バビロン/BABYLON
1920年代のアメリカは「狂乱の時代」と言われていたそうです。
「第一次世界大戦」後の反動もあって、社会や文化、経済などの様々な分野において、急成長したり急激な変化を遂げたといわれております。
それは映画でも重要な年代と言われ、整理統合によるスタジオシステムの形成、発明技術の進化によりサイレントからトーキーへと移行したり、アカデミー賞が誕生したりと映画史に欠かせない出来事が多々生まれた年代でもあります。
映画以外でも、大量生産大量消費のサイクルによって好景気に恵まれていたようで、さぞ華やかで浮かれていたんだろうなというのが窺えます。
しかし1929年の株価大暴落により、アメリカの経済はおろか世界中で恐慌状態に突入。
利益を上げるために時には悪党と秘密裏に手を組みながら、ハリウッド業界は生き残るために迷走していったそうです。
今回鑑賞する映画は、そんな狂乱の時代を舞台に、映画スターやスターになりたい映画を作りたい若者たちが、夢に向かって駆け抜けていく姿を描く作品。
いつの時代も「祭り」のようなド派手で華やかな時間はあったんでしょうけど、「終わらない祭りはない」わけですよ。
彼らがどうはっちゃけ、どう沈んでいったのか。
「咲き誇る花は散るからにこそ美しい」、そんな映画だったらいいなぁ、なんてw
早速観賞してまいりました!
作品情報
「セッション」でジャズの狂気を見せつけ、「ラ・ラ・ランド」で夢と青春の1ページを鮮やかに見せつけたデイミアン・チャゼル監督が次に放つのは「狂乱の20年代」。
ハリウッド黄金時代と呼ばれた1920年代を舞台に、熱狂渦巻く映画の街で、夢をかなえようとする若者たちの姿を、迸るジャズミュージックに乗せてゴージャスにクレイジーに描く。
「ワンス・アポン・アタイム・イン・ハリウッド」、「ブレット・トレイン」のブラッド・ピットや、「ザ・スーサイド・スクワッド」のマーゴット・ロビー、新鋭俳優ディエゴ・カルバらが、映画スターや映画で夢をかなえたい男女として熱演。
豪華絢爛な時代が彼らの魅力でより華やかに染まる。
さらに音楽には「ラ・ラ・ランド」でアカデミー賞作曲賞・歌曲賞を受賞したジャスティン・ハーヴィッツが担当。
ジャズ・エイジとも呼ばれたジャズ全盛期の音楽をどう表現するかに期待したい。
また、既にゴールデングローブ賞で作曲賞を受賞しており、本年度のアカデミー賞でも注目が集まっている。
バビロンとは、メソポタミアの古代都市「バビロン帝国」の首都の名。
また旧約聖書では「天国への階段」を作ろうとしたが、神への怒りから混乱が起き、やがて崩壊したといわれる「バベルの塔」でも使われている。
1920年代のハリウッドもまた、バビロンのような宿命だったのだろうか。
その結末とは。
あらすじ
1920年代のハリウッドは、すべての夢が叶う場所。
サイレント映画の大スター、ジャック(ブラッド・ピット)は毎晩開かれる映画業界の豪華なパーティの主役だ。
会場では大スターを夢見る、新人女優ネリー(マーゴット・ロビー)と、映画製作を夢見る青年マニー(ディエゴ・カルバ)が、運命的な出会いを果たし、心を通わせる。
恐れ知らずで奔放なネリーは、特別な輝きで周囲を魅了し、スターへの道を駆け上がっていく。
マニーもまた、ジャックの助手として映画界での一歩を踏み出す。
しかし時は、サイレント映画からトーキーへと移り変わる激動の時代。
映画界の革命は、大きな波となり、それぞれの運命を巻き込んでいく。
果たして3人の夢が迎える結末は…(HPより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、デイミアン・チャゼル。
ジャズドラマーの前に立ちはだかる鬼教師との壮絶な音楽の戦いとその向こう側の景色を驚異的に見せた「セッション」、夢を抱く男女の姿を往年のミュージカル映画に思いを馳せて描いた「ラ・ラ・ランド」、そして人類初の月面着陸をしたニール・アームストロング船長の姿をドラマティックに描いた「ファーストマン」など、チャゼル監督が多感な時期に影響を受けたであろうテーマに、ありったけの愛と熱意を込めた作品ばかりです。
監督曰く、映画を作るにはそもそも「狂気」じみたものが必要とされるそうで、それは今も昔も変わらないものなんだと語っており、当時の製作現場がどれだけエネルギーに満ち溢れていたか、そしてどのようにして衰退していったのかなど、彼が愛してやまない映画への思いが詰まった作品となっていそうです。
キャラクター紹介
- ジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)…サイレント映画の頂点に立つ超一流の映画スター。昼は大作映画の主役を務め、夜は連日豪華なパーティーに現れ、人々の注目を浴びる。映画をだれよりも愛し、役者業に誇りを持っている。新しく登場したトーキー映画に可能性を感じるが…。
- ネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)…怖いもの知らずな新進気鋭の女優。呼ばれてないパーティーに乱入し、注目を集め、ハリウッドデビューの切符をゲットする。その後才能にあふれた演技で大ブレイクを果たし一躍スターとなる。
- マニー・トレス(ディエゴ・カルバ)…映画製作を夢見るメキシコ出身の青年。大スターであるジャックの助手となり、ハリウッドでの出世の糸口をつかむ。パーティーで出会ったネリーと、夢を語り合い、恋心を抱くが…
- エリノア・セント・ジョン(ジーン・スマート)…ハリウッドのゴシップ・コラムニスト。あらゆるパーティーに出没し、様々なゴシップネタを拾う。映画界のスター誕生も、その破滅も、彼女の筆にかかっている。
- シドニー・パーマー(ジョヴァン・アデポ)…映画関係者のパーティーでトランぺとを演奏していたジャズミュージシャン。サイレント映画がトーキー映画に移行すると、演奏の才能を見出され、映画界は彼を演奏者から映画の主役の座に押し上げるが…
- レディ・フェイ・ジュー(リー・ジュン・リー)…日中はチャイナタウンのランドリーを手伝いながらサイレント映画の字幕を書き、夜はパーティーで妖艶に歌う。業界で生き残るために日々様々な役割を演じる。
- ジェームズ・マッケイ(トビー・マグワイア)…ハリウッド裏社会を牛耳る大物。危険な秘密パーティーを開催していて、映画製作にも興味を持つ。
- ジョージ・マン(ルーカス・ハース)…映画のプロデューサーでジャックの友人。
- アーヴィング・タルバーグ(マックス・ミンゲラ)…スタジオの重役。
- コリーン・ムーア(サマラ・ウィーヴィング)…ネリーのライバルの女優。
- エステル(キャサリン・ウォーターストン)…舞台女優でジャックの三番目の妻。
- ボブ・リーヴァイン(フリー)…スタジオの重役。
- ロバート・ラロイ(エリック・ロバーツ)…ネリーの父。
(HPより抜粋)
チャゼル監督の特徴の一つとして、いろんな名作を劇中でオマージュを捧げてますが、本作はどんな作品を取り上げてるのでしょうか。
その辺も見どころですね。
ここから観賞後の感想です!!
感想
#バビロン 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2023年2月10日
100年前のハリウッドをチャゼルが狂気にも似た愛で3時間描く物語。
とにかく怒涛。
正直3時間やらなくて良いし3時間以上でもいい。それくらいの吸引力と熱意がこの映画に宿ってた。
やはりラストはアレですか。
そういうの敢えてどストレートにやっちゃうチャゼル好きなんだよなぁ。 pic.twitter.com/44Gu8a3e41
もんのすごいパワフル。
100年前のハリウッドはとにかくむちゃくちゃだった!
狂乱だけど夢があった!
そんな光と影を3時間かけてたっぷり魅せるチャゼルの集大成。
ただ疲れた・・・。
以下、ネタバレします。
色々言いたいことはあるが、圧巻の内容。
まだ荒地だったLAに出来上がったバビロン王朝=映画の都を舞台に、大スターとして君臨する者、大スターになりたい者、映画という大きな一部になりたい者、そして王朝に飲み込まれていく者を中心に、狂乱に身を投じながらも夢を抱き、そして時代の進化と共に淘汰されていった者たちの栄枯盛衰を、潤沢な予算を使い圧倒的娯楽映画へと昇華させたチャゼル監督の集大成的作品でございました。
何という映画だろう。
100年前のハリウッドはとにかくなんでもありで、その狂乱に身を投じてチャンスを夢を掴んでは泡のように消えてしまう残酷な世界。
それを分厚く鳴り響くサックスの音色にのせて、時に激しく時に切なく時にいやらしくと多様な顔を見せる3時間の作品。
アカデミー賞作品賞にノミネートしなかったのは、きっといい顔してばかりのハリウッド映画界だからこそ、この内容を認めたくなかったんだろう。
時効とはいえ、かつて映画の撮影のために人が死に、毎晩繰り広げられる宴によってさまざまな「アウト」案件が蔓延っていたわけで、そりゃ隠したくもなるし汚点でもあるよなぁと。
だがしかし劇中のセリフでもあったように、映画とは金のない俺たちみたいな一般市民が「夢を見せてくれる瞬間」を得るため、そして孤独を忘れるための文化であり、かつてのスターもフィルムに収められたことで今でも色あせることなく我々に夢を与えてくれる素晴らしいものだと。
それが色々な技術の進化や多様な社会に順応しながらも未だ輝きを放っており、狂乱のハリウッドだったものの、映画と出会えてよかった、そして映画に生かされてきたことへの感謝を捧げたい、そんな思いをチャゼルは本作に圧倒的熱量を注ぎ込んだのだろうと。
正直3時間という長尺は、劇場で見ることに対しての不安材料でしかない。
トイレに近い俺からすればなかなかの苦行でもある。
それでも見たかったのはチャゼルだからであり、きっと面白い映画になってるという確信めいたものがあったから。
実際ここは端折っても良かったんじゃないかという部分は多々あった。
1930年あたりのエピソードから、前半描いてた勢いみたいなものが時代の波に追い込まれていく登場人物同様に失われ、それまであった吸引力や推進力さえも消えかけていた。
だがそれはラストまでのインターバルのようなもので、映画の歴史を振り返るあのエンディングへの伏線でもあった。
溜めにに溜めたエネルギーを最後まで取っておいたんだと、今見終えて解釈している次第です。
いやぁしかし何という中毒性か。
今もアドレナリンがビンビン出ている。
劇中ではマーゴット演じるネリーがことあるごとにコカインを吸引していたが、彼女と同じように高揚し、妙な満足感を得ている。
ぶっちゃけラリってるのかもしれないw
正直登場人物に的を絞り過ぎていて、どのようにして時代が移り変わっていったのかをガン無視しており、一体ハリウッドに何が起こったのかがまるで分らない構造になってて、ぶっちゃけ歪な映画でもあるんだけど、どこか欲しがってる自分がいる。
やはり映画に秘められたパワーというモノは改めて偉大だなと感じた映画でございました。
100年前はこんなにめちゃくちゃだったのか!
冒頭、とあるパーティーへ象を運ぶというむちゃくちゃな規格のお手伝いをする羽目になったマニー。
どうこうしたスタッフが象のクソまみれになりながらも屋敷に運んだ後、我々が目にするのは酒池肉林の宴。
裸になって踊る者もいれば、その色気にそそられてプレイに励む者がいたり、大声出しながら踊り狂う者、ありとあらゆる薬物に手を出してラリッてる者、女性にアレを掛けられて興奮するブタ野郎など、とにかく飲めや歌えや騒げやの大宴会を見せつけられる。
そこでネリーに出会ったマニーは一瞬にして恋に落ちる。
全く面識のない人たちに近づきながら、まるで野生児のように暴れまわってパーティーの主役になっていくまでのスター性、いやそれ以前に彼女が「絶対売れてやる」と抱く野心が、彼女自体を美しく見せていく。
ここでのマーゴット・ロビーがとにかく圧巻。
登場するや否や車を柱にぶつけて「柱が出てきたのが悪い」という無茶苦茶な言い分で堂々と屋敷に向かって歩くかと思ったら、薬物のおかげもあってとにかく自分を売り込んでいく姿勢。
ひたすらハイになって暴れまわるんだけど、そもそものポテンシャルが凄いってのが踊ってる姿だけでビンビン伝わってくる。
しかしその踊る姿は心の底から楽しんでるように見え、やがて色気へと変わる。
そんなネリーという女性を、よく延々と演じられるもんだなと改めて女優ってすげえなと思った瞬間でした。
過剰摂取によって死んでしまった女優の卵の代役に抜擢されたネリーは、短時間の睡眠を経て撮影現場へと赴く。
そこは数々の映画が一斉に撮影されるほど活気にあふれた場所で、さすがのネリーもその熱気にあっけにとられる。
しかしネリーはアクションの声がかかった瞬間、ほんとにこれが初めて?というほどの圧巻の演技で、監督やスタッフ、共演者を魅了し、瞬く間にスターへの階段を上っていく。
前夜の宴の後、映画はジャック、ネリー、ジャズミュージシャンのシドニー、そして歌手で字幕の手伝いをしているフェイの姿を捉える。
ジャックはすでに大スターであるので生活感はまるで変わらないが、他の者たちは皆子汚い部屋で寝食したり、共同アパートのような場所に住んでいたり、親の面倒を見ながら別の仕事をしていたりと、華やかな世界とは真逆の場所にいた。
この落差が映画的に非常によくて、30分かけて描かれた狂乱の宴の後現実に戻るシーンを入れることで、我々が放出したであろうドーパミンを緩和させる役目を果たしていたように思えます。
良いレストポイントだったってことですね。
その後もジャックが主演する中世の戦争映画の撮影シーンでは、本物の大砲が打ち上げられたり、戦闘シーンもガチの武器で殺し合うという無残な映像を見せられていく。
もちろんそんな中でカメラを回してるもんだから、何台もカメラが破壊されたり、スタンバイしているジャックの楽屋に槍が投げ込まれたりと、統制が全くとられていない撮影現場と化している。
今じゃあり得ない光景を目の当たりにするわけですが、そんな中でも名作は生まれていったのかと思うと何ともいえない感覚を覚えました。
ネリーもあの手この手で主役の座を射止めたり、ライバルを蹴落としたりとやりたい放題。
乳首を浮きだたせることで観衆の興味を惹くってのも、今じゃあり得ない手段だけど、時代をそれを許していたし求めていたこともあって、ネリーのやり方は当時だからできた芸当なんだなぁと。
マニーもまた、ジャックの手伝いをしながら映画制作の場に携われるようになり、少しづつキャリアを築いていったのであります。
しかし時代はサイレントからトーキー映画へと移行。
ジャックもマニーネリーもこの変化を受け入れようとトライしますが、やはりこれまで声を出さず姿の動きだけで存在感を放っていたスターが、カエルのような声でセリフをしゃべっても笑われるだけだし、セリフの言い回しもやってこなかったわけで悪戦苦闘を強いられていく。
現場も録音しなくてはならない環境のため、これまでどんなに騒いでいても撮影可能だった現場は、靴音やくしゃみでさえも禁止になってしまうほど大変な現場だったことが映し出されます。
そしてとうとう彼らは、時代の波に押されお役御免となっていくのであります。
ジャックの末路は、これまで築き上げてきたモノをキープしたいという思いと、スターの俺がこんなところで消えるようなタマじゃないというプライドからくるものに見えたので非常に納得のいくものでした。
しかしネリーとマニーについてはもっとプライベートな案件で消えていくのではなく、ジャック同様業界から干されていくような消え方の方が「ハリウッドの光と影」を強調出来たのになぁと。
確かに当時のハリウッドは世界恐慌によって不振になっていくんですが、ギャングとのつながりのおかげで助かった、なんてことがあったわけで、後半登場するギャングの親玉マッケイが映画業界に進出する件を掘り下げてほしかったわけですが、結局マッケイに借金を返せない関係でロサンゼルスにいられなくなったという流れに。
きっとギャンブル漬けになって金が返せなくなって殺されたって人も当時はいたんでしょう。
だからそれをネリーなりマニーでやってほしかったですし、もしくはジャック同様普通に干されていく方が自然に思えたんですよね。
ただこうしてしまうとキャラクターの末路が被ってしまうってのもあるでしょうから、仕方なかったんでしょう。
まぁそれ以前にこのパートはちょっと尺を使い過ぎていたようにも思えますが。
最後に
無法地帯だったハリウッドは、恐慌の後スタジオシステムを導入し持ちこたえますが、1950年代に差し掛かるとTVの普及によって再びピンチに。
赤狩りなんかもやりましたし、スタジオシステム崩壊によって大作よりも社会に対してのカウンターカルチャーともなったアメリカンニューシネマが台頭になり、ここから一気に社会と映画が結びつき、あれよこれ世で現在に至るわけです。
やはりなんでもありな祭りにはルールを作らないとおさまりが効かないってのはどこの場所でもあるわけです。
映画の都でも「ヘイズコード」を使って期性したわけであり、それがなかったら恐らく今こうして映画を見ることもなかったかもしれません。
そしてラスト、これはチャゼルだから絶対やるだろうと思ってたんですけど、まさかそのまま「雨に唄えば」を使うとは思わなかった。
あの映画は正にバビロン同様サイレントからトーキーへと移行した時代を舞台にしたミュージカル映画で、ダミ声の大物女優には替え玉がいたことを明るみにして男女が結ばれるという結末ですけど、それを見たマニーは大粒の涙を流すんですね。
きっとこれはマニーからすればあの時代は「雨に唄えば」のような呑気なモノじゃなくて、沢山の人が仕事を失ったり干されていった辛いモノだったんだっていう哀しい思いと、ようやくそれを映画に落とし込んでも娯楽にできる時代になったっていう喜びみたいなものがあったのかなと。
またこの100年で生まれた名作が走馬灯のように流れるんですが、いくつもの浮き沈みを経ても尚、映画は僕らに届き、その映画を僕らに届けるため製作されている、というチャゼルなりの野心と愛が溢れた想いが、このエンディングには込められていたのかなぁと。
そう、きっとマニーはチャゼル自身なんですよね。
だからあの締め方をしたんんだろうと。
しかし、もっとハリウッド映画史としての機能を示してほしかったのと、群像劇に見立てておいて、フェイとシドニーのパートは薄かったりと色々思う部分はあり。
そういう意味でも歪な映画だったんだよなぁ。
でもすごく惹かれてしまうのはやはりチャゼルの魔法なんだなと。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10