モンキー的映画のススメ

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主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「ザリガニの鳴くところ」感想ネタバレあり解説 衝撃の結末ではないが、少女の逞しさが美しい。

ザリガニの鳴くところ

全米が泣いたとか、全米で最も売れた原作とか、衝撃の結末!とか、使い古された文言だってわかっているのになぜか惹かれてしまうことってありますよね。

痛い目に遭うってわかってるのになぜか興味を持ってしまう不思議な宣伝文句ですw

 

で、今回も見事に興味を持ってしまったのがこの「ザリガニの鳴くところ」。

ぶっちゃけタイトルが興味をそそるじゃないですか。

 

え?ザリガニって鳴くの?って所から気になったと思ったらキャッチコピーが「事件の真相は、初恋の中に沈んでいる」って。

やだ~何これ~!超切ない系のやつじゃな~い!?って。

 

そんなわけで今回鑑賞する映画は、湿地帯で起きた殺人事件によって浮かび上がった容疑者=少女の出自を描きながら、事件の真相を追っていくというミステリードラマ。

クライマックスに衝撃が待っているようですが、果たして。

早速観賞してまいりました!

 

 

作品情報

動物学者ディーリア・オーエンズが発表した小説「ザリガニの鳴くところ」。

2年連続でアメリカで最も売れた本になり、さらには日本でも本屋大賞翻訳小説部門で1位を獲得するなど、全世界で1500万部も売れた驚異的な数字を誇る本作を、これが長編映画2作目となる新人監督の手によって実写化。

 

1969年のノースカロライナ州の湿地帯を舞台に、裕福な家庭に育った青年の殺人事件の容疑者の半生を描くミステリー。

 

殺人事件の真相を追うミステリーと、湿地帯で一人孤独に生きた少女の逞しさと迫害などを描くことで、自然の美しさとそこで生きる人間の卑しさ、それでも必死に生きた少女に共感を抱きながら見つめることになる、涙なしでは見られないドラマとなっている。

 

本作に惚れこんだハリウッド女優リース・ウィザースプーンが自身の製作会社を通じて映画化権を獲得、プロデューサーを担当したり、原作を愛するあまり自ら主題歌担当を買って出たテイラー・スウィフトが楽曲を書き下ろしたなど、著名人からも愛されることで映画にこぎつけたエピソードが詰まった作品としても知られている。

 

主演には、ゴールデングローブ賞ドラマ部門でノミネートを果たした新星デイジー・エドガー・ジョーンズ

その美しさと強さで説得力を与えていく。

他にも「シャドウ・イン・クラウド」のテイラー・ジョン・スミスや、「キングスマン:ファースト・エージェント」のハリス・ディキンソンなどのフレッシュな俳優陣が物語に色を添える。

 

ザリガニの鳴くところと呼ばれる場所に追いやられ育った少女は、何故殺人事件の容疑者にされてしまったのか。

その答えは初恋の中に隠れされていた。

未だアメリカに根付く社会問題を絡めたと言われる本作は、観衆に何を突き付けるのか。

 

 

あらすじ

 

1969年、ノースカロライナ州の湿地帯で、裕福な家庭で育ち将来を期待されていた青年の変死体が発見された。

 

容疑をかけられたのは、‟ザリガニが鳴く”と言われる湿地帯でたったひとり育った、無垢な少女カイア(デイジー・エドガー・ジョーンズ)。

 

彼女は6歳の時に両親に見捨てられ、学校にも通わず、花、草木、魚、鳥など、湿地の自然から生きる術を学び、ひとりで生き抜いてきた。

 

そんな彼女の世界に迷い込んだ、心優しきひとりの青年。

彼との出会いをきっかけに、すべての歯車が狂い始める…。(HPより抜粋)

youtu.be

 

 

 

 

感想

湿地に住む少女の孤独ながらも、強く逞しく生きた証を描いたドラマベースの法廷劇。

法廷モノでみるのでなく、美しい自然と彼女そのものを見つめるのが正しい見方か。

衝撃の結末とまでは思わなかったです。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ湿地から出ようとしなかったのか。

町で裕福に暮らす青年の死体が発見され、容疑者として浮上した「湿地の娘」の過去と出自を紐解いていく姿をメインとした本作は、CG合成を使いながら水に囲まれた雄大な自然の美しさの中で、孤独ながらも強く逞しく懸命に生き、その過程で巡り合った異性とのロマンスによって、被告人である彼女に感情移入しながら、無罪であることを祈りつつ物語を見つめ、さらには偏見や差別を抱く周囲の人物の冷酷な視線とそれでも彼女の味方をする夫婦の姿を見せながら、判決の行方にドキドキするステキなドラマでございました。

 

真相は初恋の中に、というキャッチコピーから紐解くに、恐らく死んだ青年チェイスと主人公カイアには何らかの関係があり、恋愛のもつれによるものなのかと推測しての観賞でしたが、あながち間違ってなかったようです。

 

ぶっちゃけ主人公が成長した姿があまりにも美しく、こんな女の子があんなジメジメした所でどうやったらあんなに美しく成長を遂げるのか、リアリティなさすぎだろ!と観賞前から色々疑ってしまったわけです。

 

お母さんもいないお姉ちゃんも妹もいない、そんな中でどうやってきれいになっていくのか、キレイになる術を身に付けるのか。

女性特有の成長期のアレとか腋毛の処理とか、お化粧の仕方とか一体誰が教えんだよ、眉毛だって絶対整えるって概念ないだろうし、髪の毛だってなんであんなにキューティクルできるんだよ。

 

風呂とかどうしてんだよ、あんな場所でお湯とか出るのか?

爪とかもっと土がついていて黒いだろうに、なんであんなにきれいなんだよ。

 

・・・いきなり罵詈雑言失礼しましたw

要は観賞前に色々考えてたわけですよ、絶対変だろと。

 

でも見ていくうちになぜ彼女がこんなにも美しいのかってのが理解できる、いや理解というよりかは納得せざるを得ない説得力があったんだと。

 

 

というのも、親父からお外に出てはいけませんなんて教育を受けたせいで内向的な性格ではあるんだけど、雑貨店の夫婦や幼馴染のテイトとのやりとりを通じて、如何に彼女の心がキレイなのか、彼女が見ているモノが美しいのかってことで、人はあんなにも美しく成長するものなんだと、映像演出によって魅せられていく物語だったわけです。

 

きっとカイアがお外の世界でいろんな人と関わっていったら、あんなに外見も中身も美しくはならなかったろう、そんな風に思えた作品でした。

 

 

さて、物語の内容に触れていきますが、舞台は1969年という60年以上も前の話。

DVパパによって母も兄姉もひとりずつこっそり出ていき、カイアを一人置き去りにするという何とも冷たい家族たち。

冒頭からいきなりひっかかりましたよ、お前もヤバかったら逃げろよって。

お前らそれでも兄姉かよと。

そもそもなんで家族はカイアを学校に行かせなかったのか。

学校に行く手前の年齢ってこと?

 

なんとかパパとの関係を保ちながら育っていくカイアでしたが、とうとうパパも勝手に出ていくというクソオヤジぶり。

娘をほったらかして出ていくお前に行く場所なんてねえ、道端で飲んだくれてくたばっちまえ!

そんな怒りにも似た感情を抱きながら彼女の行く末を案じていましたが、やはり湿地の子。

ムール貝をひたすら収穫してそれを売り食いつないでくという、人間の原点に立ち返って生きる術を見つけます。

 

あんな透き通った川で採れたムール貝はさぞおいしいでしょう、評判になってくれたらいいのにw

 

このように序盤は、彼女がどうして孤独になってしまったのかを、留置所に入れられた大人時代のカイアの回想録として描きます。

 

 

徐々に成長していく中で、カイアは一人の男性と友情を深めていきます。

それがテイトという少年。

 

幼い頃によく川で遭遇し、鳥の羽を交換するなどして友達になってましたが、パパはそれを疎ましく思い、彼との関係を絶つようカイアに命じていたんですね。

それから時が経ち、成長した姿で再会を果たすのであります。

 

当初は外部の人間に脅えていたので、いないところを見計らい鳥の羽を交換し合ってコンタクトを取ってましたが、たまたまばったり遭遇。

読み書きができないカイアに勉強を教えることで、これまで以上の関係へと発展していくのであります。

 

カイアも人を好きになることを覚え、テイトに恋心を抱き、全てを捧げるつもりで体を預けますが、テイトは「大事にしたい」一心で彼女との行為を拒みます。

 

 

意外とこの映画、絡みのシーンが多くびっくりしましたが、それも人間が生きる上での営みの一つってことであえて避けずに描きたかったのでしょうか。

まぁ思春期の男女が成長していく上での通過儀礼でもありますから問題ないでしょう。

 

 

カイアは常に鳥や虫の画を描く趣味があり、そこにテイトから教わった図書室の本を読み漁ることで自然生物学に興味を持ち始めます。

あまりの画の上手さと知識に脱帽したテイトは、カイアに本の製作をしたら?と助言。

 

そしてテイトは大学進学を理由に、カイアとしばしの別れを告げ再会を約束します。

ですが、約束の独立記念日にテイトは現れず、カイアは再び孤独を味わうことになってしまうのであります。

 

 

ここでテイトについていくという選択もあったわけですが、なぜそこまでして湿地を離れようとしなかったのか。

彼女曰く湿地は自分そのものであり、いくら自分が孤独だとしても常に受け入れてくれる場所だと語ってました。

 

大人になったテイトと出会うまでの間、雑貨店の夫婦以外誰とも接してこなかったわけで、深い悲しみに暮れたとしても自然は自分の味方をしてくれると。

 

ある種彼女の強みでもあり、ピュアな部分でもあり、わざわざ無理して外に行かなくても生きていけるタフさゆえの選択だったのかと。

 

物語は、この後出会うチェイスとの馴れ初めから恋仲になっていくまでの過程を描き、事件の真相へと向かっていくのであります。

 

めっちゃロマンスモノでした。

個人的には「なぜ彼女は事件の被告人になってしまったのか」や「彼女は本当に罪を犯してしまったのか」というミステリー映画になってるのだと思いましたが、そのほとんどがカイアの回想録であり、法廷劇として全くと言っていいほど成立していない作品でした。

 

原作がどういう内容かはわからないので比較はできませんが、正直もっと検察側の主張と弁護側の主張をメインに、関係者の証言からカイアの本性や出自を炙り出してほしかったのですが、思いっきりカイアの視点で話が描かれてましたね。

 

しかも物語が進行する度に、検察側の主張が「湿地の娘」という外部が作り出したイメージだけで陥れようとしているのが見え見えで、事故という点を全く無視した陰謀めいた主張ばかりで、どう見ても無理なことばっか言ってやしねえか?と疑問が浮かぶばかり。

これでは法廷劇として成立しねえよwと、途中からため息ばかりが出るようになってしまいましたねw

 

しかしながらデヴィッド・ストラザーン演じる弁護士が(彼が良かった!)、外部の人間の根も葉もない噂によって作り出されてしまった偶像が、今回の裁判を生み出した、しかもそれを裁くのがあなたたちっておかしくないすか?というセリフにはグッときましたね。

 

相変わらず現代でも偏見や差別は横行しているわけですが、60年前の田舎町だったらもっと根強かったことでしょう。

きっとそうしたことが原因で冤罪を喰らった被告人もいたのではと思わされる偏見ぶりでした。

一体この裁判のどこが公平なのかと疑うほど、どいつもこいつもクソばかりな連中だ!と。

 

だからこそ「事実のみ」で陪審するべきだと主張する弁護士の姿は、これぞ裁判だと思わされた瞬間でしたし、皆が本当のカイアを知るきっかけにもなったと。

・・・まぁ話はこれだけでは終わらないんですけどねw

 

 

さて本作は法的劇とは名ばかりのロマンス映画として進行した映画でもあります。

カイアはテイトと離れたのち、町のボンボンの息子チェイスと出会うことに。

 

イケメンでマッチョで自信ありげないけすかねえ奴なんですが、彼も彼なりに自分の出自に苦しんでいた背景があり、家族から見放され一人孤独ながらも自由に過ごすカイアに惹かれていくのであります。

 

このチェイスのやり口がさらにいけ好かない野郎に見えて仕方なかったんですが(まぁ死んでるからいいんですけどw)、いきなりカイアを遠い場所にデートに誘って半ば強引に唇を奪い、さらには押し倒してHしちゃおうというクソぶりを発揮。

 

ここで一歩も引かないのがカイアの湿地育ち根性の見せどころ。

チェイスはこういう落とし方しか知らないのか、ちゃんと素直な気持ちをさらけ出します。

 

徐々にチェイスに惹かれていくカイアは、強引ながらも愛を注ぐチェイスによって再び恋愛することの素晴らしさを感じていくのであります。

 

「お前は俺のモノ」と金持ちならではのわがままジャイアンイズムを見せつけ、カイアより自分が優位であることを主張してるかのような口ぶりをするわけで、ぶっちゃけカイアと相性良くはねえだろうなとか、これだと雲行き怪しくなるな、これマジで恋愛のもつれでカイアが殺害するのでは?と色々今後の展開を予想しちゃったりするんですね。

 

結果はもうチェイスのクソ男が原因で破局です。

町の金持ち故に世間体を捨てるわけにはいかない、本当の自分をさらけ出せない、だから婚約者が出来ました…じゃねえから!

 

見事にカイアの気持ちを踏みにじったチェイスは、ちゃんと謝罪と言い訳をとカイアの家を訪れましたが、またもや力任せにカイアを押し倒してしまうではありませんか。

どうして田舎の金持ち白人はこんなことしかできないのかと。

 

 

こうなってしまうとカイアは湿地に一人で住んでいるわけで、またいつ何時襲われるかもわからない状態になるわけで、日々脅えて過ごす羽目になってしまうのであります。

 

それでも彼女の意志はぶれず、この湿地から離れようとしませんでした。

 

培ったの能力が認められ本の出版までこぎつけたことから、一旦本の打ち合わせをするため一時外出することや、テイトという心強い味方を再び手に入れたことで、彼女は平穏を手に入れた・・・と思いきや、今回の事件へと繋がっていくのであります。

 

 

最後に

結構内容に触れた解説になってしまいましたが、花より男子のつくしをめぐる道明寺と花沢類みたいな王道のラブロマンスモノなんすよねw

まぁモテるやん!とw

 

 

ただ違うのは彼女が湿地で過ごしたことで手に入れた強さと逞しさと生きる術がポイントになっていて、これが最後の最後で「そういうこと!?」となるのがミステリーとしてオチになってるのが肝かと。

 

そのヒントになってるのが本の出版社との会話の一部分。

カマキリのメスは子を産むためにオスを寄せ付けるのと、ただの捕食として寄せ付けるのと2パターンあるという会話から、人間だったらありえないと。

 

でも自然の中では法律もないわけで、あくまで善悪関係ない、生きるか死ぬかで判断しながら生きていくと。

 

 

湿地で生きた彼女は、暴力ばかり振るうパパからどうやって逃れながら暮らすかを、小さいころから身に付けてたわけですから、自然の中で生き抜く術を身に付けていたわけですよ。

もはや彼女そのものが自然だと。

 

実際なぜチェイスは死んだのかという肝心な部分は全然描かれませんし、あくまで彼女は白か黒かを彼女の視点で語られた回想録として見せていくので、細かい真相は藪の中です。

ただラストのある描写から、真相はそういうことか!とハっとさせられるので、気は抜けないかと。

 

正直思っていたのと違う物語でしたが、主人公カイア演じるデイジー・エドガー・ジョーンズが魅力的で、自然に溶け込むほどの美しさに、僕も見事に沼に浸かりましたw

おいテイト、俺と代われ!

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10