カモンカモン/C'MON C'MON
どうも、姪っ子が小学生になったのに、コロナのせいで未だ会えないモンキーです。
自分の子供でもないのに何でも買ってあげたくなる伯父さんの気持ちがようやく理解できる年齢になりましたw
今回鑑賞する映画は、伯父さんと甥っ子が共に生活することになる数日間の物語。
きっと伯父さんは戸惑いながらも甥っ子を理解していき、これまでにない豊かな気持ちを手に入れる、そんなお話なのでしょう。
姪っ子とフェイスタイムでお話する時間でさえ愛おしく感じる僕なので、多分やられちゃうんだろなw
早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
自身の子供をお風呂に入れている時に着想を得たというマイク・ミルズ監督の物語を、映画会社「A24」が製作、「ジョーカー」で再び世界を驚かせたホアキン・フェニックスを主演に迎えた本作。
NYを拠点に活動するラジオジャーナリストが、妹の息子を数日預かることになり、時にぶつかりながらも真正面から向き合うなど様々な体験をしていくことで、絆を深めていく。
アカデミー賞主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックスが「ジョーカー」とは全く違う優しい趣で演じた本作は、ヴィム・ヴェンダースの初期作に影響されたようなロード―ムービー且つ全編モノクロ映像という監督のこだわりが見て取れる作品となっている。
さらにはラジオジャーナリストである主人公が9歳から14歳の子供たちの「生の声」をインタビューする映像を挿入することで、「今の現実社会で起こっていること」をリアルに伝え、大人が今しなければならないことを伝えていく。
撮影監督には「女王陛下のお気に入り」のロビー・ライアン、音楽には監督が過去に短編映画を製作したこともあるザ・ナショナルズが担当。
2人の日々に彩を添えていく。
あらすじ
NYでラジオジャーナリストとして1人で暮らすジョニー(ホアキン・フェニックス)は、妹から頼まれ、9歳の甥・ジェシー(ウディ・ノーマン)の面倒を数日間みることに。
LAの妹の家で突然始まった共同生活は、戸惑いの連続。
好奇心旺盛なジェシーは、ジョニーのぎこちない兄妹関係やいまだ独身でいる理由、自分の父親の病気に関する疑問をストレートに投げかけ、ジョニーを困らせる一方で、ジョニーの仕事や録音機材に興味を示し、二人は次第に距離を縮めていく。
仕事のためNYに戻ることになったジョニーは、ジェシーを連れて行くことを決めるが…(HPより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、マイク・ミルズ。
同性愛をカミングアウトした父に、戸惑いながらも受けれていく息子との可笑しくも愛おしい日々を描いた「人生はビギナーズ」や、思春期を迎えた少年が、自由奔放な母を含めた様々な女性から過ごしたひと夏の物語「20センチュリーウーマン」などを手掛けるお方。
「人生はビギナーズ」では父親を演じたクリストファー・プラマーがアカデミー賞助演男優賞を受賞、「20センチュリーウーマン」ではアカデミー賞脚本賞にノミネートするなど、新作を発表する度に高い評価を得ているクリエイターです。
本作は、10歳になる息子を育てる監督の経験を基にしたお話だそう。
かつて「人生はビギナーズ」で自身の父との物語を手掛けた監督は、今回父親目線で子供を見つめ、親として父親としての役割を追求した作品にしたそうです。
また2016年から作り始めた本作の脚本を、プライベートな部分だけに留めた話にするのではなく、外に出向き子供たちの声を探っていくことで、一つのフィクションを完成させたとのこと。
例えフィクションとはいえ、リアルな声を含めることで「子供たちを尊重」し、今大人たちが彼らのためにするべきことを作品に込めたそうです。
数年前までトランプ政権だったアメリカを間近で見てきた監督。
伯父さんと甥っ子の物語にどんな影響を与えているのでしょうか。
キャスト
主人公ジョニーを演じるのは、ホアキン・フェニックス。
バットマンの宿敵を単独主人公として製作した「ジョーカー」で、見事アカデミー賞主演男優賞を獲得したホアキン。
ハリウッド女優ルーニー・マーラともステキな夫婦生活を送る彼が、次に挑んだのはなんと伯父さんであります。
徐々に仮面を剥がして狂気じみていくジョーカーの姿がインパクトがあり過ぎるんですが、こういう優しい男もできるんですって彼は。
それこそ「her/世界でひとつの彼女」なんかでも、AIの声に恋してしまうけど、ごく普通の男性を等身大で演じていたわけで、系統としてはこの役に近いのかなと妄想しております。
「ザ・マスター」や「インヒアレント・ヴァイス」、「ビューティフル・デイ」のような役の方が好きなんですが、子供に翻弄されてしまうホアキンでほっこりしたいですよねw
他のキャストはこんな感じ。
甥っ子ジェシー役に、「エジソンズ・ゲーム」でベネディクト・カンバーバッチの息子役を演じたウディ・ノーマン。
ジェシーの母でジョニーの妹ヴィヴ役に、「フィールド・オブ・ドリームス」、「わたしに会うまでの1600キロ」のギャビー・ホフマン。
ロクサーヌ役に、作家、パフォーマーで、本作で映画デビューしたモリー・ウェブスター。
ファーン役に、Netflix作品「セットアップ:ウソつきは恋のはじまり」や、コメディアンとして活動するジャブーキー・ヤング=ホワイトなどが出演します。
伯父さんと甥っ子の微笑ましいやり取りが非常に楽しみです。
ここから観賞後の感想です!!
感想
#カモンカモン 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2022年4月22日
あーこれだからガキはめんどくせえ。
とか言ってる俺の方がガキだわ。 pic.twitter.com/e3xDtEFbAN
子どもたちの未来は大人の手にかかってる。
だからもっと向き合っていかなきゃいけないんだなぁ。
子供ってめんどくさいと思う以上に、大人の責任はもっとめんどくさい。
以下、ネタバレします。
アメリカの子供たちの賢さよ。
あることがきっかけで疎遠になっていた妹の息子を預かることになったラジオジャーナリストが、苦悩しながらも甥との関係を深めていく本作は、アメリカ4大都市の喧騒と静寂、そして行き交う人々や多くの自然を背景に、伯父と甥の仲睦まじくも一筋縄ではいかない胸の内を全編モノクロで惜しむことなく映し出すと共に、実際にインタビューを敢行した子供たちの思いによって、我々大人たちに未来のための課題を考えさせていく、「耳を傾ける」物語でございました。
まず率直な感想から言うとすれば、アメリカの子供はなんて独創性豊かで力強いコメントを発することができるのかという驚き。
様々な人種が共存する国であるが故に、個性を重んじる反面差別や偏見も多く、また4都市というコミュニティに対する愛や強さなども感じた。
これらのインタビューシーンは、主人公がラジオジャーナリストという設定を活かすための道具にすぎないと思っていたが、子供たちが語る「未来予想図」は本物だし、最後まで見ていくと本作がどんなメッセージを伝えたいかがより強く感じられた作品だったように思う。
例えばニューオーリンズに住む子供たちは、カトリーナ台風という甚大な被害を受けたにもかかわらず、災害によって亡くなった男性を「優しい幽霊」と表現したり、ニューオーリンズは場所ではなく私そのものがニューオーリンズだと強く発する少女の眼差しには特にやられた。
他の都市部でインタビューでも、未来はどんどん良く亡くなっていくと思うという悲観的な見方もあれば、大人たちは自分たちを「ボス」だと思っているという鋭い指摘、父親が刑務所に入っていることから、より家族を守らなくてはならないと語る少年、アメリカにやって来る人がいたらなんて言う?という問いには、「色々悪口言われるけどみんながみんなそうじゃない」と外側にいる僕らがイメージするような場所ではないと教えてくれる。
また「スーパーパワーを手に入れたらどんな力がいい?」という問いには、時空を歪ませたいというMCUに影響され過ぎなカワイイ返答も聞けたが、「そんな力入らない、自分こそがパワーだ」という返答を聞いた途端、日本の子供はこういう返答が果たしてできるのか、いやできないだろうななどと感じてしまうほど、アメリカの子供たちはとにかく強い意志があることに驚かされた。
右に隣に倣えと協調性を叩き込まれた教育で育った故に、僕が子供の時にこんな質問をされたらなんて答えただろうか。
適当にへらへら笑って「わかんない」とさじを投げたかもしれない。
百歩譲って返答できたとしても模範解答になるようなきれいごとしか言わないかもしれない。
というか、今大人として振る舞っているわけだが、彼ら以上の返答ができるか不安だ。
そもそもこんな質問に正解はなく、思ったことを言えばいい。
なのに誰もがしっかりとした答えを持っており、その答えを信じている。
まだ未成年なのに。
大人と子供、どちらがめんどくさいのか
僕は本作で言えばホアキン・フェニックスの立場に当たる。
彼は甥と数日間過ごすことで子供たちを「わからない」と思いながらも理解を深めようと努めていく。
仕事をしながら子供の面倒を見ることを経験したことのないホアキン演じるジョニーは、子供ならではのいたずらを真に受けて怒ってしまうこともあれば、独身男性だからこその余裕から、子供の遊びにも順応できる。
とはいえ子育てをしたことのないジョニーは、ジェシーの行動や言動にうまく対処ができず幾度も壁に浸かる。
朝から大音量でオペラを流されたり、親のいない子という設定で接して来ようとしたり、急に一緒に寝ていい?と寝床を訪ねて来たり、突然バスに乗ったり、ちゃんと話を聞きたいのにはぐらかされたり茶化されたりしながら、頭を悩ませるのだ。
そんな時やっぱり頼りになるのは母親。
妹のヴィヴは、仕事で単身赴任している夫の精神が不安定であることから、看病するために家を離れなくてはならなかった。
そのためには子供を誰かに見てもらう必要があり、ジョニーに白羽の矢が立ったである。
しかしジョニーとヴィヴの間には、母の介護問題で衝突した過去が。
期間を置いたことでフラットな関係になったものの思いは複雑。
だからといって頼らない選択はなく、向こうは向こうで大変だろうに、メールや電話で何度もアドバイスをもらっていく。
結果的に言えば、血のつながった母親でさえ子供のことが「わからない」ということ。
対処法は教えられるけど、心の内は決して読むことができないのだ。
そんなアドバイスをもらいながらジョニーはジェシーを理解しようと試みていく。
僕は子供が好きではない。
めんどくさいからだ。
というか自分以外の人すべてがめんどくさい。
自分の事もめんどくさい。
ただのめんどくさがり屋だ。
本作を見ていて感じたのは、俺子守無理!ということ。
仕事柄子供たちにインタビューをして発信するジョニーでさえ、理解不能で奔放な行動や言動をする子供に四苦八苦するのだから、めんどくさがり屋の俺が務まるはずがない。
ジョニーが言った言葉を真似したり、主食よりもアイスを頬張ることを注意してもやめない姿、歌が流れる電動歯ブラシを買ってほしいと駄々をこねる姿など、あそこに自分がいたら怒鳴って黙らせるかもしれない。
要はコントロールしたいんですよ、子供を。
それをさせてくれないから苛立ち、怒鳴り、その反動でなく子供にさらに苛立つんだなと。
うん。益々俺は子供作っちゃいけないと思った。
きっと大人は「大人」って建前で接しようとするから、子供を大人にさせようとするんだろうなと。
子供は子供なんだから、それこそ子供の気持ちになってみるとか、怒ったら怒ったことを謝るとか、理不尽だったらそれを認めるとか、そういうことをしないといけないんだなと。
決して大人は完ぺきではないし、未熟なとこもある。
実際子供は知らなくていいことは子供には言わないけど、見透かされてるってこともこの映画では描いてて、そういう質問の時にははぐらかせちゃいけないんだなって。
だから子供もそういう態度になっちゃうんだなって。
ジェシーはお母さんの行動を子供ながらにしっかり観察していたので、実生活では母親とどう接するか顔色を疑ってたのかもしれないし、ジョニーの知らなかったことまで話してくれた。
そうやって打ち明けてくれたのは、ジョニーがジェシーに向き合ったから心を開いてくれたのかなと。
最後に
人生はビギナーズではお父さんを、20センチュリーウーマンではお母さんを、そして本作では息子を題材にした監督。
過去作よりもドキュメンタリータッチを含ませた挑戦的作品でしたが、過去作よりもメッセージ性は強かったように思えます。
自分が子供だった時よりもさらに事態が悪化している世界。
これから誕生する子供たち、そしてこれからを背負う子供たちに、僕らがしてあげることは、彼らがより住みやすく暮らしやすい環境を作り、残すこと。
そのためには彼らが今考えてる事やしたいことに耳を傾けることが重要で、彼らに寄り添わなくてはいけない、そんな映画だったように思えます。
ただ個人的にはわざわざドキュメンタリー調にしなくとも、伯父と甥の物語オンリーにしても受け取れたメッセージに感じるし、ジェシーと接したことで仕事に活かされていく、またはその逆にすれば、ジョニーの心境の変化が分かりやすくなって尚良かったのかなと。
てかあれですよ、子供嫌いとかめんどくさいとか言ってますけど、そんな俺をちゃんと育ててくれた母ちゃんは、かなり苦労したんだろうなって本作を見て思いましたw
マジでクソガキだったもんなぁw
夕食時、なんかの拍子でしびれを切らした母ちゃんが実家に帰るって言い出したんで、妹は泣きながら止めたんですよ。
でも俺は止めなかったんです。
要約冷静になった母ちゃんが、なんであなたは出ていこうとした母ちゃんを止めなかったの?と聞かれた俺はどう答えたか。
「だってご飯冷めちゃうじゃん」
母は怒りを堪えながら泣き笑いました。
ね、クソガキでしょw
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10