はい、泳げません
私、実は泳げません。
正確には、泳げるけど、うまくない。
クロールの息継ぎも正確ではないし、平泳ぎは友人にぎこちないと言われるほど。
背泳ぎもバタフライも、飛び込みさえもできません。
小学校の水泳大会では、泳がなくていい「水中かけっこリレー」の選手に立候補するくらい泳げませんでしたし、当時は泳ぐたびに水が鼻の中に入って痛くてすぐ断念してしまうほど。
でも当時の僕が今回鑑賞する映画を見たら、ちょっと勇気をもらえたのかもしれません。
なぜかって?
今回の主人公は、いい歳して「泳げない」おじさん。
顔に水をつけるのもダメなようで、当時の僕よりも泳げない様子。
美人のコーチに指導してもらうって内容だけど、おじさんが泳げないのには、深いわけがありそう。
どんなドラマになるのやら。
早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞しドラマ化もされた「弱くても勝てます」や、小林英雄賞受賞作「ご先祖様はどちら様」で知られるノンフィクション作家高橋秀実の同名エッセイ作を、「花束みたいな恋をした」を製作したプロダクションと、「舟を編む」で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した監督の手によって映画化。
カタブツ頭で言い訳を繰り返しては水を怖がる大学教授が、泳ぐことに情熱を向ける一方で他の事は不器用すぎる水泳コーチによって、過去に苦しみながらも必死に前を向こうと努める姿を、コミカル且つハートフルに描く。
大河ドラマ「麒麟がくる」の主役と、「八重の桜」の主役が映画で初共演となる本作は、どちらも大河ドラマでは見せなかったコミカルな役を得意とするとあって息もぴったりなこと間違いなし。
そんな2人が織りなす物語から一体どんな感動が生まれるのか。
泳げない男と、泳ぐことしかできない女の、希望と再生の物語です。
あらすじ
大学で哲学を教える小鳥遊雄司(たかなしゆうじ)(長谷川博己)は、泳げない。
水に顔をつけることも怖い。
屁理屈ばかりをこねて、人生のほとんどで水を避けてきた雄司はある日、ひょんなことから水泳教室に足を運ぶ。
訪れたプールの受付で、強引に入会を勧めて来たのが水泳コーチの薄原静香(うすはらしずか)(綾瀬はるか)だった。
静香が教える賑やかな主婦たちの中に、体をこわばらせた雄司がぎこちなく混ざる。
その日から、陸よりも水中の方が生きやすいという静香と、水への恐怖で大騒ぎしながらそれでも続ける雄司の、一進一退の日々が始まる。
泳ぎを覚えていく中で雄司は、元妻の美弥子(麻生久美子)との過去や、シングルマザーの恋人・奈美恵(阿部純子)との未来など、目をそらし続けて来た現実とも向き合うことになる。
それは、ある決定的な理由で水をおそれることになった雄司の、苦しい再生への第一歩だったーー。(HPより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、渡辺謙作。
「プープーの物語」で監督デビュー。
その後も宮崎あおいと永瀬正敏主演で描いた孤独な少女と殺し屋の物語「ラブドガン」、戦争が公共事業として役所に管理された世界を描いた「となり町戦争」、新垣結衣がハチマキ姿で応援団長を演じた青春映画「フレフレ少女」など様々なジャンルの作品を手掛けています。
石井裕也監督の「舟を編む」では脚本を担当。
日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞する快挙を成し遂げています。
また、乾翔太郎名義で俳優活動もしており、鈴木清順監督の「ピストルオペラ」や、瀬々敬久監督の「菊とギロチン」等にも出演しています。
本作はエッセイを原作にしたお話。
原作者がお仕事でスイミングスクールに通うというノンフィクションのため、主人公がなぜ水泳教室に通うのかという動機を必然的にしなくてはいけないところからプロットを組み立てたそう。
劇中には主人公を取り巻く様々な人物が登場し、何故主人公が一歩踏み出そうともがくのが浮き彫りになる構図。
彼が出来ないことに向き合わなくてはならない理由を、どう描いているのか楽しみです。
キャスト
泳げない大学教授・小鳥遊雄司を演じるのは、長谷川博己。
「鈴木先生」や「地獄でなぜ悪い」、「シン・ゴジラ」など様々な映画で主演を飾ってきた長谷川さん。
個人的には「劇場版MOZU」や「地獄でなぜ悪い」で演じた、くどくてアクの強いキャラを演じた時の彼が大好きです。
さすがに今回はコミカルではあるモノの、どこか繊細で真面目が故に滑稽に見えてしまうようなお芝居をされるのではと思ってます。
本作の脚本を読んで「生きる意味を考えさせられた」と語る長谷川さんは、水の中の優しさや懐かしさ、そして怖さなどが作品全体に表れていて、不思議な感動に包まれた印象を受けたとのこと。
チャーミングな可笑しさと深い感動を与える作品になってることに期待したいですね。
他のキャストはこんな感じ。
スイミングコーチの薄原静香役に、「海街diary」、「劇場版 奥様は、取り扱い注意」の綾瀬はるか。
小鳥遊の元妻・美弥子役に、「夕凪の街 桜の国」、「マスカレード・ナイト」の麻生久美子。
小鳥遊の恋人・奈美恵役に、「孤狼の血」、「燃えよ剣」の阿部純子。
鴨下教授役に、「深夜食堂」、「花束みたいな恋をした」の小林薫などが出演します。
長谷川博己のカナヅチぶりと綾瀬はるかの美しい泳ぎっぷり、この2人の掛け合いなどに注目したいところ。
ここから観賞後の感想です!!
感想
#はい泳げません 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2022年6月10日
コミカルメインかと思ったが、中盤からだいぶヘビー。
トラウマから逃げるのもいいが、克服した方が人生いいに決まってる。
痛みも悲しみも引き連れて泳ごうじゃないか。
しかし綾瀬はるかはSK-II使いすぎなのか肌のハリが強すぎて怖い。 pic.twitter.com/LxhBcQX4aa
泳げないおっさんという滑稽な映像から、中身は徐々に泳げない理由や男の苦悩や痛みを浮き彫りに。
前へも後ろへも進めないなら上へ進めばいい。
…てか綾瀬はるかの役、立ち位置が微妙だし、何ならいらない気がする。
以下、ネタバレします。
無意識に泳ぐこと。
哲学を教える大学教授が泳げるようになるためにスイミング教室に通う本作は、単純に泳ぎを教える女鬼コーチとおっさん生徒の汗と涙のスポ根コメディなんかではなく、トラウマによって人生を泳ぐことのできない男が、いかにして前へ進もうと努力するための非常にハートフルな感動ドラマでありました。
恐怖を克服することは難しい。
それがスポーツであれ食べ物であれ人であれ動物であれ、何かしらの過去があって恐怖は生まれる。
それこそ昔食べたものがあまりにもまずくて吐いたとか、小鳥遊のようにおじさんに海に突き落とされたからそれ以来恐怖になってるとか、犬に噛まれたとか。
あの経験を二度としたくないから「恐怖」であり、克服して乗り越えることができないのだ。
また「見えない」から、「知らない」から怖いというのもあり得る。
幽霊にしたって夜の暗い道にしたって、その先に何かが存在するかもしれないし、急に誰かが現れるかもしれないから「怖い」のだ。
その先に何があってしっかり肉眼で見えてれば恐怖など生まれないし、数秒先に起こる事実を知っていれば「恐怖」など感じないのだ。
冒頭小鳥遊は色々うんちくを並べて「水の怖さ」を語る。
よほど水が怖いらしい。
気持ちはわからなくもない。
話し相手の美弥子も無理矢理納豆を口に放り込まれたらいやだと語る通り、人間誰しも克服できないものはある。
ぶっちゃけ克服しなくても普通に生きていける。
それを避けて通れば、怪我をしなくて住むし、安パイな人生を送れる。
しかし果たしてそれでいいのだろうか。
心にトラウマを抱えたせいで、一歩を踏み出せないほど豊かな人生を送れてないのであれば、一歩踏み出す勇気が必要なんじゃないだろうか。
本作は、正に泳げなかったことにより命を救うことはおろか、その時の記憶が欠落していたことで人生を巧く泳げないでいる男の再生の物語でした。
今回「泳げないおじさん」をどう面白く見せるかという答えを、誇張した「哲学を教える大学教授」にしたのが良かったと思います。
全て理屈や知識を用いて頭で考え行動する性格だから「泳げない」んだという見せ方をすることで、小鳥遊の泳ぎそのものが面白く見えるんですよね。
顔に水をつけることはできるが、水を顔に付けることができないというシーンでは、手ですくった水には勝てるが、プールの水は勝てる気がしないから水に付けられないとか、このおっさんどういうつもり?と思わず彼の頭の中を覗きたくなるほど。
ようやく顔を水につけることをクリアした小鳥遊が次に待っていたのは息継ぎ。
水中で息を吐くことが大事なスイミングですが、一度刷った酸素を吐き出すなんて持ったない観念から、息継ぎをせずに泳ごうとします。
酸素をお金に例えたら、一度刷った空気は貯金であり、それを吐いたら浪費だと。
なんじゃそりゃw
この屁理屈に対し晴香コーチの返しがうまく、そもそも吐くのは二酸化炭素であり、借金を返してまたちょっと借りる考えの方がいいのではと提案。
また手を横にして体を伸ばすことで自然と顔が表面に上がり息継ぎが楽になることを教えてもらった小鳥遊が、今までこねくり回した考えで泳ごうとしてたことを忘れ、ごく自然と息継ぎができ、さらに前へ進むことができる泳法を身に付けた時の喜んだ表情は最高でした。
晴香コーチは、時に厳しい言葉を浴びせたりはするものの、泳げない人に泳げる喜びを知ってほしいというまっすぐな想いが感じられる非常に良いコーチでしたね。
そもそも小鳥遊が何をやるにしてもこれまで得た知識だったり屁理屈を並べるせいで、思考で泳ごうとしてるわけですが、それをさらに知識で返すのも知性的でいい。
例えば水の中は視界が遮られてよく見えないし、体に張り付く感じが嫌だという恐怖心を、人間はそもそもお母さんのおなかの中で水に浸かって生きていたことを語ることで、小鳥遊の恐怖心を和らげる返しをするんですよね。
これは頭で考えてる小鳥遊にはない発想だったのではないでしょうか。
また顔をバキバキしながら水泳のレッスンを受けてる小鳥遊は、同じ教室に通うおばさん生徒から「顔がブルース・リーみたい」といじられます。
実際水が怖いわけですから、顔がバキバキになるのは当たり前。
さらに小鳥遊は全て頭で考え行動するわけですから、なおさら顔がこわばるのも無理はない。
そんな彼に「無意識に泳げばいい」と提案するんですね。
ちなみに小鳥遊は泳ぐ際、コーチから教わった言葉を脳内で何度も繰り返して泳ぎます。
息を吐くときは歌を歌って、アザラシをイメージして、手を伸ばした際に顔を水面に挙げることで借金返済、など手順を全て頭の中で考えて行動するんですね。
これを意識せずに、雑念を生まずに泳いでみるとあら不思議。
気付けば25m泳げるではありませんか。
そう、晴香コーチは顔だけブルース・リーの男に、精神もブルース・リーになれと。
Don't think,feelで泳げと言っていたんですね~w
さすがであります。
確かに人間が歩くとき、どっちの足を前に出してとか考えませんよね。
そう、無意識に足を前に出して進んでるわけですよ。
序盤で描く泳ぎの上達ぶり、コーチと生徒との関係性、そこで見えるユーモア性など、途中男女あるあるみたいな気持ち悪さも露呈したけど、特に違和感なく楽しめたんですよね。
助けられなかったことが悲しいのではない
しかし物語は、何故小鳥遊が泳げないのか、泳げるようになろうと決心したのかという内面にフォーカスをあてていきます。
本作は結構見づらいんですよ。
何が見づらいって現在と過去が何の前触れもなく入れ替わる構造になってるんですよね。
これが話が進むにつれてだんだん境目が無くなっていくんですよね。
その辺の愚痴はおいおい書くとして、小鳥遊がバツイチであること、前妻の美弥子との間に子供がいたこと、さらに川へ遊びに行った際、息子が川でおぼれ亡くなってしまったことが明かされます。
なるほど、それで泳げなくなってしまったのか…と思ったらそうではないんですね。
どうやら息子が溺れた際、泳げないにもかかわらず自身も川へ飛び込み救助に向かったはいいものの、岩に頭をぶつけてその時の記憶がごっそり抜け落ちてしまってるんです。
だから泳ぐことでその記憶を取り戻したいってことなんですね。
実際授業で小鳥遊は「認識」と「記憶」の話をします。
認識をしてるから人間は記憶をする。
故に認識をしてないものは記憶できないという理屈になる。
でも小鳥遊は「子供を亡くした」ことは認識してるのに、その時の記憶がない。
熱を持って説明してたのに、急に我に返り授業を中断してしまう小鳥遊は、きっと自分の説明に違和感を持ったのでしょう。
自分が経験してるのに矛盾してる、俺は何を教えてるんだろうと。
また劇中では、「人はなぜ生きるのか」という哲学の基本中の基本を問いかけるシーンがあります。
日暮君という授業中寝てばかりの生徒に、個人的にこうした宿題を出すんです。
彼が一生懸命考えた結果、人はいろんな経験をする上で色んな発見をし、それに色んな感情を持つことができるから生きるんだ(非常にザックリですが)という答えを導き出したことを小鳥遊に伝えます。
「助けられなかった」という記憶が欠落したことにより、ただでさえ水が怖いのに更なる恐怖心を持つ小鳥遊。
悲しいはずなのに、悲しみを外に出せないが故に前妻の美弥子からきつく当たられ、結局離婚してしまった小鳥遊は、「泳ぐ」ことが記憶を取り戻す近道だと思ったんでしょうね。
だから水泳教室に通い始めたんだと。
また小鳥遊にはお付き合いをしている奈美恵というシングルマザーがいます。
彼女の子供も小鳥遊になついていることから、奈美恵自身うまくいくんだろうと思っていましたが、息子を守ることができなかった過去から、それさえも一歩踏み出せないでいるんですね。
だから泳ぎを克服すれば、奈美恵との人生も一歩踏み出せるかもしれないと。
しかし泳ぐことができる一方で彼の脳内にまとわりつく忌まわしい過去が、小鳥遊の一歩を止めてしまうんですね。
痛みや悲しみってない方がいいに決まってるんですけど、一度経験したからにはなかなか離れることができない。
じゃあどうすればいいのか。
それすらも「認識」し「記憶」することで、息子と過ごした日々を抱きしめながら生きればいいのではないかという答えにたどり着くわけです。
過去に受けた痛みを感じれば息子と会えるし、失った悲しみを思い出せば息子に会える。
ようやくそれに気づいた小鳥遊は、息子を失って以来初めて涙を流し、痛みや悲しみと共に人生を歩むことに成功するんですね。
終盤で見せた涙にはさすがにもらい泣きしてしまいました…。
こんな物語だなんて聞いてねえぞ!!w
綾瀬はるか要ります?
途中でも書きましたが、すごくいい話なのに映画として妙な気味の悪さを感じた部部が多かったんですね。
まず語りたいのは過去と現在が入れ替わる構造。
前妻の美弥子とのシーンがいくつか唐突に始まるんです。
唐突に始まる分には、まぁいいとしましょう。
ただ前妻である美弥子自体が、過去の人ではなく現在も存在していて、現在でもちょこちょこ会うもんだから、一体今見せられているシーンが現在なのか過去なのか瞬時に判断できないんですよ。
ちなみに現在のシーンは、久々に会って料亭のカウンターで食事をするシーンと、一緒に住んでいたマンションを売り払うシーン、そして最後にそのマンションの前で息子の持ち物を分けてもらうシーン。
あとは全て過去のシーンです。
冒頭のカフェや馴れ初め、小鳥遊がプールでおぼれた後病院で寝ているシーンは過去のシーンでした。
マジで唐突過ぎてわからなかったんだよなぁ。
特に病院で寝てるシーンは、横に美弥子がいるもんだから「あれ?晴香コーチは美弥子の連絡先何で知ってるん?」とか思ったし。
あと一番不可解なのは、綾瀬はるか演じる晴香コーチの立ち位置。
水泳にはセラピーの効果もあると称して、夜のプールに呼び出し個人レッスンを始める。
それ以外にも無断欠勤して授業をサボった小鳥遊に会社の固定電話を使って連絡を取り、自分の過去を離し始めて「小鳥遊さんなら絶対泳げます!」とエールを送る。
しかも恋人である奈美恵は晴香コーチに、小鳥遊のプライベートを話してしまう。
生徒とコーチだけの関係がやけに特別な関係になりすぎてやしませんかね。
セラピーの効果があるのは良いとして、何故に夜のプールに呼び出す?w
正直バツイチで奈美恵に別れ話した男が、夜のプールであんなふうに抱きしめられて「水の中なら泣いても水中だから泣いたことになりませんよ」なんて言われたらさぁ!
好きになるに決まってんじゃん!!
なんていうかさぁ、恋愛に持っていかないようにするつもりだったなら、そういう思わせぶり名の描く必要ないんじゃない?と。
俺考えすぎ?
あと、水泳コーチなんだから泳ぎだけで小鳥遊の人生を克服させてほしいんだよなぁ。
結局泳ぎ以外の部分でないと小鳥遊は乗り越えられなかった気がしちゃうんだよなぁ。
さらに言えば、晴香には「外で車を見ることができない」トラウマがあるんですけど、それ克服できてないからね?
生徒とコーチの関係で互いが恐怖を克服できて初めて気持ちの良いエンディングになると思うんですよ、こういう物語って。
そこ蔑ろにしたらダメじゃね?w
最後に
泳げない人に向けたレッスン映画でもあったし、過去のトラウマが恐怖になり人生に彩りが見えない人の処方箋とも言えた映画で、非常に良い物語だったが故に、綾瀬はるかの立ち位置が微妙だし、水泳コーチ以外の部分が機能してるからどうも脚本の弱さが見えてしまった、ノイズが多かった映画でした。
麻生久美子の関西弁は大目に見ますw
ちょこちょこ面白い所もあったんですけどね~。
悠仁のお坊さんが袈裟脱いだらメタリカのタンクトップ着てて、いきなり一服始めるシーンは妙に笑ってしまいましたw
すごくいい事言うんですけどねw
あとは何だろな、綾瀬はるかがアンチエイジングし過ぎなのか美容に力入れ過ぎなのか、肌の貼りが強すぎて、頬っぺたヒアルロン酸でも打ってるんじゃね?ってくらいキレイ過ぎて現実感ないんですよねw
SK-Ⅱピテラってあんなに効果あるんでしょうか。
ある意味化粧品のいい宣伝にもなったんじゃないか?w
あとは映像のざらつきが気になりましたw
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10