泣く子はいねぇが
結婚願望も子を持ちたい願望も無く、とりあえず元気なうちに最小限の迷惑でぽっくり逝ければいいや、と枠からはみ出す勇気もなく意欲もなく、小さくまとまった日々を過ごしているモンキーです。
年齢的には十分大人ですが、まだまだ一人でいろいろ遊んで暮らしたい、まだまだ家庭を持ちたくない、誰かと一緒に住むのがめんどくさいなど、いろいろこじらせております。
いきなりどうしたとお思いでしょうが、今回鑑賞する映画は父親にも一人の人間としても自覚のない男が、父として人間として一皮むけようともがく男の話です。
例えば、仕事でもキャリアでも役目でも、自分があれよあれよと立場が変わってしまったことに対して、自覚が持てないとか自信が持てない、周りが見えてない、心が付いていけない、力不足、などなど差を感じてしまうことあると思います。
何というか大人になっても「何者」になれないやつというか。
そんな局面に立たされた時どうすればいいのかってのを、本作は「父親になるためには」というテーマで語ってくれるような気がします。
僕のような人間が本作を見て何か変われるかなんて微塵も思っていませんが、1ミクロくらいは変化があるのかななんて淡い期待を寄せています。
もちろん作品には大きな期待を寄せていますw
早速鑑賞してまいりました!
作品情報
秋田県男鹿半島を舞台に、親になることからも、大人になることからも逃げだした青年が、過去の過ちと向き合い、青年から大人になる成長を描いた、大人の青春映画。
本作で劇場映画デビュー作となった監督は、「あゝ荒野」、「宮本から君へ」、「MOTHER/マザー」と、日本映画の新たなスタンダードを確立しつつある配給会社スターサンズ、そしてカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、世界をまたにかける存在となった是枝裕和監督の大きなバックアップによって製作された。
また秋田県の伝統文化「なまはげ」を取り入れることで、父親としての責任、人間としての道徳といった普遍的なテーマを見出し、「大人になるとは?」を追求した、誰もが避けて通ることのできない人生の通過点を、時にユーモアに時に真に迫る筆致で描いた。
生き方に迷う全ての人に贈る感動のエンタメ作品です。
あらすじ
笑って、泣いて、叫んで。
彼の出した答えが、あなたの胸に突き刺さる――。
たすく(仲野太賀)は、娘が生まれ喜びの中にいた。
一方、妻・ことね(吉岡里帆)は、子供じみて、父になる覚悟が見えないたすくに苛立っていた。
大晦日の夜、たすくはことねに「酒を飲まずに早く帰る」と約束を交わし、地元の伝統行事「ナマハゲ」に例年通り参加する。
しかし結果、酒を断ることができずに泥酔したたすくは、溜め込んだ鬱憤を晴らすように「ナマハゲ」の面をつけたまま全裸で男鹿の街へ走り出す。
そしてその姿をテレビで全国放送されてしまうのだった――。
それから2年の月日が流れ、たすくは東京にいた。
ことねには愛想をつかされ、地元にも到底いられず、逃げるように上京したものの、そこにも居場所は見つからず、くすぶった生活を送っていた。
そんな矢先、親友の志波(寛一郎)からことねの近況を聞く。
ことねと娘への強い想いを再認識したたすくは、ようやく自らの愚行と向き合い、地元に戻る決意をする。
だが、現実はそう容易いものではなかった…。
果たしてたすくは、自分の“生きる道”、“居場所”を見つけることができるのか?(HPより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、佐藤快磨。
本作で劇場映画デビューを果たした監督は、脚本と編集も担当。
脚本は5年もの年月をかけて練られたそう。
その甲斐あって是枝裕和監督に認められ、彼が手掛ける映像制作集団「分福」が参加しており、さらには近年高い評価を得ている作品を多く配給し、著しい成長を遂げている配給会社「スターサンズ」のエグゼクティブプロデューサー河村光庸氏が参加。
非常に大きな後ろ盾を得たことで、デビュー作にして大きな期待が寄せられています。
また「なまはげ」に着目した点について、自身の過去の体験がきっかけになったことも語っており、なまはげが子供を脅かす存在だけではなく、子を親が守り、守ることで男の心を「父親」にさせる存在なのではないか?というアイディアから、取材を重ねプロットを組み立てたそう。
これまで「ガンバレとかうるせぇ」、「歩けない僕らは」などの短編映画を製作してきたそうですが、一体どんなセンスと技術をお持ちなのか、非常に楽しみです。
キャスト
娘が生まれても大人になり切れない青年、たすくを演じるのは仲野太賀。
「太賀」から「仲野太賀」に芸名を変更して以降、目覚ましい活躍を見せている彼。
近い作品でいうと石井裕也監督の「生きちゃった」での芝居は、常に切羽詰まった表情と、ラストシーンでの過呼吸になるんじゃないかくらいいっぱいいっぱいの表情がすごく印象的でした。
これまでは「桐島、部活やめるってよ」でのもがく補欠部員という真剣なまなざしで演じる役もあれば、「50回目のファーストキス」での吹っ切れたユーモラスな芝居、「アズミハルコは行方不明」での鼻に突く役柄、「南瓜とマヨネーズ」でのギター演奏と歌唱、そして「淵に立つ」での渦中の役柄など、どれも器用に使い分けたインパクトに残る脇役を演じてきてましたが、今後は主演級の活躍で魅了してほしいですね。
彼の作品はこちらをどうぞ。
他のキャストはこんな感じ。
子供じみた夫に限界を感じる妻・ことね役に、「見えない目撃者」、「音量を上げろタコ!」の吉岡里帆。
たすくを支える親友・志波亮介役に、「チワワちゃん」、「心が叫びたがってるんだ。」の寛一郎。
たすくの兄・後藤悠馬役に、「松ヶ根乱射事件」、「恋人たち」の山中崇。
たすくの母・せつ子役に、「ディアドクター」、「シン・ゴジラ」の余貴美子。
「なまはげ存続の会」会長・夏井康夫役に、「踊る大捜査線THE MOVIE」、「誰も守ってくれない」の柳葉敏郎などが出演します。
映画界の新たな才能が描いた本作。
今の僕にどれだけ刺さるのでしょうか。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
男ってつくつく馬鹿だよなぁ…。
父親になれない男が、ほんのちょっぴりの変化の兆しを見せた上手で丁寧な作品でした!!
以下、ネタバレします。
俺も似たようなところはある。
秋田の男鹿半島を舞台に、父親失格、人間失格のレッテルを貼られた青年が、再び父親になろうと故郷に戻って奮闘するも、厳しい現実を突き付けられていく様を、寄りのカメラで表情を丁寧に抽出しつつ上手にユーモラスなシーンを挟むことで、主人公の馬鹿さ加減や、覚悟の足りなさを言葉でなく態度で描く筆致や、主要キャストの現実での悲哀が感じられる表情にぐっと来た、よく出来た作品でございました。
簡潔な感想を申し上げるならば、是枝監督の好きそうな家族の物語で、近年の彼の作品のような賞を狙う感じの作り方でなく、親しみの持てる内容だった気がします。
別に是枝監督の作品を否定してるわけではなくて、彼の近年の作品てどうしても「冠が欲しい欲」ってのが透けて見えてた部分があって。
そもそも彼が気に入って製作のお手伝いをしただけですから、比較する必要なんて全くないんですけど、好みで言うと本作の方が強かったし、多分もう一度見るなら今後訪れるかもしれない自分の人生の教科書的な意味合いでこっちに軍配が上がるかなと。
たすくって、つくづく馬鹿な奴だなぁ、でも決して悪い奴じゃないよなぁってのが滲み出てたと思います。
ことねの子育てや父親の看病に追われ疲れ果てた姿をみて、自分もなんとかしようとあれこれやってはいたんだろうけど、勝手がわからなかったんじゃないかな。
だから「ちゃんとして」と言われてもヘラヘラするしかできなくて、逆に「じゃあどうしたらいいんだよ」なんて感情をぶつけるようなこともできない。
「考えて行動する」ことができなかったのかな。
加えて、ことねからプレッシャーをかけられて、さらに縮こまっちゃった。
だから鬱憤を晴らすために、酒にはしちゃった、他者からの強引な誘惑に負けちゃった。
途中で帰ると言ったけれど、どうせ帰ってもことねからグチグチ言われるのなら、いっそのこと飲んでしまえ、みたいな。
要するに、帰ると待ってる人がいるのに、帰ると守るべき人がいるのに、それを後回しにしてしまったってことでしょうか。
さらには、崇めなくてはいけない神さまの姿で醜態をさらしてしまうという、モラルの欠けた行動。
しかもTVに映ってしまう。
これじゃ妻から愛想をつかされるのも無理ないよね。
男の馬鹿さ加減、女の覚悟の度合い。
どうしたって痛い思いをするのは産む側の女で、男は産みの苦しみを理解しようとしても体験できないわけだから100%ってのは無理で。
その辛さに対してどう寄り添うかってのを全く分かっていないたすくをみて、多分俺も結婚して子供産んだら同じ道をたどるんだろうな・・・なんて、やっぱり俺は結婚も子育ても向いてないなと痛感した部分もありました。
男は付き合いが大事で、誘いを断れない生き物で、誘惑に負けてしまう生き物で、好きなものを絶つことに躊躇してしまうわけで(あくまで僕の自論ね)、古くから脈々と受け継がれている「男性社会」やら「男の美学」みたいなもんから抜け出すことって、なかなか難しいというか。
そんな確固たる決意のない奴は「父親」に向いてないし、なっちゃいけない。
独身生活を満喫してる僕は、未だにそういう古き良き慣習に縛られているというか、劇中で語っていた「麻雀は一つ捨てて一つを得ないといけない」から感じられる、好きなものと決別して大切なものを手に入れる、という考えはまだできないなぁと。
だから何だろうな、決心してある場所へある格好をして出向くたすくの姿を見て、100%父親にはなれてないけど、0.1%くらいは父親になれてたし、何より現状の自分の立場を考えてはいるけれど、それでも本心を貫きたいという葛藤をした結果、答えを導きだしたたすくの姿って、もうガツンときちゃいましてね。
本作がたどり着いた答えを見て、今の自分には到底真似できない姿だったなぁと、たすくと自分を重ねて見てしまったわけでございます。
シロクマ効果。
劇中、逃げるように東京にやってきたたすくが、職場の送別会の後、後輩の女性を解放するために自分の部屋で寝かせるという件がありまして。
手を出さなかった後輩女子はたすくに迫ろうとするんですが、たすくは「娘がいるから」と拒否するんですね。
離婚の理由を浮気だとごまかしたたすくに「みんながみんな正しくはなれない」と同情の念を呟く後輩女子が、突然「シロクマ効果って知ってます?」と言うんです。
今からシロクマの事を絶対想像しないでくださいね。
うん。
で?
だからそういうことです。
そういい残し、彼女は部屋から出ていきます。
これが一体物語にどう影響してるのか。
シロクマ効果とは、皮肉的過程理論とか、感情抑制の逆説などと言われてるそうで、劇中たすくが言われたように、「シロクマの事を考えないでください」と言われるほど、シロクマの事を考えてしまう、考えてはいけないと思うほど、思考は考えようとしてしまう、想像してしまうという人間の性ってわけですね。
実際この後、たすくは遊びにやってきた親友の志波に対し、最初は「東京は楽しい」とか「全員他人だから」と東京になじんでいる様子を見せますが、本心はいまだに「ことねと凪のことが忘れられない」ことが伺えます。
結果、「忘れたい」ことが「忘れられない」シロクマ効果を回避したいのか、それとも誠心誠意迷惑をかけた人に謝罪したいのか、本音がまだ見えない段階で帰郷に至ります。
後半でも母のアイス屋さんの手伝いをするたすくが、荒天により逃げるように水族館へやってきます。
たすくが目を大きくして見てしまうのが正に「シロクマ」であり、母と観るのが「ウミガメ」。
娘の凪が「浦島太郎」の劇の練習をしていることや、前半で触れた「シロクマ効果」など、未だたすくが心の中でモヤモヤしていることを見せることで、たすくの行動が積極的になっていく仕掛けになっていたのではないでしょうか。
失敗や失態を犯したらどうすればいいのだろう
伝統行事を汚し、父親失格のレッテルを貼られたたすく。
忘れたいと思うほど忘れられない想いがこみ上げ、帰郷して迷惑をかけた人たちに謝りたいと少しづつ行動に移していくわけですが、劇中どう見てもたすくって相手のために行動してないなぁと。
兄貴から「端から見ればお前はほとぼりが冷めたころだろうからみんなが許してくれると思って帰ってきたと思われてる」と、なかなかのボディブローをかましてくるんですが、僕は非常に同感。
逃げるように東京に行き、しかも2年もほったらかしにしてきた。
その間、家族は周囲の人たちからどういう視線で見られてきたのだろう。
また世間からバッシングされたであろう「なまはげ存続の会」の会長は、どれだけ頭を下げてきたのだろう。
また、恐らくではあるが養育費も慰謝料も払わず妻と娘を置いて別れたのに、どのツラ下げて「やり直したい」といえるのだろう。
たすくは明らかに想像力が足りないし、計画力もない。
無い頭で考えた結果、気持ちだけが先走って帰ってきただけに過ぎない。
そりゃ兄貴からも冷たい目で見られるし、会長が手紙読めって言ってるのに、読まずに「すいません」と言って立ち去るし、金もないのにその場しのぎで何とかすると言っちゃうたすく。
そもそも冒頭からダメ男感がプンプンするんだけど、東京へ行っても何も変わってないのが明らかに見えてしまうダメっぷり。
全ての元凶は「東京へ逃げた」ことなんじゃないだろうか。
失態を犯して、離婚を突き付けられ、居場所を無くして東京へやってきたわけですが、そこがもうすでに間違ってるというか。
やっぱり大きな過ちを犯したら、全て自分で後始末するべきだよなぁと。
会長と一緒に色んな人に頭を下げて、もう一度会を復活させるために尽力するとか、事ねと離婚したのなら、冒頭でも「父親は必要だろ」っていうくらいなんだから娘の事を考えて近くで様子を見るなり父親の務めを果たすとか、最低東京へ行っても費用は送るとか、何かしらできたろうに。
残念ながら本作は、「父親」になるための一つの答えを提示してくれるんですけど、「人間としての失敗」をどう処理するか、けじめをつけるかという点は解決してないなぁと思いました。
終盤勝手に「なはまげ」になって、ある場所へ向かうたすくが、ばったり会長と出くわし制止させられるんですけど、ただただ「申し訳ありませんでした!」とデカい声で謝っても、会長がこぼした言葉通り「わかんねんだよ!おめえたちが!」で。
もしかしたら物語の後、ちゃんとした詫びを入れるとは思うんですけど、出来れば劇中でカタを付けてほしかったなぁ。
最後に
お芝居についいてですが、とにかく仲野太賀のヘラヘラ感と弱腰な感じと、心情を表情で語る演技は素晴らしかったですね。
彼案件で言うと、「生きちゃった」でもなかなか切羽詰まった表情を上手く演じてましたが、モンキー的にはこっちのほうが良かった。
ユーモラスな演技をナチュラルに演じたかと思えば、遠くを見つめる表情から色々読み取ってしまう巧さ。
特に保育園に行って浦島太郎の劇を見に行ってしまう彼が、空白の2年の重さをまじまじと感じてしまう刹那にはかなりやられました。
そして吉岡里帆も素晴らしかった。
冒頭の疲れ果てた姿と沈んだトーンでたすくを追い込む話し方、パチンコ屋で心を失いかけている空虚な雰囲気、ワゴンの助手席でたすくに語る決意の視線。
クライマックスでのたすくを見つめる表情。
一体何しに来たの?あれで最後といったのに。
あ、そうか、あなたはそれを望むのね、それが菜あなたの覚悟なのね、わかった、今回だけね。
みたいな自問自答を繰り返したかのような無言の芝居。
視線が合った瞬間、微かに怒気が宿っていたのに、少しづつ解けていく表情が凄く印象的でした。
最後に、柳葉敏郎。
秋田県出身の彼が「踊る大捜査線」でギャグのように扱われていた秋田弁を、本作でガッツリ喋っていたことや、彼が出た途端画面が引き締まるような緊張感は、お見事でした。
また、一世風靡で共にパフォーマンスをしてきた中野英雄(といっても付き人ですがw)の息子が主演の映画で、自分が脇を固める立場ってだけで、もうドラマじゃん!と、物語の外側を意識してしまい、なぜか感慨深くなってしまいました…。
きっと今回彼が出演した経緯は、地元が舞台になってることや後継者問題で徐々に存続が難しくなってきている伝統文化の現状を、自分の芝居で伝えることが理由かもしれないですが、もっとシンプルに、かつて世話した男の息子が主演を務めることがうれしくてサポートしたかったのかな、なんて、本人の口から何も聞いてないのに、勝手に美談にしちゃう僕の悪い癖が出ちゃいましたw
でもギバちゃんは男気ある人ですから、そうであってほしいなと。
とにかくラストはたすくの今後に小さな希望が見えたものでした。
「だめなんだな、キミじゃ」と言われた男がそれでも父親の務めを果たしたい、父が作った面を被って、娘の父親を父親にさせたい、今の自分はそれしかできない。
またこうすれば自分の願いを叶えることができるという意味でも理に適ってるというか。
とはいえ、決して利口ではないと思えてしまうのも、男はバカだからなのか。
色々見えてくるラストでした。
なんかあとからじわじわ来る良さがあったなあ。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10