モンキー的映画のススメ

モンキー的映画のススメ

主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「アゴーストストーリー/A GHOST STORY」感想ネタバレあり解説 さまよえる魂の冒険。

ア・ゴースト・ストーリー/A GHOST STORY

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最愛の人が死んでしまい悲しみに暮れる主人公が、どうやってそれを乗り越えるか。

それは死んだ人を思い続ければ、いつまでも心の中で生き続ける、という答え。

めっちゃステキです。

ステキです。

ただ。

 

 そのパターンもう飽きました。

特に日本の映像コンテンツ。

いいはなシーサーなんてのは重々承知なんだけども。

そろそろね、この死んだ人を題材にする話、違う答えかもしくは違う視点を見せて欲しいんですね。

 

と思ったら、いい感じの映画が。

主役はなんとシーツを被ったへんた・・・ではなく幽霊。

死んだ夫が残された妻のところへ、この格好でやってくるお話。

 

そう、残された人がフォーカスされるのではなく、死んだ人がフォーカスされる。

しかも、シーツ被った姿で。

彼は妻をひたすら見守るだけなのか。死んだ人に感情やはあるのだろうか。

なぜ彼は天国へ行かずにすむのか。

色々考えてしまいますが、古典的でありながらどこか温かみのありそうなステキな映画に違いないと思います。

そんな期待をこめて早速観賞してまいりました!

 

作品情報

アカデミー賞作品賞を受賞した「ムーンライト」を始め、今やどの賞レースにも顔を出し、軒並み評価の高い作品を排出している映画製作スタジオ「A24」。

そんな今注目度の高い製作スタジオが今回手がけるのは、シーツ姿の幽霊が主人公の話。

 

死んでもなお妻のそばに寄り添い愛し続ける姿と、何十年も彷徨い続ける旅路の行方を、切ない音と柔らかな映像で紡いでいく。

 

アカデミー賞受賞俳優とカンヌ国際映画祭受賞女優の二人が深い感動と余韻を味合わせてくれることだろう。

 

これは時をかけ、愛を確かめ、魂を浄化させていく「死の先」にある物語。

 

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あらすじ

 

アメリカ・テキサスの郊外、小さな一軒家に住む若い夫婦のC(ケイシー・アフレック)とM(ルーニー・マーラ)は幸せな日々を送っていたが、ある日夫Cが交通事故で突然の死を迎える。

 

妻Mは病院でCの死体を確認し、遺体にシーツを被せ病院を去るが、死んだはずのCは突如シーツを被った状態で起き上がり、そのまま妻が待つ自宅まで戻ってきた。

 

Mは彼の存在には気が付かないが、それでも幽霊となったCは、悲しみに苦しむ妻を見守り続ける。

 

しかしある日、Mは前に進むためある決断をし、残されたCは妻の残した最後の想いを求め、彷徨い始めるーー。 (HPより抜粋)

 

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監督

今作を手がけるのはデヴィット・ロウリー

 

僕は「ピートと秘密の友達」っていうディズニー映画で彼を知ったんですけども。

 

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 冬休み映画なのにぜんぜん人入ってなくて、結構いい映画なのになんてもったいない!ってのを覚えてます。

感想は読んでもらうとして、いわゆるファンタジー映画なんだけど、どこか現実的に感じて、それでいて話の流れが丁寧で非常に観やすい映画でした。

人物の心理描写とかの抽出もうまいなぁと思ったし、何よりやさしいんだな、うん。

 

きっと今作もそんな監督の作家性が溢れている気がしますね。

 

こちらもどうぞ。

 

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キャスト

死んだ夫Cを演じるのはケイシー・アフレック。

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これ観る前から思ってたことがあって。

ケイシーは出演するけど、ずっとシーツ被っての出演だったら、もはやケイシーじゃなくていいじゃんw

てこと。

写真を観てお分かりのとおり、僕の気になっていた点は即解消されました。

出演するのはあたりめーか。

 

はい、ケイシー君は、ご存知ベンあごアフレックの弟であり、兄弟そろって仲良しのマットデイモンが中国で変な化け物と戦う映画に出演するために、代わりに「マンチェスター・バイ・ザ・シー」に出演したことで、アカデミー賞主演男優賞を受賞できた、と言っても過言ではありません。

なんでそんなに冷た言い方するんだよ~、と思うでしょうが、現在彼干されてます。

 どうやら「容疑者ホアキンフェニックス」の撮影時でスタッフに迫ったかなんかで訴えられたとかないとか。

現在真っ盛りのMeToo運動てのもあって、今年のアカデミー賞のプレゼンターも辞退したくらい。

肝に銘じて欲しいですね。

とにかく兄弟そろってスターですからこれからも頑張って欲しいです。

彼に関してはこちらをどうぞ。

 

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そして残された奥さんMを演じるのはルーニー・マーラ。

 

 彼女の出演作を観るのは、「ライオン/25年目のただいま」以来でしょうか。

こっちもケイシー同様姉妹でスターですからね。

そう考えるとなんか面白い組み合わせ。

ちなみに僕はルーニー派。

 

そういえば彼女「ドラゴンタトゥーの女」で有名になりましたけど、来年公開の続編には出ないんですよね~。見たかったなぁリスベット。

 

彼女に関してはこちら。

 

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今作で二度目のタッグとなる二人と監督。

死んだ人がどんな気持ちで見守るのか、また残された人はどう生きていくのか。

幽霊のときはなんか喋ったりするのかな。ひたすら見守るって形なのかな?

はてさて。

ここから観賞後の感想です!!

 

感想

僕も死んだら長い時間見つめるのだろうか。

幽霊となった男の慕情と刹那が際立つ、シンプルで奥深いストーリーでした!!

以下、核心に触れずネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

淡泊だからこその余韻。

事故で死んでしまった夫が、孤独に打ちひしがれる妻を見守る幽霊となって現れ、やがて時空を飛び越えながら妻への思いの答えを探し彷徨う姿を、全編角丸正方形の画角、フィルムとデジタルの画質を使い分ける工夫、カメラ固定長回し、ほとんどセリフのない描写など、様々な試みで物語を映し出す一方で、被写体の行動をカットせずに撮影することで、些細な所作や行動から人物の心理描写を深く読み取ることを可能にし、2人の家が1人になったことで生まれる虚無感、可視化されたモノ言わぬ幽霊の佇まいなど、なんとも言えない虚しさと嫉妬と溢れんばかりの愛が散りばめられた作品でございました。

 

上映時間およそ90分の短い映画でしたが、ここまでカメラが動かない、セリフが少ない、場面が変わらないような映画ならちょうどいい、むしろこれ以上長引くのであれば苦痛になるのではないか、そんな適度なさじ加減で編集し完成させた映画だったなぁと。

はっきり言って、こういう行間を読むタイプの映画は得意ではないので、幾度か睡魔が襲ってきたことは事実としながらも、ここまで色々な思いがこみ上げてきた映画も珍しい。

 

とにかく映画の作り方というか撮り方にこだわりというか統一感を出していて、一見シンプルなんだけど実はえらい細かいことをしてる映画だったんですね。

例えば、妻が家を出て仕事へ向かうシーン。ドアを開けて閉めて鍵を変えたら、再び奥の部屋から別の服を来てでていく妻、これを何度もループすることで時間の経過を計る。この間幽霊はびくともしない状態でただ見つめる。

他にはある人物の最期の姿を見せ、幽霊に画面が切り替わる、またその人物の変わり果てた姿、また幽霊、これを繰り返し現在まで時間を飛び越えていく。

このような時間の経過をSFチックに見せないで描いてるのは感心。面白い。

 

また撮影カメラも変えている気がします。

被写体のアップなんかはデジタルっぽく撮っているけど、幽霊が外にいる時とか霧やら煙が立ち込めている時、天国への扉が開いたときなんかは急に80年代っぽい質感というか映像の荒さを感じるように撮っていて、どういう意図かはわからないんですけど、生きている人間との差別化を図ったかのような感覚でした。

 

そして定点カメラで人物を撮る長回しのシーンもまた格別。

一番印象的なのは、夫が死んで間もない日の出来事。

家を紹介してくれたリンダからの差し入れのパイを、ただただむしゃくしゃ食べる妻。

それこそ8分の1くらいカットしてそこだけつまんで食べる、と思いきや、どんどん端の部分を崩して頬張っていく。その勢いは止まることなく、気づけばキッチンの前にしゃがみこんでどんどん口へ運んでいく。

このままでは一人で全部食べ切ってしまうのではないか、そんなシーンをここまで見せてどうするんだ、と思ったらいきなり立ち上がってトイレに駆け込み嘔吐する。

無表情で食べ続けるも無理して口に押し込んでいた彼女が、気持ちを押し殺して普段通りの生活を送るも、どうすることもできないままでいることを示唆したシーンだったんですね。

これを見せるために長回しする度胸、必ず画になると確信した監督の強い気持ちが現れたシーンの一つだったように思えます。

 

また僕が好きなシーンの一つも長回しで撮っていて。

それが夫と妻で抱き合って眠るシーン。

急にピアノの音が鳴って浸りとも飛び起きて家の中を見回るんですけど、動悸がおさまらないんですね、怖くて。

それを落ち着かせるために夫が妻の胸に手を当てて落ち着かせる、その手の上に自分の手をのせて撫でる妻。

まぁ他の映画でもよくある仕草だったりするんですけど、この些細な仕草の中に二人の距離感とかどれだけ愛し合っているか通じ合っているかってのを、結構長い時間みせるんですよ。

このシーンがあるから、夫は幽霊になっても彼女から離れられないんだなぁってのが後でジワるんですよね。

この長回しシーンを入れることで、より登場人物が抱える虚無感やさみしさ、募らせる想いってのを表現していたように思えます。

 

他にも満天の星空や都会のネオンで彩られた風景、草木が生い茂る場所を美しく見せる場面も堪らないし、幽霊の気持ちを言葉が出せない分、灯りを点滅させたりモノを投げる行動で怒りを現したり。で、たまに見せる幽霊の表情がシーツの皺の微妙な歪み具合によって喜怒哀楽を見せているようにも感じて、どの場面からも心情が伝わる映画だったように思えます。

 

 

さまよえる魂の冒険。

当然ですが僕は生きてます(当たり前や)。まだ逝ってしまった人を見届ける立場の年齢。残された側です。

だから死んだ人がどういう気持ちでいるのか知ろうにも無理がある。死ななきゃわからないってヤツですね。

今回の映画はそんな幽霊の気持ちを具現化した映画だったように思えます。

 

中々の年数の家で暮らす夫婦は、ときたま起きる不可解な現象に驚きと戸惑いを見せる。それは最後に明かされるんだけど、まぁこれ幽霊の仕業じゃない?ってのは特に考えなくても感じられる。

そして夫の死。ただ見つめる妻が去った後、シーツを被ったまま幽霊となる夫。天国への入り口が開かれるが、彼はその扉をくぐろうとはせず、自分の家に帰り、妻を見守ることを決意。

 

妻は喪失感と孤独感をひた隠して生活するも、それを払拭することはできず。

しかしながら死んだ人間は止まることしかできないのに対し、生きている人間はその先の人生があることを示唆させ、妻はある決断をする。

その後幽霊となった夫は彼女が残した思いを探すため時を超えた答え探しの旅に出る、というもの。

 

 

肉体は無くなりシーツ姿の状態。これは魂なのか。

その魂は妻のそばに寄り添うも、触れることもできなければ声をかけることもできない。

ただそこに在るだけ。

だけど、妻が別の男を招いたり、また別の誰かが住んだ時、そして生きた証を全否定された時、魂は思いがけない行動に出てしまう。

生きている側からするとただの超常現象、ポルタ―ガイストという言葉で片づけられてしまう。

単純に言えば幼稚だが、それしかすることができないという裏返しにも見える。

幽霊が何かを訴えたいとき、そうすることしかできない辛さなんかを感じたシーンがいくつもありました。

しかし幽霊は時を超え様々な人たちの人生を見つめることで、死んでからの人生を考え始めていく。

さまよえる魂の冒険はいかにして幕を閉じるのか。

それを見届けた時、この物語は今後の自分にもすごく当てはまることになるだろうと感じた映画だった気がします。

 

パーティーの男の話。

物語中盤、妻がいなくなった家で別の人間たちがパーティーを催しています。

そこである男がビール片手に、雄弁に語るシーンが出てきます。

ここ作品の中で一番セリフがあって全部は追えなかったんだけど、色々考えさせられるシーンだったのでちょっとばかし説明を。

 

あるカップルに付き合うことを薦めるんですけど、急に方向転換。

神はいるのか。かのベートーベンはこの世に交響曲第9番を残した。

それはいると思っていた神がいないとわかり作り上げた。(ちょっと違うかも)

人は何かを作って残すことをする。

いわゆる遺産。それを残すことで生きた証を生き残った人に与えその人を思い出させる、または後世へ受け継いでいく。

だけどこれに意味なんかない。

人はやがて死ぬ。君もそこにいる子供もいつかは死ぬのだ。

そして今後世界はどんどん寿命を縮めていき、終幕を迎える。

大陸が移動しプレートが地殻変動を起こして人類は滅亡に向かっていく。

絶望に打ちひしがれた時、ある人間が第9のメロディーを口ずさむ。

するとどうだろう、今まで絶望だった気持ちは先人が残した遺産によって希望を持つのだ。

でもこれも意味がない。

だって地球もやがて死ぬのだ。

宇宙の塵となって消え失せるのだ。

だから何かを残すことに意味なんかないのだ。

 

幽霊はこの後超大暴れしたことが分かるシーンに繋がっていくんですが、一体この物語の中でなぜここのシーンだけセリフが多いのか。

それだけ重要だということだと思うんですが、僕の考えをざっくり。

 

幽霊は家から外には出ることができません。

なぜ家にいるのか、妻が出て行ってもそこに居続けるのか。

それは過去に縛られているからだと思います。

夫は音楽を製作している人間。ということは自分の作品を死んだ後も残したい、残ってほしいと心のどこかで思っていることが考えられます。

そして自分が住んでいたこの家も彼にとってはずっと住んでいたわけですから遺産だったのではないでしょうか。

妻との時間を過ごした思い出の場所。

そこで違う人間が好き勝手やったらいかるのも無理ないかと。

 

そんな中で生きた証など全く持って無意味と説くハゲオヤジの言葉にブチ切れるのも理解できるかと。

 

しかしこの物語は生きた証を残すことよりも、その後の人生をどう生きるか、生きていてっも死んでいてもそれは同じことだってことを言いたかったのかなと思うのです。

その答えを探すべく彼は時間を飛び越えて先人たちの顛末を知り、現在へと帰還するわけです。

 

 

最後に

得意ではないタイプの映画に、得意ではない考察っぽいことをかました今回の感想。

いつも通りサラッと読んでいただければ幸いですが、死んだ者のその先をどう進んでいくかという物語を、監督の作家性全開で描いたステキな映画だったことにかわりはありません。

生きていても死んでいても悲しみを乗り越えるのにはかなりの労力がいるってことですね。

でも生きている人間には時間が存在する一方で、死んだ人間は?一体どうすれば?という部分をうまく描いていたお話だったように思えます。

今年もあとわずか。

たまにはこういう奥深い映画も観てみてはいかがでしょうか。

というわけで以上!あざっした!!

満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10