哀愁しんでれら
とても美しい娘なのに、義理の母と姉たちにいじめられていたシンデレラ。
王子様の婚約者を探すための舞踏会にも連れて行ってもらえない彼女でしたが、突如現れた妖精の力により、見事舞踏会に遅れて参加。
王子様の目に留まりダンスを踊る優雅な時を過ごすも、魔法が解ける0時まであとわずかなことに気づいた彼女は、逃げるように城の外へ。
その時脱げてしまったガラスの靴を頼りに、王子様は彼女を見つけ、二人は結婚。
幸せに暮らしましたとさ。
おしまい。
俗に言う「シンデレラストーリー」とは、この物語のように「美しい美貌と心を持っていれば、いつかきっと王子様が私を見つけてくれる」という意味の言葉だと思うんです。
でもちょっと待て。
落としたガラスの靴のサイズがぴったりだからってだけで、結婚しちゃうのかい?
たった一夜のダンスで「素敵な人」と断定していいのかい?
結婚する相手はしっかり見極めた方がいい気がするんですけど、どうしたもんか、夢見る乙女が恋すると、この辺が疎かになってしまうんですかね~。
今回鑑賞する映画は、そんな「シンデレラストーリー」のその先を描いた、「裏おとぎ話サスペンス」。
タイトルの通り、哀愁に満ちたシンデレラを描くのでしょうか。
早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
TVドラマや映画を中心に脚本を手掛け、本作で「TSUTATA CREATORS’ PROGRAM FILM 2016」のグランプリ作品に選ばれた脚本家の、初の監督作品。
世の女性の誰もが夢見る「シンデレラ」は、王子様と結婚後、どのように過ごしたのだろう?という疑問を起点に、昨今取り上げられている「モンスターペアレント」問題を絡めることで、これまで夢見た物語に現実を突きつける「裏おとぎ話サスペンス」に仕上げた。
また、純粋で天真爛漫なイメージのある女優が本作で「悲劇のヒロイン」という新境地を開き、遅咲きのイケメン俳優が「完璧に見えて歪な父親」を熱演。
ファッションインスタグラマーとして活躍する女の子が、本作で初の演技を見せる。
幸せとは何か?を投げかける、世にも奇妙なサスペンス映画です。
あらすじ
足のサイズしか知らない王子様と結婚したシンデレラは
本当に幸せになったのでしょうか?
児童相談所で働く⼩春(土屋太鳳)は、⾃転⾞屋を営む実家で⽗と妹と祖⽗と4 ⼈暮らし。
母に捨てられた過去を抱えながらも、幸せでも不幸せでもない平凡な毎⽇を送っていました。
しかしある夜、怒涛の不幸に襲われ⼀晩ですべてを失ってしまいます。
そんな彼女に手を差し伸べたのが、8 歳の娘・ヒカリ(COCO)を男⼿ひとつで育てる開業医の⼤悟(田中圭)。
優しく、裕福な⼤悟は、まさに王⼦様。
「ただ幸せになりたい」と願う小春は、出会って間もない彼のプロポーズを受け⼊れ、不幸のどん底から⼀気に幸せの頂点へ駆け上がりました。
シンデレラの物語ならここで“めでたしめでたし”。
しかし小春の物語はそこでは終わりませんでした…(HPより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、渡部亮平。
元々脚本家の方だそう。
本作の脚本が「TSUTATA CREATORS’ PROGRAM FILM 2016」のグランプリに選ばれたことを機に商業映画監督デビューされたそうです。
ちなみにどんな脚本を手掛けてきたのかというと、2人の孤独な女子高生の交流を描いた「かしこい狗は、吠えずに笑う」、将棋の世界に若くして身を投じる青年と、彼を支える数多の登場人物とのあたたかな交流を描いた「3月のライオン」、本屋を営む女店主と助手の青年が、古書にまつわる事件を解決していく「ビブリア古書堂の事件手帖」、和田誠監督の傑作を、第三次世界大戦後の東京という架空の近来を舞台に、社会的な背景とブラックユーモアでリメイクした「麻雀放浪記2020」などがあります。
正直脚本視点で言わせていただくと、モンキー的にはどれも面白いとは思えなかった作品ばかりでちょっと困惑気味ですが、本作に関しては、「裏おとぎ話サスペンス」という触れ込みがそそっているので、過去作は忘れ没頭したい気持ちです。
キャスト
福浦(泉澤)小春を演じるのは、土屋太鳳。
全てにおいて全力投球、陽性的な明るさと健気な性格を持ち合わせた、非常に素敵な方だと思っております。
ただどうしたもんか、彼女の一挙手一投足が「あざとい」と思ってしまう方もいるようで、ネットでは「ぶりっこ」呼ばわりされてしまうことも。
何でもかんでも役柄やTV番組のしぐさ等で決めつけるのはいかがなものかと思います。
Netflixオリジナルドラマ「今際の国のアリス」では、個人の性格も現れてはいるものの、ダンスで鍛えたしなやかで健康的な体で動くアクションを披露したことから、「動ける女優」としてのポジションは20代女優なら彼女くらいといっても過言ではないし、「累~かさね~」での化けっぷりは見事でした。
基本的に彼女は「優等生」とか「性格のいい子」の演技よりも、欲望強めの性悪女の方が存在感が抜群なので、本作への期待としては、彼女の「性格のいい面」と生活環境による「豹変」ぶりとのギャップに期待したいところです。
他のキャストはこんな感じ。
小春の夫、泉澤大悟役に、「劇場版おっさんずラブ~LOVEorDEAD~」、「ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~」の田中圭。
泉澤ヒカリ役に、世界的ファッションインスタグラマーの異名を持ち、本作で女優デビューするCOCO。
福浦正秋役に、「ア・ホーマンス」、「キッズ・リターン」の石橋凌。
福浦千夏役に、「名も無き世界のエンドロール」、「樹海村」の山田杏奈。
泉澤美智代役に、「すーちゃん まいちゃん さわ子さん」、「ぼくのおじさん」の銀粉蝶。
ヒカリの学校の校長先生、亀岡役に、「HERO」、「カツベン!」の正名僕像などが出演します。
一見「シアワセ」をつかんだ女性が、なぜ社会を震撼させる凶悪事件を起こしてしまうのか。
「哀愁」渦巻く結末の予感ですが、果たして。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
なかなか恐ろしい結末・・・
シンデレラの❝その後❞は、教訓にも似た狂愛の物語でした!!
以下、ネタバレします。
失格の烙印を押されないために。
母親からの愛を知らずに育ち、児童相談所に務める主人公・小春の身に起きる「白馬に乗った王子様」改め「会社に乗ったお医者様」との、夢のようなシンデレラストーリーからのモンスターペアレントへと変貌を遂げてしまう急転直下のサイコスリリングな物語を、視覚的、聴覚的に心理的な不安を煽る往年の映画的ギミックを用いることで効果的な演出を生みつつ、掴んだはずの「幸せ」の先に潜む「母親の苦悩と恐怖」を描いた力作でございました。
悲劇の主人公小春は、親を辞めると言い出し家を出てしまった母親に対し、ある種の復讐心を抱きながら育った女性。
児童相談所で虐待の疑いのある家に赴いては、「この母親は絶対子供に手を出している」という強い疑いの目を向けてしまい、問題に発展してしまう行動をとってしまうほど、心に強い「執着心」を抱いて生きている。
あんな母親にはなりたくない、私の母親のように家庭を投げ出さず「いい母親」になりたいという「夢」や「希望」を抱きつつ、幸せになることを願っている。
偶然助けた青年との出会いが、突如降りかかった災難から救われたかのような奇跡を生み、子持ちの金持ち開業医と無事結ばれるという、まるでシンデレラのような玉の輿に乗っかったわけだが、話はこれだけでは終わらなかった。
本作は「いい母親」とは、「女の幸せ」とは一体何なのかを根っこに、自身の母親を反面教師としながらも、捻じ曲げられた「幸せ」に執着し、闇に墜ちていく主人公の姿を描いた物語でした。
母親って何をやっても褒められないの。
幾ら社会が女性を労わるような仕組みに変化させようとしても、世間の目が変わるにはまだまだ時間のかかること。
子供が学校でなにかしら問題を起こしたり、マナーや行儀の悪さを目の当たりにすると、どうしても「あの子の母親は一体どう育ててるんでしょ」という気持ちが生まれてしまう。
例えば僕の場合、明らかに子供が就寝する時間にも拘らず両親の都合で外へ連れ出し夕食を済ませている家族の姿を見ると、「一体どういう教育をしているのか」という気持ちが生まれてしまう。
こういう概念は恐らく自分を育ててくれた母親像が強く残っているからだと推測する。
上の例の場合、うちの母親は絶対そんなことせず育ててくれた、夜中に自分の都合で連れまわすような親ではなかったという過去からくるものだ。
この考えに疑問があるとしたら、「よそはよそ、うちはうち」だ。
例え自分が正しいと思っても、よそにはよその「事情」がある。
自分が育った環境が恵まれていたから、自分の母親の教育が良かったから、という概念が、いつの間にか「善」となり、「正しい」と錯覚してしまうのだ。
こうした考えを持つ他者から執拗に責められた母親は、自分が夢見ていた理想の「母親像」を壊され、「母親失格」だと誤変換し、家庭を捨てたくなるほど自暴自棄に陥ってしまう。
男は仕事で稼ぎ、女は家庭を守るという昭和的家族像はもはや時代遅れとはいえ、令和という新しい時代になった今でも、母親は、女性は「褒められない」仕事を一生しなければならない苦行の道を歩んでしまっている。
良い母親とは。
本当の幸せとは。
夫に気に入られるために、子供に気に入られるために、近親や近隣のコミュニティ、世間に気に入られるために、自分を捻じ曲げてまで「いい母親」になることが果たして「本当の幸せ」なのだろうか。「良い母親」なのだろうか。
もしたしたら小春の友人が言い放つ、良い母親になることや、本当の幸せを手に入れるという「夢」や「希望」など、持たないことが本当の幸せなのかもしれない。
とにかく、小春が下した決断や、映し出された彼ら家族の姿を見て「ああいう親にはなりたくない」と見下す前に、自分の日頃の行いを見つめ直し、この裏「おとぎ話」サスペンスを教訓として心得たい。
しかしおっかねえ話だ。
いやぁ~~堅苦しく「良い母親」とは何か、って論じてみましたけど、ダメっすねこういうタイプの感想の書き方。
うん、俺らしくないw
とはいえ、あながち的外れじゃないことを書いたつもりです。
母親って褒められないって言葉、男の自分でも刺さりました。
男同様の幸せを願っていいはずなのに、なぜか役割を求められ、その仕事ぶりが当たり前のように扱われ、ミスしたり失敗したりすると責められる。
あれだけ自分の母親を反面教師にしてきた小春ちゃんでさえ、いざ家庭に入ると旦那に娘に挟み撃ちに合って苦しんでいくわけで。
本当なら自分だってお母さんのように母親やめます!って言いたかったはずだよなぁと同情を覚えてしまいましたよ。
それでも手に入れた「幸せ」を簡単には手放したくないっていう葛藤が、彼女をダークサイドに落としてしまうわけで、彼女の頑なな意志さえもぶち壊してしまうほど、家庭を築くって大変なんだなぁと。
とはいえですよ、小春ちゃん。
どうしてヒカリちゃんにしっかり言及できなかったんでしょうね。
劇中ではですよ、このヒカリちゃん、学校ではなかなかの問題児でして。
- 小春が作ってくれた弁当を、学校では「ママが作ってくれない」と嘘をつく
- 怪しいと思った小春が、おにぎりの具に「5円玉」や「冷蔵庫のマグネット」を忍ばせ試すが、ヒカリちゃん、モノの見事に「食べた」と嘘をつく。
- ワタルくんに小春お手製の筆箱を隠されたと嘘をつく
- ワタルくんと仲のいい女の子を教室の窓から突き落とす。
- 学校にはいていく靴を盗まれた、と嘘をつく。
まず小春は「どうしてお弁当作ってくれない」という嘘をついたのかをヒカリに聞こうとしないんですね。
疑っておにぎりの具に変なのを入れたんだったら、大ちゃんのいないところでツッコめばいいんですけどね。
また筆箱に関しても、トイレに流して隠蔽し、ワタルくんが盗んだことにするんですね。
それをトイレ詰まりの修理業者によって小春は発見するけど、自宅近くの海に捨ててしまう。
ヒカリちゃんは、小春に内緒話で「ワタルくんのことが好き」だということを伝えており、何故ヒカリちゃんがこんな行動をとってしまったのかという原因は、全て「ワタルくんの気を惹く」ためであることが明かされます。
お弁当が無いと嘘をつくのも、筆箱を盗まれたということも、全てはワタルくんにカマって欲しいから。
小春はしっかり見抜いているのに、大ちゃんに相談しているのに、ちゃんと言及しないんですよね。
まぁ大ちゃんが過保護すぎるから、本当の自分の子供でない私は強く言えないという後ろめたさがあったというのが、一つの理由だとは思うんですが。
ただねぇ、女の子を教室の窓から突き落としたのかどうかは、正直謎です。
葬儀の後のファミレスで、自分の行いが悪いからゲームオーバーになっちゃうんだよなんてヒカルちゃんは吐き捨てるんですが、いくらワタルくんの意識がその女の子に向いてるからって、果たしてそこまでしたのかどうか。
劇中では大ちゃんと共にヒカリちゃんに確認を取るも、ひたすら泣きわめいて抵抗し、二人とも大嫌い!とまで言ってしまうんですが。
もしかしたらヒカリちゃんの言ってることは正しいのかもしれない。
でも、それまでのいくつかの事象は、明らかにヒカリちゃんによるワタルくんの気を惹くための愚行であり、自分を守るための嘘かもしれない。
親としてどう対処するべきか判断しなくてはいけない時間のように思えます。
私の大好きなMr.childrenの「タガタメ」という歌の歌詞に「もしも被害者に 加害者になった時 かろうじてできることは 相変わらず性懲りもなく 愛すこと以外にない」というのがあるんです。
親としてどうするか、愛するしかないよねと。
この「愛する」という部分が肝心で、決して「甘やかす」ことが「愛する」ことではないと思うのです。
大ちゃんは前の奥さんに浮気され、その浮気相手と共に事故で失うという過去、そして自分を信じてくれなかった母親からの暴力が原因で、小春同様親を反面教師にして、絶対に手を挙げないことや、片親だからこそ愛情を倍に注ぐというような過保護ぶりが見て取れます。
また高学歴からくる偏差値マウントも見られ、なかなかの歪んだ価値観を持つ父親なんですね。
他の人は見下し、自分の子供は甘やかす。
愛することをはき違えてるようにしか見えません。
だから、ヒカリちゃんが果たして女の子を突き落としたのかどうか、しっかり聞く義務があるし、ワタルくんの言い分も「あいつはうそつき」と決めつけず、しっかり聞く姿勢を取るべきだと。
もしも加害者になったのなら、愛を持ってしかるべき対処を取るのが親の務めだとおもうんです。
とはいえ!
上にも書いた通り、よそはよそ、うちはうちなわけでして、こういう考えを押し付けると小春ちゃんのような女性は再び苦しんでしまうのかなぁとも考えてしまうんだなぁ。
一番の答えは俺が子を持つ親になればいいだけの話なんだけどな…。
シンデレラになってはいけない
本作は、「良い母親」とは?という面に加え、おとぎ話として伝承されている「シンデレラ」の物語でのシンデレラの決断は果たして本当によかったのか?ということに触れている作品。
劇中で友達が「ガラスの靴のサイズだけで結婚しちゃっていいものなの?それって怖くない?」というんです。
小春ちゃんと大ちゃんは出会って1ヶ月で決断してしまうという超スピード結婚だったんですね。
大ちゃんは確かにいい人で、小春に洋服や靴をプレゼントしたり、おじいちゃんの入院先を市民病院から大学病院の個室という超VIP待遇を受け、妹には家庭教師として受験勉強を教えてあげ、お父さんには再就職先として葬儀屋を紹介するなど、小春のためなら金と人脈の力で何でもしてあげるのです。
恋愛感情も秘めていたとは思いますが、家族にここまでしてくれる「恩」もきっとあったと思います。
だからこそのスピード結婚だったのかなぁと思うんですが。
しかし、結婚生活を送ると大ちゃんのこれまで隠されていた内面が浮き彫りになるんですね。
10歳の頃から自分の裸体を30年も続けてデッサンし、それを部屋に飾り宝物だといっちゃうあたりや、飼っていたウサギをはく製にして部屋に飾る、家族の姿をスケッチブックに書いたり、目ん玉の無い家族の画を部屋に飾るなど、普通とは思えないヤバさ。
その上、ヒカリちゃんの溺愛ぶりや、屈折した様な価値観など、お付き合いしていた頃とは大違いの豹変ぶり。
あくまで玉の輿目当てで小春は結婚したわけではないと思いますが、大災難を救ってくれた彼に対して、目が節穴になっちゃったんでしょうかね。
とりあえず結婚相手はしっかり観察しないと、後で苦労するよという教訓も秘めたお話だったのではないでしょうか。
最後に
小春と大ちゃんがとった最後の行動に関しては、めちゃんこおぞましい光景です。
モンスターペアレントを題材にしているとはいえ、この行動は常軌を逸してますし、こりゃ確かに社会を震撼させる事件だよなぁと。
てっきり小春の単独かと思いきや、旦那まで共犯という。
そして最後の「さすがだね、ヒカリ」の連呼。
子育てはやっぱり「褒める」だけでなく、「叱る」行為も必要ってことですかね。
2人が話した「子供の一生は母親の教育で決まる」というナポレオンの言葉。
子供が良い子に育つか悪い子に育つかは全て母親の責任という意味だと思うんですが、母親の責任てのが現代には非常に当てはまらない言葉だとしても、母親の影響は大きいわけですよ。
ヒカリちゃんはこの後どう育っていくんでしょうね・・・。
恐怖しかありません。
どうでもいいですが、大ちゃんの家、「愚行録」にも出てこなかった?
あと土屋太鳳って最近、演技の中でもあざといセリフだったり体張るようなこと増えてません?
指、噛むんすね…
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10