夜明けのすべて
パニック障害だとかPTSDなどに縁がないモンキーです。
とはいえ結構直情的だったり短気だったりと感情を素直に表現しがちな生き物なので、色々調べていくと癇癪持ちとか○○症候群みたいなパターンなのかもしれません。
さて、今回鑑賞する映画は、そんなパニック障害を持つ人と、PMS(月経前症候群)という聞いたこともない症状を持つ人との物語。
僕からすればどちらもデリケートに接しないといけないのかなみたいな、いわゆる「腫れ物」のように思えてしまう人の症状に思えて仕方ないんですけど、本作を見ることで視点を変えられるような、寧ろ腫れ物なんかじゃないというイメージを払拭できればと感じております。
好きな監督の映画なので大丈夫でしょう。
早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
『そして、バトンは渡された』の原作などで知られる瀬尾まいこが、瀬尾自身のパニック障害の経験を基に執筆した小説を、「きみの鳥はうたえる」、そして「ケイコ 目を澄ませて」の三宅唱監督の手によって映画化。
パニック障害を抱え無気力に毎日を過ごしている青年と、月に一度、PMS(月経前症候群)でイライラが抑えられなくなる女性が交流しながら、少しずつお互いの殻を溶かし合っていく姿を、感動の搾取や恋愛要素といったありきたりな展開などせず、あくまで人間同士の優しさにフォーカスをあてて描く。
ベルリン国際映画祭に出品されることが決まった監督は、原作からオリジナルの要素を加えたり、舞台となる会社に携わる人間の背景やキャラに血を通わせるよう細かな設定を施したり、ロケーションや天候といった風景にもこだわり、軸となるドラマを際立たせるため、前作同様16ミリフィルムで撮影を敢行。
明けない夜がある中で、それでも光輝く星に希望を見出す人たちの温もりを、見事にスクリーンに反映させた。
主演は、「すずめの戸締まり」や「キリエのうた」など、アイドルの枠を超えた表現を見せる松村北斗と、「カツベン!」以来5年ぶりに映画に出演の上白石萌音。
NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」で夫婦役として共演経験のある2人が、映画でも息の合った掛け合いで作品を盛り上げていく。
他にも、「逃げ切れた夢」「波紋」の光石研、「DISTANCE」「フード・ラック/食運」のりょう、「Winny」「怪物の木こり」の渋川清彦、「牛首村」の芋生悠、「大名倒産」の藤間爽子などが出演する。
その不安や痛みは、誰かと共有することで補える、救いあえる。
あらすじ
月に一度、PMS(月経前症候群)でイライラが抑えられなくなる藤沢さん(上白石萌音)はある日、同僚・山添くん(松村北斗)のとある小さな行動がきっかけで怒りを爆発させてしまう。
だが、転職してきたばかりだというのに、やる気がなさそうに見えていた山添君もまたパニック障害を抱えていて、様々なことを諦め、生きがいも気力も失っていたのだった。
職場の人たちの理解に支えられながら、友達でも恋人でもないけれど、どこか同志のような特別な気持ちが芽生えていく2人。
いつしか、自分の症状が改善されなくても、相手を助けることができるのではないかと思うようになる。(HPより抜粋)
感想
#夜明けのすべて 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) February 9, 2024
誰にでも「明けない夜」ってのがあっても、救いあえる人がいる。
まるで暗闇の中で光る星のように。
目に映るモノ全てが優しくて温かくてタイトルの如く夜明けのすべてがそこにあった。劇的なことはなにも起きないのに素敵なドラマだった。
渋川清彦にもらい泣きだ!!! pic.twitter.com/F0vgkSiWaw
自分を見失いそうになった時、この映画はヒントをくれる。
まるで道しるべとなる北極星のように。
16㎜フィルムで撮ってるだけあって、キャラクターの体温まで感じられる温もり。
松村君と萌音ちゃんの掛け合いも素晴らしい。
以下、ネタバレします。
PMSとパニック障害
冒頭、藤沢さんがなぜ栗田化学で働くことになったのかを明かしながら、本人ンオナレーションで「PMS」の事についての説明がされていく。
月経前症候群なるこの症状は、整理が近づくことで感情のバランスが崩れていき、感情が爆発してしまうらしい。
もちろん藤沢さんの場合はそういうケースのようだけど、他にも色々なケースがあるそうだ。
せっかく入社した会社でもこれのせいでいづらくなってしまい退社。
様々な経験を経て、簡易式のプラネタリウムを製造する栗田化学で働くことになっていく。
5年の月日が流れた後、その会社に入社してきたのが山添君。
感情をぶちまけてしまったことのお詫びでお菓子を配ることが定番となっている藤沢さんも、山添君にお菓子を差し出すが、生クリームが苦手ということだけで断られてしまう。
基本的に藤沢さんは、気遣いの人。
周りに気を使い過ぎた反動が生理前に爆発してしまうように見受けられたけど、正にこの『お菓子を受け取らない」山添君の行動がきっかけとなり、後に彼のちょっとしたことが引き金になってしまうわけです。
山添君はパニック障害を持つ青年ですが、栗田化学から一刻も早く元の職場に復帰したい様子が描かれています。
終盤に流れる彼のインタビューを見ると「なるほど」と理解できるんですが、山添君から見るこの栗田化学の空気は、非常にのどかでやる気を出してる者もいなければ、お菓子を配り合って喜ぶような慣れ合いの強いもの。
恐らく前の会社ではバリバリ働いていたんでしょう、とにかく「やりがい」のある仕事をもう一度やりたい意思が見られます。
とはいえ、パニック障害は非常厄介であることが、その後明かされていきます。
電車に乗れない、外食もできない、髪も切りに行けない、などなど、いつどこで発作が起こるかわからない状態。
だから歩いていける会社で、自宅で自炊して、自分で髪を切らなきゃならないわけです。
主人公となる2人が抱える病は、正直症状が出なければ大したことなさそうに見えるんだけど、だからといって簡単に社会に溶け込んでいけるかとなると、それは難しい様子。
自分をコントロールするのは自分以外誰もいないわけで、そんな自分をコントロールできなくなってしまう辛さって、今の俺には想像できない。
リモコンが効かなかったら電池を変えれば動くけど、それ以前の問題。
でも、想像できないとしても、何かできることはあるんじゃないだろうか、というヒントを与えてくれたのが本作だったのではと感じています。
一言でいうならば「栗田化学のような職場や環境がもっと多く存在すること」に尽きるのではないかと。
そこで働く社員たちは、彼らがそういう病を抱えていることを詮索しない、干渉しない、気持ちを押し付けないという絶妙な距離で付き合ってるということ。
発作が起きれば「大丈夫」と声をかけ、一人一人が行動を起こす。
一旦外に行こうか、今日は休んでいいよ、など、起きてしまったことやそれによる作業の遅れなど責任を負わせず、まずは落ち着かせ、二人が起こした発作による被害を気にさせない配慮をしてるんですよね。
実は藤沢さんと山添君の周囲で起こること2人の背景にも過度な説明がないのが本作の特徴で、それは恐らく作り手側が我々にも「過度な詮索をさせない」ようにさせているように感じたんですよね。
あくまで物語における最低限の説明をしながら、キャラを浮かび上がらせていくというかなり高度な映画の作り方をしているように思いましたし、何より自分以外の誰かがそうした症状を持ったとき、どう接すればいいかを「映画を見ながら体感させてる」ように感じたんですよね。
実際山添君は「ラーメン食ったら味がしなくて眩暈がして、翌日電車に乗れなくなった」という発作になった時のエピソードを語ってましたけど、恐らくそれでも前の会社にしばらく在籍してたろうし、その時の同僚にはパニック障害の事を話していないと語っていたので、上司である渋川清彦にだけ相談したんだろうとか、色々抱えていた仕事の引き継ぎなんかもやってくれていたんだろう、みたいな詮索はできるんだけど、敢えてそこは描かない。
藤沢さんに至っても、高校時代から症状に悩まされていたそうだけど、学生時代にやらかしたこともあったろうし、新卒採用された会社でも描かれていたこと以外で色々やらかしていたに違いなく。
明けない夜は誰にでもある。
また本作で目に留まったのは、本作があくまで「PMSとパニック障害」の事だけを描いた物語ではないということ。
栗田化学の社長と、山添君の元上司の2人は、かけがえのない家族を失っていた過去があることが、二人が通うグループセラピーのシーンで明かされます。
この出会いがきっかけで山添君は栗田化学でお世話になるという経緯が発覚するんですが、要は最愛の人を失ったことで「明けない夜」があることを描いてるんですよね。
正に過去を変えられることはできないけれど、失った悲しみを拭うことはできないけれど、同じ痛みや辛さを抱える者同士で共有したり話を聞いてもらうだけで安らげる場所があることの大切さを、あのシーンで描いていたように思えます。
病も過去の辛いことも、ずっと付き合っていきながら、我々は「生きていかなくてはいけない」、「向き合っていかなくてはならない」わけですが、そういうマインドを決して一人で背負うことが「夜明け」なのではないと。
目の前が真っ暗な暗闇だとしても、見上げれば光り輝く星々が、何万光年も同じように見守ってくれているわけです。
そんな星のような存在に僕らがなれたなら、それこそ「夜明けのすべて」なのではないかと。
・・・なんかJ-POPの歌詞みたいなきれいごとを書いてしまいましたが、この映画見てるとね、自然とそんな気持ちになるんですよ・・・
普段と違う自分になれるんですよw
話がそれましたが、本作の良さをさらに高めてくれた要素が「プラネタリウム」だったと思います。
どうやら原作では登場しない部分らしいのですが、さっきも言ったように「暗闇だとしても見上げれば星が光り輝く」という点が、このプラネタリウムという要素によって強調されていたように思えます。
そして何が素晴らしいって、このPMSとパニック障害という病と、家族を失ったというエピソードが終盤でしっかりつながっていくところですね。
社長の弟さんは20年前に亡くなってしまったそうですが、死因ははっきりと描かれていません。
僕の解釈では自殺だったのではないかと思ってるんですが、その弟さんがかつて録音したプラネタリウムの解説音声から「死んだら星になるといわれますが、そんあことはありません、無になるだけです、昔の人は星になると信じて名前を付けてましたけども…」なんてことを言ってたんですね。
一見ロマンのねえ冷たい解釈だなぁなんて思ってしまうんだけれど、結局それはまだ生きてる人が悲しみをこらえるためだったり、そうであってほしいという願いや騙しみたいなもんなんですわ。
でも、彼が記録した録音テープだったり、残したメモを、最後に藤沢さんと山添君という暗闇の中で光を見つけられない人たちが掘り起こしてリメイクして、利用する=再び光を放つっていう一連の流れが、めちゃめちゃロマンチックだなぁと感じたんですよね。
星は何万光年も変わらず我々に光を届けてくれると先ほど話しましたが、正に社長の弟さんが遺した記録こそが、本作で「星」として藤沢さんと山添君に光を届けてくれてやしないかと。
彼らだけでなく社長もちょっと救われているし(新たに写真が増えたとことか)、移動式プラネタリウムを見に来た人にも影響を与えてるわけで、こういうラストを見せてくれる持っていき方がもう最高じゃないかと。
藤沢さんと山添くん。
こうした点も非常に良かったんですが、そんな深く考えなくとも、藤沢さんと山添くんの掛け合いを見てるだけでも本作は楽しいことを強く言いたい。
2人が抱える辛さは計り知れないということをしっかり見せてくれるので、しっかり受け止めなくてはならない一方で、いつもほんわかの藤沢さんとサバサバしてる山添くんのキャラ萌え感がたっぷりなんですよね。
例えば、パニック障害を抱えてることを知った藤沢さんは、電車に乗れないことを知り、自分の自転車をプレゼントしようと自宅へ持っていきます。
すると、山添君は自分の髪を切ろうとしていた最中で、世話好きの藤沢さんは「わたしが切ってあげよう」と、経験もないのに立候補するのであります。
最初こそ断った山添くんですが、押されて頼むことに。
すると藤沢さん、サイドを横一文字で切ってしまうではありませんか。
しまった!と叫ぶ藤沢さんをみて、慌てて自分でチェックする山添くん。
あまりの一文字ぶりに山添君も爆笑してしまうという、ほんわかした光景が描かれています。
他にも、社内の大掃除中、藤沢さんの発作の症状を察知した山添くんは、彼女を外へ連れ出し、飲み物を買ってくるまで車磨いておいてくださいと指示。
他の人に当たり散らさないように気を効かせた行為なんですが、藤沢さんはどこか納得がいかない様子。
以前自分が飲む炭酸水のキャップを開ける音が、彼女の逆鱗に触れてしまったことで学習した山添くんは、買ってきた飲み物のキャップをしっかり開けて渡すんですよね。
それにも納得がいかない様子の藤沢さん。「それくらい自分でできるんだけど」と。
藤沢さんの症状が出れば、山添くんが巧く流しながらケアし、山添くんがパニックになれば、察知して薬を出してあげたり、ご飯を買ってきてあげる。
互いが互いを理解してるからこそできる行動を見せる一方で、「なんでもPMSのせいにすればいいから便利ですよね」とか「付き合いがめんどくさい人ととの約束もパニック障害のせいにすれば断れるもんね」といった、我々のような者がなかなか言えないようなやり取りもズバズバ言う関係性が、見ていて心地よいんですよね。
もちろんそこに恋愛要素がないからいいし、しっかりそこにも言及してたりするんですよね。
「男女の友情は成立するかはどうでもいいけど、助け合えることはできる」と。
この話も、なぜか俺は藤沢さんを3回に1回は助けられると言ってるのに、言われた藤沢さんは「え、じゃあ山添くんは私の生理を探ってるようなもんじゃない?それってセクハラなんだけど~」みたいに返すんですよねw
なんていうんだろう、このめんどくさくない関係性を見るという尊さw
凄くいいコンビで、そういう点でもずっと見ていたい映画でしたねw
最後に
ホントにこの映画は一一台詞で感情表現とかしないし、劇的なことが起こることもないし、波がたつようなこともない、すごくニュートラルな映画だったんですけど、それでも見ごたえがちゃんとある映画でした。
例えば、山添くんの彼女がロンドンへの転勤が決まったことを告げるために訪れたシーン。
外で話したいと言った後、その後は一切描かれません。
我々が想像することでしか補てんできません。
ですが、敢えてそこを描かない最たる理由は「そこで話を膨らませる必要がない」からです。妙にドラマにしない決断をしてるんですよね。
きっと、色々やり取りがあったんでしょう、行ってほしくないって言ってほしいとか、彼女は言ったかもしれませんし、一人仕事に邁進する彼女を見て山添くんは、もしかしたら自分が行けてたかもしれないと悲観するような描写があったかもしれません。
でもそんな部分は本作に必要ない。
そういう潔さが現れた作品だったかもしれません。
また、藤沢さんの忘れ物を届けに向かう山添くんは、作業着を羽織って出かけます。
このシーンの良さって、それまで一切作業着を着ずに仕事していた山添くんが、栗田化学の一員として「忘れ物を届けにいく」ってことなんですよね。
いちいちそれを誰かが声でリアクションしない、いちいちシーンを止めない。
奥のデスクでただ見つめる社長の姿を見せるだけ。
これだけで、山添くんの意思が見て取れるわけです。
なので、その後前の上司に「自分今の職場で続けていこうと思います」という報告に驚きはしません。
その代わり、ようやく気持ちが固まり微笑みながら語る後輩の姿をみて、つい泣いてしまう上司役の渋川清彦にもらい泣きです…。
ずっと心配で寄り添ってきたからこその喜びを涙で現す涙。
泣くだろこんなの!!
これらを16㎜フィルムで撮るからこそ浮かび上がる温かみがとにかく素晴らしいですし、逆に夜の街を映す光景は、デジタルでは出せない解像度だからか、街の輪郭を捉えることはなく、街灯やマンションの光がどこか夜空に浮かび上がる星々にも見える光景になってるんですよね。
もしかしたらこれから自分の身にも起きるかもしれない辛いことや症状。
そんな時はもう一度この映画を見て処方してもらいたいし、救いあえるような存在になりたいですね。
・・・そういや親指で月を隠す映画って、なんでしたっけ?
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10