アメリカン・フィクション
僕はロバート・アルトマンが描く「アメリカへの皮肉や風刺」が好物でして、幼少の頃か抱いていたアメリカへの憧憬を見事に覆してくれるので、そういうのも込めて「アメリカって、いいなぁ~」と少々小バカにした感覚含め楽しんでおります。
今回観賞する映画は、そんなブラックコメディ要素をふんだんに盛り込んだといわれている映画。
なんでも、「こんなの黒人ぽくない」という理由から出版されなかった売れない作家が、「じゃあ思いっきり黒人ぽく書いてやらぁ!」となったら大ヒットしちゃうっていう…。
こういう触れ込みだけですでに面白そうなんですが、結構言いたいことも透けて見えてきますよね。
いかに彼らが「そういうものだ」と決めつけて黒人を見てるのかっていう。
そこから同物語を膨らませ、意地悪く描くのか。
早速観賞いたしました!!
作品情報
パーシヴァル・エヴェレットの小説「Erasure」を原作に、「マスター・オブ・ゼロ」やHBOのテレビシリーズ「ウォッチメン」の脚本家として知られるコード・ジェファーソンが監督として初めて手掛けた作品。
教授にして作家の黒人男性が、物書きとしての苦悩や世間とのズレによるストレスを開放するべくやけくそで書いた小説が、思いもよらぬ形でトントン拍子に売れてしまう物語を、ステレオタイプが蔓延る現代ポップカルチャーへの痛烈な皮肉と共に描くコメディ。
トロント国際映画祭でプレミア上映されるや大絶賛を浴び、同映画祭の観客賞を受賞。一躍アカデミー賞の有力候補として大きな注目を集め、見事アカデミー賞作品賞はじめ5部門のノミネートを獲得。
主演には、「ザ・バットマン」でのゴードン刑事や、「007」シリーズのフィリックス・ライター役などで知られるジェフリー・ライト。
世間が抱く黒人意識に頭を悩ませながらも、どこかお高くとまった性格の教授役を見事に熱演。
本作でアカデミー賞主演男優賞に初のノミネートを果たした。
他にも、「ネクスト・ドリーム/ふたりで叶える夢」のトレイシー・エリス・ロス、「WAVES/ウェイブス」のスターリング・K・ブラウン、「プロミシング・ヤング・ウーマン」のアダム・ブロディ、「21ブリッジ」、「NOPE/ノープ」のキース・ディヴィッドなどが出演する。
いまだ白人中心のドラマが多く製作される現状に、一石を投じるであろう作品です。
あらすじ
尊敬される小説家にして英文学の教授ながら、著作に“黒人らしさ”が足りないと評されているモンク(ジェフリー)。
ステレオタイプ的な“黒人のみじめな人生”を求める世間に迎合した小説が売れていることに気付いていた彼は、病気の母の高額な介護費が必要なため、むしゃくしゃしたまま思い付く限りの“黒人要素”を詰め込んだ小説をペンネームで書き上げる。
皮肉でやったことでもあったものの、その小説は破格の値段で即売れ。
その年を代表するベストセラーになり、ハリウッド映画化まで決まってしまうことに…。(“黒人らしさ”が足りないと評された小説家、やけくそで書いた“典型的な黒人小説”が爆売れ…評判の風刺劇:第48回トロント国際映画祭|シネマトゥデイ (cinematoday.jp)より抜粋)
感想
#アメリカンフィクション 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) February 27, 2024
金のために1番書きたくなかった「お前らが求める黒人」小説が大当たり、映画化まで進んでしまう現象に苦悩する、売れない小説家の皮肉と悲哀と、家族の物語。
堅物でスノッブな主人公がキャラを使い分けるシーンは笑える。全体的に品のある空気もまた良い。 pic.twitter.com/5h2h61dcVF
黒人に光を!今度はアジア系に光を!…これ全部白人が決めてる事。
ステレオタイプでないといけないって一体誰が決めたのさ。
でも、世間が求めちゃってるのよね…あぁ皮肉。
以下、ネタバレします。
アイロニカルだけど結構辛辣かも。
ヒット作を生むには、世間が今何を求めているのかという鋭い視点も必要とされると思います。
音楽で言えば、今は「サブスク」だ主流のせいか、イントロの長い曲は受け入れられないのだとか。
最初のインスピレーションで気に入らなければ、さっさとスキップしちゃうんですって。
だから作り手は冒頭15秒でサビと耳に残るフレーズを残せるような曲作りに奔走してる、とか。
確かにその道で飯を食っていくには、自身のこだわりも大事だけど底と妥協鳴り折り合いをつけて創作物を世に送り出さないと受け入れてもらえないわけで、音楽にしろ本にしろ、映画にしろ当てるのって難しいことなんだなと。
そうした潮流に流されることなく、俺が考える黒人描写こそリアルなんだ!と、世間一般が求める黒人像とは違う思考を持ってるのが、本作の主人公モンク。
本名はセロニアス・エリソン。
どう省略しても「モンク」って呼び名にはならないんですけど、名前がセロニアスだから、ジャズアーティストの「セロニアス・モンク」にあやかってそう呼ばれてるんでしょうか。
実際劇中音楽はジャズがずっと流れてるんで、きっとセロニアス・モンクの曲が使われてるのかな?と思って調べたら全然違いましたw
その辺の設定は一旦忘れて、このモンク、相性の通りなのか、ず~っと「文句」言ってるんですよねw(英語だから絶対違うけど)
冒頭で黒人南部文学の講義をしてるんだけど、ホワイトボードに書かれた言葉が、黒人を揶揄するような文言で、それに対し「不愉快」だとかぬかす白人女性に睨みつけて、「お前の気持ちは一旦忘れて学べ!」って睨みつけるんですよねw
結局その学生は教室から出ていきましたけど、このシーン凄く大事だったなぁと。
要は白人学生は、黒人たちの歴史を理解したうえで「今そういう言葉は相応しくない」と解釈してるんですけど、歴史を学ぶ上でこういう不愉快な言葉の語源を知るのは必要だとモンクは言ってるわけで、ただ「世間的」だか「多様性」だか知りませんが、おめえの気持ちなんかどうだっていいんだと。
わかった風なツラしてんじゃねえと言いたいのかなと。
この授業で起きた騒動により、モンクは休職させられるんですけど、ここでの愚痴っぷりもさすがで、次回作の出版が決まらないモンクが、本を3冊出版した教師に対して「量が多ければいいってもんじゃない、お前が今度出す小説は空港で並んでる奴だろうな!」と吐き捨てる嫌味が炸裂。
こんな感じで、このモンクって主人公は、自分を評価してくれない理解してくれない世間とのギャップに苦しみ、それをグチグチつぶやくめんどくせえおっさんであることが窺えます。
しかも休職中に実家に帰り、参加した地元のブックフェアで見たのは「新人女性小説家」のトークショー。
黒人文化を綿密にリサーチしたうえで書きあげた小説が、多くの人たちの心を掴み大ヒットしたようで、会場でも拍手が沸き上がるほど。
しかしモンクは、触り程度しか読んでないけど、この本を「どうせ白人たちにゲイイ号した様なゴミみたいな本だろ」と一蹴。
益々「本当の黒人の歴史やリアルが歪んで世間に伝わってしまう」と嘆くわけです。
TVを突ければ、貧乏な黒人がドラッグに手を出し、銃撃に巻き込まれて死んでしまう物語や、シングルマザーとして奮闘する黒人女性、そして警察に殺される黒人の話ばかり。
モンクからしたら、「それがリアルな黒人か?」、「お前たちが求めてる黒人はそんなしかないのか?」と葛藤していくわけです。
物語は、そんなモンクの葛藤に加え、家族にも悲劇が訪れます。
仕事で忙しく疎遠だった姉の死、それをきっかけに発症する母のアルツハイマーなど、家族が少しずつ離れていくような事態に陥ります。
それまで姉が管理していた実家の金銭面もモンクが工面しなくてはならず、バカ高い介護施設の入居費をどうやって払うか苦悩していくのです。
そこでモンクは、新人黒人女性小説家のヒット作にあやかって、「白人たちにウケそうな黒人の物語」を、偽名を使って書き上げます。
あくまでモンクは、そういう歪んだ見方しかできないバカな連中へのブラックジョークとして書き上げたのですが、蓋を開けてみると「出版前にもかかわらず前金で75万ドル支払う」ほどの食いつき振り。
私たちが読みたいのはこういう本だ!大ヒット間違いない!と太鼓判を押され、モンクはさらに頭を抱えてしまいます。
無論断ろうとしますが、これまでヒット作もなければ介護施設の費用もない。
ここはひとつ一切顔を出さない、指名手配犯で12年ムショにいたという設定で偽名で出版し、金をもらってしまおうかと決断します。
小説の内容はいかにも典型的でステレオタイプな物語。
親父のせいで道を剃れた息子が、飲んだくれとなった親父を撃ち殺す内容で、言葉遣いも普段の黒人が使うようなものではなく、あたかも「それっぽい」口調で書いた会話。
一体なぜこれがウケるのか・・・。
未だ信じられないモンクにさらに追い打ちをかけるかのように、事態は「ハリウッドで映画化」まで発展していく始末。
モンクの苛立ちは、頂点へと達し、兄や恋人にまで八つ当たりしてしまうことになっていくのです。
この「世間にわからせるためについた嘘」により、モンクの人生はどうなってしまうのか、というのが本作の大まかなあらすじになっています。
コテコテのコメディではない
当初予想していたのは、起きたハプニングをコメディチックに誇張した作風なのかと思いましたが、劇中音楽をしっとりとしたジャズで構成していたこともあり、どこか全体的に緩やかで静かであまり波風の立たないドラマ仕立てのお話でした。
実際そういう演出に留めることで、お高く留まったおっさんがグチグチ言うだ毛かと思いきや、母親を始めとした家族には優しい眼差しを持っている側面も描かれており、さらには父親譲りの「賢さゆえの孤独」みたいな悲哀もしっかり醸し出された物語になっていましたね。
この落ち着いた雰囲気だからこそ、ユーモアが効いていた内容にも思えます。
それこそ普段は「知的で物静か」な性格だけど、愚痴り出したら止まらないし、他人の揚げ足はすぐとるし、一見誰からも好かれそうにない空気を持った「カタブツ」なんですよね。
そんなモンクが偽名を使って出した小説を、出版社と交渉しなくてはならないシーンで、あらかじめ設定した「指名手配犯で12年ムショにいた逃亡犯」に成りすまさなきゃいけない事態になるんです。
礼儀知らずでぶっきらぼうな口調で喋ったり、横柄な態度を取ったり、普段とは真逆の人物を演じなくてはいけないことに、非常に苦しみながらもなんとかやり遂げるモンク。
このギャップと苦悩っぷりが非常に面白かったですね。
マジで「俺何やってんだろ…」って表情を、ジェフリー・ライトがしっかり見せるんですよ。
育ちもそこそこいいし、そういう道に反れたこともない、友人にもそんな奴はいないわけで、モンクもまた「世間が求める黒人のイメージ」ってのを頭の中に持ってしまってるのもまた皮肉だったりするのかなと。
しかしまぁ~ここに出てくる白人共が「バカ」でね~w
これも本作になぞらえて言うと、全部の白人が黒人に対して持ってるんだ、と思い込んでしまうのもまたこれステレオタイプになっちゃうんでしょうけど、それを差し引いてもこいつらを見る限りほとんどの白人が「黒人をそんな風に見てるんだろうな」と思えて仕方のない描写でした。
黒人は皆貧乏で警察にひどい目にあわされて、家族も不憫な暮らしで、そんな彼らの哀しい物語を読んで、白人たちは「免罪符」にしてるっていうw
勝手にもほどがありますよねw
確かに奴隷として辛い暮らしを送らせていたのは白人なわけですから、実際自身がやっていなかったとしても「罪の意識」みたいなものは本能的に持ち合わせているのかもしれないけど、創作物を介して「求めてる」ってどういう神経なんだとw
「ゲットアウト」でも黒人への憧れや眼差しが気持ち悪かった印象がありましたけど、やはりそういう目を拭うことって難しいんですね。
また終盤ではモンクの書いた小説を映画化しようと目論む監督との絡みが描かれてました。
映画の中でモンク自身が体験している内容を映画化してほしいという案でしたが、「小説と映画は違う」という言い訳を盾に、実体験とは違うラストを求めてました。
いくつかの選択肢を挙げるモンクの案は中々お気に召さない様子の監督。
結局決めたのは「授賞式で、FBIに撃たれて死んでしまう」というもの。
実際偽名の小説家の設定は「逃亡犯」のため、本気でFBIが捜査に乗り込んだ流れになっており、発案したもの。
この案に「グレートだ!」とはしゃぐ監督。
結局お前らは黒人が死んだり殺される悲劇を求めてるんだな…あ~あバカバカしい、そんな諦め感漂う表情のモンクが最高に面白かったですね。
最後に
あくまで物語は、黒人をステレオタイプする白人への皮肉を描いたお話ですが、拳銃自殺した父親によって、自分のセクシャリティを告白できぬまま受け入れてもらえない兄貴の自暴自棄っぷりからの解放、母の介護や妹の死、そして家政婦の結婚のエピソードを並行して描いているので、「アイロニックな物語」と「描くべき物語」が同居した作品だったと思います。
また冒頭でアルトマンに触れたので言及すると、本作のように「黒人のこういう物語がウケる!」と誤解してる映画業界への警告めいた内容が、「ザ・プレイヤー」と似ているなぁと感じました。
あの映画も、正にハリウッドスタジオシステムに対する風刺と皮肉を交えたサスペンスでしたから、監督もどこか意識してたりするのかなぁと。
本作で言えば黒人を指した内容ですが、それ以外にも「過剰に求める」風潮は他のエンタメ分野でも存在するわけで、それこそがもうフィクションであることを自覚しなくてはいけないよね、って話だったのかなと。
リアルじゃないリアルを求めないで下さいと。
さて、次の「アメリカ」はどの人種を推して求めるんでしょうね。
アジア系から、中南米系かな?
それとも「日本」?
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10