モンキー的映画のススメ

モンキー的映画のススメ

主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「ある閉ざされた雪の山荘で」感想ネタバレあり解説 種明かしは良いんだけどそこまでが退屈。

ある閉ざされた雪の山荘で

今回観賞する映画は、タイトルの如く閉ざされた雪の山荘が舞台の…と思ったら、どうもそうではない様子。

 

そういう設定で舞台稽古するんだけど、何やら舞台の脚本が「殺人事件」の話で、実際に殺される役の人間が失踪してしまうもんだから、これ演技なの?それともガチの殺人事件なの?困惑しながらも稽古していくという、なかなかややこしい設定だけど面白そうなお話。


個人的には「閉ざされた雪の山荘」ってタイトルから

「え!?かまいたちの夜みたいな話!?美樹本出るん!?ピンクのしおりとかもあるん!?」

みたいな妄想をしたんですが、さすがに同じ話でやるわけもないだろうし、ちゃ~んと東野圭吾原作というミステリーを映画化するにあたって必須案件のネームバリューがあるわけで。

 

おそらく複雑なんだろうけど、ちゃんと頭をフル回転して楽しもうと思います。

早速観賞してまいりました!!

 

 

作品情報

白夜行」や「ガリレオ」、「新参者」シリーズなど、数多くのミステリー作品が映像化されてきた小説家・東野圭吾による30年前の作品を実写映画化。

 

劇団に所属する舞台俳優と、オーディションの最終選考に合格した「部外者」の俳優7名が、「ある閉ざされた雪の山荘」という架空のシチュエーションのシナリオの稽古中に殺人事件に巻き込まれていくが、これが演技なのかリアルで進行している出来事なのかの判断ができず、徐々に疑心暗鬼になっていく姿と、驚愕の結末を突き付ける「イマジナリークローズドサークル」ミステリー。

 

まだ無名だった東野がヒット作を生むためにがむしゃらにチャレンジしていたころの作品を、「ヒノマルソウル」、「ステップ」の飯塚健監督の手によって、登場人物たちの心理と駆け引きを繊細なタッチで描き、徐々に緊迫感が高まっていく作品へと仕上げた。

 

主人公を演じるのは「禁じられた遊び」の重岡大毅

山荘でのオーディションに招待された役者の中で唯一、異なる劇団から参加した“部外者”を演じる。

 

他にも、「雪の華」の中条あやみが”公演直前で役を奪われてしまった女優”を、「笑いのカイブツ」の岡山天音が”クセの強い怪演俳優”を、「鳩の撃退法」の西野七瀬が”世間知らずのお嬢様女優”を、「翔んで埼玉2」の堀田真由が”勝気なワガママ女優”を、「映画 賭ケグルイ」の森川葵が”圧倒的天才女優”を、「水は海に向かって流れる」の戸塚純貴が”優しい劇団リーダー”を、そして「東京リベンジャーズ」の間宮祥太朗が”劇団のトップ俳優”を演じる。

 

発刊時からミステリーファンを唸らせ、長らく映像化は困難とされてきた架空の密室を舞台に描かれる多層トリック。

スクリーンに映るすべてが伏線、登場人物の行動すべてを疑いたくなる疑念の嵐。

果たしてこれはフィクションなのか?

それとも実際に事件が起きているのか?

 

 

 

あらすじ

 

劇団に所属する役者7人に届いた、4日間の合宿で行われる最終オーディションへの招待状。

新作舞台の主演を争う最終選考で彼らが“演じる”シナリオは、【大雪で閉ざされた山荘】という架空のシチュエーションで起こる連続殺人事件。

 

出口のない密室で一人、また一人と消えていくメンバーたち。

 

果たしてこれは、フィクションか? それとも本当の連続殺人か?

彼らを待ち受ける衝撃の結末とは――(HPより抜粋)

youtu.be

 

 

 

感想

う~ん、出来てるようで出来てないのか…

クライマックスでなるほどと思ったけど、どうも変に思えて仕方ないというか。

なんだこの強引に納得させてウェットで締める映画は…。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

いきなり種明かし。

不満ではないんですけど、「それどうなってるの?」という疑問がふつふつ沸いてるので、それを話すためにいきなり結局どういう話だったのかをさっくり書いてしまおうと思います。

ネタバレご注意を。

 

 

 

超有名劇団「水滸」の新作オーディションの最終選考に残った、劇団員6人と部外者一人、計7人による合宿瑩子がスタート。

外部との連絡は落選と見做される中、「ある閉ざされた雪の山荘」を舞台に、次々と起こる殺人事件の犯人を捜すため、全員が主役である探偵としてふさわしいかを、演出家が監視カメラ越しにジャッジするという設定。

 

実際に外は出入り自由だけど、外出禁止の外部との連絡近視という設定が「雪降っててどこもいけない家の中」という架空の空間を生み出すため、クローズドサークルとして設計された物語になってるわけです。

 

第一の事件は、勝気なワガママ女優温子が、ヘッドフォンを当てて電子ピアノを弾いていたヘッドフォンのコードで絞殺される。

第二の事件は、翌日の夜、お嬢様女優の由梨江が停電に乗じて寝込みを襲われ、花瓶で撲殺される。

第3の事件は、その翌日の夜中にリビングにいたリーダーである恭介が首を絞められ死亡。

そして4日目の朝に解散、翌日稽古場にて犯人と動機を推理する、という流れのオーディションだったわけです。

 

しかし、殺された遺体はどこにもないため、ほんとに殺されてはいないと思っていた面々だったが、ガチの血痕があったり、裏口にある井戸に温子が来ていたセーターのくずがついていたことから、これは本当に殺人事件が起きているのでは?という疑惑が持ち上がる。

 

そう思っている者もいれば、いやこれはマジでオーディションだと思うという者もおり、どいつもこいつも芝居なのかリアルガチのリアクションなのか見分けがつかない。

それでも部外者である久我は一人必死にアリバイ作りをしたり、壁にウェビング(相関図や部屋の間取りアリバイなどをぺたぺた貼って事件解決の糸口を見つける作業)をしたりと、一人本気モード。

 

殺された=行方不明となった3人には共通点があり、本作の3次予選で落選し、女優をやめて実家に戻った女優雅美を訪ね、励ましに行った面々であったこと。

この訪問がきっかけで、雅美は車に轢かれ下半身不随となり、女優どころか生きる事さえも希望を見いだせない状態となってしまったことが明かされる。

 

よってこのオーディションは実はガチの殺人事件で、雅美の復讐なのでは?という線が浮上する。

 

そして「謎は全て解けた」とばかりに久我の推理説明。

 

 

どうやらこの一連の騒動は「三重構造」であることが判明。

第一は「水滸の新作オーディション」

第二は、雅美の復讐のために力を貸した劇団のトップ俳優雄一が3人を殺すという構造。

第3は、そんな復讐に執念を燃やす雅美を騙すために、雄一が殺す予定の3人に協力を依頼して作り上げた構造。

 

という3つの構造による騒動だったことが明かされます。

 

まず久我は、3人を殺した犯人を雄一であると確証を得るために、3日目の夜、田所と貴子と3人で夜を過ごしたのでした。

その結果、恭介が殺されたことで雄一犯人確定。

 

彼に全ての経緯を話してもらいます。

雅美の脚の代わりに何でもするという約束通り、実家を訪ねた3人を一人ずつ殺害していきます。

全てを自供した雄一でしたが、久我は監視カメラを見ているはずの演出家が、盗聴器を仕掛けても周波数的に遠方からは聞くことができない矛盾を突きつけることで、ここに雅美が見聞きしていることを断定。

 

2階の鏡張りの部屋に向かうと、奥から雅美が登場します。

 

しかしこれだけでは終わらない。

 

先ほども説明したように、最後の構造である「雄一による大芝居」であることが明かされます。

オーディションの最終選考をかくれみのに、雅美に生きてもらうために一世一代の大芝居を雄一はしかけたのであります。

 

温子を絞殺に見せかけた際は、コードのプラグを抜くのを忘れていたミスを犯したことで、久我の中で異変が生まれたのが「三重構造なのではないか」という推理へと向かっていくきっかけになります。

第2の殺害は、久我のアリバイ作りに付き合う羽目になった雄一が、打開策として恭介に由梨江を殺害してもらうアドリブ工作に打って出ます。

本来予定になかった停電を起こすことで雅美に気付かれることなく作業を進行。

無事気付かれずに成功します。

 

そして3日目の夜も堂々とリビングで雅美に見せつけるかのように考察する現場を目撃させます。

 

これらは全て最終選考合宿の前に、全てを把握した雄一が、事故を起こす引き金を作ってしまった3人への贖罪として協力することを要請。

雄一が脚本を作り、皆必死で芝居していいたのであります。

 

もちろん3人は姿を現し、雅美に謝罪。

騙されたことに絶望した雅美は自害しようと試みますが、雄一が必死に阻止。

 

やがて久我の推理を含めたこの一連の騒動を舞台化することで、下半身不随の雅美にも役が与えられ、舞台は無事大成功を収めるという物語だったのであります。

 

色々変な映画だなぁ

クライマックスで明かされる三重構造は、バカであるが故にさっぱり気づかず、これはやられた!と膝を打ったわけですが、それまでは正直密室ミステリーとしての面白みが全くなく、こいつらの背景や関係性も分からないまま殺人が繰り返されるし、どいつもこいつも最終選考であることなど鼻から頭にない感じで、普通に別荘でくつろいでるようにしか見えない大学サークルじみ生活ぶりを見せられてるようで全然ミステリーじゃないなぁと思ってたんですよね。

 

そんな中異彩を放つのが部外者・久我。

終始「こいつナニモンなんだ?」という疑問が頭から離れませんでした。

 

一応これオーディションなわけですよ。

劇団員6人以外にも、恐らく優秀な劇団員がいると思われる中選ばれた久我の芝居が、一体どれほどのものなのかが全く描かれてないまま物語が進むんですよね。

で、その代わりに輝きを放つのが、その推理ぶりなわけです。

 

必死にアリバイ作りをしてみたりする面は探偵的ではあるものの、個人的には「こいつだけ本気で主役掴みたくて必死に探偵を演じてる」ようにみえたわけで、そうなったら慌てふためいてる他の面々を見て、彼は何とも思わなかったのだろうかと。

 

芝居とは殺し合いだと豪語するくらいですから、指すか刺されるかくらいの真剣勝負を挑んでるわけですけど、他のメンツがあそこまで芝居をしてないとなると「やる気あるんかお前ら!」と言いたくなってんじゃないかなぁと。

でも部外者故にしゃしゃり出るといけなかったんでしょうね、そういう気持ちを抑えて臨んでいたのかなと。

 

一応彼視点で物語が進行していくわけですから、だったらもっと普通の探偵っぽく、ガンガン推理してほしかったんですけど、それをさせない辺りが本作の面白い所にもなってる…のか??

 

 

また舞台となるペンションがさぁ、ほんとに劇団の予算で借りた場所なのか?ってくらいいいペンションなんですよね。

広いリビングに6部屋もあって、しかも食材まで良いのが揃ってる。

演出家に「ごちそうさまです」と言ってましたけど、ほんとに演出家が金出したのかさえわからない。

 

そもそも劇団「水滸」ってそんなに儲かってる劇団なのか。

結構いい場所借りて舞台やってそうだし、そこで芝居をしたいってやつらが大勢オーディションに参加してるくらい有名だから、金があるっちゃあるんだろうけど、どうもしっくりこない。

多分に俺が言う劇団が「小劇団」をイメージしてるからかもしれないけど、だからと言ってこういう場所で最終選考、しかも監視カメラで彼らの芝居を覗くって決め方は果たしていかがなものかと。

だって3次予選は板の上で芝居してる姿を間近で見てるわけよ。

その上の審査を、遠隔地で見て決めるって、果たして合理的ですかね?

 

で、さらに疑問。

仮にこの場所を劇団側が借りてなかった場合。

というのも、この最終選考オーディションを雄一が利用しただけの話なので、実際の最終選考は別で行われるかもしれない。

となると、今度は雄一にあんな場所借りる金があるのか、ってことになる。

一応劇団のトップ俳優ですから、お給料は一番いいかもしれないけど、だからと言って全部自腹で出せるのかどうか。

 

久我を残したのは劇中の会話から察するに多分演出家が決めたことなんだろうけど、雄一的には久我自体が自身が考えたシナリオの構造を突き止めてしまうなんて想定外だったんだろうな。

 

となると、やっぱりこれは演出家が用意した最終選考そのものだったのかなぁ。

その辺の整理がつかないまま幕が下りるんで、マジでモヤモヤしたんですよ。

一体何なんだこの設定はと。

 

 

あとはもうこれにつきるんですけど、一応若手ではあるものの芝居論を語るほど芝居に熱を帯びてる俳優勢、って設定なんですよ。

その舞台俳優としてのプライドみたいなのが、演じた俳優勢から1ミリも感じない。

 

さっきも言ったように、一応これオーディションやるためにみんな参加してるんですよ。

で、いざ殺人事件が起こりましたってなった時に、芝居してるように見えない。

お互いがお互いを騙すための芝居をしてる奴らもいるので、実際には「してる」ことになるんですけど、そもそも出演者、特に女優勢のキャリア的に「舞台女優」を経験してるメンツじゃないんで、説得力がないんですよ。

声の出し方と言い、オーバーアクトと言い、なんもない。

 

そういうキャスティングなのだから仕方ないし、一生懸命やってることは十分に理解してる上で、それ以上の事を求めてしまうんですよ、どうしても。

有名劇団の新作の最終選考ですからね。

 

そういう意味でも見ていてきつかったなぁ。

 

 

またなんですか、あのプロジェクションマッピング的な指令は。

ペンションについて皆がダイニングに集合した際、どうもカメラが部屋の隅から彼らを捕らえてるのが意味深だなぁと思ってたら、17時になった瞬間、リビングの壁の上の方に表示された時計が、メッセージ表記されるではありませんか。

ただ表示されるのではなく、しっかり文字がスライドしたり回転したりと手の込んだメッセージとして表示されるわけです。

 

まぁ金のある劇団ならこれくらいやってもいいんだろうと大目に見てましたが、由梨江が殺された時は、彼女が殺された部屋の壁からそれが表示されるんですよ。

なんなんすかこれ。

 

なんかアガサクリスティの「そして誰もいなくなった」を人数分用意してるアナログな演出してるかと思えば、こういうデジタルなことする歪な演出。

しかもこの時、テーブルの上に「考えろ競い合え」って紙を置いてるんですよ。

いやいや、そういうの用意してるのなら、いちいち壁にデジタル表示しなくてもいいじゃん、なんかブレるんだよなぁ色々世界観が。

 

 

最後に

なんか途中、間取り図の上で演者が其々どういう行動をしてるのかを上から眺めるような演出してましたけど、別にあれ大して効果的じゃないですよね。

一応同じ時間其々が何をしてるのかという意味においては効果を得てますけど、それが特に何のアリバイにもなってないし、その時何をしてたのかをお互いが確認しないので、結局見てる側だけに提示してるだけの措置というか。

 

分割カメラで見せても特にこれといったものになってないし、監視カメラの映像もそんなに多用しなくても効果を発揮してないというか。

寧ろ久我が仕掛けていた8mmカメラの方が効果的だったわけで。

 

原作を読んでないのでどこをどう改変したのか脚色したのかわからないんですけど、きっと読んだらこの三重構造は「すご!」ってなるんでしょうね。

映像としてみると確かに「すご!」ではあるんだけど、そこまでの過程が面白く感じなかったからなぁ、映像にするって難しいんだろうなぁ。

もうさ、吉田鋼太郎を7人用意した方がよっぽど舞台俳優の騙し合いみたいになってて面白いと思うんだけど、それだと違うのかw

よくわからんw

 

とにかく種明かしを知るまで、ずっと不思議で仕方ない映画でしたね。

あとあれよ、絶対ここから離れてはいけないってのを、もっと物理的に出来ないようにする工夫はできなかったものかね。

タバコ吸うとか、早朝ラジオ体操するとか、ちょっと油断すると外出ちゃうの、あれせっかくの舞台設定なのに緊張感を損ねてるようにしか見えないし、役を降りるとか言って外に出かけようとする辺りも、引き止め方が下手くそ過ぎてイマイチ「出れない」環境づくりになってないんだよなぁ。

 

まぁ不満ではなく、よくこれ物語とか舞台設定を成立させてるように見せてるなぁと逆に感心しちゃうんですよね。

なんでみんなそんな言うとおりになるんだろって。

 

不思議な映画でした、はい。

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10