モンキー的映画のススメ

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主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「クライマッチョ」感想ネタバレあり解説 イーストウッドから本当の強さを教わる。

クライ・マッチョ

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巨匠クリント・イーストウッド

彼が主演の作品を見ていると、彼そのものなのではないかというほど、主人公とイーストウッドを重ねてしまうことってありませんか。

 

特に「グラン・トリノ」以降の彼は、かつての「マッチョ」な男の部分と、「老い」を経たことで醸し出す哀愁がいつも付きまとっており、自省の念のようなものが見え隠れしています。

 

また前々作「運び屋」では、後輩であるブラッドリー・クーパーに人生の何たるかを教えたり、家族に対しての詫びともいえるシーンを作ったりと、イーストウッドが強く見えてしまう作品でした。

 

今回馬上に乗る姿を披露するイーストウッドは、「許されざる者」以来30年ぶりとのこと。

行って帰ってくるだけの物語としては「運び屋」同様ですが、どんな物語なのでしょうか。

早速観賞してまいりました!!

 

 

作品情報

半世紀以上に渡り映画界の第一線で活躍してきたクリント・イーストウッドが、監督50周年、40作目となるアニバーサリーとして手掛けた作品「クライ・マッチョ」。

 

かつてロデオスターだった主人公が、メキシコへ渡り少年を連れ戻してほしいとの依頼を受けることで、犯罪スレスレの旅路を歩んでいくドラマ。

少年と老人の旅は、彼の人生をどう変化させていくのか。

 

早撮りの名人としても著名なイーストウッドが見せる本作は、かつて「強さ」を武器に生きてきた男が、「本当の強さ」とは何かを突き詰めていく物語。

 

ダーティーハリー」を始めさまざまなマッチョ精神で我々を勇気づけてきた彼が、91歳という老齢になったことで改めて「強さ」とは何かを訴える。

 

体力的にも至難の業と言える監督と主演。

老いても尚輝きを放つ彼の眼差しを堪能しようではないか。

 

 

あらすじ

 

誘拐から始まった少年との出会いが、2人の人生を大きく変えていく。

 

アメリカ、テキサス。
ロデオ界のスターだったマイク(クリント・イーストウッド)は落馬事故以来、数々の試練を乗り越えながら、孤独な独り暮らしをおくっていた。

 

そんなある日、元雇い主から、別れた妻に引き取られている十代の息子ラフォ(エドゥアルド・ミネット)をメキシコから連れ戻してくれと依頼される。

 

犯罪スレスレの誘拐の仕事。それでも、元雇い主に恩義があるマイクは引き受けた。
男遊びに夢中な母に愛想をつかし、闘鶏用のニワトリとストリートで生きていたラフォはマイクとともに米国境への旅を始める。

 

そんな彼らに迫るメキシコ警察や、ラフォの母が放った追手。

先に進むべきか、留まるべきか?
今、マイクは少年とともに、人生の岐路に立たされる―― 。

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監督・主演

本作を手掛けるのは、もちろんクリント・イーストウッド。

 

監督デビュー50周年という記念すべき作品。

僕自身彼の主演作も監督作も、半分も見れていないいわゆる「にわか」野郎であります。

 

ですが彼を作品を見ていくと、役=イーストウッドにしか見えてこない。

きっと彼が投げかける言葉が、彼自身の言葉のように聞こえるからなのかな。

「許されざる者」でも、これまでやってきた西部劇で演じた自身にピリオドを打つかのような作品だったし、そんな彼が「グラン・トリノ」の最後にとった行動は意外でした。

 

近年は監督業に勤しみ、悲劇を未然に防いだ英雄たちを讃える作品ばかりでしたが、前々作「運び屋」では久々に自身が主演ということもあって、ユーモラスな描写もシリアスな描写も、どう見てもイーストウッドにしか見えない面白さがありました。

 

少年と大人で括ると、イーストウッド的には「グラン・トリノ」、「パーフェクト・ワールド」や「センチメンタル・アドベンチャー」などが挙げられますが、それらの延長線上の作品の予感もしますね。

高齢を迎えた主人公が悟った「強さ」とは何か。

彼からしたらまだまだ若輩者の僕ですが、勉強させていただきたいと思います!!

 

彼の作品はこちらもどうぞ。

 

www.monkey1119.com

 

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多分見終わった後、こんな爺ちゃんになりてえ!とか言いそうな映画の予感w

ここから鑑賞後の感想です!!

 

感想

もう沁みるね、イーストウッドの姿が。

かつて「マッチョ」と呼ばれた男が遺す、あるべき姿とは。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

 

旅で得たモノとは。

かつて「ロデオスター」として名を馳せるも、怪我と妻子を失ったことで自暴自棄となり、余生を過ごす老人が、恩を返すために息子を誘拐しに単身メキシコへ向かう物語。

母から逃れているにもかかわらず「俺は強い」といきがる少年と旅を続けていくロードムービーは、老齢ならではの哀愁やかつてのマッチョ感を見せるも、何をしてもかわいく見えて仕方ない姿が愛おしく、いつまでも彼の一挙手一投足を眺めていたい気にさせてくれる物語でございました。

 

誘拐するとはいうものの、血のつながった父からの頼みであるし、自由気ままに過ごす母の相手からの暴力によって路上で生活するしか選択肢のない少年の合意によって、旅は始まっていくわけで、その辺りは「パーフェクト・ワールド」とはまた違った大人と子供の心の交流だったように思えます。

 

またロードムービーといっても、ひたすら追手から逃れるためにメキシコ中を逃げ回ったり、数千キロもの道のりを何日間も旅するような「車中がメイン」の物語でもない。

引き合いに出すのも違う気がするけど、「ドライブ・マイ・カー」のように車内での会話も少ないし、そもそも盗んだ車で埃まみれのフロントガラス。

車外から彼らを見たところで美的な画にはなってないんです。

 

じゃあ一体少年とどのように交流していくのか。

それは「寄り道」をする際に起きたエピソードが、彼らの凝り固まった関係をほぐしていくからです。

 

最初こそ最悪の出会いです。

子どもを育てるのを放棄している母の情報により闘鶏場を訪れたマイクでしたが、いきなり警察が詰め寄ったことで、隠れなくてはならない羽目に。

落ち着いたところで少年ラファエルを探すと、ニワトリのマッチョ(名前ね)が襲い掛かり、その後生意気な態度でマイクに詰め寄ってくるんですね。

 

これは手に負えないし、こんな面倒なガキこっちから願い下げだと母親の下へもう一度行くと、連れていったら殺すとまで言われてしまう。

頼んだ牧場主には申し訳ないけど、これは退散した方がいいと思った矢先に、車中からラファエルが出てくるではありませんか。

 

財布を盗んでおいて取引してくるようなガキを、なぜおれが連れていかなきゃいかんのだ、そう心の中で思ってるに違いないマイクでしたが、少年の「父に会いたい」という素直な気持ちを聞いたことで、ここはひとつ一肌脱ぐかと。

 

しかし母親が出した追手が執拗に追いかけてくるし、国道の隅っこで飯食ってたら車は盗まれるし、盗んだ車は途中でガソリン漏れてるしと、なかなか前に進むことができない。

 

そんな中でも少年の機転を利かせた対策が功を奏したり、町に留まるしかない中で会った飯屋の女将の優しさに触れることで、最初に互いが抱いた「めんどくさい奴」という概念はあっという間に消え去ってしまってる。

 

旅ってのはいつだって予定調和で行くことがない。

アクシデントはつきものだし、今回のような半ば誘拐の場合誰かが追ってくるわけで、のんびり過ごすようなこともできない。

そんな時互いがどうするかによって絆は深まっていくし、思いがけない出会いが旅をいい方向へ導いていくれることだってある。

 

留まるしかない町で出会った馬主とは、マイクが牧童をやっていた経験から暴れ馬を馴らしたり、噂が噂を呼んで町の人が動物を連れてきては「見てもらえませんか」と尋ねてくる。

匿ってもらった飯屋の女将からは、言葉が通じないにもかかわらず親切にしてくれた。

教会で寝泊まりしていたマイクと少年に朝食を差し入れしたり、空いている部屋を掃除してしばらく住んでくれとまで言ってくれる。

 

終いには両者とも孤独の身である共通点や優しさに惹かれ、知らず知らずのうちに恋が芽生えたり。

 

これまでロデオスターであったことに対する傲慢さゆえに、愛する家族を失った故に自暴自棄になっていた「かつてのマッチョ」は、異国の地で様々な人に触れていくことで、強くあることは結局は誇大であり、自分よりも強いモノには勝てるわけがない。

それを老齢になった時に実感し、反省をしてももう遅いのだと。

 

だからこそ、この先望まない人生が待ち受けていようとも、恵まれた環境ではないにせよ、決していきがったり生意気な態度でいるのではなく、目の前に置かれたことを受け止め、受け入れ、立ち向かっていくことへの強さが必要なのではないかと。

 

そんなことを、様々な経験を経た男は、静かにか細い声で語りかけてくれる物語だったのではないかと。

 

ぶっちゃけ出会って間もない爺さんの戯言なんぞ、誰が耳を貸すものか!となりがちなモンキーですが、クリント・イーストウッド御大とこんなドキドキするような旅をしながら言われたら刺さりますよね~w

 

また、マイクが恐らく人生最後の場所として選択した地は、どこか映画界から離れ余生を過ごすクリント・イーストウッドに見えてしまうんですよね。

本当にこれが最後なのか?

いやいやまだまだできるっしょ、やってくれよといいたいんですけど、あのラストダンスを見たらそうも言ってられないというか。

 

「運び屋」のラストでも、捕まってひとりで反省しますみたいな意味合いのあったラストだけに、彼なりのメッセージが込められていたのかなぁと。

 

しかしここ20年の彼の作品は、すごく私的な物語に見えて仕方ないですよね~w

可愛くて仕方ない。

本作を見る前に「恐怖のメロディ」や「ガントレット」といった、平気で女を殴るマッチョな時代のイーストウッド作品をみたせいか、今回の作品のイーストウッドは何をやっても可愛くて仕方ありませんでしたw

 

少年と野宿するシーンでは、ニワトリを「チキン」と呼ぶマイクに対し、「彼にはちゃんと名前がある、マッチョだ!訂正してくれ!」と言いあう場面がありました。

俺が何と呼ぼうと勝手だ、みたいな態度で少年に言い張るマイクでしたが、マッチョの目にゴミがついていると「おい、じっとしてろ、今取ってやるから」と、細い指で優しくゴミを取るんですね。

 

するとどうでしょう、マッチョはマイクを気に入ったのか寝転がってるマイクの足の上を行ったり来たりして、お気に入りになってるではありませんか。

昔のイーストウッドなら「邪魔だ!あっち行け!」ってぶっきらぼうにあしらったかもしれませんが、今回のイーストウッドは自分の身体の上を自由に歩き回ってても放置!

なんだこの画はw

かわいいじゃねえかw

 

私、少々キュンとしてしまいましたw

 

さらには馬主のところで、少年に馬の乗り方を伝授することになるんですが、その間に町の人から「ヤギがケガしちゃって。見てもらえませんか」とか、「うちの犬が調子よくないんだ、見てもらえねえか」と、ドリトル先生状態に。

動物とじいちゃんて、絶対視聴率取れるパターンじゃないですか。

ついついTVをつけっぱなしにしてたら見ちゃうやつ。

あれをまさかイーストウッドで拝む日が来るなんてっていう。

 

「よしよし、大丈夫あとで見てやろう」とか、「こいつには休養が必要だ、今日はずっとベッドで一緒に横になってなさい」とか、医学的にどうこうしようっていうじゃなく、ほんと元牧童としてアドバイスするだけなんですけど、動物に目を向けるイーストウッドの眼差しがね、もう優しいんですよ・・・・。

なんてかわいいんだ!とw

 

ここも私、キュンとしたシーンですw

 

他にも絶対効いてないだろっていうイーストウッドパンチねw

追手が少年を強引に連れていこうとした矢先に、ニワトリのマッチョが顔めがけて遅いかっかったところを、すかさずパンチするんですね。

老齢のパンチなのに、足がよろめくんですよw

嘘だろ!絶対そんなに威力ないのに!と。

もしかしたらテキサスの男は年齢関係なく強いのかもしれないw

ですが、そこまで効くものか?と。

 

実際「恐怖のメロディ」ではあまりのパンチ力に女が部屋の隅まで吹っ飛んで崖から落ちて死ぬっていうラストで幕を閉じるんですけど、それを見た矢先の本作だけに、さすがに笑ってしまいましたw

 

他にも飯屋の女将の孫の中に聾唖がいまして、彼女がマイクの手にそっと手を乗せるんですね。

そして優しく微笑んで、手話で返すわけです。

 

孫と爺ちゃんて、絶対視聴率取れるパターンじゃないですか。

ついついTVをつけっぱなしにしてたら見ちゃうやつ。

あれをまさかイーストウッドで拝む日が来るなんてっていう。

 

可愛くて仕方ありませんてば。

 

あとはもう飯屋の女将とのダンスね。

相手の伸長に合わせてかがんでるんじゃなくて、もう背骨が曲がってるんですよ。

相手の女性がお婆ちゃんではあるけれど、恐らく50代、言って60代ですよ。

もう介護してるようにしか見えないんですけど、やっぱアメ公だからですかね(少年が散々こう言ってるのでついw)、画的に成立するんですよね。

さりげなく頬を寄せたり軽くキスするのも全然見れる。

 

なんてかわいいんだとw

 

あとあれね、野グソ未遂シーンw

国道の端っこで二人でご飯食べてると、腹を壊すわけです。

サボテン噛めば気分良くなるよ、なんて言われてやってみたら「まずい!」と。

そんなことしてる間に車盗まれちゃうんですけど、それまでの過程で今にももれそうな感じで用を足そうとするイーストウッドが、なんかもう切なくてw

確かに水が合わないとこういう事態になるけれども、そういうのはイーストウッドがやらなくていいんだからね!と心の中でつぶやいてましたw

 

こんな感じで、内をやっても可愛くて仕方ない、もしくはかつてのマッチョなイーストウッドはもうスクリーンでは拝めないという現実を突き付けられた作品でもありましたw

 

 

最後に

きっと初めてクリント・イーストウッドの映画を見ます!って人には面白みに欠ける映画かもしれません。

正直、逃避行と言いながらものらりくらりだし、スリルもへったくれもない。

途中のアクシデントも全然ヒヤヒヤしない。

寧ろ予定調和だし、都合よすぎるし、平坦な道のりでしかない。

 

しかし、夕焼けと夜空が絶妙なコントラストな時間帯で、野宿をするイーストウッドの姿はものすごく画になるし、飯屋の女将一家と別れる際もあっさりしてるんだけど、そこでいちいちお涙頂戴なシーンにしない潔さがあり、イーストウッドらしさが詰まった映画でもあるんです。

 

一番はなんといっても「強さ」とはいったい何なのかということ。

「そんなもんぶら下げてデカいツラしてても、何の意味もないんだぜ、もっと腰を据えて生きな」

そんなお説教を有り難く頂戴した気分です。

どうしたって男は追い求めちゃうんですよね、強さに。

だからこそ、御大の言葉が沁みるんですよ。

 

ラストでうっすら涙を浮かべてたのは気のせいかな。

気のせいだ。

イーストウッドは、あそこで泣くことなんてしない。

今はそう思ってますw

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10