ARGYLLE/アーガイル
「0011ナポレオン・ソロ」っていうスパイドラマの役を演じていたロバート・ヴォーンの息子だと思っていたら、実は貴族の末裔だった…。
そんな経歴を持つ映画監督マシュー・ヴォーンは、自らの出生の秘密を物語に盛り込んだ「キングスマン」というスパイ映画を製作しました。
それからというもの、「キングスマン:ゴールデン・サークル」、「キングスマン/ファースト・エージェント」といったシリーズや、「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」など、やたらとスパイ映画ばかり作ってるんですよね~。
本人も何かのインタビューで語っていたように思えますが、「007」の監督をしたくてしょうがないと。
でもどうせ抜擢されないから、だったら自分でスパイ映画作っちゃえってんで、これだけのスパイ映画を製作してるのではないかと。
そして今回観賞するマシュー・ヴォーン監督の作品も「スパイ映画」。
スパイ小説家が執筆した内容が、現実に進行している陰謀に似すぎてるってことで、組織から狙われてしまうというお話。
劇中劇と現実世界が横行するような内容ですが、いかにもマシューが考えそうな、POPでカジュアルなスパイ映画の予感。
海外での評価が著しく低いのが気になりますが、「こんなもんでいいんだよ」くらいの娯楽性があればいいかな、という期待値です。
角刈りのヘンリー・カヴィルが最高にウケるので、そこも楽しみたいですね。
早速観賞してまいりました!!
作品情報
「キック・アス」、「キングスマン」シリーズのマシュー・ヴォーン監督が新たなスパイ映画を生み出した。
愛猫家で小説家の主人公が、自身が執筆した小説の内容と現実が酷似していることから、本当のスパイ組織と共に敵の一歩先を進むため、世界を駆け回る姿を、空想の世界と現実世界の境界線を曖昧に見せる、クレイジーでPOPなアクション映画。
「ダイ・ハード」や「リーサル・ウェポン」といった80年代の大作アクション映画へのリスペクトを捧げたというマシュー・ヴォーンは、本作を3部作構想として考えている模様。
そのオリジン的な本作の主人公を、「ジュラシックワールド」シリーズのブライス・ダラス・ハワードが担当。
猫とスパイ小説を愛する等身大の可愛らしさと、陰謀に巻き込まれパニックになりながらも気丈にふるまう役柄を熱演。
他にも、「マン・オブ・スティール」や「コードネームU.N.C.L.E.」で実際にスパイ役を経験しているヘンリー・カヴィル、「スリービルボード」や「ジョジョ・ラビット」のサム・ロックウェル、「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」、「アステロイド・シティ」のブライアン・クランストン、「ホームアローン」のケビンの母親でおなじみキャサリン・オハラ、グラミー賞歌手のデュア・リパ、「ウエストサイド・ストーリー」のアリアナ・デボーズ、「ザ・スーサイド・スクワッド」のジョン・シナ、「キングスマン」のサミュエル・L・ジャクソン、「レベル・ムーン」のソフィア・ブテラ、「ザ・プレイヤー」、「ある女流作家の罪と罰」のリチャード・E・グラントなど、超豪華なキャスティングとなった。
「事実は小説よりも奇なり」をひねくれた発想で描き、これまでのスパイ映画の常識を100%覆す、最高にクレイジーなアクション映画です。
あらすじ
凄腕エージェントのアーガイルが世界中を飛びまわり、謎のスパイ組織の正体に迫る、手に汗握るベストセラーのスパイアクション小説シリーズ「アーガイル」。
そんなハードなシリーズの作者エリー・コンウェイ(ブライス・ダラス・ハワード)は、愛猫のアルフィーと共にのんびり過ごすのが至福の時という平和主義。
エリーはファンの誰もが待ち望む新作を準備しながら、ある場所へアルフィーと一緒に移動中、突如謎の男たちに命を狙われ、間一髪で、エイダン(サム・ロックウェル)と名乗る猫アレルギーのスパイに助けられることに。
その後も何度も身の危険に脅かされ逃げ惑う中、エリーが書いた小説が現実のスパイ組織の行動を偶然にも言い当てていた事が発覚。
エリーの空想のはずだった世界と、命が狙われる現実との境界線が曖昧になっていく中、エリーたちは敵の一歩先を行くために世界を駆け巡っていく。(otokotoより抜粋)
感想
#映画アーガイル 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) March 1, 2024
まさかビートルズの新曲をこの映画で聞くとは。現実と本の世界が混合しながら観る世界はある種新鮮で、頭とケツのひっくり返り具合は楽しい。しかしワンパターンなカメラアングルや合成ありきな映像はどうにかならなかったのか。
ネタバレは避けて挑むべし。 pic.twitter.com/KK8mK6kaFe
次々と飛び出す衝撃の事実に頭が追い付かん!!
そういうポップコーンムービーで全然OKなんだけど、いかにも「合成」な画は何とかならなかったのか…。
以下、ネタバレします。
二転三転どころじゃねえ。
自分の書いたスパイ小説が、現実を予言させてしまう本だと知らされたエリーが、本当のスパイ活動に巻き込まれていくという触れ込みの本作。
序盤は「まさか本当にスパイの世界があるなんて!」と「なんで私が巻き込まれなきゃいけないわけ!?」の連続をエリー視点で見せていく、コミカルでアクション盛りだくさんの内容。
陰謀に巻き込んでいく謎のスパイ・エイダンが、瞬きすらできずに驚いてばかりの鋭利―をケアしつつ、挑んでくる軽快に敵を倒していく姿を、エリーはなぜか小説内の主人公「アーガイル」と重ねて見えてしまう。
そんな現実と虚構が入り混じるような映像を見せながら、一切血の出ない殺戮劇をポップ且つテンポよく見せていくマシュー・ヴォ―ンの「コミック的演出」がとにかく楽しい。
このシーンは列車内で起きるハプニングとして描かれえているが、そもそも列車内アクションは、「007 ロシアより愛を込めて」を筆頭に、数々のスパイ映画や冒険活劇などでも見せられた伝統芸であり、最後にはエイダンがエリーを抱えてパラシュートで脱出するという締めは、様に「ミッションインポッシブル」さながらのスパイアクションを想起させる素晴らしいシーンでした。
昨今「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」や先ほど言及した「ミッション・インポッシブル/デッド・レコニング」、さらには「フェイブルマンズ」など、列車内でのアクションシーンを活用した作品が多く存在し、本作もまたそれに触発されたのではないかと疑うほど、これらにあやかった作品に思えたと同時に、「現代の高速列車」に形を変えて描いていた部分は良かったと思う。
実際にワンタッチ式の開閉ボタンが搭載されたトイレのドアボタンを使っての「切り替え」も面白かった。
一度締め再度開けるとエイダンが女性エージェントと奮闘してるかと思えば、次に開くとアーガイルの頬を女性がキスしている描写へと変わる。
こうしたシーンを一気に見せることで、如何にエリーの脳内が混同してるかが読み取れる。
話は一旦始まりに戻すとしよう。
スパイ小説「アーガイル」の4巻発売記念の朗読会で幕を切った本作。
5巻目はいつ出るのか?というファンの質問に「もうすぐ」と答えたエリーだったが、既に最終章まで書き上げていた。
4巻ではアーガイルが追いかけていた女性すテロリスト「ラグランジュ」の捕獲に成功したものの、彼女が雇われていたのが、アーガイル自身が所属していた組織のボスだったことが発覚。
事態が急変したアーガイルは、5巻では、組織を捨て相棒のワイアットと共に組織の全てがファイルされた「マスター・キー」探しのミッションを遂行する。
この5巻の内容が現実に行われようとしているスパイ組織の陰謀とうり二つであるということから物語は展開されていくのです。
物語を見ている我々は、「なぜエリーはそんな小説を書けるのか?」という疑問にぶつかることだろう。
しかし物語はどんどん意外な展開へと進行していくので、そんなことすら忘れさせる。
いわゆる「大どんでん返し」な映画は、サスペンスはじめいくつも存在する。
それのほとんどは「大ラスでひっくり返す」ようなパターンだ。
しかし本作は、体内時計で換算すると、およそ「20分間隔」で新たな真実を提示してくるのだ。
まずはじめに「はぁっ!?」となったのは、親子再会のシーン。
エイダンが自分を始末しようと企んでいると思い込んだエリーは、エイダンがシャワー中にこっそり逃亡。
シカゴにいる母親に助けを求め、30年前に両親が訪れたロンドンの一流ホテルのスイートルームで落ち合うことを約束するのだ。
無事再会できたエリーだったが、遅れて部屋に入ってきた父親が、なんと狙われている組織「ディヴィジョン」のボス、リッターだった。
え、どういうこと!?と一同は驚くことだろう。
序盤で父親の存在を提示しておきながら、もったいぶって姿を見せない辺りで勘が働く人もいるかもしれないが、これは正直驚いた。
しかもこれには続きがあり、なんと一番の小説のファンであろう母親までもがでヴィジョンの人間だったということ。
母親演じるキャサリンオハラが、受話器を持って困った表情をしている姿を見るたびに「ホームアローン」を思い出してノスタルジーに浸っていた俺の目を一気に覚まさせた瞬間だった。
おいおい、いきなりこんな裏切りってアリかよ・・・きっとエリーと同じ気持ちだったに違いない。
しかし事態はエリーと同様誰を信じていいかわからないくなっていく。
昨夜薄汚いホテルのシャワー室越しで聴いたエイダンの「早く殺してしまいたい」というセリフから、彼を信じられないし、かといって両親は自分を殺そうとした。
パニックにはなるし、愛猫のアルフィーもそばにいない状態に。
そんな中訪れた南フランスのブドウ園で更なる事実。
元CIA副長官の「アルフィー」を紹介されたエリーは、驚愕の事実を知る。
なんとエリー自身が、スパイエージェントだということ。
レイチェル・カイル(R・カイル=アーガイル)という名の彼女は、ディヴィジョンに所属して、エイダンと共にスパイ活動をしていたというのだ。
その後は、エリーが4巻で書いた内容の通りコトが進む。
よって、彼女はディヴィジョンから狙われていた、というわけ。
ここまで来るともう訳が分からない。
誤解を生むような発言をしてしまうかもしれないが、お世辞でもエリー演じるブライス・ダラス・ハワードがスパイエージェントには見えない。
顔がどうこうではない、そのふくよかな体型がそれを物語っているではないか。
確かに「ジュラシック・ワールド」シリーズでも果敢にアクロバティックなアクションを行っていたのだから、できないとまではいわない。
ただ、その頃よりも体型が膨らんでおり、見た目だけで「スパイエージェント」とは到底思えなかった。
しかし、これは映画。
出来ないことをできるように見せるのが映画だ。
エリーは、記憶喪失に陥り、ディヴィジョンのリッターらに洗脳されていたのだった。
幼少の頃のおぼろげな記憶まで上書きされており、「アイススケートで大怪我をして選手の夢を断たれ、ウェイトレスをしながらスパイ小説を執筆活動していた」設定にされていたのだった。
しかし、書き上げた小説はかつての自身の記憶から絞り出された内容だったため、彼女の書いた小説は現実で起ころうとしている内容だったのだ。
正直ここまで来たら何でもありだ。
この後、これまで献身的にエリーをサポートしてきたエイダンが裏切っても、何も驚かない。
そしてこれ以上の大どんでん返しはないだろう。
そう思っていたら、今度は「マスターキー」の中身を見たエリーは再び驚愕する。
なんと自分自身もディヴィジョン側の悪行を知っていた忠実なスパイだった。
さすがに疲れる。
何でもありだけど、こんなに物語の中で「実はこうでした」が続くと、さすがに飽きる。
この辺で俺のこの映画への興味はかなり薄れていった。
マシュー・ヴォ―ンの悪い癖
監督作品は基本的に好きだが、ここ数年は「アイディアが乏しい」感じに見える。
「キングスマン/ファースト・エージェント」でも、コンラッドがフェードアウトして以降、結局レイフ・ファインズ演じるオーランドが活躍するような展開は、「キングスマン」での師弟逆パターンだった。
確かに「キングスマン」は刺激的だった。
その新たなIPをシリーズ化するのも悪くないが、もっとときめくアイディアが欲しい。
本作アーガイルは、始まりと終わりで180度どころか2周も3周もした立ち位置で幕を閉じるために、ポップアクション映画のごった煮のように思えて仕方なかった。
クライマックスでのレイチェル(エリー)とエイダンによる、社交ダンスをモチーフにしたかのような愛の舞を見せるアクションシークエンスは、カラフルな煙幕を何層にも重ね、スローモーションで劇的に見せた。
シンメトリーな構図で、形式的な動きをしながら敵を一発で仕留める銃撃は、いかにも「フィクション」であることを明確に見せながらも、あまりの真面目に愛を表現しながら攻撃し合う2人の姿に、どこか笑えてしまうシーンではあった。
しかしながらこのカラフルな煙幕もまた「キングスマン」で既に使っているアイディアであり、セルフアップデートできていたかというと、正直YESとは言えない出来に感じた。
こうした既視感がマシューの新作への期待値を徐々に下げていく要因なのだと改めて感じた作品だった。
また本作はほぼ全シーン「合成」ではないかというほど、背景が合成されていた。
近年の大作映画では、コロナ禍の影響もあって「仕方ない」割り切り方もできたのだが、コロナ明けした今、そうした苦し紛れの撮影をしなくてもいい作品が多々存在する中、こうした映像を見るのは個人的にはきつい。
実際監督作品がコミカライズされたような作風の映像なのだから、これもありと言えばありなのだが、妙に光度の高い画質がまた、作り物感を助長させていて個人的には楽しめなかった。
それこそ冒頭、アーガイルがラグランジェを追走するために、青と白で記帳されたうつっくしい海沿いの町を。転げ落ちるように家を突っ切って追いかけるシーン。
いかにもジャッキー・チェンの代表作を意識したかのような無謀なカーチェイスだったが、それも全て合成で描いている。
ラグランジェがバイクで逃げるシーンをフェードアウトしながらギリシャの風景を一望させるダイナミックなショットは、まるで「007 ノー・タイイム・トゥ・ダイ」の1シーンを切り取ったかのような絶景だったが、結局その後はまるっきり合成であることで、一気に気分が萎えた。
昨今、MCUの映像合成処理が酷いと揶揄されているが、それ以上に合成感のある作品だった。
現場がひっ迫してる状況が製作背景にあったのかもしれないが、それにしても見てられないほどだった。
終盤、レイチェルが原油の滑り具合を利用してのアイススケートアクションは活気あふれて良かったが、あれもいかにも「合成」感MAXのアクションで、ワクワクはしなかった。
よく考えてみれば「キック・アス」でもそうした背景の合成感のあった作品だったが、本作以上の違和感はなかった記憶がある。
幾らポップなアクション映画を製作するにしても、どこかで本格的なスパイアクションを披露してほしいと、切に願う。
最後に
本作の最後、さらにサプライズが起こる。
小説内のアーガイルは実は存在していたこと、さらにはオーブリー・アーガイルの少年時代へと話は移り、彼が「キングスマン」というバーで銃を調達するシーンが描かれる。
小説「アーガイル」の1巻を描いた作品が次回作として公開すると示唆され、物語は「キングスマン」と密接に結びついていく予感を見せた幕切れだった。
もう一体全体意味が分からない。
虚構が現実となり、さらに監督の過去作へと結びついていく。
ワクワクはするが、ドキドキはしない。
これ以上掻きまわしてどうするのかと。
・・・所々批判めいた感想を含めた記事になってしまいましたが、基本的には見事に心かき乱された楽しみがあり、こういうスパイ映画もたまにはいいなという、ポップコーンムービーとしては合格点の内容だった。
しかし、マシュー・ヴォ―ンの乏しいアイディア性に限界が見えてきた感覚が随所に見て取れ、今後の作品への期待値は下げてもいいのかもしれないと感じた作品でもあった。
これなら似たような話の「ナイト&デイ」をもう一度見た方が収穫がありそうだ。
そういや、キングスマンと密接になったら、サミュエル・L・ジャクソンの立ち位置はどうなるんだろうか・・・。
バレンタインではなく、アルフィーってことなのか?
ま、そんなの考えなくていいか。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10