが、突如として異空間の入り口かのようになっていく。

そして入院先で病床に就くデザイナーの口から放たれる「敵が来る」という合図と共に、儀助はどんどん深みにはまっていくという展開に。

 

 

そこからは、死んだはずの妻が儀助の前に現れ、儀助は彼女への愛を語るシーンが描かれるが、なぜか妻はそっぽを向く始末。

さっさとこの家売ってしまえばよかったのにとか、疲れてるからそっとしといてとか、儀助が望んでいそうな返答ではない冷たい態度の連発だったりする。

 

しかも妻は、元教え子との夕食の場にも現われる。

アポイントもなく押し掛けた旅行雑誌の社員のあまりに無礼な態度に困惑しながら、4人で鍋を囲む一同。

がつがつエネルギッシュに飲み食いする社員の姿を喜ぶ妻は、一方でフランス語で会話する儀助と元教え子の女性に腹を立てる。

 

そもそもいない人間が、儀助にだけ見えるのであればまだ理解はできるが、元教え子にも社員にも見えているという時点で、さっぱりわからない。

しまいには元教え子がこの社員を殴り殺してしまい、別の教え子が必至こいて掘った井戸の中に落として隠ぺいを図る。

 

もう一体どうなっているのか。

おそらくだが、それ自体が儀助の夢であることがうかがえる。

 

笑いとして消化したはずの元教え子との関係には続きがあり、再び訪れた彼女にまたもや「今夜泊ってく?」と誘う儀介だったが、まんざらでもない元教え子から「23時40分までの15分間で済まして」とOKをもらい、いざ性行為に走るも、そこは老人…というオチで終わる。

 

これすらも夢なのか現実なのかはわからない。

そして妻と4人での食事後のいざこざでは、元教え子から「私で自慰行為をしていたのか」問われ、素直に謝罪する儀助。

 

いったいどこから現実でどこからが夢なのか。

起床すれば夢の中での格好だし、夢の中の残骸までしっかり残っている。

 

恐らく、儀助はこれまでの人生の中で、周囲の人たちを下に見ていた節があることを自覚しており、それを謝罪するための舞台として夢を見ているのではないかと推測。

 

そう思わせたのは、「夜間飛行」のオーナーの姪っ子の大学の授業料を肩代わりした矢先に、店が潰れ連絡が取れなくなったことに対し、金をとられたという被害者意識の前に、これまでそうやって立場を利用して上から目線で女性たちに接したことへのツケが回ったのだという発言。

 

そして夢の中でも、妻に怒られてもほとんど反発はしないし、元教え子との情事も彼女がストーカー被害に遭っていた時から下心をもっていたに違いなく、彼女もまた儀助からハラスメントを受けていたと責めても、謝るだけ。

 

本人の前で直接謝罪できないのは、プライドの高さゆえなんでしょう。

だから夢の中でしか謝罪できない。

 

その夢こそが彼の「敵」として襲い掛かってるってことなんでしょうか。

 

 

そうした哀れな部分が襲い掛かってくると同時に、老いも襲ってくる。

 

儀助のようにどれだけ準備しても、死というものは突然やってくるということを描写するクライマックス。

 

家の前に落ちている犬の糞に憤慨する隣人。たまたま家の前を散歩していた女性に怒りをぶつけるシーンが序盤で映っていたが、終盤でも別の形でやり取りが始まる。

彼女は以前に気分を害したことで犬の散歩コースを変更したが、駅前が封鎖されていたため再びこの道を訪れたという。

 

すると儀介は何で封鎖されているのかを疑問に思い、もしかしてきたから攻めてきてるからか?と返すと、突然銃声が鳴り響き、隣人は脳天を撃ち抜かれてしまう。

女性と共に必死に逃げるが、元の道に走っていった犬を追いかけてしまったがために、女性はあえなく射殺される。

 

儀助も家の物置に匿って静まるのを待つが、彼は突然立ち上がり、竹刀のようなものをもって反撃に打って出るのであった。

 

死ぬ準備などしているくらいなら、いっそのこと老いに抗ってこそ「人生」だともいうのか。

ここまで追い詰められて初めて気づく老人の「犯行」は、おそらくこの物語の中で一番イキイキしていたに違いない。

 

 

最後に

前半はユーモラスを交えながら伏線をちりばめ、後半は一気にホラーやSFのような姿を見せていくのがたまりません。

 

それこそ前半なんて古き良き日本映画の佇まいで、モノクロも手伝って妙な懐かしさすら覚えるシーンでしたが、病院でのシーンからそれまで白が強く感じたモノクロが一変して黒みを帯びたモノクロへと変化。

そこまで気にならなかった長塚さんの目のたるみしわがやたら目立つんですよ。

 

もちろん夢に侵食されていくわけだから疲弊した表情でないと説得力がないわけで、ただ白黒で映すだけではない細かい演出が冴えわたっていたなと。

 

突然インサートしてくる真っ黒に塗られた顔の男たちも怖かったですし、手持ちカメラを持たされ走り回る儀助のアップの表情もなかなか。

 

 

とはいえ、これ一見サスペンスのように見えて高度なコメディともいえる、ギリギリのラインを突いた映画だったかもしれません。

何よりも儀助という人間自体が「可笑しみ」を持っているのがその理由。

老人であるにもかかわらず未だ現役かのように見えてしまう色気だったり披露する知性や佇まいは、長塚さん自身が備え持っていた部分だからこそ表現できたところもあり、そんな人にこんな仕打ちする必要あるのかってくらい追い込んでくわけですから。

 

やはりいくら理性的にふるまっても老いには勝てないし、そうした自分が行ってきた過去が「敵」として襲い掛かるのって、自分としてはもっと先のことになるんだろうけど、本作を見て感じたのは、「死」をいくら意識してもうまい飯が食いたいし、うまい酒が飲みたいし、若い女性と話したいって「欲」は絶対消えなくて、年齢がどうとか関係なく無意識に「生」への欲望はあるってことなんですよね。

 

そう考えると、まだ俺の前に「敵」は現れていない、と思い込んで今日を生きようと思いますw

また彼が女性に対して扱ってきた振る舞いが、自覚としてありながらも夢の中で「敵」として襲ってくる現象は、長塚さんのインタビューでも語っていた通り、「こんな老人にならないためにも、若い人に見てほしい」という意味のこもった作品だったのでしょう。

それらを踏まえて本作を思い返してみると、非常に奥が深い作品だったと思います。

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10