モンキー的映画のススメ

モンキー的映画のススメ

主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「ビバリウム」感想ネタバレあり解説 不快極まりないスリラーは意外と社会派でした。

ビバリウム

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 昔みのもんたが、「マイホームは人生で一番大きな買い物じゃないですか」ってCMで言ってましてね。

まぁ当たり前のことなんだけど、よくよく考えてみたらこの先人生でマイホーム以上に高い買い物なんてないわけですよ。

 

実際何十年とローン組んで購入するわけですから、家を買う際は慎重かつ理想の家をもちたいですよねっていう。

 

それこそが夫婦の人生設計の一番の幸せであり夢なのかなと。

 

うちの両親も家を買うことが夢だったそうで、何度もスポーツカーを買い替えて乗り回しまくってたオヤジも、母ちゃんに説得されて車売ったとかなんとか言ってましたからw

 

 

今回鑑賞する映画は、そんな夫婦の夢「マイホーム」にまつわるお話。

幸せへの第一歩である家探しが地獄のはじまりになるなんて…という「ラビリンススリラー」なんだとか。

 

僕が家を買う予定は全くないですが、これ見たら本当に買いたくないって思ってしまうんでしょうかww

早速鑑賞してまいりました!

 

 

 

 

作品情報

カンヌ国際映画祭で話題沸騰となった新鋭ホラー監督ロルカン・フィネガンによる作品。

 

新居探しにやってきた若いカップルが不動産屋に紹介された住宅地は、脱出不可能な迷宮だったという夢を悪夢へと変えてしまうラビリンススリラー。

 

ソーシャル・ネットワーク」をはじめ様々な作品で存在感を発揮する男性俳優と、インディペンデント作品を中心に活躍し、今後の期待が注目される若手女優二人が、抜け出せなくなった世界で少しづつ精神が崩壊していく様をリアルに演じる。

 

規則正しく建てられた居住区域や、まるで絵にかいたような空。

憧れだった風景が違和感しか抱かなくなっていくことで、普段の我々の日常に暗い落とし穴を作っていく。

 

ソーシャル・ネットワーク (字幕版)

ソーシャル・ネットワーク (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 

 

あらすじ

 

 新居を探すトム(ジェシー・アイゼンバーグ)とジェマ(イモージェン・プーツ)は、ふと足を踏み入れた不動産屋から、全く同じ家が並ぶ住宅地<Yonder(ヨンダー)>を紹介される。

 

内見を終え帰ろうとすると、ついさっきまで案内していた不動産屋が見当たらない。

 

不安に思った二人は、帰路につこうと車を走らせるが、どこまでいっても景色は一向に変わらない。

二人はこの住宅地から抜け出せなくなってしまったのだ― 

 

そこへ送られてきた一つの段ボール。

中には誰の子かわからない生まれたばかりの赤ん坊。


果たして二人はこの住宅地から出ることができるのか―?(HPより抜粋)

 

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監督

本作を手掛けるのは、ロルカン・フィネガン。

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アイルランド生まれの方だそう。

製作会社でモーションデザインや編集を担当し、のちの監督業へ。

 

初の長編作品で、森林地帯を調査する測量士を通じて、森の恐ろしさを描いた物語「WITHOUT NAME」ではトロント国際映画祭やシッチェス映画祭などで話題になったそう。

 

ちなみに本作はカンヌ国際映画祭の批評家週刊でプレミア上映され、新しいクリエイターを発掘、サポートするための賞「ギャン・ファンデーション賞」を受賞しています。

のちにフランスで長編映画製作を行うことなのでしょう。

楽しみですね。

 

僕は初めて知る人物なので、どれだけヤバイ作品を作る人なのかドキドキしておりますw

 

 

 

 

キャスト

トムを演じるのは、ジェシー・アイゼンバーグ。

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みんな大好きジェシーくん。

今回もいつものように早口言葉で僕らを魅了してくれるのでしょうか。

 

彼の出世作「ソーシャルネットワーク」も10年近く経っていることもあり、さすがに歳をとったなぁという印象。

貫禄さえ漂ってますね。

 

彼に関してはザック・スナイダーが編集、再撮影に臨んだ「ジャスティス・リーグ」スナイダーカットが今後の待機作になるんでしょうか。

あれ見たいよね。

 

彼に関してはこちらをどうぞ。

 

www.monkey1119.com

 

 

www.monkey1119.com

 

 

 

 

他のキャストはこんな感じ。

ジェマ役に、「グリーンルーム」、「バーバラと心の巨人」のイモージェン・プーツ。

謎の不動産屋マーティン役に、TVドラマシリーズ「SHERLOCK/シャーロック」、「スターリンの葬送狂騒曲」のジョナサン・アリスなどが出演します。

 

 

 

 

 

 

 

物語は途中から子供が登場するようで、この子がなかなか不気味な模様。

スリラーだしR15指定なので、予告編では描かれていない怖いシーンがあるのでしょうか。

そう、モンキーはホラー苦手なんですけども…

ここから鑑賞後の感想です!!

 

感想

いやぁ気味が悪いし意味が解らん。

家欲しくて見に行ったら抜け出せなくなっちゃったカップルの不条理すぎる生活。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

辛すぎるだろこんな生活。

明るくしっかり者のジェマと、ちゃんとした色のように見えないが優しいトムの2人が、物件の内覧に行ってみたら住宅地から抜け出せず、知らない子共を育てながら生活する羽目になってしまう物語。

 

ド頭のタイトルロールからひな鳥の生まれる瞬間から餌を親の口から頬張る姿、そして巣から落とされてしまうまでの映像をバックに「ビバリウム」というタイトル表記。

 

いきなりなんてモノを見せるんだ!と不快な気持ちになりながら始まった物語は、不動産屋に訪れてから最後までず~っと薄気味悪さが目にこびりつく何とも言えない感覚。

 

モスグリーンを基調とした全く同じ家々が並ぶ住宅街に、一見きれいな空と雲そして夕焼けに見えるが、全くの作りモノ。

 

どう見ても作りモノにしか見えない場所で、全く味のしない食べ物を口に入れながら、どこの誰かも知らない子供を育てる羽目になるジェマとトムが困惑し、疲弊し、やがて狂気に駆られ朽ち果てていくまでを、ほぼ説明なく描かれていく。

 

普通に車で赴いたのだから、来た道を帰ればいいだけの話じゃん?

なんて安易な考えは一切通用しない世界。

 

屋根に「HELP」と書いても飛行機も鳥すら飛んでないし、太陽が昇っている場所までひたすら家の壁をよじ登って向かっても、結局元にいた家に戻ってしまう。

 

明らかに何か違うと感じたトムは、家に火をつけてのろしを上げても、思いっきり燃え盛った家は気づけば元に戻っているではないか。

 

たまたま喫煙して子供に向って八つ当たりするかのように吸殻を投げた途端、芝生がヘンな具合に燃え、いかにも作り物の土が出現。

何かに憑りつかれたようにひたすら土を掘り始めるトム。

何かしてないと変になりそうだと無我夢中で掘り始めるトムの姿は、非常に奇妙で薄気味悪い。

 

こんな不思議を通り越してもはや不気味な住宅街で、なぜ私たちは生活しなくてはならないのか。

普通に家が欲しかっただけなのに、普通に愛する人と素敵な家で暮らしたかったのに。

 

 

一体この映画が何を伝えようとしているのか、一体この映画が何をテーマに描いてるのかさっぱり理解できないままカップルの生活をただ見せられている僕が、空っぽの頭を必死にフル回転しながら見ていたわけですが、一応一つの仮説を立ててみることに決意。

 

それは「結婚後、子供を設けて生活する」というシミュレーションを体験させる物語なのでは、と。

 

段ボール箱から生まれてきたどこの誰かも知らない子供は、日を追うごとに急成長しはじめていく。

親だと思う二人の一挙手一投足を真似し始めたかと思えば、朝食を用意しないとわめきだし、夜中に分けわからん模様が映し出された映像を見続ける子供を強制的にやめさせようものなら騒ぎ出し、私はあなたのママじゃないと言えば奇声を発する謎の子供。

 

あ、こいつはきっと駄々をこねてワガママばかり言う子供そのものなのか、母親だと自身を認めしっかり育てないとこいつはちゃんと育たないのか。

実際段ボール箱には「成長すれば解放される」という指示があったわけだから、ここは素直にこいつの面倒を見てみるか、そんな思いを僕と同様ジェマは劇中で思ったはず。

 

だから僕の仮説はあながち間違ってない、きっと立派に育てればここから解放される。

あなたが思うように結婚生活って大変なんだよ、そんな解釈で見ていたわけですが、後半に連れて僕の仮説は一気に崩されていく。

 

 

ひたすら土を掘り約5m暗い深くまで掘ったトムの容態が徐々におかしくなっていく。

一時は険悪ムードになった二人だったが、さすがにひどく弱ってきたトムを介抱しなくてはと焦り始めるジェマ。

 

衰弱したトムは結局息絶えてしまい、成長した子供によって袋に詰められ掘った穴に放り投げられてしまう。

ジェマもまたトムと同じ道を辿って息絶えてしまう。

 

・・・おいおい、なんて救いようのない映画だ。

一体何をテーマにした話なんだ。

 

困惑した状態のまま幕は閉じ、今こうしてよくわからないまま思ったことと劇中の説明を記している。

 

ビバリウムの意味。

理解できないことをそのままにしておいて「つまらない」なんて馬鹿な感想で終わらせたくない。

せめて前売り券代くらいは咀嚼しておきたいと思った僕は、まずタイトルの「ビバリウム」がどういう意味か調べてみた。

すると、「生き物の住む環境を再現した空間」という意味にたどり着いた。

 

生き物?

あ、もしかして冒頭のひな鳥の映像から察するに、これは鳥の生活を人間に当てはめて描いた話なのか?

すると、冒頭木の枝を切っていた庭師のトムを尻目に、巣から落ちてしまったひな鳥を悲しむ少女に「自然の摂理なのよ」と語るジェマのシーンは、非常に意味のある場面だったのか。

 

確かカッコウと言っていたな。

 

そういえば、カッコウは「托卵」といって、自分の子供を別の鳥に育てさせる性質を持っている鳥だってのを聞いたことがある。

 

調べてみると、産卵する前に「オオヨシキリ」という鳥や「モズ」をターゲットがいない僅か一瞬をツキをついて巣で産卵し、別の鳥の卵を持ち去って数が同じように見せるんだそうな。

 

他の鳥よりも孵るのが早いカッコウのひな鳥は、やがてすくすく成長すると共に、まだ孵らない卵を巣から落として独占し、親の違う鳥から餌を与えられ3週間ほどで巣立ってしまうんだそう。

 

なんて姑息な鳥だ!

幾らなんでもひどすぎる!

・・・と感情的になってしまうけども、ジェマが冒頭で少女に言った通り「自然の摂理」なんだなこれがということを本作は伝えたかったのだろうか。

 

 

だからジェマとトムは、モノの見事にカッコウなる不動産屋によって標的にされ、自分の子供をビバリウムという「閑静な住宅地」を再現した場所で、まるで自分の子供のように育てなくてはいけなくなる羽目になったわけか。

 

そして朽ち果てるまで育たされ袋詰めにされる、これを「自然の摂理」だと。

 

不条理すぎる結末だという感覚自体が、冒頭で悲しんでいた少女と同様の感情になっていたことに、ようやく気付かされました。

 

これで元は取れたのか?オレは・・・。

 

画一化された住宅地。

住宅地を再現するなら、もっと個性豊かな家々が並んだ方が再現し甲斐があるだろうにと思ったわけですが、洋画を見るたびに日本ではあまり見られない「同じ家々が並ぶ風景」というのをよく見かける。

 

本作を見て思い出したのは「サバ―ビコン」というジョージ・クルーニーが監督したサスペンス映画。

 

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 白人ばかりが住む住宅街に黒人家族が引っ越してくる中で、マット・デイモン演じるお父さんが何やら怪しい動きを見せるという50年代のアメリカを舞台にした映画。

 

ここで描かれている家々は正に本作「ビバリウム」同様、同じ形をした家ばかりが連なっているんですね。

 

実際50年代のアメリカでは、第二次世界大戦後の「豊かなアメリカ」をを体現させたい一心だったのか、生活水準を向上させるために郊外に格安物件を作り出し、男は都心まで仕事に通い、女は家で専業主婦になり、週末には外でバーベキューを楽しむような、「これぞアメリカの幸せな家族像」を企業や経営者から提示され、色んなマスメディアによるシステムを提示され、モノの見事にサイクルに乗り、消費し、みんなと同じ「幸せ」を味あわせようとしていたんだそうな。

 

だそう、とか言っておきながら実際自分の生活様式も、モノの見事に大量消費のサイクルに乗っかってユニクロだのセブンイレブンだの、消費者が幸せだと思えるようなものにばかり食いつき、それが流行だとメディアから伝えられ、鵜呑みにして手にしてしまうという社会の図式に見事にハマってしまっているわけですよ。

 

恐らく本作は、そんな社会の中で作られてしまったテンプレ-トのような幸せが果たして本当の幸せなのかということを、カッコウの托卵に例えてバットエンドに見せていたではと。

 

ジェマとトムが行きついた「ヨンダー」は、正に今の私たちの生活と同等の場所なのではないかと。

そう考えると、安く気軽にコーヒーが飲める某カフェでアイスカフェラテを飲みながらのうのうと本作の感想を書いている自分に嫌気がさしてきた。

 

 

最後に

本当の幸せとは一体何なのかを問う本作。

この記事を書きながら思い出したのはモンキー的映画のススメでお馴染みMr.childrenの曲「Worlds End」。

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歌詞にもあるような「飲み込んで吐き出すだけの単純作業繰り返す衣自動販売機」のように、僕らの生活自体がまるで本作のような「画一的」な暮らしになっているのではないか、と訴えるようなPVになっている。

 

僕らが描く「幸せ像」は、社会によって生み出された均一的画一的な作業やサイクル、アイテムで構成されて果たしていいのだろうか。

 

色んな人がいていいんだというダイバーシティが少しづつ産声を上げてきている中で、社会は「幸せ」の多様性も生み出す使命があるのではないか。

 

恐らく映画の内容自体も、どうせハッピーエンドになるんだろ?、ハッピーエンドじゃないと消費者は喜ばないんだろ?と、昨今業績ばかりに目を奪われがちでシステム化してしまっている映画産業に一石を投じたような内容になって言うようにも見える。

 

ロクな説明もなければ伏線の回収もない。

それが無ければ映画は面白くない、それが無ければ映画で幸せな気持ちになれない、と思い込んでいる生産者側の思惑によって固定概念を作らされた僕らを見事に逆手にとった作品、なのかもしれない。

 

でもこれだけは言わせてほしい。

俺はこの映画好きになれない!

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆★★★★★★4/10