モンキー的映画のススメ

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主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「パストライブス 再会」感想ネタバレあり解説 佇んだ時間と想いの深さはイコール。

パスト ライブス 再会

大人になっても忘れ得ぬ人ってのはいるもんで、初恋の人とか当時好きだった人、お付き合いした人など、あわよくば「再会」を果たしてみたいモノだなと。

 

正直それってめちゃめちゃ過去に捉われてるように思えがちだけど、決してその後の展開を望んでるとかではなく、昔話に花咲かせてみたり、当時の誤解だったことを打ち明けたり、年齢による変化や成長に伴って、今だからこそ話せるようなことがきっとあると思うわけで。

 

ま、こういうこと言えるってことは、やっぱり後ろめたさだったり後悔みたいな思いが生じてる証拠なのかなとw

多分さ、ピリオドを打ちたいんですよw

 

今回鑑賞する映画は、多分俺と同じ思考を持ってると思われる男性が、かつて思いを寄せた人にNYにまで出向き再会を果たす物語。

昨今純粋なラブストーリー、いや大人の恋愛を描いた物語が枯渇してる中、韓国系の人たちを軸にアメリカで製作しくれる映画って、仮に配信オンリーで存在したとしても、非常に貴重だなと思うんです。

 

正直苦手なA24作品ですが、感情移入できそうな内容だったらいいなと期待し、早速鑑賞してまいりました!!

 

 

作品情報

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のA24と、『パラサイト 半地下の家族』を配給した韓国CJ ENMが初の共同製作をした、セリーヌ・ソン監督のデビュー作。

 

ソウルで初めて恋をした幼なじみの2人が、36歳となった24年後、ニューヨークで再会する7日間を描くラブストーリーを、3つの「運命が重なる瞬間」にフォーカスを当て、忘れることのできない想いや再会の様子を、美しいNYのロケーションと筆致で描く。

 

物語のキーワードは「運命」の意味で使う韓国の言葉“縁(イニョン)”。

見知らぬ人とすれ違った時、袖が偶然触れるのは、前世(=PAST LIVES)でなにかの“縁”があったから。

久しぶりに会った2人はニューヨークの街を歩きながら、これまでの互いの人生について会話を弾ませながら「選ばなかった道」に想いを馳せる。

 

本作で監督デビューを果たしたセリーヌ・ソンは、韓国から遊びに来た幼い頃の友人と、アメリカに住んでいる私の夫と一緒にお酒を飲むことになったことがきっかけで、物語を創作。

自身が通訳をしながら交わした酒宴の中で、自身のアイデンティティや歴史などを解釈し、特別な感覚になったことを映画に詰め込んだとのこと。

 

そうした思いが業界内で話題を呼び、本作は米批評サイト「ロッテントマト」で96%の高評価を獲得、ゴールデングローブ賞では作品賞含む5部門にノミネート、そして第96回アカデミー賞では、作品賞と脚本賞にノミネートする快挙を成し遂げた。

 

12歳に韓国からカナダに移住し、現在NYで暮らす、韓国系カナダ人 ノラの役をNetflixのドラマシリーズ「ロシアン・ドール」や、Apple TV+のドラマシリーズ「ザ・モーニングショー」、映画では「スパイダーマン スパイダーバース」で女性科学者ライラを、『スラムドッグス』ではベスの声を担当したグレタ・リーが、ノラの幼馴染、今もソウルに暮らす ヘノン役を、「別れる決心」のユ・テオが、ノラの夫で作家のアーサー役に、「ショーイング・アップ」や「ファースト・カウ」など、ケリー・ライカート監督作品での出演が続くジョン・マガロらが演じる。

 

誰もは一度は浮かべた「もしも、あの時」。

忘れられない恋の記憶を揺り起こしながら、イニョン(縁)が引き寄せる奇跡と儚さに、胸を打たれることだろう。

 

 

あらすじ

 

ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソン。

ふたりはお互いに恋心を抱いていたが、ノラの海外移住により離れ離れになってしまう。

12年後24歳になり、ニューヨークとソウルでそれぞれの人生を歩んでいたふたりは、オンラインで再会を果たし、お互いを想いながらもすれ違ってしまう。

 

そして12年後の36歳、ノラ(グレタ・リー)は作家のアーサー(ジョン・マガロ)と結婚していた。

ヘソン(ユ・テオ)はそのことを知りながらも、ノラに会うためにニューヨークを訪れる。

 

24年ぶりにやっとめぐり逢えたふたりの再会の7日間。

ふたりが選ぶ、運命とはーー。(HPより抜粋)

youtu.be

 

 

 

感想

Past Lives=前世に絡めた「縁」の物語。

忘れ得ぬ人は今もその時の面影のまま、心に宿ってる。

だからこそ来世で、会おう。

言葉を交わさず見つめ合う二人の別れに、涙が止まらなかった。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

運命とは結果にしかすぎない。

運命論を語ればキリがない。

出会って付き合って結婚する、そうした結果が「運命」と言えば、出会って恋に落ちて「運命」と感じる瞬間もある。

厳しく言えば後者はどちらかといえば「縁」に近いもので、やはり「運命」かどうかを見極めるには、結果によるものだと思う。

 

そうなると、二人が「来世で会おう」と告げ別れたラストは「運命」だったと言ってもいいのかもしれない。

それこそ、二人が韓国で引き裂かれてしまった時も、オンラインで偶然の再会をし、話に花を咲かせながらも互いがあと一歩踏み出せなかった時も、運命と言えよう。

 

しかし、それに抗うことはできた。

ノラがカナダに行ってしまうことに対しては、家族の一存なので抗うのは不可能だが、手紙のやり取りだってできたかもしれない。

オンラインでやり取りした際も、自身の将来を優先するための決断だったが、あれだって、本気で好きならソウルに帰っても良かったし、NYに行っても良かった。

 

それができなかったということは、個人としてはそれまでの思いだったと切り捨てるべきだと思う。

 

とはいえ、初恋の女性と時を経て再会を果たした時の「ずっと瘡蓋だった箇所が剥がれて疼く」ような感覚は、痛みと共に熱へと変わることは非常に理解できる。

脈を打つたびに疼くあの感覚は、オンラインの時もNYでの再会も、二人が佇んだ時間だけ感じたに違いない。

 

もしもあの時、違う選択をしていれば。

そうした別の世界線を想像し映像化されたエブエブや、フランス映画の「Julia(s)」など昨今トレンドになりつつあるが、本作は敢えて「IF」の世界線を見せず、二人だけが共有し合える関係性を提示することで、自身の人生の「What if」を想起させていく稀有な作品でもあったように思う。

 

劇中、ずっと見つめ合う二人を見ながら、自分自身も「もし初恋の女性とこういう形で再会できたなら」と妄想を膨らませたし、二人が決断した切ない別れも、大人としての分別を見せながらも、どこか強がっている姿にも見えたあのラストのように、「きっと思いや願いが成就することはないだろう」と、実行してもいないのに勝手にピリオドを打ってしまうストーリーを脳内で構築していた。

 

 

それ以上に本作が胸を打つのは、「現世では実らなかった恋が、来世では叶いますように」というポジティブな思いが漂っているからだ。

 

 

前世ではどんな関わりを持っていたかはわからない。

歩行中、服の裾が触れただけのものかもしれない、羽を休めるために留まった鳥と木の枝かもしれない。

もしかしたら兄妹だったかもしれない。

もしかしたら恋人だった、かもしれない。

しかしこうして「縁」あって二人は現世で再会を果たし、思いを焦がす関係となった。

 

それが実らなかったとしても、「来世」で再会を果たすことに想いを向けることができることで、大人だからできる潔さと割り切り方、そして何より「この再会が何物にも代えがたい瞬間」であったことを、我々に映し出してくれる。

 

 

このように、誰にでも「もう一度会いたい人がいる」という共通認識をベースに、3つの運命の瞬間を切り取って描いた本作は、見事に心の琴線に触れる作品であり、感情移入しやすい映画だったように思う。

 

冷静に見れば不思議な話。

しかしこれ、ノラの夫がどれだけ寛容な性格だったか、って話ですよねw

2人が20年かけて再会を果たすだけの物語なら、別に今特別視するような映画ではない。

結婚相手が絡むから映画として色々複雑な思いがあって面白いし、機能してるんですよね。

 

韓国人の女性が、2度の移住を果たし、自分の野心に向かって進んだ道中、アメリカ人と結婚した、という人生の中に、かつての初恋の男性が会いに来る。

これ仮に俺が旦那だったらよ?拒否よ拒否!

 

え?何考えてるのそいつ?

飛行機で13時間かけて、何しに来るの?

確かにNYの知り合いはあなただけかもしれないけど、そいつ独身なんだろ?彼女いるの?え?いるの?

え?それでも会いに来るの?バカなの?

 

と、心の狭い夫を熱演することでしょう。

 

ですが、ノラが選んだ夫だけあります。

ちゃんと「いってらっしゃい、楽しんでおいで」と見送り、ゲームしながら待っているだけの余裕を見せる男ぶり。

 

しかし、夜のピロートークでついつい弱さを見せてしまうのが、また可愛らしい。

確かにアーサーとノラの経緯はいたって平凡。

オーディションで出会い、そのまま惹かれあい、NYで家賃節約のための同棲を経て結婚。

 

それに引き換えヘソンとノラは壮大な時間を経ての大恋愛といっても過言ではない。

まるで心電図のように大きな波を立てた幾度の別れと再会を果たし、ノラが結婚してもまだ「変化」を求めて性懲りもなく会いにやってくる。

 

そんな自分と比較して卑下したり、ノラの寝言は韓国語しかない、英語で聴いたことがないという愚痴までこぼす。

そりゃそうだ、母国がアメリカならまだしも、育った場所は韓国で母国語も韓国なのだ。

 

また再会を果たした初日の夜、彼について色々聞き出すアーサー。

それに対しノラは「韓国的な男らしさを感じる」という発言をし、再びアーサーを困らせる。

それはあくまで「自身が韓国の血を引いてるにもかかわらず、そこに惹かれることはないことが、もはや韓国人ではなくアメリカ人になってしまってる」ことへの言及であり、アーサーを困らせる発言ではない。

 

このように、アーサーはノラのしたいようにしていいよ、という優しさを見せながら、内心めちゃめちゃドキドキしてるんですよw

すごくかわいいんだなぁこれがw

 

でも結果的にヘソンと再会を果たしたことで、彼がノラを奪いにやってきたわけではないこと、ノラも「当時の私をずっと思って」と言い残すも、やはり心のどこかではヘソンとの人生を夢見ていた節を覗かせ、涙を流す姿を見せるわけです。

それは、よりノラとアーサーの絆を深めることにもつながったのではと思うんです。

多分俺が夫だったらしたであろう愚行は、悪い結果を生んだことでしょうw

 

会いましょう、モントークで

本作で描かれるヘソンとノラによる様々なやりとり。

互いが惹かれあっていたのに、なぜか一歩踏み出すことができない関係性に、きっと観た人はモヤモヤしたり、「なんでわかってないんだよ!!」と勝手に自供したくなる気持ちになることでしょうw

 

特に大学時代、大きな時差がある中、時間を合わせてやりとりしたオンライン上のトークは、NYとソウルという実質的な距離を大幅に縮めた瞬間の連続だったと思います。

 

実際に付き合っていれば「遠距離恋愛」なんだろうけど、別に付き合ってるわけじゃない。

でも、なぜか、毎日、時間を合わせて話をし続ける2人。

 

第三者の俺からすれば、「そこまで惹かれあってるんだから、もう互いの気持ちわかってんだから、さっさと会いに行けよ!!」となるんですよ。

 

なのに、一歩踏み出そうとしない。

大学があるから、演技の講義があるから、そっちが来てよ。

 

もしかしたら、互いが試していたのかもしれない。

本当に自分の事を好きなら、来てくれるだろうと。

逆を言えば、向こうが自分の事を好きだってことを信じられなかったのかもしれない。

高額な旅費の問題じゃない。

ノラに関して言えば、母国に足を運ぶことによって、自身の野望の枷になってしまうのではないかと、頭のどこかで考えていたのかもしれない。

それがヘソンも同様。

互いが何かを成し遂げたいために、そこにいるわけ。

 

とまぁ、何を言っても時すでに遅しなわけだけど、サインだけは読み取ることができたんじゃないかと。

 

そのサインてのが、実はひっそりと描かれてたんですよね。

それが見出しにも書いた「会いましょう、モントークで」なんですよ。

 

これどういうことかと言いますと、ノラが参加するワークショップの場所がNYから少し離れたモントークという町でやると話をヘソンにするんです。

その後「エターナルサンシャイン」て映画見たことある?」とヘソンに語るんですよ。

 

その後一瞬、ヘソンがPCでエターナルサンシャインを見るシーンが挿入されるんですが、その後2人の間でこの映画の話をすることはありませんでした。

 

このシーン、個人的には非常に意味深だったんです。

なぜこのやり取りを入れたんだろうと。

ただの世間話にしては、あまりにもあっけなさすぎる。

 

実際俺はエターナルサンシャインを鑑賞してるんだけど、だいぶ前に見たきりで中身まではっきりと覚えてない。

で、観賞後調べてみたんですよ。

すると、この「エターナルサンシャイン」の中で、「会いましょう、モントークで」って言ってるんですよ。

 

は!!!っとしましたよ。

恋人同士だった記憶を消すことで、痛みから遠ざかっていたけれど、記憶の奥底には、出会った場所が刻まれていた。

「モントークで会いましょう」

記憶を消しても出会った場所で「初めて」会う二人を描いたこの物語を薦めたノラの気持ち。

 

それはまさしく「わたしたち、モントークで会いましょう そしてもう一度最初から始めましょう」なんですよ。

ノラはちゃんと、ヘソンにサインを送っていたんですよ。

 

それをだ!!!

ヘソンは!!!!

見落としたんだよバカたれが!!!

 

きっと、その後を描かなかったということは、ヘソンは話題にもしなかったんでしょう。

もしくは映画自体ハマらず、盛り上がらなかったんでしょう。

ヘソンの顔って、ぶっちゃけ鈍感な表情してんすよね。

にもかかわらず、旦那のいる女に会うためにNYへ行くっていう大胆なことしてますけどww

 

なんちゅうか、当時うまくいかなかった恋愛を思い返してみると、やっぱり相手からの「サイン」を見落としていたのかもってこと、あると思うんですよ。

特に男子ね。

このシーンの意図を理解した時に、かつての自分を思い返しましたよっていうw

 

 

最後に

再会時、いきなりハグしてきたノラ。

ハグ文化のない韓国人にとっては、さぞ驚いたことでしょう。

ヘソンは戸惑う仕草をしたのち、とりあえずハグし返します。

 

逆にノラは、ヘソンが未だ両親と同居していることや、いわゆる「韓国人らしい男らしさ」に惹かれる印象を持ちます。

そうした中で、韓国人の血を引いているのにNYで生活していることから、自身のアイデンティティを見失っていることにも気づきます。

 

本作が優れているのは、正に監督自身が韓国から海の向こうへと渡り「移民」として感じた体験を、ノラを通じて伝えていることだと思います。

それが「ただの恋愛映画ではない」所以であり、アカデミー賞にノミネートされた理由なのだと思います。

 

さらに言えば、こういう類の恋愛映画、男性が作れば男の女々しい部分が際立つ映画になりがちなんですが、比重はノラの方にあるモノの、ヘソンの「男らしさだけじゃない優しさ」もしっかり描かれているので、決して女性だけの物語になってないバランスの良さがあったと思います。

だから女性は受け入れやすい作品になってるでしょうし、男の俺でも泣けてしまう映画になっていたんじゃないかと。

 

また、さりげない演出も最高。

2人が座って佇む後ろで「反時計回りに動くメリーゴーランド」とか秀逸ですよ。

2人の中で時間が巻き戻っているんだってことを、あそこで伝えてるわけですから。

他にも電車内の手すりを持つ2人の「今にも触れそうな手と手」とか、ノラとアーサー、ヘソンが3人で座るバーの見せ方、ノラが退席したことで生まれるヘソンとアーサーの微妙な距離感。

 

個人的に最高なのは、船着き場や最後の見送りなどを横スクロールで見せていく手法。

ものすごくさりげないんだけど、ものすごく「映画」だなって思える見せ方。

 

特にラストは、見送って帰ってくるとアーサーが玄関で座って待っているんですよ。

歩いて止まった場所で佇み、歩いて戻ってきた先にちゃんと意味がある。

それをカットせずに見せる事で生まれる「儚い瞬間」。

 

あそこは、今思い返すだけでウルッときちゃうな…。

 

ただね、何度も言うけど本作が成立する大きな理由は「アーサーが性格良すぎる」ですからww

ここは忘れちゃいけないw

でも、俺は良い映画だと思った。

昨今、恋愛映画が注目されにくい時代だけど、こういう恋愛映画も良いもんだよ。

もっと製作してくれ!!

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10