カラーパープル
「E.T.」や「インディ・ジョーンズ」、「未知との遭遇」、「プライベート・ライアン」に「シンドラーのリスト」。
スティーブン・スピルバーグは数々の名作を残し、映画ファンを魅了してきました。
僕もまだまだ見てない作品が多いけれど、スピルバーグはそこそこ見てる方…だと思ってたら、「カラーパープル」って見てねぇ!
てか、カラーパープルって何?…というくらい、俺はスピルバーグを知らなかった…。
今回観賞する映画は、そんなスピルバーグがかつて製作した作品を、ミュージカルとしてリメイクした映画。
なんでも、スピルバーグが手掛けた当時は、アカデミー賞に多数ノミネートされたけど、無冠に終わってしまったという隠れた名作、とのこと。
それをどうリメイクして映画に仕上げたのか見極めるため、ちゃんとオリジナルも見ました。
果たしてどんな作品になっているのか。
早速観賞してまいりました!!
作品情報
アリス・ウォーカー原作の同名小説を映画化した「カラーパープル」。
奴隷解放令から50年たった1900年代のアメリカ南部・ジョージア州を舞台に、黒人コミュニティの中で父や夫によって苦しい日々を送り続ける中、それでも希望を見失うことなく懸命に生きた一組の黒人姉妹による、波乱の40年を描いた本作を、当時「E.T.」で大ヒットを記録したS・スピルバーグが製作した。
しかし、白人が黒人の映画を製作したことに難色を示したことや、賞レース狙いと思われたことで、オリジナル作品はアカデミー賞に多数ノミネートを果たしたものの、無冠に終わってしまった。
それから40年。
ブロードウェイで主人公を演じた女優を迎え、ミュージカルとして生まれ変わった。
特殊に見えそうな色でも、自然に当たり前に存在する色を意味する本作。
過去の物語でも極めて現代的な題材だからこそ、新たな形として次の世代へ見せたいと、当時出演し、本作の製作に加わったオブラ・ウィンフリーは語る。
そしてミュージシャンとしても活躍する監督のブリッツ・バザウーレが、スピルバーグへの畏敬の念を持ちながらも、オリジナルよりパワフルでパッションを込めたメッセージとして蘇らせた。
女性差別や男性からの暴力に耐えながらも、様々な女性に出会うことで自由を掴もうとする主人公セリー役には、本作のブロードウェイミュージカルで同じ役を演じ喝さいを浴びたファンテイジア・バリーノ。
そんなセリーに、自ら自由をつかみ取った姿を見せる歌手シュグ役に、「ドリーム」や「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」に出演したタラジ・P・ヘンソン。
相手が男であろうと決して物おじしないタフな女性ソフィア役を、ドラマシリーズ「ピースメイカー」への出演や、ブロードウェイで活躍するダニエル・ブルックスが演じる。
他にも、「キャンディマン」、「トランスフォーマー/ビースト覚醒」のコールマン・ドミンゴ、「ストレイト・アウタ・コンプトン」のコーリー・ホーキンズ、グラミー賞歌手ガブリエラ・ウィルソン “H.E.R.”、そして「リトル・マーメイド」のハリー・ベイリーなど、芝居だけでなく歌でも魅了できるスターが勢ぞろいした。
過酷なことの連続の中、それでも内側から希望と自由を見出し歩み続けていく主人公に、きっとあなたも勇気づけられることだろう。
あらすじ
優しい母を亡くし横暴な父の言いなりとなったセリー(ファンテイジア・バリーノ)は、父の決めた相手と結婚し、自由のない生活を送っていた。
さらに、唯一の心の支えだった最愛の妹ネティ(ハリー・ベイリー)とも生き別れてしまう。
そんな中、セリーは自立した強い女性ソフィア(ダニエル・ブルックス)と、歌手になる夢を叶えたシュグ(タラジ・P・ヘンソン)と出会う。
彼女たちの生き方に心を動かされたセリーは、少しずつ自分を愛し未来を変えていこうとする。
そして遂に、セリーは家を出る決意をし、運命が大きく動き出す──。(HPより抜粋)
感想
#カラーパープル 観賞。スピルバーグのリメイクではなくブロードウェイミュージカルの映画化ってところ。伝えたいことは変わらず、歌はパワフル、虐待はマイルド、カメラワークはパッとしない。歌に尺使ってるからスピルバーグのよりダイジェストになってるよねー。髭剃はもっとドキドキさせろよ。 pic.twitter.com/lHOVQGwEWz
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) February 9, 2024
ミュージカルシーンはさすが音楽畑の人って感じで、歌を大事にしてるんでん背負うけど、ドラマを描くことはちょっと弱い。
主人公って、もっと悲惨な人生なんだけど、事情かなんか知らんけど端折ってたり削除してるせいで伝わらないんだよね~。
以下、ネタバレします。
シスターフッドでフェミニズム、それで?
1900年代のジョージア州を舞台にした、男性から人生を搾取され虐待されてきた黒人女性が、男性や社会に屈しない周囲の女性に感化されながら心を保ち、やがて自立していくまでの物語。
スピルバーグのも今回のもほぼ内容も構成も一緒で、基本的には主人公セリーの視点で語られていく辛い、つら~いお話だったんですね。
そもそも奴隷解放宣言後の時代ということもあって、いわゆる敵と見做されるのは白人ではなく、黒人の男性にあたります。
冒頭から生んだ赤ん坊は俺のモノだと奪って他所へやってしまうクソオヤジが登場しますが、正直ここ、何で端折ったの!?と最初から「そりゃないよ!」な始まりでした。
というのも、スピルバーグ版ではその辺をしっかり説明してるんですよ。
一体何があったのかというと、親父から性的虐待を受けてるんですね、セリーは。
これを淡々とセリーがナレーションで語るんですよ、スピルバーグ版は。
なのに、本作はそれをボカして見せてるという。
そりゃ察することはできますよ、一体旦那は誰なんだ、何故親父が赤ん坊は俺のモノだとしゃしゃり出るのか。
その答えは、自分の子、だからなんですよ。
この衝撃の冒頭をなぜボカして始めたのか、俺には意味が分かりません。時代的にアウトだからですか?
いやいや100年以上前の話なんだからボカさなくてもいいだろと。
もうこの時点で僕の心は離れていきました。
とにかくセリーは人生の半分を、親父によって、そして嫁ぎ先の悪魔ミスターによって歪められ咎められ虐げられていく、辛いものだったわけです。
ぶっちゃけ呑気にミュージカルやってる場合じゃないんです。
でもミュージカルやらないと精神が病んでしまうんです。
そういう映画です(ちがう)。
がっつり内容を書くと、嫁ぎ先の男性ミスターとしては妹のネティを嫁にしたかった。だけど親父は頭の良いネティよりもひたむきに働くセリーの方が嫁に相応しいってことで彼女を嫁に出すわけです。
ミスターは妻を失い、全ての男を虜にする歌手シュグに夢中なせいで、一切家事も子育てもしないロクでなし男。
嫁いだ初日から馬車馬のように働かされます。
掃除洗濯炊事に子育てなどなど、自分のやりたいこともできなれけば、夜は旦那の相手をしなくちゃいけないという毎日が地獄の日々。
こんな家政婦でメイドで性奴隷みたいな奥さん、この現代ではありえないですけど、100年前はそれくらい男性優位で女性下位だったんですね~。
しかも、セリーは正直特別美人でもなければ学もなく、一人で何かできるような得意分野もないという。
そんな奴を嫁にもらってやったんだから?俺の言うことくらいちゃんと聞け!というのがミスターの言い分なわけです。アホか。
やがて親父から体を触られた理由で家を飛び出してきた妹ネティを泊めてあげることに。
しかし元々嫁に欲しかったネティを夜這いしようとミスターは画策。
金○マ蹴られて返り討ちに遭いますが、ミスターは銃を持ちだし、豪雨の中ネティを追い出してしまうのであります。
相変わらずのクソ野郎ですね、ミスターは。
スピルバーグ版では、ネティがミスター邸にいる間、セリーに勉強を教えるシーンがあったり、一緒に家事をしながら楽しく過ごす日常を描いてたりしてましたが、その辺は思いっきりカットしてましたね。
そのせいで、姉妹の結束とか絆めいたものが失われ、ラストシーンでの再会にグッと来ないのが勿体なかったです。
やがてミスターの息子ハーポの嫁として登場するソフィアや、ミスターが恋い焦がれていたシュグらの、「誰にも媚びない姿勢」だったり「誰から自由を奪われない姿」に感銘を受けていくセリー。
クソ野郎ミスターの前でも物怖じしないソフィアの姿勢は見ていて爽快ですし、男を虜にしながらも頼りにせず自由を謳歌しているシュグの姿は、本来あるべき女性の姿として映し出され、ミスターに言い返すことすらできずただ脅えてばかりの日々を送っているセリーは、徐々に羨望の眼差しを向けていくのであります。
私もいつかソフィアやシュグのようになりたいと願う力が強くなっていくセリーは、メンフィスへ向かうシュグについていきたいと思うように。
しかしシュグから「すぐ戻るからその時に」と告げられ、再び地獄の日々を送ることになります。
そもそもセリーは、ミスターから追い出された妹ネティからくるはずの手紙を待たなくてはいけない身分で、しかも郵便物に触れさせてくれないミスターのせいで、手紙自体が届いてるかどうかもわからずじまい。
よってここを動くことはできない状態となっているのであります。
しかしシュグが郵便屋さんを対応したことで、ネティからの手紙が来ていること、ネティはまだ生きていることを知り、一気に希望が溢れかえります。
シュグが戻ってきたタイミングで、ミスターに啖呵を切るセリー。
お前がこれまで私にしてきた仕打ちは最低最悪のモノで、それまでの人生が最低最悪なのも全てお前のせいだ、親父がオヤジなら子も子だな、私がいなくなることでお前ひとりじゃ何もできないだろうな、などこれまでの鬱憤を晴らすかのように、感情たっぷりまくしたてるセリー。
ミスターはミスターで、ブスで貧しい黒人なんかどこ行っても何もできやしない、どうせすぐ戻ってくる、口を慎め!しか言い返せない始末。
ようやく晴れて自由の身となったセリーは、シュグの新たな住処で裕福な暮らしをし、父の死去によって故郷に戻ってくるも、実の父でなかったことや、父が持っていた店が自分のモノになってることなど、一気に形勢逆転の人生を送ることに。
母から教わった裁縫の技術で用品店を営み、自分だけの力で人生を謳歌していくのであります。
ざ~っと書いてしまいましたが、これらのエピソードをミュージカルパートで心理描写したり心情吐露しながら、物語は進行していくのでありました。
スピルバーグ版もそうでしたけど、本作はセリーとネティが長い年月を経て再会を果たすことがゴールでありながら、そこにフォーカスを当てるのではなく、あくまで虐げられてるセリーと謳歌するシュグ、言い返せないセリーと言い返すソフィアという具合にペアが組まれ、互いが高め合っていく物語なんですよね。
スピルバーグ版では、まだネティへの思いが消えないように2人の尺を確保したり演出をしていたように感じるけど、本作はもうその辺バッサリカットしてるんですよね。
なので、手紙を見つけた瞬間だったり、ネティがどんな思いで今後にたどり着いたのかという部分が弱いんですよ。
やはり2人の時間が全然確保されてないこともあって、ミスターから追い出された時に、「お願いですいさせてください!」みたいなネティのすがる思いも強度がないんですよね。
ミュージカルなら、そこか走り去っていくネティ、もしくは取り残されたセリーが歌で表現してほしかったなぁ。
そもそも、本作は142分くらいの尺なんですけど、150分あるスピルバーグ版と大して尺が変わらないのに、歌に時間を割いてる分エピソードを描く尺が短いんですよね。
そりゃダイジェストっぽくなっちゃうよなぁと。
そこを切ってまで歌と踊りで表現したかったんでしょうけど、正直歌だけで物語のテーマ性とかメッセージ性とかをカバーできたかというと、微妙かな。
さっきからスピルバーグ版と比較ばかりしてるけど、やっぱあの人だからできる編集力と演出力ってのがあの映画にはあって、それこそ髭剃りのシーンで怒り浸透して殺める決意を表情で見せる辺りとか、めっちゃドキドキするんですよ。
でも本作では髭剃りのシーンをあそこで初めて見せて、ただ剃刀を研いでるところを映して、その後髭剃りのシーンで首根っこを掻こうかどうかって瀬戸際まで見せるだけなんですよね。
あそこもスピルバーグ版はシュグが察知して止めに入るからセーフって言う緊張と緩和があったけど、こっちはそんなことすら知らずに故郷に帰ってきたシュグが。セリーの表情を見て察知するって流れで。
一応それがきっかけでその後の食事のシーンですぐ「セリーを連れてく」っていうので、流れ的には問題ないんだけど、そうしたひとつひとつのシーンでのドラマチックな展開とか劇的な演出ってのが薄れてしまってるので、ドラマとしては及第点になってるよなぁと。
それでもミュージカルシーンはすごかったですけどね。
精神世界のような場所で今置かれている状況を歌い上げる所とか、シュグとデュエットするシーンとか、終盤の洋品店でのパフォーマンスとか、やはりエンパワーメントというかブラックパワーというか、女として黒人として生まれたってだけでマイナスからの人生っておかしくね??
でもそんなの気にしないでマインド一つで人生うまく転ぶぜ!みたいな力強さがあったし、せろー単独で歌い上げるシーンも物語が進むにつれ増えてきて、圧巻の歌声なんですよね。
でも、そこはカメラワークを駆使してさ、よりダイナミックに見せてほしいわけですよ。
最初の方はあったんですよ、街の中でとか、作業員を袖に従えて歌うシーンとか。
でも段々そういうのが減っていって、ワンカットで対象に寄って、歌手のパフォーマンスありきみたいなシーンになっていって。
歌ってるからワンカットなのはしょうがないにしても、ダンスが画期的なものだったりとか、舞台が豪華だったりとかそういうのがもっと見たかったですよね、エンタメとして。
最後に
スピルバーグ版がアカデミー賞取れなかったかリベンジ!みたいな風に見られてしまいがちなんですけど、それってあながち間違ってないようにも思える映画だったというか。
この映画を悲劇として見たいのであればスピルバーグ版の方が萎えますね。
とか言っておきながら悲劇の連発ってわけじゃないんですけど、セリーが親父から虐待されて嫁ぎ先で虐待されて妹引き離されてってのをストレートに見せてますからね。
なんちゅう人生だよ・・・なるのは、明らかにスピルバーグ版ですよ。
ソフィアに至っても白人市長に反発して牢屋にぶち込まれますけど、あれだけ意気揚々としていた人でさえ、牢屋に入れられたらここまで老いるのか凹むのかって反動が本作は弱かったですからね。
あくまで個人的な意見ですけど、ブロードウェイミュージカルでやってたものをそのまま映画でパッケージしたようにも見えて、そこは映画としての工夫をもっとすべきだったんじゃないかなと。
あとは「赦し」ね。ここ大事だなと。
散々やらかしてきたミスターに天罰が下るのだけど、ちゃんと「赦し」を与えるのが本作の良い所。
もちろん改心して自戒し、ディナーに呼ばれるくらいの友人にまでなったし、せめてもの罪滅ぼしとして、ネティの市民権確保のために自分の畑を担保にした行動、何よりそのこと自体をセリーに打ち明けないのがよかったですね。
本作を見て「これだから女ってやつは!」とかいってる時代錯誤な男は現れないと思いますけど、仮にいたとすれば今後取り残されるわけですから、どうか「自分自身を変える」ことを怠らないでほしいですね。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10