ポップ・スター
食べたその日から味の虜になりました、なのは「カップスター」。
円筒状のポテトチップスで愛されているお菓子は、「チップスター」。
著作権侵害で瞬く間に消えた、音楽共有サービスは、「ナップスター」。
…さっきからダジャレばかり並べてますが、今回あの平井堅の大ヒット曲が映画化になったんですね~、「ポップスター」。
それも違いますねw
あいわなびあぽっぷすたぁ~♪、って今作のタイトルを見るたびにサビのフレーズが思い浮かぶのは、私だけではないはず…。
無関係なことばかり言ってますけど、一応「音楽」の話だってのは間違いじゃない。
どうやら若くしてディーヴァ(歌姫)となった主人公が、トラウマやスキャンダルに苦しみながらも、今の地位に這いつくばる苦悩の日々と再起を描いたお話のよう。
まるで浜崎あゆみを思わせる話に聞こえますが、先入観は捨てましょうw
というわけで早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
「レオン」や「スターウォーズ」プリクエルなど、若くして注目され、今やオスカー女優としてハリウッドのトップ女優に君臨するナタリー・ポートマンが、自身の境遇とも重なる主人公を演じるのが、今作「ポップスター」。
若き日に経験した出来事により制作した曲が、業界に認められたことで一躍スターダムを駆け上がっていくが、度重なるスキャンダルにさいなまれ活動を余儀なくされていく、女性アーティストの光と闇を描く。
世界的アーティスト・Siaが提供した楽曲を披露するナタリーの姿は、彼女がオスカーを手にした作品「ブラック・スワン」を彷彿とさせ、艶やかな衣装を身にまとい、気高く美しく力強いパフォーマンスで魅了していく。
「炎上も賛辞も、わたしの居場所」
壮絶な過去に苦しみながらも、なぜ彼女はステージへと上がるのか。
ポップスターの覚悟と生き様を堪能せよ。
あらすじ
時は2000年、アメリカに暮らすセレステ(ラフィー・キャシディ)は、14歳にして人生の劇的な変化に直面する。
同級生による銃乱射事件に巻き込まれ、生死の境をさまよった果てに蘇ったのだ。
さらに、姉のエリー(ステイシー・マーティン)と作った犠牲者への追悼曲が国民的大ヒットを記録、敏腕マネージャー(ジュード・ロウ)と契約して発売したアルバムも注目される。
エリーに見守られながらも、ヨーロッパでのレコーディング、LAでのMV撮影など、スターへの階段を一気に駆け上がっていくセレステ。
そんな中、エリーとマネージャーが男女の関係になり、セレステは姉に裏切られたと感じ、大きなショックを受ける。
その日以来、姉妹の心は決裂し、セレステの純真無垢な少女時代も終わりを告げるのだった。
時は2017年、31歳になったセレステ(ナタリー・ポートマン)は、一度は頂点を極めたスターだ無から転落していた。
何かと世間を騒がせる言動に走り、スキャンダルで炎上し、アルコールに溺れていたのだ。
だが、歌への情熱だけは失くしていない。
何とか復活を遂げようと、1年間をかけて自身の集大成かつ最高のツアーを企画。
ところが、その初日を前にして、思わぬニュースが入る。
クロアチアのビーチで銃乱射事件が起こり、犯人全員がセレステの大ヒット曲「ホログラム」のMVで使ったシルバーのマスクを着用していたというのだ。
バッシングを避けるために、記者会見を開くことになるが、事件のトラウマが押し寄せナーバスになるセレステ。
そこへ、娘のアルビー(ラフィー・キャシディ※少女時代のセレステと二役)が、子育てを任せてきたエリーに連れられて訪ねてくる。
セレステは、ストレスをエリーにぶつけ、些細なことで姉を罵倒する。
傷ついたエリーは、涙ながらに「今度、私を脅したら、子育ても極づくりも私がしたって暴露する」と訴えるが、セレステは「何を暴いても誰も気にしない時代よ」と平然と言いのけるのだった。
記者会見の席で、何度か危ない発言に流れそうになるが、何とかマネージャーが用意した無難な声明を暗唱するセレステ。
だが、個別の取材で、今回のツアーは、数年前に危険運転で相手に重傷を負わせて逮捕されたことからの復活かと問われ、我を失ってしまう。
コンサート会場に到着すると、緊張と恐怖、メディアへの怒りなど様々な感情爆発してパニックを起こすセレステ。
だが、ついににショーが幕を開けると、満席の観客はもちろん、セレステに人生を奪われたエリーさえも興奮と歓喜に包まれる圧倒的なパフォーマンスが始まる。(HPより抜粋)
監督
今作を手掛けるのは、ブラディ・コーベット。
すいません、全く知らない方だったんですけど、俳優として「24 シーズン5」とか、「マーサ、あるいはマーシー・メイ」とか、「メランコリア」、「ヤング・アダルト・ニューヨーク」などに出演しているそうで、この辺見てるんですけど、彼の存在が全然思いだせませんw
映画監督としては今回が長編映画2作目だそうで、癇癪持ちの少年がヒトラーのような独裁者へと変貌を遂げてしまうというミステリー映画「シークレット・オブ・モンスター」でデビュー。
ヴェネツィア国際映画祭のオリゾンティ部門で監督賞を受賞しています。
今作は、昨今のネットニュース配信の在り方から着想を得たそうで、世界中の悲劇がポップカルチャーと同じように扱われ消費されてしまっていることに、強い不安を抱いたんだそう。
そして今作は2部制にしたことで、現在と少し前の社会の移り変わりを強く表したと語っています。
時代が進むにつれて、情報も感情もスピードが増し、流されててしまっていることへの言及が、この映画でされているのでしょうか。
キャスト
今作の主人公セレステを演じるのは、ナタリー・ポートマン。
近年は「ジャッキー/ファーストレディ最後の使命」や、「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」といった出演作品を観賞しましたが、念願のオスカーを受賞してからは、プライベートを優先してるのか、そこまで大きな作品には出演してないイメージ。
とはいえ、今作は彼女が製作総指揮で、旦那さんがダンスの指導をされてるってことで、なんか、いいよねw
今作の主人公とナタリーは、若くしてスターダムを駆け上がったという共通点があり、ナタリー本人も、ものすごい葛藤があったことでしょう。
もしかしたら演技ではなく、本心をさらけ出してるシーンなんてのもあったりするのでしょうか。
色々なアーティストのドキュメンタリーも見て研究したそうで、セレステというキャラを、どう肉付けしたのか楽しみです。
彼女に関してはこちらをどうぞ。
他のキャストはこんな感じ。
敏腕マネージャー役に、「キャプテン・マーベル」、「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」のジュード・ロウ。
姉のエリー(エレノア)役に、「ニンフォマニアック」、「ゲティ家の身代金」、監督の前作「シークレット・オブ・モンスター」に出演のステイシー・マーティン。
少女時代のセレステ(セレステの娘アルビー)役に、「トゥモロー・ランド」、「聖なる鹿殺し/ キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」のラフィー・キャシディ。
また今作のナレーションを、「永遠の門 ゴッホの見た未来」のウィレム・デフォーが務めます。
クライマックスで描かれるであろうステージは、どんな気持ちでセレステを見ることになるのでしょうか。
スターの光と影、ポップカルチャーと同じように扱われる事件が、どう絡んでくるのか。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
悲劇によって発掘されたスターの成功と墜落、再起にかける思い。
裏に秘められたアメリカンドリーム。
やりたいことはわかるけど、どうしてこんなに面白くないんだ…。
以下、ネタバレします。
ポップスターの宿命
銃乱射事件の被害者となった主人公セレステと姉によって製作された歌をきっかけに、瞬く間にトップアーティストとなっていく前半と、ピークを過ぎても尚トップの地位にしがみ付こうともがくセレステの前に再び現れるトラウマ。
見えないように、見せないようにしていた過去が、彼女を再び襲い苦しめていくが、オーディエンスの前では決して弱い部分を見せてはいけない。
そんなセレステの意地と覚悟と生き様を見せつけられた物語でした。
かつて自分もデカいハコでライブをやりたいと夢を抱いた夢想家でしたが、スターの裏側を見てしまうと、果たして自分は周囲の期待や圧力に耐えられたであろうか、いや無理だな…
鑑賞しながらショービジネスへの憧れと過酷さを想像してしまいました。
銃乱射事件の被害者となり、運よく生存できたことを涙ながらに喜ぶ姉と楽曲製作することが、セレステにとってかけがえのない日々だったのでしょう。
純粋な思い出作った哀悼曲が、業界の目に留まり、トントン拍子で異世界の地に足を踏み入れるも、全てが未体験の経験。
緊張の色は隠せなかったろうけどやりがいはあった。
ダンスのレッスンもレコーディングも、スウェーデン人のプロデューサーを迎えての楽曲製作も、MV撮影もきっと楽しかったと思います。
楽しさを大部分を占めたのは、きっと「姉」というかけがえのない存在が近くにいたから、ってのもあるんでしょう。
姉に連れられ遊びまわったクラブ、お酒に異性との一夜など、傷ついてしまった心も体の痛みも忘れるくらいの体験だったのではないでしょうか。
しかし、信頼していた姉の見たくなかった瞬間を見てしまったことセレステは、幼いころから秘めていたと思われる才能を覚醒させてしまうわけですね。
家族の誰かが有名人になると、事務所やエージェントなんかのプロモーションや戦略なんかに口を出す家族がいる、なんて聞いたことあります。
血の繋がった家族ですし、子供が稼いでくれれば親も安泰、みたいな考えになるんでしょう。
まして未成年の場合、保護者ですから親が心配でしゃしゃり出て、とか。
気が付けば親が子供のマネージメントをしだし、親と子の関係が、気が付けばタレントとマネージャーみたいな、ビジネスの関係になっていく。
信頼していたはずの親なのに、気が付けば自分を商売道具としてしか見てくれなくなって、信頼が崩れていく、みたいな。
それで失敗していったタレントさんとか歌手とかいっぱいいましたよね。
セレステの場合、これに当てはまるかは難しいですが、信じていた姉がマネージャーとデキてるところを見ればひねくれますよね。
歌が上手くて美人で曲のセンスも良くて、色んな遊びを教えてくれて、私をいっぱい褒めてくれて、事件で死なずに済んだことに涙を流して喜んでくれる。
大袈裟に言えば神のような存在だったんじゃないですかね。
崇めていた相手の、いわば愚行をみてしまったことが、今作における前半最大の転換部分だったのではないでしょうか。
そんなこんなで、後半は17年後まで飛んで行ってしまうわけで、スターとなってからどういう経緯でド派手なメイクに身を固め、素行の悪いスキャンダルスターと変わってしまったのかは、よくわかりません。
しかし信じていた相手から裏切られたことで、違うモノに縋りたくなって、縋った相手が大体ヤバい奴で、依存して、という具合に変わっていったんでしょうね。
ショービジネスの世界で生きる人は、何かに縋っていかないと平静を保てないくらい、疲弊する世界なんですかね。
且つてのトム・クルーズなんかも宗教だか何だかにハマってた時期もあったくらいですから、狂った世界ですよ、芸能界というところは。
終盤「プライベートガール」なんて歌を披露してましたが、スターともなれば、ステージの上だけスターになってればいいわけがなく、娘とご飯を食べに行けば、オーナーが自分の歌を店内に流したり、娘と大事な話をしているのにオーナーからサインを求められる、ホテルから出ればマスゴミが群がり無数のシャッターを切り、聞かれたくないことを容赦なく聞いてくる。
セレステという「スター」の前に、一人の人間であることも許されない。
プライベートなんてどこにもないことを惜しみなく描いていたように思えます。
簡潔に言えば面白いとは思えなかった。
自分が何を期待して観に行ったかといえば、ショービジネスの華やかな部分とは別にある裏側の醜い世界、その中でもがき続けるスター、ってところ。
かみ砕けば、想像していたモノとは違った、というところに行きつくんでしょうけど、期待していたものが描かれてなかったとしても面白いものは面白いわけで。
なのに、色々面白くさせてくれない要素が盛りだくさんな映画だったなぁと。
まず感じたのは、視点がセレステオンリーのせいで、世間やマスコミの評判が全く描かれておらず、外部から醸し出されるはずのセレステのカリスマ性が中途半端であることや、かったるいカメラワークに歌唱力の無さ、楽曲のショボさ、ダンスの固さなど、どう見てもトップアーティストには見えない部分が目立ってしまった作品だったと思います。
ナタリー自身「ブラック・スワン」で見せたような黒い部分を精一杯出していたので、かなり好演してたんですよ。
マスコミの前でのインタビューでは平然と質問に答えていたものの、突如顔を出した過去の事件に怯えてしまっている自分を必死で隠すかのような態度に見えたし、ショーが近づくにつれ、寄せては返すことでどんどん大きくなっていくトラウマの波に飲まれそうになる楽屋での発狂シーンは、ナタリーだからこそできる演技だったなぁと。
なんていうんだろ、セレステのステージ外の部分はいいのに、ステージに立つとショボいんですよ単純に。
なんだあのダンス、とか、なんだあの歌、なんだあの衣装とか。
2年かけて企画したライフワーク集大成のステージングとは思えない、素人に毛が生えたようなライブは非常に残念でした。
きっとクライマックスのステージは、彼女のこれまで歩んだ道は間違ってない、みたいな終わり方にしようと思ったんでしょうけど、2部制にしたことでの空白の時間が行間として全く活きてなかったり、ステージング然り、とにかく説得力に欠けていたというか。
また、あれこれカッコよく見せようとしたのも良くなかったのかなぁ。
冒頭の銃乱射事件の描写とか、なかなかよかったんですよ。
いつ事件が勃発するのかとか、いざ勃発した時の緊張感とか。
フィルムがかった画質も相まって、あれ、いいじゃん!なんか!と。
しかもエンドロールで流れるであろう、キャストスタッフの表記が上映開始10分足らずで流れる演出。
おお、今まで見たことないやり方やん、ええやん、と。
と、抱いた期待もつかの間、退屈なカメラワークばかりが続き、メリハリのないシーンが続き、かったるい会話が続き、家庭用ビデオで撮ったような映像を早送りで垂れ流し、詳細は全てナレーションを務めるウィレム・デフォーにまかせっきり。
いやいや映像にこだわって、肝心の部分は語りで片づけるんかいw
カッコよく作ろうとした結果、全てがカッコ悪くなってしまった映画のように感じました。
最後に
悲劇によって生まれたポップスター。
あまりに多くの娯楽やポップカルチャーが量産されては消費されることへのアンチテーゼにも見えるけどももしそこに重きを置いた作品を作りたかったのなら、変に2部制にせずに、前半を淡々と描いて尺を余らせることで、ナタリーパートの後半で、銃乱射事件ともっと関連付けるとか、彼女を批評するマスコミとか、色々ゴタゴタしてるお騒がせ者だけど、それでもセレステの歌に助けられてる人が大勢いるとか、とにかく外の世界の視点を入れれば、映画全体が深みのあるものになったのかなぁと。
それにしても皮肉ですよね、事件がなければセレステというポップアイコンは生まれなかったんですよ。
彼女が被害者にならなければ普通の日常を、姉と共に送っていたかもしれない。
というか、歌手になりたかったであろう姉がポップスターになってたかもしれない。
しかしナタリーもラフィーちゃんも細いなぁ。
というわけで、以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆★★★★★★★3/10