ダウンサイズ
夢はでっかい方がいい。
大盛り無料ならそっちのほうがお腹いっぱい。
家もベッドも仕事もでかい方がいい!そのほうが幸せだ!!
なんでも欲張りな僕らにうってつけの大発明の誕生のようです。
ならいっそ小っちゃくなれば?
そうすりゃお金もかからないでしょ?
なるほど!!それはいい考えだ!
というわけでマット・デイモンが幸せに暮らすことを夢見て小さくなるお話です。
ロッテントマトでは酷評になっているようですが、一応「ファミリー・ツリー」や「ネブラスカ」の監督ですから、やっぱりオフビートな感じでゆるく笑わせてくれると思うんですよ。
というわけで早速観賞してまいりました!!!
作品情報
大金持ちで大豪邸に住めるとしたら、あなたは13cmの人生を選びますか?
人類が縮小可能になった未来社会を舞台に、ユニークな発想と圧倒的リアリティで描くヒューマンドラマを、「ファミリー・ツリー」「サイドウェイ」の監督が描く。
誰もが窮屈に息苦しく過ごす現代において、非常に理にかなった画期的なアイディアだが、果たして小さくなって暮らすことが本当の幸せなのだろうか。
この映画は、あなたの幸せの価値を教えてくれるかもしれない。
あらすじ
人口が増え続け、住みづらくなってしまった地球。
科学の進化によって、なんと人間を1/14に縮小する技術が発見された。
ネブラスカ州オマハに住む、いたって平凡な夫婦、ポール(マット・デイモン)と妻オードリー(クリステン・ウィグ)。
低収入でストレスの多い日々を送る二人は、大金持ちで、大豪邸に住めるダウンサイズされた世界に希望を抱き、13cmになる決意をする。
しかし、ミニチュア化したポールに待ち受けるのは予想外の人生だった…。(HPより抜粋)
監督
今作を手がけるのはアレクサンダー・ペイン監督。
彼の作風は、自然の風景を最大限に活かして映しながら、人間同士の心の機微と成長をちょっぴりユーモアにちょっぴりハートフルに描くのが特徴でしょうか。
一応「サイドウェイ」以降の作品はほとんど見てますが、そんな感じがします。
ただ今作はそういうテイストのものではなく、人間を描いてるけど、よりメッセージ性が強そうでシニカルに描かれてるんじゃないかと思うんですが。果たして。
そんな監督の代表作をご紹介。
初期の代表作で言うと「アバウト・シュミット」が有名でしょうか。
仕事一筋の真面目で平凡な男が、定年退職を機に第2の人生を歩んでいく姿を、ユーモアに描いてます。
他に、ワイン好きの冴えない男と対照的な性格の親友が、ワインと女性を巡る旅行の中で人生の奥深さを見出していく「サイドウェイ」などがあります。
こん睡状態の妻と手に負えない娘達、そして島の譲渡問題と問題山積みの主人公が、家族とは何なのかを考再生していく様を、内容とは真逆のハワイの雄大な自然を舞台に描いた「ファミリー・ツリー」では、その年の賞レースで存在感を見せ、アカデミー賞5部門にノミネート。
賞金が当たったと信じる年老いた頑固親父と、それに付き合う羽目になった息子が繰り広げる目的地までの珍道中を、全編モノクロで描いた「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」でもアカデミー賞6部門にノミネートする快挙を成し遂げています。
キャスト
幸せになるために小さくなることを決意する主人公ポール・サフラネックを演じるのはマット・デイモン。
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を親友の弟に主役を譲り、自分は中国でワケのわからん妖怪と戦う映画「グレート・ウォール」が大コケしてしまったことを、アカデミー賞でめちゃめちゃいじられたマット。
今後も因縁のジミー・キンメルが司会とのいがみ合いバトルを見る機会はあるのでしょうか?
多分マットが大コケしないと始まらないのかな?w
彼に関してはこのブログで騙っておりますので割愛を。
よければこちらをどうぞ。
ポールの妻、オードリー・サフラネックを演じるのは、クリステン・ウィグ。
マットとは別の場所ではありますが、「オデッセイ」で共演済み。
コメディエンヌですから、マットとどう掛け合って笑いを作ってくれるか楽しみです。
彼女に関してはこちらをどうぞ。
他のキャストはこんな感じ。
小さくなった街で事業を始めるドゥシャン・ミルコビッチ役に、「イングロリアス・バスターズ」、「ジャンゴ繋がれざる者」、「007スペクター」のクリストフ・ヴァルツ。
小さくなって旅行三昧のヨリス・コンラッド役に、「マイ・プライベート・アイダホ」、「悪魔のはらわた」のウド・キア。
デイヴ・ジョンソン役に「なんちゃって家族」、「シンクロナイズド・モンスター」のジェイソン・サダイキス。
ジョフ・ロノフスキ役に、「スターシップ・トゥルーパーズ」、「ゴーンガール」のニール・パトリック・スミス。
ローラ・ロノフスキ役に、「ジュラシック・パーク」、「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」のローラ・ダーン。
ノク・ラン・トラン役に、「インヒアレント・ヴァイス」に出演し、本作で映画出演2作目にして、ゴールデングローブ賞にノミネートしたホン・チャウなどが出演します。
小さくなれば、資産は何十倍!
家も超広くなる!
ご飯も一膳でめちゃめちゃ食べられる!
おまけに色々優遇される特典もあり、こんなのなるしかないじゃん!と思えるようなダウンサイジング。
一体ポールにどんなハプニングが起きるのか、小さくなることで本当に幸せな生活は送れるのか。
ここから観賞後の感想です!!!
感想
小さくなったことで自分が何者かを見出していくヒューマンドラマでした!
でも小っちゃくなることと結末、全然関係なくね?
以下、核心に触れずネタバレします。
人類は危機に直面している。
50年前からささやかれていた人口増加問題。
このまま人間が増え続ければ、環境汚染、人的被害、自然災害、食糧危機と負の連鎖が続き、人類は滅亡の一途をたどるばかり。
そんな危機的状況に効果的な一手を打つ研究がついに完成した。
人間を小さくすることで、経済や食料、環境汚染や犯罪に至るまで全てがクリアになるということ。
常に頭を悩ませることは小さくなれば全て解決し、裕福な暮らしが待っている。
これぞ本当の幸せだ、そう決意し申し込む主人公夫婦だったが・・・。
芝生の青さに感化され資産をなげうって小さくなった主人公が、本当の幸せとは何か、本当の自分はどう在りたいのか、どういう存在なのかを、レジャーランドで暮らすミニ人間たちと触れ合うことで気づかされていくヒューマンドラマでありました。
人間が小さくなれば、ひとかけらのクラッカーさえあれば満腹になり、今まで高価なものも小さいサイズで購入できる。
うまくいけばそれで一儲けでき、毎晩夜通しパーティー三昧。
こんな贅沢な暮らし一度でいいからしてみたい!
個人的な願望も叶うし、世界的に見てもいいことだらけ。
食料も小さくて済む、ごみも小さくて済む。
自然を汚さないで済むし、市場が小さくなるから経済も安定。
なるほど、これは一理あるな。
でもきっと落とし穴があるはず。
それを主人公を通じて描いていくんだろうな…と思ったら大間違い。
物語は小さくなっても貧富の差は変わらないという現実を突き付け、今まで自分がどれだけ裕福な暮らしをしていたかを痛感し、貧しいながらも人を助けることで人生に生きがいを感じている義足の女性と会うことで、彼の世界観が一変していくという、小さくなるの関係ないじゃんストーリーへと変貌していました。
単刀直入に言えばオレが見たかったのはコレジャナイ感がずっと残る、がっかり映画でありました。
いや正確に言えばがっかりではなく失望したという言葉が適切でしょうか。
そもそも監督が作る作品は、登場人物が抱える問題を浮き彫りにし解決していくことで人間賛歌を謳うパターンが多いわけで、僕がこうなるんじゃないかと思っていた世界規模の問題なんて実はどうでもよくて。
もっと自分自身を見つめて生きるということを楽しもうぜ!って話なので、単純に作品に身を任せていればがっかりすることなんてなかったわけで。
イッツ・ア・スモールワールド。
こんな未来社会があったら、あなたならどうする?
やる??
やらない?という入り口はすごく楽しく思えた。
見終わってみると、今自分がどれだけきちんとした生活を送れているのかを重々感じるわだけど、目の前にそんな画期的な発明を見せられたら人間て欲が芽生えるわけで。
だって大きな家があって、お金も今よりかからない。
仕事も大した仕事をしなくていいし、毎日が時間を有意義に使える。
もしそんな生活を送れたら、自分なら好きなサッカーをしたり、英語を勉強したり、今まで独学だったピアノもギターもちゃんとイチから学びたいし、何より大好きな映画鑑賞をひたすらできるわけで。
きっと主人公ポールも妻とともにそんな有意義な時間を過ごしながら将来設計を考えたに違いない。
医学療法士の仕事も嫌いじゃないが決して満足ではない。
ほんとは外科医として色々な人を助けたかった。
病気で苦しんでいた母も助けることができたかもしれない。
そして毎日ぐったりしている妻を安心させることができるかもしれない。
大枚はたいて覚悟を決めたポール夫妻だったが、まさかの妻ドタキャン。
思い描いていた未来予想図は妻の不参加により、夢のまた夢となってしまうのであります。
では、彼らはどうやって小さくなるのか。
まず麻酔をかけたあと、全身の毛を剃り、腸内洗浄をし、体内にある器具は全て取り除いてからやっと小さくなる機械にかけられ、縮小されていきます。
そして施設内では車をシェアしながら移動し、大きな屋敷で悠々自適なエンジョイライフを堪能できます。
もちろん今までいた世界にも行き来でき、飛行機のファーストクラスをはじめ、小さくなることでスペースを減らすことで、利益になるものは全て優遇される待遇。
しかし小さくならない人は、彼らのせいで大打撃を受ける羽目に。
市場が縮小したせいで不動産をはじめとした資産価値が下がり、所得税も消費税も払わなくていいミニ人間に対し、普通の人間たちにがっつりしわ寄せが来るというおまけつき。
小さな世界とは違い、普通の世界は混乱をきたす状況になっていたのであります。
しかし小さな世界にも影響が。
スモールサイズになったことをいいことに、悪用する流れが出ていました。
密入国や政治問題といった現実と全く同じ状況が起き、一人の女性活動家を通じて気づかされる貧富の差。
夫を亡くし一文無しの女性は、末期がんとなっていて医者に診てもらえないことや、身寄りのない老人は食事にありつくこともできない。
街の隅っこに追いやられた彼らは、集合住宅で互いが互いを助け合いながら生活をしていたのであります。
徐々にテーマがぶれていく。
ここまで来ると小さくなっても起きていることは同じだな、ということに気付き、じゃあ小さくなった意味って何よ?という疑問が生じるのであります。
後半は別れた妻に未練がありながらも、ポールの部屋の上に住んでいるドゥシャンの家政婦であり、元女性活動家のノク・ランのあまりにも自分勝手で強引な手引きにたじたじとなるポールが描かれており、一体何を描きたいんだこの映画は?という感覚に陥りました。
ただ真正面で物事を見るのでなく、少し引いて見てみると、ノク・ランがやっている行動から人生の何たるかが少しづつ見えてくるのであります。
小さくなったことに後悔し、友人のパーティーに出向いても、シングルマザーとディナーをしても、ドゥシャンのホームパーティーで富裕層に混じって踊り明かしても満足を得ることはできませんでした。
そして、ノク・ランが暮らしている住まいを目の当たりにし、彼女のせいでどんどん深みにはまっていく超お人好しな元医学療法士ポールが、彼女を通じて様々な人たちと触れ合うことで、今まで抱えていた未練や不満や満たされない思いといったモヤモヤなど忘れ、目の前の事に没頭していく姿が描かれているんですね。
ぶっちゃけこの後もめっちゃ飛躍した話へとスライドしていくのですが、要するに将来という大きなビジョンを見ることも大事だけど、小さな世界で体験したあらゆる出来事は自分の今置かれていることを見つめ直すことができる絶好の機会であり、ビジョンも小さく見ることで今という人生がとても満たされたものになるというステキな着地点へと落ちていく話になっていくのであります。
未来社会を描いていたつもりが個人の内面という小さな問題を解決していく今作。
アイデアや切り口は非常にうまかったわけですが、作品の評価までもスモールサイズにしてしまう完成度に残念でなりません。
もうこうなったら未来社会なんて設定やめにして、自分探しをする途中、旅先で出会ったベトナム人と共にすることで人生の何たるかを見出していくというオーソドックスな映画の方がよっぽど楽しかったりするんじゃないだろうか。
どうしても小さくなって暮らす未来社会という設定が捨てがたいのであれば、そこから見えてくる人間の醜くも美しい部分を描いて、小さくなる意味なんてない、今のままのサイズでできることを少しづつ解決していこう、みたいな話の方が斬新さはないけど面白いんじゃないの?と。
役者陣は最高なんですよ。
話にあれこれケチをつけていますが、役者陣の演技はとても素晴らしいんです。
普通の人をやらせたら常にパーフェクトな演技をするマットデイモンですが、今回も細かい部分でいい演技してました。
一番ウマっ!って思ったのはですね、ドゥシャン宅でのパーティーの時。
あ~俺場違いだなぁと感じながらも、なんとか近づいてコミュニケーションを図ろうというタジタジ感が非常にお上手で、その後のラリった状態でまた別のヨーロッパ人の輪に混ざろうとする時の表情がですね、めっちゃうまいんです!
背後にニタニタしながら佇んで、焦点のあってない不気味な笑みを浮かべながら、オーケー靴脱いじゃおう!と叫ぶマット。
これは僕の中で高得点な演技でした。
ドゥシャン役のクリストフ・ヴァルツもいい演技でした。
いかにも成金で悪いこと考えてそうな中年男性で、カメラ目線で満面の笑みを見せる表情はこの映画のベストスマイル賞です。
クシャっとした笑顔を数秒間キープして、心の底から笑ってる?それとも相手の懐に飛び込むためのテクニック?どっちなの?と勘ぐりしてしまうような、うさん臭い笑顔がめっちゃ素敵でした。
そして何といってもこの映画でいちばん輝きを放っていたのは、ノク・ラン役のホン・チャウです。
インヒアレント・ヴァイスでは、たしか娼婦の役で主人公が追う事件のフォローをする役で出演していましたが、やはりアクの強いホアキン・フェニックスの前では霞んでしまっていて、たどたどしい英語のセリフだけしか印象に残っていませんでした。
しかし今作では、唯一登場のアジア人ということに加え、セリフの量の多さからアジア人特有の英語での話し方に違和感と嫌悪感を残し、ポールを邪険に扱う図々しさや強引なやり方が鼻につくイメージをつけており、坊主に眉毛半反りで困惑の表情を見せたクリステン・ウィグの身体を張った演技なんて忘却の彼方へ追いやってしまうほどインパクトのある演技でした。
そんな嫌な役だと思わせておきながら、望んでいなかった体に対して強い反省の意志を伝えたかった博士の気持ちを思い出し涙を流すことで、一気に場の空気をかえてしまう力を発揮した彼女の演技に思わずもらい涙。
ここで彼女に対するイメージは善へと変わり、その後の物語において彼女の表情を逐一追いかけたくなる魅力に取りつかれていました。
この演技でゴールデングローブ賞の助演女優賞にノミネートしたのが納得いきます。
正直アカデミー賞でもノミネートされてよかったんじゃない?と思うほど。
最後に
もうマットデイモンがスキンヘッドになったら「エリジウム」の悪夢がよみがえるから止めた方がいいと思ったんですが、今回もこのような結果になったことで、マットデイモンがスキンヘッドにある映画は危険だと記憶にとどめておきましょうw
入口と出口が全く違う作品へとなってしまった今作。
見方によっては素敵な話かもしれませんが、きっと見た人の多くが自分が探し求めた出口でないことに困惑するのではないでしょうか。
あ、こういう誘導は良くないか。
というわけで以上!あざっした!!
満足度☆☆☆★★★★★★★3/10