モンキー的映画のススメ

モンキー的映画のススメ

主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「関心領域」感想ネタバレあり解説 アイディア以上のモノを感じない。

関心領域

イニシェリン島の精霊」という映画のエンディング、対岸にある島で起きている戦争に目を向けながら、主人公2人がにらみ合う姿で幕を閉じた作品でした。

 

あの映画は、基本2人の男同士のもつれを描いた映画として描かれていた一方で、島の人たち誰もが対岸で起きている戦争などに目を向けず、島の中のいざこざにばかり夢中になっている姿が印象的でした。

 

それは私たちが暮らす日常でも同じように、自分に関心のある範囲=領域のことしか目を向けてないことを揶揄した見せ方だったように思えます。

海の向こうに目を向ければ、争い事はもちろん環境問題や経済など、さまざまな「考えなければならないこと」が山ほど溢れています。

 

そうしたことを考えたり、言及したり、行動しなくてはならない中で、やっぱり自分の生活の範囲のことで精いっぱいなんですよね。

如何に今余裕のない日々を送っているのか。

いつからこんな日々を送るようになってしまったのか。

 

・・・今回鑑賞する映画は、まさに「自分の領域範囲内しか関心のない人たち」を描いた映画。

なんと、壁の向こう側にはアウシュビッツ収容所があるという土地に住む、ある家族の物語。

普段の生活を見せていく中で、耳を傾けると、何やら不快な音が聞こえてくるっていうからドキドキです。

その音とはどんな音なのか。そしてフォーカスされる家族はどんな生活を送っているのか。

早速鑑賞してまいりました!!

 

 

作品情報

マーティン・エイミスの同名小説を、『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』で映画ファンを唸らせた英国の鬼才ジョナサン・グレイザー監督が映画化。

 

1945年、ホロコーストや強制労働によりユダヤ人を中心に多くの人びとを死に至らしめたアウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族の日常を描きながら、壁の向こうにそびえ立つ大きな建物の気配を漂わせ、二つの世界の「違い」を炙り出していくサスペンス。

 

本作は、第76回カンヌ国際映画祭でグランプリに輝き、英国アカデミー賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞、トロント映画批評家協会賞など世界の映画祭を席巻。そして第96回アカデミー賞で国際長編映画賞・音響賞の2部門を受賞するなど、話題を席巻した作品。

 

タイトルの「The Zone of Interest(関心領域)」は、第2次世界大戦中、ナチス親衛隊がポーランド・オシフィエンチム郊外にあるアウシュビッツ強制収容所群を取り囲む40平方キロメートルの地域を表現するために使った言葉。

 

前作の製作終了後に「ナチスをテーマにした作品」を製作しようとした監督。

加害者の視点で書かれた小説を見つけたことから始まったこのプロジェクトは、家族の日常という「視覚」と、すぐ近くで行われている残虐な行為を「聴覚」のコントラストによって、普段我々が無意識、あるいは意図的に目にしない耳にしないことに対して警鐘を鳴らす。

 

主演のルドルフ・ヘス役を、「白いリボン」、「ヒトラー暗殺、13分の誤算」のクリスティアン・フリーデル、彼の妻ヘートヴィヒ役を、「ありがとう、トニ・エルドマン」そして本作と共にカンヌ国際映画祭や米アカデミー賞で受賞やノミネートを果たした「落下の解剖学」で主演を務めたザンドラ・ヒュラーが演じる。

 

箱庭の向こうから聞こえる「不協和音」に、あなたは耐えられるだろうか。

 

 

あらすじ

 

青い空の下、皆が笑顔を浮かべ、子どもたちは楽しそうな声を上げるなど、アウシュビッツ強制収容所の所長を務めるルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)とその妻、ヘドウィグ(ザンドラ・ヒュラー)ら家族は穏やかな日々を送っている。

 

そして、窓から見える壁の向こうでは、大きな建物が黒い煙を上げている。

 

1945年、一家が幸せに暮らしていたのは、強制収容所とは壁一枚で隔たれた屋敷だった。(Movie Walkerより抜粋)

youtu.be

 

 

感想

壁の向こうに全く関心のない家族たち。

緑豊かな自然の奥から聞こえてくる不快な音に、俺たちはちゃんと耳を傾けることができるのだから、「現実世界の壁の向こう側」を意識しなくちゃいけないよね。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

悍ましい光景が目に浮かぶ。

家を囲む兵のすぐ向こうにそびえ立つアウシュビッツ収容所。

そんな場所で優雅に幸せに暮らす家族の物語。

 

物語の内容は、一家の主にしてアウシュビッツ収容所の所長というポストに就くルドルフと、子だくさんの家族たちを中心に描かれていく。

父の誕生日には3人乗りのボートをプレゼントしたり、妻ルートヴィヒの母親が訪ねてきたり、娘が夜な夜な窓の外を見ながらぼんやりしていたりと、幼い子供たちを育てながらも仲睦まじい家族の姿を、「微笑ましく」見せている。

 

やがてルドルフに「栄転」の知らせが届くことで、妻との間に不和が生じていく。

家族を連れて生きたりルドルフに対し、夏は暑く冬は寒い環境下にも拘らず、都会の喧騒から離れこの緑豊かな自然に囲まれた土地で一生暮らしていきたいと熱望する妻ルートヴィヒ。

結果、ルドルフの単身赴任という形で落ち着き、ルドルフは出世し、自分の名がついた作戦へ向けた準備を開始していく、というもの。

 

ドラマパートだけを切り抜けば、ものすごく大したことのない「一家の日常」に過ぎない。

しかし本作がとにかく「居心地が悪い」のは、彼らの物語から視線や別の部分に耳を傾けた時。

 

冒頭、数分間の真っ黒な映像が流れながら、不協和音にも似た劇伴が流れる。

これが意味するものはよくわからないが、個人的には「聴覚を研ぎ澄ませる」ための準備をさせてくれる次巻だったように思える。

そして幕が開けると、ヘス一家が川で水浴びをしている風景が飛び込んでくる。

自然光によって生い茂った緑と太陽の光に煌びやかに反射する川の美しさが、水浴びを楽しむ一家をより幸せそうに映す。

 

しかし彼らが帰る道中、嫌な音が聞こえる。

最初こそ「鳥の鳴き声か?」と思ったが、よく耳を澄ますとそれが「銃声」であることに気付く。

如何にも物騒な音が飛び交う中、彼らは優雅に水浴びをしていたのだ。

 

もうこれで十分に「怖さ」、というか「違和感」が一気に膨張する。

 

その後物語は、家庭菜園をするルートヴィヒの姿や、庭ではしゃぎまわる子供たちの姿、家政婦や庭師が働く姿、そして外で空を眺めながら黄昏るルドルフの姿などが映し出される。

 

そのすぐ後ろで。収容されたユダヤ人たちが泣き喚いたり叫んでいる声、乱発される銃声、揃って飛行する戦闘機、煙突から上がる煙など、明らかに目や耳に入ってくる情報があるにもかかわらず、ヘス一家は何も「関心」を持たず生活し、一家の中で起きている問題にばかり目を向けていく。

 

さらにルドルフは、所長である立場故に、収容所の生産性を上げるための「改装」案に着手する。

どうやら「それ」を効率よく燃やすための新しい焼却炉を導入しようという話。

2つある焼却炉をいっぺんに稼働するのではなく、片方が焼却中、もう片方を冷却できる装置を導入することで、より効率よく燃やすことができるという案だ。

 

もちろん「それ」とは想像の通り。

会社の管理職という立場として、コストや生産性をしっかり考え業績を上げていくための柵を考えるのは当然だが、それがどんな仕事なのかを想像すると吐き気を催す。

 

とはいえ、ルドルフは直接手を下すわけではない。

方針を決め指示を出すだけだ。

 

こうした仕事ぶりがルドルフを「加害者としての自覚」を損なわせるからタチが悪い。

それは家族にも反映されるのだから、たまったもんじゃない。

 

そんな幸せな家族を見せ、不幸せな結末を迎えさせられる人たちの光景を見せない不気味なコントラストが、徐々に観衆に「違和感」と「恐怖」を与えると同時に、如何に我々が普段の生活でも「関心領域」を意図せず作っているかという思考を芽生えさせていく。

 

一見それは防御的な感覚とも言える。

見たくないモノ聞きたくないモノに蓋をすることで、自分の日常に平穏を与えることができるのだから。

他人のこと、国の事、海の向こう側の事など考えず、壁を作れば、人生は意外と平和だったりもする。

ただでさえ息苦しい世の中。金も増えないし物価も上がる、それでいて他者との摩擦やノイズが溢れ、日々疲弊する一方。

いつからこんなに疲れる世の中になったのか、そんなことにいちいち目くじらを立てず、関心領域を作って暮らせば、ものすごく楽だ。

 

またヘス一家同様、我々もまた普通の人たちだ。

直接犯罪を犯しているわけでもないのに、本作を鑑賞していると、さも自分自身が無関心故に「犯罪者」をレッテルを貼られてるような錯覚に陥っていく。

 

実際劇中では、子供たちが無意識に暴力性を秘めていたり、ルドルフが吐き気をもよおしたり、焼却の光景を夜な夜な目の当たりにしたルートヴィヒの母が翌朝帰郷していたりと、些細な変化が映し出される。

どうやら無関心とはいえ、メンタル的にはダメージを追っていることがわかる。

 

そうした罪の意識が、本作を見ているとなぜかこちらにも派生してくるような気がしてならない。

 

そんな楽天的な自分を大いに刺激する本作。

これを見た後、外に目を向けてみよう。

あなたがこれまで塞いでいた世界や音が、よりクリアに見えたり聞こえたりするのではないだろうか。

 

海の向こうでは今でも銃声が鳴り響き、巻き込まれた人々の哀しい声や苦しい姿が飛び交っている。

 

アイディア以上のものに面白みがない。

とまぁ、堅苦しく書いてみましたけど、ぶっちゃけ全く俺好みじゃないホラー映画とでも言いましょうか、もっと面白くできたよねこの映画って感じの作品でした。

 

本作は基本的にヘス一家を定点カメラでロングショット的に映しているんですよ。

そうすることで、彼らの日常と同時に壁の向こう側にも意識を向けさせえることができる、そんな意図的な映像だったと思うんです。

でもね、この「一定の距離」を保ったまま見せられても、肝心のヘス一家のドラマに自分が入っていけない、いやむしろ「入ってくるな」と言われてるような気がして、物語自体を楽しむことができないんですよね。

 

単純に家族の視点というものがなければ、彼らの表情や心境の変化というものも見えてこない。

もっと近寄ってくれないと物語に没入できないじゃんていう。

 

物語自体も、管理職あるあるじゃないですけど、家族に起こった小さな出来事以上の劇的な何かが起きるわけでもない。

単身赴任によって夫婦両方が浮気してるとかインサートしてくるけど、別にそれが家族を分断させるような展開があるわけでもなく、子供たちが何かしでかすわけでもなく、ただただ収容所の近くで優雅に暮らしてる一方で、心が蝕まれていってるってだけの話で。

 

これ俺ならですよ、導入部は家族の物語にしっかりフォーカスした作りにして、徐々に俯瞰で見せていくことによって、この家族が一体どんな環境で暮らしているのかってのを見せた方が、より恐怖感を与えられる気がしたんですよね。

そっちの方がぞくぞくする気がするんですよ。

視線を少し遠くに持っていってみよう、如何にあなたたちが無意識に「関心領域」を構築してるかが理解できると思う、みたいな。

 

あとなんだろ、日常では耳を傾けなければいけないこと、もっと考えなくてはいけないことなどほったらかしにして、この場所で自分はアメリカンドリームを手に入れるんだ!という人たちが横行するアメリカ人を超皮肉った映画「ナッシュビル」っていう映画がるんです。

あれもみんなが政治自体には関心を持たず、政治を利用してのし上がろうと自己中な姿をユニークに見せつつ風刺してて、根っこの部分はこの「関心領域」と似てるなぁと思って。

俺はマイベスト映画ってのもあって俄然ナッシュビルの方が衝撃を受けたんですけど、こっちは群像劇でもなければ平坦なドラマでしかなく、好みとしても受け入れにくい映画でしたね。

 

 

それでも面白いことはやってるなと感じましたよ。

可視化させた残虐性よりも、可視化させずに想像させる残虐性の方がより心にぶっ刺さるという点においては、非常に優れたアイディアだと思いますし、音を強調させていく構成もものすごく設計された映画だったと思います。

実際最初よりも後の方が銃声が大きくなってましたし。

 

ヘス家で働く下女が、夜な夜なリンゴを隠すシーンも良かったですね。

モノクロというかX線で撮影したんじゃないかっていう映像で、収容されてるユダヤ人のために「ヘンゼルとグレーテル」の如くリンゴを土に埋めている。そのリンゴは白く輝いてるではないかと。

そのリンゴが後に災いを呼び、リンゴを食べたユダヤ人が処刑されるっていうエピソードを、ヘス家の子供の耳に入るように聞かせ、その子供は無意識に捨てセリフを吐くっていう。

こ~わ。

 

クライマックスでも、移転する収容所の副長官に抜擢されたルドルフが、一人階段を下りながら吐き気を催すシーンでは、ルドルフが暗がりの向こうに目を向けると突然現在のアウシュビッツ収容所へと飛び、博物館と化した収容所で働くスタッフの清掃風景が映し出されるという。

それが一体何を示すのかはよくわかりませんが、考察するとすれば、自分の名がつけられえたユダヤ人一掃作戦が、数十年後どうなっているかを案じさせる映像だったのかなと。

彼にとっては自分の名前が付けられた作戦てことで、妻にも真っ先に報告したくなるめちゃくちゃ名誉なことなんだろうけど、その後吐くってことは、ずっと水面下で眠っていた罪の意識が一気に増幅した現れで、その結果=未来を映すことで、ルドルフはまだそれを予測できてない、みたいな映像だったのかなと。

 

ただこういうのを解釈したとしても、個人的にはそれが面白いかどうかの基準にならないので、やはり「物語」という視点で見ると、どうしても面白いとは思えないんですよね~。

色々考えさせられるけども。

 

 

最後に

これ普通に考えたらですよ?子供たちがもっと疑問に思うシーンがあっていいと思うんですよ。

「あそこで何が行われてるの?」みたいな。

ルートヴィヒが下女に「あんたなんか旦那に灰にされるんだから」みたいな怖いこと言ってましたけど、大人たちはしっかり理解してるけど、子供たちはどう思ってるんだろう、それを大人たちはどう諭すんだろうって描写がないのは不自然に思えたというか。

学校に行ってる子どもたちは教育として色々洗脳的にインプットされてるだろうからいいとして、もっと幼い子たちはさすがに「関心」を持つと思うんですよね。

 

そこを意図的に見せないことがこの「関心領域」という舞台装置をより恐怖にさせてるんでしょうけど、俺が子供なら普通親に聞くんだけどな~って。

ねえ?なんでバンバン音がするの?

ねえ、なんで叫び声が聞こえるの?って。

夜中にあんなに火が燃え盛ってるんだから、ママ眠れない…みたいに寝室に来るシーンがあってもいいんだけどなぁ。

実際お姉ちゃんはそれが原因で眠れなかったりしたんだろうし。

 

そこで大人がどういう対応をするか興味があったんですけどね~。

 

ま、そんなこと考えたらキリがないのでこの辺で。

 

初のジョナサン・グレイザー作品てことで、さらにはアカデミー賞作品賞にノミネートした作品ということで楽しみにしてましたが、当初抱いた予想を超える内容ではなかったという点が大きく、アイディアは素晴らしいとしても俺が求める映画としては物足りない所ばかりの作品でした。

一見の価値はありましたけどね。

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10