KNOCK/ノック 終末の訪問者
人生は選択の連続。
大きな分岐点はもちろん、ごく些細な決断の連続が自身の今後の人生を大きく変えていくことは、長く生きていればいるほど理解できるものです。
まさに今自分がいる場所こそが、その選択の結果なのですから。
そしてもしたかしたら、どうしても選べない時が訪れるのかもしれない。
正に「究極の選択」です。
今日の晩飯はラーメンにするかカレーにするかのレベルではありません。
生きるか死ぬかのレベルです。
今回観賞する映画は、「シックス・センス」で一世を風靡したM・ナイト・シャマラン監督が手掛けるシチュエーションスリラー。
なんでも、武装した大男率いる4人組が「家族を誰か差し出せ、さもないと世界が終わる」という超ド級の要求をしてくるというもの。
家族を一人差し出せば世界の破滅は食い止められるが、愛する人を失ってしまう。
家族を誰一人差し出さなかったら、世界は終わり、何十万もの命が失われてしまう。
ええ、無茶ですこんなの。
どっち選んでも最悪ですからw
てか、お前らなんなん!?てことろですよね、まずw
その辺をシャマランが面白く見せてくれるのでしょう!
早速観賞してまいりました!!
作品情報
「シックス・センス」や「アンブレイカブル」で世界中を震撼させ、近年でも自宅を担保に映画製作をする資金繰りをしながら、「スプリット」や「ミスター・ガラス」、「オールド」など良作を作り続けるM・ナイト・シャマラン監督が、「究極の選択」をテーマに、家族愛と恐怖が入り混じる終末スリラーを作り上げた。
ブラム・ストーカー賞、英国幻想文学大賞、マサチューセッツ図書賞などの受賞経験を持つポール・トレンブレイが2018年に出版した原作を映画化。
休暇を山小屋で過ごす男性のカップルと養女の3人の前に現れた謎の4人組が、「家族を犠牲にするか、それとも世界を終わりを迎えるか」という究極の選択を突き付けていくシチュエーションスリラー。
前作「オールド」で時間を操作した巧みなトリックで観衆を魅了したシャマランが、今度はヒッチコック的サスペンス演出を使い、決断することさえ恐ろしいスリラーを描く。
家族に決断を強いるグループのリーダー役には、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズはじめ、数々のブロックバスター作品に出演するデイヴ・バウティスタ。
ただでさえ大柄、且つ武装した姿にも拘わらず、優しい言葉をかけてくるデイヴが、恐怖を拡張させる役目を見事に果たす。
他にも「マトリックス/レザレクションズ」のスミス役を演じたジョナサン・グロフと、バットマンの執事アルフレッドの若き日を描いたTVシリーズ「ペニーワース」に出演したベン・オルドリッジが、養女の両親であるエリックとアンドリュー役を、「ハリーポッター」シリーズのロン役でおなじみルパート・グリントが、デイヴ演じるレナードと共に選択を迫るグループの一人レドモンド役として出演する。
人生を歩んでいく中、いつどこでどのタイミングで「究極の選択=ノック」が訪れるかは、誰しもが予想のつかない出来事。
トロッコ問題ともとれるこの難題に正解はあるのか。
そして、彼らは何者で、なぜ世界は終末を迎えるのか。
正気とは思えない究極の選択の結末とは…。
あらすじ
人里離れた森の奥深くにある山小屋で穏やかな休日を過ごしていたエリック(ジョナサン・グロフ)とアンドリュー(ベン・オルドリッジ)、その養女であるウェン(クリステン・キュイ)の一家。
そこへ突如武装した見知らぬ男女4名が訪れ、家族は訳もわからぬまま強制的に囚われの身となってしまう。
武装したグループのリーダー・レナード(デイヴ・バウティスタ)は、彼らをなだめながらも「愛する家族一人の犠牲か、世界の終焉か」と、耳を疑う選択を突き付ける。
一家は、テレビに映る世界各国で起こり始めた甚大な災害を目の当たりにするが、そんな話をすぐに信じられるはずもなく、疑心暗鬼に陥っていく。
果たして彼らの語る内容は真実なのか、その真の目的とは?(Movie Walkerより抜粋)
感想
#映画ノック #終末の訪問者 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2023年4月7日
究極の選択を迫られる家族の物語。
空間を敢えて作ったり接写で見せたり、毎度お馴染み溜めや外しの演出で緊迫感を生む映像はヒッチコック大好きなシャマランならではの絵づくり。
しかし肝心の理屈だったり説得力がないままなので個人的には疑問が残る内容でした。 pic.twitter.com/j7PGK7S0SS
一瞬「ハプニング」がよぎった・・・。
「なぜ彼らが選ばれたのか」って理屈がないまま突き進んでいくのが逆にすごい。
溜めに溜めて何かあると期待させる画づくりは最高だけど、オチがあっけなく思えてしまって残念。
以下、ネタバレします。
選択によって運命は決まる
山小屋でくつろぐゲイカップルと養子の女の子3人の前に現れた謎の4人組が「究極の選択」を迫るシチュエーションスリラー。
スピリチュアルや黙示録を引用しながら、世界の終焉を命題に人間のエゴを試す物語として、ヒッチコック味のある技巧的な映像表現で惹き付けるものの、避けては通れないであろう「なぜ選ばれたのか」という理屈や、彼らでなくてはならない明確な理由を敢えてスルーしたこともあり、個人的にはそこに納得がいかず終始疑問を抱いたまま鑑賞した作品でございました。
アカデミー賞作品賞を受賞した「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」や、MCUでも絶賛展開中のマルチバースなど、いくつもの選択によって生まれた世界線を舞台にした作品が多々あるのに刺激されたのか、本作はとにかく「選択」を強調した物語に感じました。
エリックとアンドリューの馴れ初めや養子として迎え入れたウェンとの出会い、バーでの暴行事件や山小屋まで向かう道中の姿などを織り交ぜ、「なぜ彼らはこの山小屋を訪れたのか」、そして「どうして二人は出会い愛し合うことになったのか」、同性愛者として世間から白い目で見られようとも一生離れることはないと誓い合う姿など、様々な選択や決断を経て、彼らはこの究極の選択の前に佇むことになるという視点。
さらには謎の4人組がどうして出会い彼らの元へやってきたのかという経緯も加わることで、この出会いと交差に偶然はなく、いくつもの選択によって導かれた必然のような物語の設定は、その後の展開を期待させるようなワクワクしたものでした。
劇中では、中々決断しない家族らによって刻まれていくタイムリミットから、4人組が一人ずつ自害することで予言に対する信ぴょう性を高めようとするシーンがあり、それでも彼らの選択に屈しない姿を見せるエリックとアンドリューの愛の絆が、過去の回想シーンを挿入していくことで強固に見え、ドラマチックになっていく展開は感情移入しました。
また、そうでもしないと信じてもらえない4人組の苦渋の決断にも胸が詰まるといった内容になっていて、この究極の選択を決断するのがどれだけ難しいモノかを思い知らされる内容となっていたと思います。
少数を犠牲にして多数を救うのか、それとも多数を犠牲にして少数を救うのか。
自分ならどうするかを考えた時、独身の僕は守る者がない分、後者を選んでしまいがち。
でも後者を選んだ場合、ただ一人彷徨いながら生きなくてはならない、ある種地獄の人生が待っており、前者を選んだ場合、自分はこの世にはいないが多くの人がいつも通りの暮らしができるという結末。
一体どちらが正しくて幸せなのだろうと。
この非常に厄介な選択を、デイヴ・バウティスタのような大柄の男率いる4人組が「早く!早く!」って迫るもんだから、困っちゃいもしますけどw
映像表現について
とにかく世界の運命まで委ねられた家族がどんな決断を下すかってのを、ありとあらゆる映像表現で焦らして焦らして焦らしまくる、シャマラン特有の映像でスリリングに見せている点としては、平常運転でもあり、これが見たかったのよ!ってのは非常に評価できる内容でした。
バッタを捕まえ瓶に詰め込むウェンの姿を接写で撮影している冒頭。
それを皮切りに、演者に対して寄りの映像を多用している作品でした。
演者に接写した映像は基本的に好みではないのですが、本作に限ってはそうした撮影方法にすることで、緊迫感を生み出すことに成功したと思います。
究極の選択を余儀なくされたエリックとアンドリューの表情は、「どうしてこいつらは無謀な選択を俺たちに突きつけるのかさっぱりわからない」という疑問や、「こいつら武器持って俺たちを拘束して一体何考えてるんだ」、「お前たちの言うことなんて絶対信じてやらないんだからな!」という、恐怖と抵抗が入り混じった迫真の瞬間を捉えていたように思えます。
逆に4人組に関しては、彼らを縛ったり武器を持って脅してるかのような行動に、申し訳ないという気持ちと、仕方ないんだというジレンマだったり葛藤、タイムリミットが迫る焦りを接写によって生み出せていたように思えます。
また今回すごく気になったのは、対象を端に置き、背景以外何もない空間を作っていることです。
例えば、縛られたアンドリューは、目の前で起きていることに脅える表情を見せるんですが、その時左側の背景をぼかしてアンドリューを右側に寄せた構図を作っています。
こうすると、誰もいない背景と化した余白から、唐突に何か出てくるのではないかという印象を与えるわけです。
実際何か飛び出て来たらこっちは驚くし、結果何もなかったとしても、そこに至るまでのドキドキは生まれるわけで、非常に効果的な演出だったのではないでしょうか。
これを何度も多用し、その余白に何が埋まるのか頭から離れない=映像に集中するという効果を発揮しています。
また、R指定を気にしての事だけのように思える「ハズシ」の演出も見事。
4人組はエリックとアンドリューを説得するために、自害を決断。
彼らは自害することで人類の一部に裁きを与える力を持っており、災いを呼び寄せます。
死後間もなく、大津波が発生したり、旅客機がどんどん墜落したりと災害が勃発、彼らに命を差し出すよう促すのです。
彼らは死ぬ間際白い布を被って正座し、残りの者が頭めがけて武器を振り下ろす光景をエリックとアンドリューに見せるのですが、我々には直視させません。
肝心の部分を敢えて外して見せるんです。
この光景をそのまま見せればホラーとして最高の恐怖体験を得ることができますが、シャマランはそれをせず、敢えて外すことで陰湿な恐怖を生み出しています。
要は直視させないことでモヤモヤさせ、心理的に揺さぶりをかけてくるんですね。
今の目の前で起こったことがどういうモノだったのかを想像させることで、いやな気持ちにさせる効果を発揮していたと思います。
またその後、死体を運ぶシーンでは山小屋の中からカメラをパンして見せています。
エリックとアンドリュー視点で見る光景で、死体を引きずっているレナードが壁と窓によって見えている部分と見えてない部分を作っており、それが妙にリアルな光景として映し出されています。
普通の映画なら、ここは死体を引きずっているレナード視点によって、こちらに恐怖感を与えることでしょうが、シャマランはそんなことしません。
椅子に縛られている2人の方から見せることで、彼らと同じ気持ちにさせているのであります。
終末が来るからそりゃ黙示録だよな
レナード、レドモンド、エイドリアン、サブリナの4人は、それぞれ「その後の未来が見える」というビジョン=幻視が見えたという共通点から出会い、エリックとアンドリューのいる山小屋に導かれたと話します。
2人のパパがいるというウェンの話から、「まさか男性同士のカップルだとは」というセリフから、救世主となる2人の明確な姿までは見えてなかった様子。
そして「選ばれた」という理由で二人を椅子に縛り、決断を迫るのであります。
レナードは教師、サブリナは看護師、エイドリアンは子持ちのコック、そしてレドモンドはかつて臭い飯を食った経験がありながらも、今は更生しガス会社で働く一般人ばかり。
決して胡散臭い宗教に属した人たちでもなく、セクシャルマイノリティを弾圧するような団体でもない、ごく普通の人たちであることを強調します。
とはいえエリックとアンドリューはゲイカップルであることから、世間の冷ややかな目を散々受けてきたこともあり、それ以前に大柄の男が大きな斧や鎖を持って自分たちを拘束し脅すような姿を見れば、抵抗するに決まってます。
誰がお前らを信じるかと。
結果的に彼らはいわゆる「アポカリプス」=黙示録、新約聖書の最後の一書になぞらえた人物であることをエリックの口から明かされます。
内容としては95年ごろローマの迫害下にある小アジアの諸教会のキリスト教徒に激励と警告を与えるために書かれた文書で、この世の終末と最後の審判、キリストの再臨と神の国の到来、信仰者の勝利など、預言的内容が象徴的表現で描かれているとのこと。
ヨハネの黙示録には4人の騎士が登場し、彼らは地上の4分の1の支配と地上の人間を殺す権利を持った人物として描かれているようです。
実際に彼らが死ぬ時に「裁きを下す」といって死ぬように、地上の人間を殺すだけの力を持っているのが窺えます。
またそれぞれ支配や飢饉、疫病などの力を持っていることから、彼らが死ぬと同時に、津波や地震、パンデミックなどが実際に起こることから、この4騎士になぞらえた人物設定になっていることは容易です。
ただ彼らの場合、レドモンドはかつて暴行を働いたという理由から、エイドリアンはウェンに食事を提供したことから、サブリナはケガを手当てしたことから、そしてレナードは二人を導くための手配から、それぞれが彼らに何らかの施しをしており、エリックとアンドリューは他に何をすればいいのかを見出すという結末になっています。
正直言って僕は本作にあまりいい満足度を得ていません。
その最たる理由は「結局何で彼らが選ばれ、こんなことになってしまうのか」を明確に描いてないからです。
物語は、彼らが命を削って訴えたことを、エリックとアンドリューがどう受け止め決断するかに留めているため、見てるこっちは終始「Why?」が付きまとい、答えを提示してくれないのです。
しかしこうした聖書に基づいた物語設定から読み解くと、世界の終末なんていつ来るかわからない、神様はいつだって気まぐれであり残酷な決断をすると。
いちいち何でこんな目に遭わなければいけないのかと考えていては、ダメなんじゃないかと。
信仰とはそういうモノなんじゃないの?と言われている気がします。
正直、シャマランの映画だからと、我々は信じて疑わない部分があったじゃないですか。
特にここ最近の彼の映画は以前の彼と比べたら全然面白くて、一定の評価はあると。
だからこうして足を運んで鑑賞したわけですが、彼を神と考えたら「信じないとダメだぞ」と。
結局俺はシャマラン教には属していなかったってことですw
最後に
今回あまり笑いどころは少なかったですが、めっちゃ怖そうなのに話してる素振りが優しさMAXなデイブ・バウティスタのギャップ、TVショッピングで誰でも簡単にフライドチキンが揚げられるエアフライヤーを紹介していたシャマラン監督の芝居、そしてタイトルがノックなのに結局ガラスやらドアやらぶち破って侵入してくる4人組って所は笑えたかなと。
結果的にこの映画は、究極の選択はいつ訪れるかわからないし、もし訪れたら未来を願って、祈って、素晴らしい未来のために決断するしかないぞっていうことでしょうか。
そしてそういう時が来たら「なんで!?」とか言ってられないぞと。
その選択が運命を決めるのだから熟考したいとか言ってられないぞと。
ハプニングとレディインザウォーターを足して2で割ったような感じの映画でしたかね。
いつも通りのシャマランであり、今回はこっちのシャマランだったかという感想でした。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10