ゴースト・バスターズ3:アフター・ライフ
80年代に流行した映画のリメイクや続編が最近ヒットする傾向にありますが、一体いつになったらブームは終わりを告げるのでしょうかw
といっても今回の場合色々と思い入れがあり、非常に期待値を高めております。
幼少期全くと言っていいほど映画に触れてこなかったんですが、「ネバーエンディングストーリー」とこれだけは別格。
科学オタクと口だけ達者なオジサン3人組が、ニューヨークに巣食うお化けを退治するコメディ映画「ゴーストバスターズ」は、トレードマークはもちろんのこと、マシュマロマンや主題歌が人気となり、続編を製作するまでの大ヒットとなりました。
あれから30年。
主演のビル・マーレイとハロルド・レイミスは「恋はデ・ジャブ」を皮切りに不仲となってしまい、解消はしたもののハロルドは他界。
彼が演じたイゴンの孫を主人公にした本作を、かつて監督をしたアイヴァン・ライトマンの息子ジェイソンが製作するんですね。
しかも、主演を張るのは「ギフテッド」での名演技が記憶に新しいマッケナ・グレイスちゃんと、「ストレンジャー・シングス」で本作のコスプレをした経験のあるフィン・ウルフハード。
何が言いたいって「熱い!!」のよ、俺の中で!!
映画の外側で既にドラマがあるわけよ!!
これ一応コメディよ?
どんなドラマにしちゃうわけ?
早速観賞してまいりました!!
作品情報
1984年に大ヒットした映画「ゴーストバスターズ」、「ゴーストバスターズ2」は、主演のビル・マーレイの演技の高評価やマスコット、トレードマーク、主題歌などが人気を呼び社会現象を巻き起こすほど記憶に残る作品となった。
かつて監督をしたアイヴァン・ライトマンの息子で、アカデミー賞でノミネートされる実績を誇るジェイソン・ライトマンがメガホンを取り、約30年ぶりの続編を製作することに。
ゴーストたちを退治しニューヨークを救った「ゴーストバスターズ」の一員イゴン・スペングラー博士の孫が、引っ越した田舎町で起こる超常現象を解決するため、祖父の力を借りてお化け退治に挑む姿を描く。
2016年に製作された女性だけで編成された「ゴーストバスターズ」とは違い、1と2の正当な続編として作られた本作。
には、当時の出演者も勢ぞろいし、イゴンを演じたハロルド・ライミスへの思いを胸に熱演。
また次のハリウッド映画を背負って立つであろう子役たちの競演も見逃せない。
親父が作った作品を子供が引き継ぐ本作。
一体どんな思いが込められた続編になっているのだろうか。
あらすじ
30年間にわたり原因不明の地震が頻発する田舎町。
そこで暮らし始めたフィービーは、祖父が遺した古びた屋敷で見たこともないハイテク装備の数々と〈ECTO-1〉と書かれた改造車を発見する。
科学者だった祖父イゴン・スペングラー(ハロルド・ライミス)は〈ゴーストバスターズ〉の一員で、30年前にニューヨークを襲ったゴースト達をこの町に封印していた。
地震の原因がゴーストの仕業だと突き止めたフィービー(マッケナ・グレイス)。
「なぜこんな場所に封印を?おじいちゃんが死んだとき一体なにが?」…
祖父がこの町に隠した秘密に迫ろうとしたその時、ゴースト達の封印が解かれ、町中にあふれかえる。
いま、ゴースト達の復讐劇が始まる――(HPより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、ジェイソン・ライトマン。
「ジュノ/JUNO」や「マイレージ・マイライフ」、「ヤング≒アダルト」、「タリーと私の秘密の時間」など、多くのコメディテイストなドラマを手掛けてきた監督。
ここ最近は「フロントランナー」や「とらわれて夏」など、これまでにない毛色の作品に挑戦するも、良い評価をもらえず苦戦していた印象があります。
そもそも「ゴーストバスターズ」は配給側からすれば大作扱いであり、インディペンデント作品ばかり製作してきた監督からしたらかなりの挑戦。
10年の構想があったにも拘らず、父や出演者が偉大過ぎて中々決心がつかなかったそうですが、「ゴーストバスターズ」でイゴン博士を演じたハロルド・ライミスの死をきっかけに新たなアイディアが浮かび、製作に乗り出したと語っています。
それが本作の主人公フィービー。
彼女を通じて、祖父やオリジナルメンバーとの接点が生まれ、30年という時間を紡ぐ物語になると確信したそうです。
なんか製作秘話を聞いただけで涙が…。
果たしてどんな作品に仕上がってるのでしょうか。
ユーモアセンスは監督の過去作を見てる人なら安心ですよね!
キャラクター紹介
- フィービー(マッケナ・グレイス)・・・スペングラー博士の孫で、祖父譲りの知能を誇る。シングルマザーの母と兄と共に、祖父が遺(のこ)した農場に引っ越してきた彼女は、荒れ果てた家の地下室でプロトンパックを発見し、ゴースト騒動に巻き込まれていく。
- トレヴァー(フィン・ウルフハード)・・・思春期まっただなかのフィービーの兄。町のドライブスルーレストランで働き始めるが、同僚のラッキーのことが気になる様子。
- キャリー(キャリー・クーン)・・・フィービーとトレヴァーの母親でスペングラー博士の娘。疎遠だった父親のことはほとんど知らず、死を知らされてもわだかまりは消えていない。
- グルーバーソン先生(ポール・ラッド)・・・フィービーが通う学校の教師。学者でもあり、サマースクールでも科学の授業そっちのけで、町で頻発する地震の研究に没頭している。フィービーのお母さんといい感じ?
- ポッドキャスト(ローガン・キム)・・・フィービーの同級生。超常現象や陰謀論の信奉者で、インターネット音声放送(ポッドキャスト)を配信しており、常に録音機器を抱えている。
- ラッキー(セレスト・オコナー)・・・町のドライブスルーレストランで働くトレヴァーが恋する女の子。(シネマトゥディより抜粋)
父が手掛けた映画の続編を息子が製作するってだけで既に熱いものがこみ上げてきますが、果たして。
ここから観賞後の感想です!!
感想
#ゴーストバスターズ アフターライフ観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2022年2月4日
あぁジェイソンライトマンぽい。
でもって、これは夏休み映画だろ🥺🥺🥺 pic.twitter.com/01nYNTGcMy
これは泣いちゃうな…
80年代ジュブナイル映画感を踏襲しつつ、監督の作家性も見せた「素敵な」続編。
見た後、自分のルーツを辿りたくなっちゃうよ。
以下、ネタバレします。
もしも自分のじいちゃんが…
祖父の家がある田舎町に越してきたスペングラー一家が、祖父のレガシーを追いながら町で起きた大地震の原因を追究していく物語は、ゴーストバスターズファンには溜まらない過去作へのオマージュから同窓会レベルの大集合に歓喜すること必至のほか、郊外で起きた事件に首を突っ込む少年少女たちの大冒険というエッセンスと、親子3代に渡って紡がれる家族の物語にしたことで、老若男女楽しめる娯楽大作でございました。
いきなり自分の話ですいません。
このブログでは何度も「元ミュージシャン」という肩書を使って、浅はかな音楽の知識や細かい指摘等を語る癖があり、音楽をやめてだいぶ年月が経ってるのに未だ思いの強さがこういうところで出ちゃうなぁと嬉しくもあり恥ずかしくもある感想を書いてます。
そんな自分がなぜ音楽に没頭したのか。
別にうちは音楽一家でもないし、両親が音楽をこよなく愛していたわけでもなく、楽器演奏者でもないです。
多分自分で勝手に好きになり、いつしかミュージシャンになりたいなんて大それた夢を抱いたんだと思います。
ですが、どうやら母方のじいちゃんが「ジャズ」をこよなく愛していたんだそうです。
具体的にはただの愛好家なのかプレイヤーだったのかはわかりません。
ただ白いスーツを着こなしてジャズに没頭していたという話を、子供のころ聞いたことがあります。
この話を爺ちゃん本人から聞かされた記憶はなく、あくまで母か祖母から「らしい」という程度で聞かされただけです。
それも亡くなった後に。
あくまで勝手な憶測であり「そうであったらいいな」という願いでもあるんですが、俺が音楽に没頭した理由は、じいちゃんの血を受け継いでいたからなんじゃねえかと。
そう考えると「妙に裏でリズムとってるな」とか、「スウィング系の音楽につられる」とか、こじつけだけど合点がいく箇所がいくつかあるなと。
ただこれは「ふ~ん」で終わってしまった話。
残念なことにこれ以上深掘りしなかったのです。
人間生きてれば後悔することがたくさんありますが、僕が後悔していることのひとつは「なぜ爺ちゃん自身にこの話を聞かなかったのか」ということ。
この話を受けてもっと爺ちゃんと距離を縮められたのに、じいちゃんからジャズの面白さを直接聞けたかもしれないのに。
あの頃の僕は「ウルトラマン」ばかりで音楽の「お」の字も頭の中にはなかったんです。
もし聞いてれば僕の音楽人生は違った道を歩んでいたかもしれない。
本作を見てそんなことを思い出しました。
なぜこんな話をしたのかというと、本作は「家族のルーツを辿ることで、時代を越えて祖父と孫、祖父と母が繋がっていく物語」だからです。
主人公フィービーは科学を愛する少女ですが、母親は科学アレルギー。
離婚した父はダメ亭主だったそうで、彼女がなぜ科学に没頭しているのかルーツがないのです。
ですが、祖父の家に引っ越してきたことをきっかけに、化学が好きな理由は祖父にあったことを知るんです。
しかもその祖父は、かつてNYをお化けから救った伝説の男。
さらに、なぜ母と険悪になってしまったのか、この田舎町で一人寡黙に行動していたのかを知ることで、祖父の偉大さに触れるのです。
また本作は「ゴーストバスターズ」を手掛けたアイヴァン・ライトマンの息子ジェイソン・ライトマンが監督をしています。
きっと子供の頃、親父がやっていた仕事を近くで見ていたことでしょう。
親父からたくさん話を聞いたことでしょう。
そして運命のめぐりあわせで、親父が作った作品を自分が作ることになった。
フィービーを監督と思ってみていくと、不思議と涙がこみ上げます。
多分親父が使っていたカメラを触った時のように、プロトンバックに触れるフィービーのシーンを撮ったんだろうなぁと。
専用車ECTO-1然り、捕獲装置然り、地下に降りる滑り棒だったり、全て親父が作ったものに触れる姿は、監督が当時味わった感覚だったんだろうなと考えると、なんて素敵な続編なんだと。
だから自分のルーツが爺ちゃんにあったかもしれないという衝動が、なぜあの時起きなかったんだろうという後悔を思い出させてくれたのと同時に、自分のルーツってやっぱり家族からなんだよねってこと、でもってそれを追うことが案外アドベンチャーだったりするんじゃない?っていうワクワク感を与えてくれた映画だったと思います。
グーニーズとかE.T.とかグレムリンのような感覚
本作は亡くなった祖父の面影を追いながら家族の絆を描く物語であったと同時に、80年代のジュブナイル映画を思い起こさせてくるアドベンチャー映画でもありました。
幽霊なんていない、人間は魂の入ったお人形のようなモノ。
そう考えるほど心霊現象を信じず科学オタクのフィービーは、勝手に動くチェス盤の駒を不思議に思い、相手のいないはずのチェスを始めます。
朝起きると、次の一手が打ってあることに気付いたフィービーは、おじいちゃんが座っていたであろう椅子の下に落ちていたPKEメーターの信号を頼りに家の中を進んでいく。
離れの地下室にたどり着くと、そこにはかつて祖父がゴーストバスターとして活躍していた頃に使っていたガジェットやコスチュームが並んでいました。
この辺りは子供ながらに何か秘密を手に入れた、お宝を見つけたかのようなワクワク感溢れる導入。
しかもここまで導いてくれたのは、今まで信じていなかった幽霊であり、かつての家主であるおじいちゃん。
プロトンパックを手入れしたいが、ペンチがない。
そんな時は、おじいちゃんがライトを照らし場所を示してくれる。
言葉もなければ姿もない、しかしそこにおじいちゃんは存在する。
非現実的でありながらロマンを感じさせてくれるこの演出にはやられました。
さらにフィービーはいわゆるコミュ障。
巧いジョークの一つも言えず、ただただ科学に没頭する彼女がそう簡単に友達を作れるはずがなく、母も兄のトレヴァーも心配気味。
しかしサマースクールに行くと、陰謀論やミステリー、オカルトが大好きな少年ポッドキャストに出会う。
しかも先生は、授業をすることに全くやる気がなく、自身で研究してる「町の地震」について調べていた。
普通の子たちとは話が合わないが、自分の似たような傾向を持つ人たちとはコミュ障どころか対等に会話できるわけで、フィービーは仲間を見つけたことと、この町で起きてる事、そしておじいちゃんと自分の関係を突き詰めていくことで、ひと夏の大冒険に出くわすわけです。
また兄のトレヴァーも田舎町で出会った素敵な女性に一目ぼれし、郊外で育った人ならではの閉塞感や彼女が抱く将来に対する希望の薄さを知りながら、この町で何かが起きていることに遭遇し、兄妹揃っておじいちゃんがやり遂げられなかったことに挑むのです。
フィービー12歳、トレヴァー15歳と3つ離れた兄と妹。
そこに同級生とハイティーンな女子が加わることで、新生「ゴーストバスターズ」が誕生していく流れと構成は、どこか「グーニーズ」を想起させます。
さらに「郊外の町で起きている不可解な現象」という設定が、トレヴァー演じるフィン・ウルフハードが主演した「ストレンジャー・シングス」のように、80年代作品で良く見受けられる設定。
チャリンコこそ登場しないものの、無免許でありながら「ECTOー1」に乗って町で鉄を食うゴースト相手に戦う姿は、未成年でありながら法など関係なしにやりたい放題やってしまう未熟さと、目の前のことに夢中な彼らを追体験できる素晴らしさがあるのです。
恐らく監督自身が子供時代だった80年代を意識した結果だと思います。
グルーバーソン先生が授業で見せる映画が「クジョー」や「チャイルド・プレイ」であったことや、「ゴーストバスターズ」自体も84年と89年。
小っちゃいマシュマロマンが、スーパーマーケットの中やポッドキャストらを襲う感じは「グレムリン」を彷彿とさせますし。
同窓会みたいだ
これはもう絶対登場すると思ってましたが、かつての「ゴーストバスターズ」たちが出演します。
イゴンの家の事で色々アドバイスをしてくれたのが、かつて「ゴーストバスターズ」で秘書をしていたジャニーンでした。
赤いメガネをしていたので過去作を見ている人なら一発でわかったことでしょう。
彼女のシーンは1シーンだけでしたが、最後も登場しますのでお楽しみに。
物語は中盤、フィービーがおじいちゃんの過去を知るために、かつてTVで流れていたゴーストバスターズのCMをYouTubeで眺めます。
そこに出ていた電話番号をあらかじメモしていたフィービーは、警察の厄介になった際、その番号に電話を掛けるんですね。
すると電話はかつてのゴーストバスターズのメンバーで、オカルト専門書店を経営してるレイに繋がるのでした。
イゴンの事を聞きだそうとするフィービーでしたが、ゴーストバスターズは借金だらけなことや、お化けを全部退治したせいで不況になったこと、ピーターの現在や装置を全部持ち出して消えてしまったイゴンの話など、あまりいいことを聞くことがありませんでした。
警察官が勝手に切ってしまったことで会話は終わってしまいましたが、フィービーはレイに「私はイゴンの孫」であることを伝えます。
そして物語は終盤。
おじいちゃんの家自体トラップであることを知ったフィービーは、破壊神ゴーザをおびき寄せ、捕獲装置で捕らえようとしますが、ゴーザの力は半端なく失敗に。
そんな時に待ってましたと、レイ、ピーター、ウィンストンが、あのコスチューム姿にプロトンパックを背負って登場。
「ゴーストバスターズ」の1作目のクライマックスで、神の例え話を上手く言えなかったことを弄られたレイは、今度こそはとしっかり演説。
それを追うようにゴーザと自身の男女関係をジョークとして語るピーター。
このやり取りは過去作を見ている人にとっては懐かしさ極まる瞬間だったのではないでしょうか。
この後も、更なる感動が待っています。
具体的なことは避けますが、「スター・ウォーズ/ジェダイの帰還」のような演出でしたし、僕が真っ先に思いだしたのは「ドラゴンボール」でのセルゲームでのトドメの一発。
まさか悟飯がフィービーと重なるとは思いもよらず涙…。
やはり本作はイゴン演じたハロルド・ライミスへ向けた物語。
実際死者をCG合成で見せる演出は賛否出るかと思いますが、僕は本作に関してはアリだと思います。
その最たる理由はピーター演じるビル・マーレイのリアクションにあるのかと。
30年ぶりにゴーストバスターズが横一列出そろった際、レイとウィンストンは「来ると思った」、「久しぶり」などと声を掛けますが、ピーターだけは声を掛けずただ見つめるだけなんです。
これまで不仲説のあった二人はライミスの死直前に和解したそうですが、彼への思いがあの無言の眼差しから色々感じ取れると思うんです。
そのためにはあの演出は欠かせない気がするんですよね。
映画の外側でもドラマが起こっていた本作は、現実とフィクションを越えた感動的作品だったと思います。
最後に
正直言うと「ゴーストバスターズ」って80年代のノリがいっぱい詰まった作品で、映画的に歴史に残るような大傑作ってわけでもないんですよw
ビル・マーレイやダン・エイクロイドといったサタデーナイトライブ出身のコメディアン俳優の掛け合いやジョークが楽しい作品なので、こういうシリアスな作風にされても困るよ!って人は多いかなと。
ただアイヴァンがノリ重視の人なら息子のジェイソンはドラマ重視のユーモアセンスなので、こういう作風にしたのには息子なりのこだわりがあったからなんだろうなと思いたいです。
てか、俺はこれはこれで大好き。
あ、今回はエンドクレジットが2つあります。
ひとつは「ゴーストバスターズ」でピーター初登場のシーンをパロッたシーン。
ひとりお忘れですよね。
あの人が登場します!
そしてラストは続編を匂わせるシーンと、ウィンストンとジャニーンの会話。
ECTO-1はどこへ向かうのかと、今後の展開に期待です。
いやぁ泣いたわしかしw
泣ける映画シリーズじゃないんですけどねw
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10