モンキー的映画のススメ

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主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「キリエのうた」感想ネタバレあり解説 アイナの歌声が全く響かないのは岩井俊二のせい。

キリエのうた

若い時にハマった監督の映画を、10数年後見返すと全然違う映画に見えるってことあると思います。

いわゆる「見方が変わった」というやつ。

時に高い評価に変わることもあれば、下がることもあって、どちらに転んだとしても自分にとってはすごくいい経験になるな、ここ最近自宅で映画を観返すときにすごく感じることです。

 

そんな「若かりし頃にハマった監督」の新しい作品を今回観賞します。

それは岩井俊二

ハマったといっても、「打ち上げ花火~」とか「Love Letter」、「リリィ・シュシュのすべて」くらいで、「スワロウテイル」も「花とアリス」も観てねえっていうw

そもそも映画自体大してハマってなかった頃で、そんな中「あ。この人のは好きだな」ってふわっとした思いだけがずっと残ってたんですよね。

 

で、そんなイメージのまま観賞した「ラストレター」がそこまでだった…と。

俺も年取ったな、そんな気持ちでしたw

 

じゃあ今回なぜ見に行くのかってのは、そりゃ愛してやまないMrchildrenを育てた小林武史が音楽に加わって作られた「音楽映画」だからであります。

 

あの頃の気持ちを取り戻せるような物語なのか。

早速観賞してまいりました!!

 

 

作品情報

90年代の日本映画に新たなシーンを作り上げ、時代を生きる若者たちの眩しいほどの輝きと苦しいほどの痛みを惜しみなく照らしてきた岩井俊二が、盟友である音楽プロデューサー・小林武史と再びタッグを組み「音楽映画」を製作した。

 

石巻、大阪、帯広、そして東京を舞台に、13年間に及んで出会いと別れを繰り返す4人の旅路を、キャラクターが歌い上げる音楽とともに、魂の救済を壮大に描く。

 

伝説的グループ「BiSH」を経て、現在はソロとして活動するアイナ・ジ・エンドが、歌うことでしか“声”が出せない路上ミュージシャン・キリエ役で映画初主演を果たし、本作のために6曲を制作。スクリーン越しに圧巻の歌声を響かせる。

 

他にも「すずめの戸締まり」で見事なボイスパフォーマンスを見せた松村北斗(Sixtones)が、姿を消したフィアンセを捜し続ける青年・夏彦役を、「リップヴァンウィックルの花嫁」で主演を担当した黒木華が、傷ついた人々に寄り添う教師・フミ役を、そして「ラストレター」で一人二役を演じた広瀬すずが、キリエのマネージャーを買って出る謎めいた女性・イッコを演じ、それぞれがその役割を果たしながら物語に奥行きと深みを与えていく。

 

また本作は「音楽映画」ということもあり、大塚愛石井竜也安藤裕子七尾旅人など、本業がミュージシャンである者たちが演者として参加、他にも江口洋介奥菜恵樋口真嗣など岩井俊二作品に縁のあるメンツ、そしてロバート・キャンベル粗品(霜降り明星)といった他ジャンルのタレントも出演するなどバラエティに富んだ出演陣となった。

 

東日本大震災による失われた日々にも言及した本作。

キリエのうたはわたしたちにどのように響くのか。

 

 

 

 

あらすじ

 

住所不定の路上シンガー、キリエ(アイナ・ジ・エンド)は歌うことでしか“声”を出せない。

 

ある夜、過去と名前を捨てたという謎めいた女性イッコ(広瀬すず)が、キリエの歌を聞いてマネージャーを買って出る。

 

彼女たちは、石巻、大阪、帯広、東京を旅する。

やがて、行方不明の婚約者を捜す青年・夏彦(松村北斗)、傷ついた人々に寄り添う教師・フミ(黒木華)、4人の人生が交差する。(Movie Walkerより抜粋)

youtu.be

 

 

感想

人を轢きつける声の持ち主と、彼女を支える人たちの13年間の物語。

音楽映画と銘打っておきながら、寄り道ばかりの13年間を見せられ、心を動かす力を持つ音楽を全く活かせてない駄作級の映画でした。

岩井俊二を卒業します。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

結局何が言いたいねん。

2010年の石巻、2011年の大阪、2018年の帯広、そして2023年の東京を舞台に、主人公キリエがどのように過酷な人生を歩み、彼女を支えた人たちがどのような道を歩んできたかを巡る179分。

 

ざっくり経緯を説明するとするとしましょう。

時系列で言うと、夏彦(松村北斗)と希(きりえ)(アイナ・ジ・エンド)は1歳違いの恋仲だが、希は妊娠。

大学受験を控える夏彦の気持ちは揺れるばかりだったが、大阪の医大に合格できたことを機に、希との結婚を誓うことに。

 

しかし震災が起きたことで、希と彼女の母は行方不明になってしまう。

 

希の妹・路花(るか)は、一命をとりとめたものの身寄りがなく、唯一の頼りは姉の恋人である夏彦だった。

そのため、彼がいるであろう大阪へ向かうため、トラックの荷台に乗り込み、一人旅立つのであった。

 

2011年大阪。

小学校の教師をしている風美は、生徒が話していた「イワン(言わん)」と呼ばれている少女の事が気がかりになり、夜の古墳に向かう。

する時の上で彼女を見つけ保護することに。

 

彼女が寝ている間にランドセルを調べると、石巻市の市外局番が掲載されていた病院の名刺と、彼女の名前「小塚路花」という名前を知る。

たまたま見つけた同じ苗字の女性を探しているSNSアカウントに連絡を取ると、そこにやってきたのは夏彦だった。

 

路花を預かりたい夏彦は、風美と共に児童相談所に連絡するも、二人とも血縁関係にないため離れ離れになってしまう。

 

孤児院で幼少期を過ごした路花は、夏彦のいる帯広の牧場付近の高校に進学。

暇を見ては夏彦の家に転がり込んでいた。

 

夏彦は、牧場の社長からの頼みで、女子高生・真緒里(広瀬すず)の家庭教師を務めることに。

彼女は進学する気はなく、そのまま家のスナックを継いで、女を武器に切り盛りするものだという「避けられない運命」のまま生きるつもりだったが、母と恋仲になった牧場の社長が「娘さんの学費を全額負担する」という言葉を発端に、この運命から逃れることを夢見て受験勉強に勤しむ。

 

真緒里の部屋には、どこかで暮らしているであろう父が置いていったクラシックギターが置かれていた。

ギターの経験がある夏彦は軽く演奏を披露し、真緒里と仲を深めていく。

そして夏彦は、真緒里の1コ下である路花と友達になってほしいと依頼。

真緒里は路花と仲良くなっていく。

 

夏彦は当初、真緒里のことを路花に「妹」と紹介していたが、血の繋がっていない間柄であることや、複雑な事情を経てそうなったことを明かす。

 

ギターを教わりながら仲を深めていった真緒里と路花と夏彦。

 

やがて真緒里は東京の大学へ進学。

その後児童相談所からの要請で、夏彦と路花は再び引き離されてしまうのだった。

 

2023年東京。

路上ミュージシャンとなった路花は、新宿駅南口で「キリエ」と名乗って演奏しながら生活していた。

そこを偶々通った水色のウィッグをつけた女性が、キリエの前を通りかかり1曲披露してとリクエストをする。

 

彼女を歌を気に入った女性は、彼女を家に招き、共に生活をすることに。

実は彼女は帯広で仲の良かった真緒里であり、今はイッコと名乗っていた。

姉の名前を名乗ってミュージシャンとして活動していた路花の曲に感銘を受けたイッコは、彼女のマネージャーになると宣言。

人脈を使ったり積極的なプロモーションを仕掛け、徐々にオーディエンスを増やしくことに成功する。

 

イッコが住んでいた家は元カレの部屋だったことから、今度はナミダメと名乗る中年男性の家に転がり込むことに。

音楽プロデューサーの目に留まったキリエは、少しずつプロへの道を歩んでいくが、突然イッコは「温泉に行く」と言い残し姿を消してしまう。

 

キリエのファンを公言する路上ミュージシャンが、徐々に彼女のもとに集まり、彼らを中心にした「路上主義フェス」を催すことが決定。

 

しかしナミダメの家に戻ると「イッコちゃんは結婚詐欺で指名手配されている」ことを知る。

騙されていたことに自我を忘れてしまったナミダメはキリエに暴行を働こうとするが、キリエが突如過呼吸を起こしたことで未遂に終わる。

 

イッコと再会したキリエは、フェスに招待するが、イッコは目的地へ向かう途中男に刺されてしまう。

フェスも許可を取ってないことから警察が介入し途中で中断することに。

 

そしてキリエは、一人再び東京の地で歌を歌うのだった。

 

 

・・・というのが時系列的な流れです。

劇中はこれをシャッフルして構成されており、なぜキリエの過去や家族の身に起きたこと、自身の半生や、周囲の人たちがどのように繋がっていったのかを、少しずつ明かしながら物語を展開した構成でした。

 

アイナの声はやっぱり苦手

これ「音楽映画」って公式には書いてあるんですね。

だからBiSHという伝説的なグループで活躍したアイナをメインに起用して、音楽が如何に人生に寄り添ってくれるかを描くお話だろうと思って臨んだんですが、僕の中にある音楽映画の定義である「心を動かす」ような編集や演出がまるでできてなくて、何の感情も沸かなかったんですよね・・・。

 

もうその時点で「つまらない」という判断を下したかったけど、別の視点で見たら何とかなるかもと、179分もの長尺の作品を見続けたわけですよ。

 

で。結局何の気持ちも生まれなかった…。

 

凄く簡潔に言うと、4つの時代を描いてはいるけど、メインとなる時代がどれなのかわからないくらい明確な「軸」がなく、また画的にどの時代もトーンが同じで、今どこで誰がどのような状況でどのような気持ちになっているかといった「区別」がないんですよ。

 

13年間で劇的に変わってるのは路花だけで、あとはみんな同じなんですよ。

もう松村北斗なんか、ず~っとナヨナヨしてるだけで、一体そのお前はいつの時代の夏彦なんだ!?と。

大体今どこかってのはわかるけれども、意識的な区別ってのを、作る側も演じる側も考えてやってほしいなと。

 

さっきも言いましたけど、物語の軸がどこの時代なのかがわからないのにはもう一つ理由が。

普通、軸となる時代を2023年の東京とするのならば、その時代の物語を進行しながら「回想」として描くのはセオリーだと僕は思ってるんですが、本作は軸となる時代が明確になってないことはおろか、過去にさかのぼってからさらに「回想」で遡るというぐちゃぐちゃな構成なんですよね。

 

だから多分軸になってるであろう2023年の東京が、今どういう状況なのか忘れてしまうほど、過去を描くのが長いんですよ。

それはきっと、夏彦と路花の姉・希の馴れ初めから愛を深めていくまでをじっくり描きたい意図なんだろうとか、2011年に起きた東日本大震災を絡めたいっていう意図があるせいで尺が長くなってしまったんだろうと。

 

でも、思い返せばその震災を絡めたところで、音楽に直結しないエピソードなんですよね・・・。

例えば、姉と母を失った悲しみから未だ解放されず、引きずってる夏彦の塞ぎがちな心に寄り添う音楽が流れることで、回収できることだってできるのに、いざ路上主義フェスの観客の中に夏彦がいなかったり、全ての登場人物が「あんな辛い出来事のせいで踏み外した人生だったけど、それでも何とかして生きてきた」という証のような姿が、音楽を通じて描かれてないんですよ。

 

断定しちゃうとあれですけど、俺にはそう思えて仕方なかったし、なにより主人公である路花=キリエ自体が、一体何を原動力にして音楽を生むのか、そして自分の子供でもある歌を受け取った人たちや、周囲の人たちがどのような変化を起こすかといった描写がまるでなくて、テーマもそうだし音楽もそうだし、とにかく「観てられない」気持ちになっていったわけです。

 

 

さらに言いますと、これはごく個人的なことですが、僕はアイナ・ジ・エンドの歌声が非常に苦手なんですよ。

葛城ユキみてえなしゃがれた声でメンヘラっぽく喋るキャラクター像は、好きにはなれないけどとりあえず受け止めるとして、あのいかにも喉がつぶれてしまういそうな苦し紛れな歌い方が、どうしても「ノイズ」でしかなくて。

 

一応真面目に彼女の歌声を聞くと、しゃがれた歌声の中に、愛への渇望を感じたり、それ故に漂う哀愁みたいな感情を受け取れることはできて、「表現者」というカテゴリーにおいては一定の評価をできるのだけれど、単純に俺の耳が受け付けないわけです。

 

そうした凝り固まったイメージを払拭できるのかなと思って臨んだわけですけど、「歌以外声が出ない」設定のキャラ故に、余計苛立ちを隠せなくて、無理でした。

 

しかも今回路花と希姉妹を、アイナが一人二役で演じてるんですよね。

物語が余計にややこしくなる要因だったので、出来れば別の俳優を使ってほしかったんですけど、アイナ自身ももう少し演じ分けてほしかったですね。

姉は喋れるけど、ハキハキしてない。

妹は声が出ない設定だけど、途中から喋れるようになってる。

せめて妹の設定は最後まで徹底して「歌以外喋れない」方がよかったかなぁ。

声を忘れたカナリヤみたいな感じで。

 

 

どうでもいいですけど、夏彦って浮かばれたんですかね~。

実家が病院てことから医者を目指したわけだけど、希と出会って妊娠させたことで、第一志望の大学がダメで、しかも震災で恋人失って、ボランティアしながら姉妹探して、里親とうまくいかない路花が家に転がり込んできたせいで、児童相談所から目付けられて、しかも路花が警察の厄介になってるってんで北海道から飛んできて、結局路花と再会して泣いてしまうって。

 

一番辛いのって彼だと思うんですよ。

人生狂わされてますからね~。

だからこそキリエのうたで報われてほしかったんですけどね~。

何で描かんの?そこと。

 

イッコに至っては、結局女を武器に生きてきた家系に呪われてたってことを示唆した「結婚詐欺」だったとおもうんですけど、音楽プロデューサーにもそういう働きをかけたんでしょうか。

この設定って果たして必然だったのかなぁ。

 

 

また今回色んな人が登場してましたけど、一番ズルかったのは粗品ですかねw

今回小林武史が音楽を監修してますけど、粗品は正に小林武史のようなキャラでしたねw

キリエのファンとしてバンドメンバーに加わり、ただ厚みを増しただけのアレンジに、「チェロとかサックスとかをちょっとずつ足していった方が、彼女の歌の邪魔にならないんじゃないか」とか一丁前に喋ってましたし、何より隅の方でヘッドフォン片手に鍵盤引いてる姿がハマってるというw

 

そうそう、今回一番褒めるべき点は「皆演奏は嘘ついてない」ってところですかね。

多少の当て振りはあるかもしれないけど、松村北斗も村上虹郎も粗品ももちろんアイナもちゃんと楽器引いてましたね。

ここで嘘ついてたらマジでクソ映画認定ですからw

音楽映画じゃないですからw

 

ただね、松村北斗が演奏と歌を始めた途端、1階であんな音の漏れ方はしませんからね。

もうそれカラオケボックスの音漏れですからw

 

所々変なのありましたよね~。

屋外でアンプ繋がってないのに、そんな音でないだろとか。

フェスやるのに許可取ってねえとかありえんだろとか。

 

そういうツッコミを加味したとしても、僕にとっては駄作でした。

 

 

最後に

もう結構嫌な気分な映画でしたね。

震災の時になんで風呂入った後の映像にしたのかも意味わからないし、ナミダメに強姦されそうになるときに「お願いします」とか「ありがとうございます」とか言わせる脚本も気持ち悪いし、足だけだけどシャワーシーン挿入したりと、やたらアイナを脱がせる意図が分からん。

 

それと広瀬すずにやたらコスプレ色強めの衣装をさせるのも、監督の趣味としか見れない点もありましたね。

色んな男を騙す、あるいはそういう男たちから身を隠すためって暗喩がこもった着せ替えなのかもしれませんが、女優を自分のおもちゃのようにして遊んでるようにしか見えず、気持ち悪かったですね。

そもそも広瀬すずに、ああいうウィッグは似合わないんですよ、ええ。

そのままが魅力的なんですから。

 

 

色々書きましたけど、この映画も結局最近流行りの「物語を描く気がない」パターンの映画だったように思えます。

全て繋がってるようで繋がってない、エピソードを繋げただけの構成、みたいな。

3時間かけて語る映画じゃないですからこれ。

もっと軸の時代を作れ、もっとメリハリある構成でやれ、音楽映画なめんな。

これに尽きます。

 

映像がキレイだからなんだっての。

夜のシーンが見づらくてしゃあないわ。

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆★★★★★★★★2/10