ロードハウス 孤独の街
日本ではめったに見かけませんが、海外のクラブやバーといった場所には「バウンサー」と呼ばれる「用心棒」が存在します。
主に入り口に立って客の身分証の確認や、怪しい人物を入場させないフェイスコントロール、場内でのトラブルを対処するなどの役割を担う仕事をされています。
海外の映画でも行列のできたクラブに顔パスで入る主人公のシーンとかありますよね。
あの入り口で立ってる、いかにも図体のでかいイカつい兄ちゃんがバウンサーだと思います。
今回観賞する映画は、クラブではなくバーの用心棒をする男の物語。
どうやら同じタイトルのリメイク作品だそうなんですが、そちらは見ておらず。
オリジナル版を調べてみると、最低映画を決めるラジー賞にノミネートした作品のようで、何故今更リメイクを?と。ちょっと疑問。
もしかしてカルト映画的な作品なのかな?
ただ、製作の外側でも騒ぎがあるようで、オリジナル作品の脚本家が著作権侵害でアマゾンとMGMを告訴してるらしいし、当初劇場公開で話が進んでいたにも関わらず、配信オンリーになったことで、監督が出品する映画祭をボイコットするなど、かなり荒れてますw
アマゾンがMGMを買収して以降こうした動きが結構多く、日本国内でもエメラルド・フェネル監督の「ソルトバーン」や、アカデミー賞脚色賞を受賞した「アメリカン・フィクション」などが配信オンリーな現状があります。
どうにか劇場でも公開してほしいものですが、一筋縄ではいかないんでしょうね。
というわけで、早速おうちで観賞いたしました!!
作品情報
1989年にパトリック・スウェイジ主演で製作された「ロードハウス/孤独の街」。
酒場の用心棒として雇われた主人公が、店を統制しながら街を牛耳るボスと対峙していく姿を、ジョエル・シルバー製作によるノリのいいアクションで描いた。
批評家らの評価はよくなかったものの、スウェイジの切れのいいアクションやぐるぐる回るカメラワークなど、見どころの多い作品として知られている。
そんなヒーローアクション映画を、「ボーンアイデンティティー」や「オール・ユー・ニード・イズ・キル」、「カオス・ウォーキング」などを手掛けたダグ・リーマン監督の手にによってリメイク。
舞台をミズーリ州の荒れた酒場から、現代のフロリダ州のバーに移し、主人公を元総合格闘技UFCのファイターに変更。
オリジナルよりも激しく荒々しいアクション映画へと変化させた。
主演には、「コヴェナント/約束の救出」の評判がいいジェイク・ギレンホール。
過去作でも鍛え抜かれた肉体美を見せているジェイクが、本作でも元UFCファイターという設定を体現した体を披露。
劇中でも格闘技経験者たらしめる激しいアクションをこなしている。
また、主人公が働くバーの乗っ取りを企む男を格闘家のコナー・マクレガーが、映画初出演とは思えない迫真の演技を見せる。
他にも、「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」のジェシカ・ウィリアムズ、「グランツーリスモ」のダレン・バーネット、「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結」、「ワイルド・スピード/ファイヤーブースト」などのダニエラ・メルシオール、ドラマシリーズ「ユーフォリア/EUPHORIA」のルーカス・ゲージなどが出演する。
一見美しい島が、ただの楽園ではないことを知る。
あらすじ
フロリダ州の美しい島キースにある荒れた酒場を立て直すため、用心棒として雇われた元格闘家のダルトン(ジェイク・ギレンホール)。
破格の待遇で雇われた彼は、自分なりの方法で店の秩序を回復していくが、そこに富裕層向けのリゾート地に作り替えようとする男が現れ、事態は思わぬ方向へと進んでいく。
ダルトンは、用心棒としての務めを果たすことができるのか。
感想
ロードハウス/孤独の街観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) March 21, 2024
フロリダの島で1匹のならず者が用心棒として街を守る物語。オリジナルは未見だが表面的には西部劇のようで楽しい。
しかし広角レンズとCGで補正したアクションシーンが斬新に見えて見栄えが悪い。手を加えないからこそ生々しいのに。
結末の空気感も酷い。非常に勿体無い pic.twitter.com/eYtgNlFAN8
凄く古典的な物語設計なのに斬新な視点のアクション描写で、非常に見にくい。
主人公が結末で背負う孤独までフロリダの空気にしなくていいんですけど。
以下、ネタバレします。
ざっくりあらすじ。
地下格闘技場にやってきた女性フランキーは、自身が経営する店の用心棒を探していた。
そこに突如現れたのは、姿をさらすだけで相手が恐れ戦く男ダルトンだった。
賭けに負けた腹いせで客から腹を刺されてしまったダルトンだったが、フランキーから「店の用心棒を週5000ドルでやってくれないか」と直談判する。
最初こそ断ったものの、車中生活や死ぬに死にきれない状況を変えるため、まるで居場所を探すかのようにフロリダキーズの島へ向かうことに。
バス停前の本屋で知り合った少女チャーリーから、ロードハウスという名前のロードハウスがフランキーが経営する店だと知ったダルトンは、その足で店へと向かう。
ロードハウスは、海が見える国道沿いに大きく構える、居心地のいい店だった。
店内は絶景を覗きながらくつろげる吹き抜けの間取りで、営業中は常に生バンドがムードを作って盛り上げる活気のいい店だった。
酒を飲む者もいれば音楽に乗せて体を揺らす者、奥でビリヤードを楽しむ者など、誰もが自由気ままに楽しんでいた。
夜になると、単車を走らせやってくる若者たちが現れ、店を荒らし始めた。
テーブルを倒し客を煽るその姿を見たダルトンは、早速仕事に取り掛かる。
外へおびき寄せ、一瞬にして片付けたダルトンは、気を効かせて近くの病院へ彼らを運ぶことに。
そこに現れたのはエリーという看護師。
残業が増えると悪態をついて近づく彼女だったが、ダルトンの脇原のけがを見て治療を施すことに。
ストレートに言葉を返すその度胸に惹かれていくダルトンだったが、彼の存在を疎ましく思う者が、彼の姿を陰で捉えていたのだった。
翌日、ダルトンは街へ出くわすと、誰もが自分に挨拶をする光景に出くわす。
昨夜の出来事は1日も経たずに街に広がっていたのだった。
スタッフのビリーや、ボクシング経験のある若者を用心棒として鍛え、徐々に店の用心棒として存在感を示していくダルトン。
町の人にも受け入れられたことや、陽気な気候と開放的な風景も手伝って、ダルトンは徐々に自分の居場所を作り出していく。
一方、街を牛耳るベン・ブラントは、ロードハウスへの嫌がらせを阻止されたことにひどくご立腹だった。
あの用心棒は一体誰なのか。
なぜ自分の手下たちはコテンパンにやられてしまったのか。
苛立ちながらも次の一手を模索していくのだった。
仕事も順調になったある夜、家まで歩いて帰宅するダルトンに一台の車が襲い掛かる。
初日に店を荒らした一味のリーダーだった。
車ごと海に墜ちたダルトンは何とかして帰宅するが、彼が住むボートハウスには一味のリーダーがとどめを刺すために待ち構えていた。
一悶着の末海に落ちたリーダーは、ワニに食われて命を落としてしまう。
ダルトンは、なぜ自分に執着するのか、そして店を荒らすことに執着する集団がいるんか疑問に思い、フランキーに尋ねる。
しかし話をはぐらかされ、真相は聞けずじまいだった。
中々コトが進まないことに業を煮やしたベン。
そんな息子を思ってか否か、刑務所に収監されている父は、新たな刺客を送り込んだ。
その男は、平気で車を暴走したり店を燃やしたりと、全てにおいて歯止めの効かない狂気を持った男だった。
手下を引き連れてロードハウスに来るや否や暴れ出す一味。
ついにダルトンはその男と対峙するも、歯が立たないでいた。
このままではベンの思惑通り店は荒らされ続けてしまう。
果たしてダルトンは、用心棒として店を守り切ることができるのか。
・・・というのが、ザックリしたあらすじでございます。
決して嫌いではないのだけど。
劇中、バス停前で本屋を営む少女チャーリーが、あなたにピッタリの物語だと西部劇の本を薦める。
正に本作は、陽気で開放感のあるフロリダを舞台にしながらも、「ならず者が街を守る」という西部劇として設定を踏襲した作品であることが容易だ。
かつては元UFCのファイターという有名人であったにもかかわらず、なぜ落ちぶれ、何故破壊願望すら抱いているのかという背景をぼかしながら、物語はそんな男に街の未来を託すような英雄として見せていく見せ方は、個人的にもそうした古典的な設定が好み故、その先がどうなっていくのかワクワクした。
序盤でも、徐々に町の人にも受け入れられ、悪者を病院送りにするせいで仕事が増えると難癖付けるエリートの距離も縮まっていく。
以下にこの町の人たちが、地元を愛し家族を愛するのか、その人となりを彼らを通じて肌で感じていくダルトンの人当たりが感じられる。
その家族や地元を愛する思いは、善人だけでないということが徐々に明かされていくのも、典型的ではあるが興味を惹く。
地元の復興に大きく関わっていたベンの父親は、ドラッグにも手を出し悪事を働きながら地盤を作り、刑務所に収監されてる間は、息子のベンが仕切っていた。
ベンはリゾート開発に力を入れており、何としてでもロードハウスを立ち退かせたかったというわけだ。
店で暴れても警察は頼りにならないのは、ベンの親父の手下だったデカチン呼ばれる刑事の存在が大きかったことも明かされていく。
さらにはこの刑事の娘がエリーだということも。
色々点と線が繋がっていく中、一番知りたいのはダルトンの過去。
なぜ総合格闘家という肩書を捨てなければならかったのか。
要は、「追い込まれたら何をしでかすかわからない狂気」を持っていたからだ。
友人であった対戦相手をレフェリーストップがかかっても尚攻撃し、死にまで追い込んでしまったダルトン。
そんな自分で求められない別の顔に、嫌気がさしていたのだった。
そういう側面を持つからこそ、ベンの親父が送り込んだコナー・マクレガー演じる刺客との一騎打ちが燃えるクライマックスになっている。
如何にも典型的な物語ではありますが、こういう「既視感」あるけど今も尚あり続けてくれるストーリーは非常に歓迎したい。
しかし、筋書き上一つだけ譲れない点があった。
それは「ダルトンの過去を明かす人物」をベンにやらせたこと。
ネットを使うには本屋まで行かないと利用できなかったダルトン。
そういう設定にすることでこの町では情報を得るには不便な街のように見せていたが、実際はそんなことはない。
皆スマホを持っているので、彼が元UFCファイターであることや、過去に何をしでかしたかは簡単にわかるのだ。
それを知っているうえで街の人たちは彼を受け入れている。
それは恋仲になっていくエリーも分かっており、それでも尚惹かれていくキャラクターであった。
しかし、物語は真打登場とばかりにロードハウスにやってきたベンが、ダルトンの過去に何があったのかを知らせる。
実際このシーンではダルトンへあいさつ代わりとも言うべき登場として描かれるが、「俺はお前のこと知ってるぞ」とでもいうような置き土産として、ダルトンの過去を明かすのである。
これがどうも気に食わない。
ベンはここで「ダルトンの過去を明かす」ためだけに登場させたようにしか思えないのだ。
黒幕なのだから、わざわざここで登場させなくてもいいように思える。
小者感満載なキャラなので別にここで登場させてもいいのだが、それならいっそ汚い手口で手下を散々こき使わせたあげく、最後にダルトンにフルボッコにしてほしいような憎たらしいキャラにしてほしかったのだが、なぜかここでしゃしゃり出るのが、どうも気に食わない。
個人的にはエリーを通じてダルトンの過去を明かしてほしかった。
それこそ沖でのデートのシーンでもいいし、もしくはあの凶暴な男との戦いの後、二人きりになってダルトン自身から打ち明けても良い。
流れとしても「なぜ闘い続けることを一度停めたのか」という理由として相応しいようにも思えた。
それをいうと、何故ダルトンがあそこまでされても「街に留まろう」とするのか、明確な理由がないように思えて仕方ない。
恐らく一番怖いのは自分自身なため、どんな奴が向かってきても怖くはない、そういう気持ちだけで街に留まったのかもしれない。
彼を奮い立たせたのは、本屋が襲われたことが発端だろうけど、それまでは正直そこまで理由がなかったようにも思えて、結局何のために街に要るんだろうという疑問はつきまとった。
また結末にも一言言いたい。
追い詰められたら手を止めることができない性分がついに表面的になったダルトンは、結果的に人を殺している。
そんな男が派手に戦い勝利したが、これ以上街に置くことはできないとエリー親子は判断し、それに従い街を後にする。
結局ダルトンは、再びならず者として更生することもできず、次の町へと姿を消すわけだ。
どこか淋し気な表情を浮かべながら街を後にするダルトンを映しているにも拘らず、映画は明るい曲調の音楽と彼の心情と真逆のオーシャンビューを空撮して幕を閉じていく。
いやいや、その妙に明るく締める結末はどうなのよと。
仕事は全うしたけれど、結局ダルトンは何も変えることができなかったわけで、そこは西部劇よろしくな淋しい背中を映してジエンドなのがオツってもんじゃないのかと。
序盤で脇腹を縫うとエリーが言っていたのに、ダルトンはそれを「痛みを受け入れる」「しっかり戒めを受ける」ような発言をしているわけだから、彼の最後もしっかりそれを背負って街を後にするわけだ。
なのに、ハッピーエンドかのように映すって、ダグ・リーマンのセンスを疑う。
最後に
肝心のアクションに関してだが、広角レンズとCG、そして編集の妙もあって、あまり類を見ないアクションシーンであったことは事実。
総合格闘技を選手目線でみるかのようなドアップの映像は、確かに迫力のあるアクションではあった。
しかし、ブレブレなカメラワークと、あまりに役者に近すぎてどんなアクションをしているのかさっぱりわからないのが自分の感想。
(俺の記憶が間違ってなければバリー・シールでもそんな撮り方してるシーンがあったような)
しかも周囲にあるモノが壊されてくのはCG処理であることがバレバレだし、なんなら投げ飛ばされる対象もCGのように見える。
悪い言い方をすればフィクションであるアクションがさらにフィクションに思えてしまう。
あまりに激しいアクション故の判断かもしれないが、個人的にはスピードをつけるために早送りしたりするような小細工をするアクション映画は大嫌いだ。
本作はそうした映像処理をすることで、斬新でスピーディーで迫力あるアクションシーンを見せているが、本物とは程遠いアクションに思えて仕方ない。
それこそクライマックスでのマンツーマンは、寝技や激しい組手をしているので、できればそれを「総合格闘技を観戦する視聴者」視点で見せた方が、より本物のアクション映画になったのではないかと。
色々と愚痴や文句ばかりが出てしまったわけだが、決して嫌いではない。
安定のジェイク・ギレンホールに、演技初挑戦とは思えないコナー・マクレガーの狂いっぷり、ビリー・マグヌッセンの小者ボス感も笑える好きのあるキャラクターとして見事だった。
全体の物語の構成も含め、好みである作品だっただけに、ついつい「こういう風にした方が面白いのでは」という注文やケチをつけてしまった。
所詮はダグ・リーマンて、それくらいの「良くも悪くもちょうどいい」監督なのだという締め。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10