モンキー的映画のススメ

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新作映画ばかり見ないで、旧作映画も見ようね。楽しいぞ。

映画「ラストサバイバー」感想ネタバレあり解説 荒廃した世界で共生だけが希望。

ラストサバイバー

衰えることを知らない巨匠リドリー・スコット

ついこの間「グラディエーターⅡ」を見たかばかりだったはずなのに、もう新作ですよ。

なに、もしかしてリドスコってクローンでもいんの?

 

ここ数年現代劇(近代劇含め)と史劇をベースに製作してきたリドスコですが、久々に近未来の、しかも荒廃した世界のご様子。

ブレードランナーとかエイリアンとかだいぶ先の未来が舞台が多い彼が、なぜ今荒廃した世界を描くのか。

 

これまでの環境破壊によるツケが回ったのか、世界各地での自然災害が増えてき照るのは周知の事実。

加えて土地の奪い合いによる戦争まで激化してきたわけで、ほんとにあと数年で世界は荒廃しちまうんじゃねえのかと不安な我々に、リドスコ御大が何を示してくれるか楽しみです。

 

というわけで早速鑑賞してまいりました!!

 

 

作品情報

米作家ピーター・ヘラーのベストセラー小説を、「ブレードランナー」「オデッセイ」の巨匠リドリー・スコットが映画化したサバイバルアクション。

 

謎のパンデミックで人口の大半が死滅し、人間性を失った者たちが奪い合い殺し合う荒廃した世界を舞台に、愛犬と亡き妻の記憶を拠り所に生き延びていたパイロットが、無線に届いた謎の声に導かれ、世界の終末にまだ残されているかもしれない希望を求め、未知の空へと飛び立つ物語。

 

リドリー・スコット監督の持ち味といえば、息をのむ「静寂の人間ドラマ」と「五感を刺激するアクション」の見事なコントラスト。

SF作品に決定的な影響を与えた不朽の名作『ブレードランナー』(82)で暗く退廃的な近未来の街並みと哲学的なストーリーを描き、後に世界興収1,000億円超を叩き出した『オデッセイ』(15)では果てしないオレンジ色の砂漠を舞台に、ポジティブで圧倒的なスケール感のサバイバルを活写するなど、これまで「静」と「動」の傑作を世に送り出してきた。

88歳にして決して絶望では終わらない希望を描く姿に対し、早くも海外の主要メディアからは、「終末後の世界を舞台にしながら、本作が描くのは世界のスペクタクルではなく、その後を生きる人間の心情だ。同ジャンルの作品とは一線を画すものになる」などと評されているほど。

 

監督本人も、「世の中には世界の終わりを描いた物語が多すぎる」と赤裸々に話しつつ、「この物語には、多くの希望が込められている。結局のところ、人は人を必要としているんだ」と他作品との違いについて語っている。

 

そんな注目の意欲作に、「フランケンシュタイン」で第98回アカデミー助演男優賞にノミネートされたジェイコブ・エロルディ、「WEAPONS/ウェポンズ」のジョシュ・ブローリン、「サブスタンス」のマーガレット・クアリー、「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」のアリソン・ジャネイ、そして「ブルータリスト」のガイ・ピアースらが出演。

監督からも理想的なキャスティングが実現したとご満悦の様子。

 

我々がかつて経験したパンデミックのような絶望的な状況下での“人と人との繋がり”を描いたヒューマンドラマ。

極限状態を生き抜く人間の魂を描いた至高のディストピア・サバイバルが幕を開ける。

 

 

 

 

あらすじ

 

謎のパンデミックで人類の大半が死滅、生存者たちが奪い合い殺し合う狂気の世界。

パイロットのヒッグ(ジェイコブ・エロルディ)は元軍人のバングリー(ジョシュ・ブローリン)と共同戦線を張ることで日々を生き延びていた。

 

ヒッグの理性をつなぎとめていたのは、愛犬ジャスパーの存在と亡き妻の記憶だけだった。

 

そんなある日、小型機の無線に“謎の声”が届く。
失われた日常を求め、その声に導かれるようにヒッグは未知の空へと飛び立つ。(公式より抜粋)

youtu.be

 

 

感想

さすがリドスコ、新人監督なら150分かかりそうなところを、しっかり120分に内に収めるあところがちゃんと職人。

荒廃した世界で生き抜くアクションよりも、生きるための理由をじっくり抽出していく選択をしたことが逆に新鮮。

盛り上がりに欠けるけど、これはこれでじんわり良さが染み出る映画。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

 

リドスコの職人性が伝わる序盤。

2035年9月。

コロラド州・デンバーから離れた飛行場で元軍人のバングリーと共同戦線を張って暮らす元整備士のヒッグ。

妊娠中の妻に先立たれた悲しみを愛犬ジャスパーと共有しながら過ごすヒッグは、セスナを駆使して物資の調達から夜の監視と、自分のシマを守るための日々を送っていた。

 

危険な任務を生き抜いてきたであろうバングリーは、常に外部からの危険に目を光らせる男。

物資調達の際に銃を使ったにもかかわらず「問題ない」と語るヒッグに対し、身を守るために意識を高めるよう厳しく指摘するなど、無暗に人間に発砲することに疑問を抱くヒッグとは対照的な面を覗かせる。

 

色々言い合いながらも武器のスキルが高いバングリーとセスナを使っての物資調達やメカニックに強いヒッグが生きるために協力し合ってる姿が映し出される。

 

ある日グランドジャンクションからの無線を傍受したヒッグは、「希望」を信じてシマから離れることを決意。

よそ者である以上必ず攻撃される危険性を考えるよう強く訴えるバングリーの言い分に耳を貸さず旅立つヒッグ。

果たして荒廃した世界で希望はあるのか。

 

 

物語が始まるや否やリドリー・スコット監督による見事な語り口が冴えわたっていた。

西側に山々がそびえるデンバーの街並を空撮して見せることで、この世界の荒廃ぶりが瞬時に伝わる。

愛犬ジャスパーと物資の調達をしながら、機能していない都市部を見せ、いつ襲われるかわからない危険性も漂わせていく。

 

かつての自分の家に寄る理由も、感傷に浸る姿を見せるため。

冒頭では理由を明かさないモノの、失ったであろう妻との触れ合いを短い時間で伝えるのが見事。

 

物資中に突然襲われるが、襲った男から「メキシコやテキサス辺りから野蛮な奴らが流れ込んできている」という情報を挿入するのもものすごくスマートだし、帰宅後にバングリーにそれを伝えながら、ヒッグとバングリーの考えの違いを浮き彫りにさせる。

 

物語が動き出すのは、この考えの違いにより「愛犬ジャスパーが命を落とす」ことがきっかけ。

 

デンバーで襲われた男からの情報は確かで、少しずつではあるが侵入者が増えてきていることが映し出される。

まだ若い少年たちに容赦なく引き金を引くバングリーに対しヒッグは「無抵抗の人間に銃を向けるなんて」と反発。

 

そんな甘い考えを持つヒッグに敢えて厳しさを教えようと考えたバングリーは、再び侵入してきた野蛮な連中をヒッグ一人で始末させようとする。

無線に応答しないバングリーに苛立ちつつ攻撃に動くヒッグ。

最後の一人をバングリーの援護射撃で仕留めたものの、ジャスパーが格闘の末命を落としてしまう。

 

これまでの流れでジャスパーの利口な姿が執拗に映ったのは、このためだったことがわかる。

物資調達の際も辺りを警戒しながら主人であるヒッグの後ろを歩くジャスパー。

セスナに乗る際もカートに乗る際も一切の間もなく命令通り動く従順な姿、魚のいない湖で引いた釣り糸を察知してすぐさま飛び込む判断力、キリスト教アナバブテストの教派であるメノナイトたちが済む集落で、子どもたちと戯れる姿など、ヒッグがいかにジャスパーの存在が心のよりどころであるかが窺える序盤だった。

 

そんなジャスパーが命を落とす。

バングリーとはあくまで相棒であり利害関係が一致した存在であり、決して心のよりどころではない。

妻に先立たれ愛犬も失ったヒッグは、生きる希望を失ったことが理解できる。

 

だからこそ彼は、新たな希望を求め旅立つのだ。

 

このように如何に説明臭くならないように世界観を見せ、キャラ同士の関係を伝え、物語がどう動くのかを、一切のダレを出さずに簡潔にそしてスマートに見せるかを成し遂げた監督の腕に唸った序盤でした。

 

コロナ禍を思い出さずにいられない。

無線を傍受したグランドジャンクションへ向かうヒッグだったが、飛行中に油圧が低下し不時着する羽目に。

山の谷間に不時着したヒッグは、遭遇したロバを追うことで父とひっそり暮らすシーマの家にたどり着く。

父ジャックからはよそ者扱いされ敵視されるが、思いもしない客人にシーマは興味を抱く。

 

セスナの修理の間留まることになったヒッグは、シーマと距離を縮めながらセスナの滑走路確保のため周囲の木を伐採していく。

ヒッグに心を許しているシーマを遠くで眺める父ジャックもまた、ヒッグと心を通わせていく。

 

イントロダクションでも触れているが、世界かにゃヒッグの姿を通じて思い出すのは「コロナ禍」だ。

 

船を隔離したニュースからあっという間に広まったコロナウィルスに政府は緊急事態宣言をし、我々は必要以外の外出を制限されてしまった。

大袈裟だろうと楽観していた自分は、あまりにも普段送っていた日常との落差に、表面上では笑って過ごしながらも、心は戸惑い不安に陥っていた。

見通しの立たない未来はもちろん、明日のことさえもわからない状態で、唯一の安らぎはやっぱり「人とのふれあい」だったと思う。

 

僕自身一人暮らしだったこともあり、仕事以外で誰かと絡むことはあまりない。

それがコロナウィルスによって制限されたことで、もっと絡むことが無くなってしまった。

あの頃よく「リモート飲み」や「クラブハウス」などを使って、誰かと絡むことが増えた。

 

人は一人で生きていけないなんて大言壮語かもしれないが、あの時ばかりは本気でそう思った。

一人だと何を考え出すかわからないし、とにかく落ち着かなかった。

だからしょうもない話だったり映画の話で気を紛らわせたかった。

正直本当に助かった。

僕にとって僕の相手をしてくれた人すべてが希望だった。

 

 

ヒッグもきっと、妻や愛犬を失ったことから人=希望を探しに旅立ったのだとわかる。

それはNYで夫を失ったシーマも同じ。

彼が自分を置いて旅立とうとする旨を知って態度を悪くするのも、突然の訪問者がいつしか心のよりどころになっていたからだ。

 

マッドマックス過ぎやしないか。

物語は、旅だったヒッグと同時進行して残されたバングリーの姿も映し出す。

 

ヒッグがデンバーで襲われた男からの情報通り、徐々に侵入者が増えてきたバングリーのシマ。

バングリーもいつ侵入者が来てもいいように準備に事欠かない姿が映る。

想定していた通り体中にまだら模様を描いた上半身裸で丸坊主の連中が、シマの倉庫を荒らし始める。

顔を黒く塗りつぶし、懐中電灯で読書しながら待ち構えていたバングリーは、暗視スコープで標的の動きを監視し、隠密行動で一人ずつナイフで仕留めていく。

 

しかし想定以上の数がバングリーに襲い掛かる。

鉄塔に登り一人ずつ銃で仕留めるが追いつかない。

やがてロケットランチャーで鉄塔ごと被弾したバングリーはそのまま落下、倉庫ごと火の海になっていく。

 

それと同じくヒッグ達も馬に乗ったまだら模様の連中に襲われる。

シーマと父ジャックが逃げるヒッグを援護しながら、3人でセスナに乗りギリギリで逃亡に成功する。

 

メキシコやテキサスからデンバーまで歩いて10日以上はかかる距離。

一体どういう経緯で北上したかはわからないし、世界が滅亡してからどういう経緯でまだら模様をカラダに描くような異常な行為をしたかはわからない。

荒廃した世界だとどうしてか人は、よせつけないような容姿になるようだ。

 

マッドマックスはそうしたキャラクターを過激に描いた作品として取り上げられることが多いが、本作もそれに倣ってかはわからないが、野蛮な連中として少々過剰なファッションで描いている。

僕自身、2035年という割とすぐ先にある時代で荒廃してしまった世界を、ものすごくリアルに映していたと感心したんだけど、どうしてもこの敵に値する彼らの容姿がいかにもアンリアルに思えて冷めてしまったところがある。

 

もちろん映画なのだからこれくらいの盛った表現は容認すべきなんだけど、それこそ西部劇のインディアンのように「ル~ルルルッルウルウ~!」と雄叫びを上げて威嚇する姿だったり、言語も使わずに狂ったかのように暴れ出す姿がいかにもテンプレ過ぎる描き方で。

メキシコからやってきたってことから死者の日を彷彿とさせるメイクってのはわかるけど、インディアンのような描き方にするのは果たして正解だったのかは疑問。

 

とはいえ、そうした見せ方によりどこか西部劇っぽさを感じる映画だったのは否めない。

実際人里離れた場所にやってきた風来坊的な存在が、敵の襲来によって民家の親子を助けるという設定は西部劇でもありそうな展開だし、バングリーが敵を迎え撃つなんてのもよくある光景。

 

 

本作のアクションは、その後のグランドジャンクションでの銃撃戦でも言えるが、爽快でも痛快でもなく、割と地味ではあるが、要所要所でしっかり際立つ描き方になっていたように思う。

 

それこそマッドマックスのように激しいアクションで心を鷲掴みにするような物語にできるのは容易だ。

しかしリドリー御大が選んだのは、そうした状況下で生きるためにすることを映すこと。

シマを守るために戦うこともでなく、新たな土地を開拓するでもなく、誰彼構わず敵対視することではなく、手を取り合うことこそ大切だと語っている。

 

終盤、ヒッグ達は飛行場があるエリーへ帰ってくると襲われた跡に呆然とする。

しかし倉庫の奥でヒッグからの無線を無視していたバングリーが人数分のコーヒーを淹れて待ち構えていたのだった。

 

観衆はあの1対50もの戦いに敗れ命を落としていたとばかり思っていたが、自分で包帯を巻いて回復していたタフガイなバングリーを見て思わず笑ってしまった人もいるだろう。

 

ヒッグは目指していた場所がオアシスではなかったモノの、こうして共に生きる人たちと出会えたことが何よりの希望だとバングリーに伝える。

そしてヒッグは、メノナイトたちがいる集落に身を寄せ、共に暮らすことをバングリーに提案する。

 

あれだけ侵入者を敵対していたバングリーが、メノナイトの人たちと仲睦まじく暮らす姿を見て驚いた人も多いだろう。

孤独で暮らすと身を守ることにばかり意識が向き、近寄る全てを敵と見立て、無暗に攻撃してしまう、それがバングリーだった。

しかし、ヒッグが持ち帰ってきた希望は、そんなバングリーをも変えさせてしまう。

実は本作の中で180度変化したのはバングリーだったのである。

 

 

最後に

派手に描くこともできた内容にも拘らず、地味だけど味わい深いテイストに持っていったリドスコの選択は評価できます。

また、エロルディやマーガレットといった若手俳優たちを支えるベテラン俳優が非常にマッチしていた作品でした。

 

正直ヒッグが去った後になぜバングリーが敵と戦うシーンを入れたのか疑問でした。

きっと外部の野蛮な連中の容赦ない狂った攻撃を見せた後、ヒッグにも魔の手が近づくんだろう、そのためのシーンだと思っていたんだけど、まさかバングリー生きとったんかいというww

 

しかも冒頭の会話で動脈硬化の疑いがあるって言われてるのに、コーラ飲んで生きながらえてるって辺りも笑えたw

 

そしてあれだけよそ者扱いしていたシーマの父ジャックも良かった。

無防備で近づく娘を叱ることなく遠くで黙って見つめる父ちゃんは、一緒に酒を飲んだり木を伐採することで距離を縮めていく。

滑走の邪魔にならないように石をどける作業の際、ホットパンツとキャミソールという薄着過ぎるシーマをじっと見つめるヒッグに「石に集中しろ」と一喝する父ちゃんw

はい、俺も集中できませんでしたw

 

こうしたベテラン勢がユーモアとシリアスを絶妙な塩梅でもたらし、物語の空気を締めたり緩めたりする仕事ぶりが見事です。

 

どうして世界は荒廃してしまったのかにフォーカスしないのも潔い選択かと思います。

本来なら冒頭でナレーションが入っても良いし、会話の端々でどういう経緯で滅亡してしまったかを語っても良い。

でも敢えてそこに尺を使わないのもアリだと、本作を見て感じたんですよね。

昔のこういう映画もいちいち説明してないし、最低限のシチュエーションで十分だってことですよ。

 

細かいことは我々で想像すればいいのではないかと。

 

荒廃した世界で犬と共に暮らすあたりが「アイアムレジェンド」っぽいけど、これ絶妙にSFではないんだよね。

世界が少し先の未来=近未来というだけで、異星人が襲来したわけでもなく現代にはないガジェットが出てくるわけでもなく、ただただ今の延長線であり得る将来ってだけ。

 

ちなみにグランドジャンクションまで飛行機でおよそ1時間くらいの距離っぽいです。

案外近いんだな…。

これ以上は何も言いません。

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10