ディア・エヴァン・ハンセン
「嘘つきは泥棒の始まり」
なんてことわざがあります。
まぁザックリ言えば「嘘をつくことはよくない」という意味に変換できると思いますが、実際のところ嘘ってついちゃいけないんでしょうか。
例えばサンタを信じる子供にクリスマスの夜に「サンタがプレゼントを持ってきてくれるよ」って嘘はダメなんでしょうか。
違いますよね。
「嘘」は時として、ついていいものもあるってことなんですよ。
その「ついていい嘘」ってものの中には相手を「思いやる」成分が含まれてるってことなんですよね。
ただ、それだけではないぞってのも忘れてはいけないですけども。
今回鑑賞する映画は、そんな「思いやりでついた嘘」が思わぬ事態へと発展する映画。
社交不安症という病を抱えた少年が、何故そんな嘘をついてしまったのか。
物語を紐解くと、どうやら我々がSNSを使う理由にも繋がってくるそうな。
ミュージカル映画でもあるので、楽曲の面でも楽しみたいと思います。
早速鑑賞してまいりました。
作品情報
ブロードウェイで初めてSNSを題材にし、これまでにない構成を取り入れたことで、2017年トニー賞6部門に輝いた作品が映画化。
孤独な少年が書いた「自分への手紙」を同級生に持ち去られたことをきっかけに、彼のついた「嘘」が回りまわって、自分や様々な人達にとって思いがけない事態へ発展していく物語。
「グレイテスト・ショーマン」や「ラ・ラ・ランド」などで様々な賞を受賞したベンゼジ・パセック&ジャスティン・ポールが舞台版の楽曲に加え新曲を提供。
登場人物らの心の声を心揺さぶる楽曲にして、物語を推し進めていく。
また「ウォールフラワー」や「ワンダー 君は太陽」など、心に傷を負う若者たちの背中を押してくれる作品を作り続ける監督の手によって、映画だからできる遊び心溢れる表現を構築。
「あなた自身」の物語であることをポップな曲に乗せて時に優しく時に厳しく魅せる。
SNS時代によって居場所を探し続ける人たちに送る、新しいミュージカル映画の誕生です。
あらすじ
SNSをきっかけに注目の的となった高校生。
始まりは「1通の手紙」と、思いやりの「嘘」だった—
エヴァン・ハンセン(ベン・プラット)は学校に友達もなく、家族にも心を開けずにいる。
ある日彼は、自分宛てに書いた“Dear Evan Hansen(親愛なるエヴァン・ハンセンへ)”から始まる手紙を、同級生のコナー(コルトン・ライアン)に持ち去られてしまう。
それは誰にも見られたくないエヴァンの「心の声」が書かれた手紙。
後日、校長から呼び出されたエヴァンは、コナーが自ら命を絶った事を知らされる。
悲しみに暮れるコナーの両親は、彼が持っていた〈手紙〉を見つけ、息子とエヴァンが親友だったと思い込む。
彼らをこれ以上苦しめたくないエヴァンは、思わず話を合わせてしまう。
そして促されるままに語った“ありもしないコナーとの思い出”は両親に留まらず周囲の心を打ち勇気を与え、SNSを通じて世界中に広がっていく。
思いがけず人気者になったエヴァンは戸惑いながらも充実した学校生活を送るが、〈思いやりでついた嘘〉は彼の人生を大きく動かし、やがて事態は思いもよらぬ方向に進む—。(HPより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、スティーブン・チョボスキー。
周囲になじめない少年が一組の兄妹と出会ったことで青春の素晴らしさとほろ苦さを経験する「ウォールフラワー」や、顔に障害のある男の子が学校で友情を築いていく姿を、彼や彼の家族、友人にも焦点を当てた感動ドラマ「ワンダー 君は太陽」などを手掛けたお方。
「若い人たちの悩み」を浮き彫りにし、彼らに少しの毒と多くの薬を与えた過去作から、本作も似たようなメッセージを与える気がします。
コロナ禍によって「孤独感」が加速する今こそ、若い人だけでなく全ての人に必要な題材になっているかもしれません。
キャスト
主人公エヴァン・ハンセンを演じるのはベン・プラット。
ブロードウェイ版の本作で主題エヴァンを演じたことから起用されたそうです。
「彼と一体化したことで、既に第二の自分ともいえる」と語るプラット。
舞台版から年月が経ったことから、高校生に見えないという声も出てるそうですが、そんな評判など忘れてしまうくらいの演技と歌唱力に期待です。
僕は全く覚えてないんですが、「ピッチ・パーフェクト」にも出演していたとのこと。
本作を気に入ったら、探してみてはいかがでしょうか。
他のキャストはこんな感じ。
自殺したコナーの妹ゾーイ役に、「ショート・ターム」、「ブックスマート/卒業前夜のパーティデビュー」のケイトリン・デヴァー。
アラナ役に、「ハンガーゲーム」、「コロンビアーナ」のアマンドラ・ステンバーグ。
ジャレッド役に、「エスケープ・ルーム」のニック・ドダニ。
コナーの義父ラリー役に、TVシリーズ「コールドケース迷宮事件簿」、「あの日、欲望の大地で」のダニー・ビノ。
コナーの母シンシア役に、「メッセージ」、「ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ」のエイミー・アダムス。
エヴァンの母ハイジ役に、「アリスのままで」、「エデンより彼方に」のジュリアン・ムーアなどが出演します。
「思いやり」でついてしまった「嘘」は、主人公をどうもたらすのか。
罪悪感はもちろんだと思いますけど、彼を非難はできないよなぁ。
どう決着つけるんでしょ。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
#ディアエヴァンハンセン 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2021年11月26日
いやいや、本来ならラストで晴れ晴れするような収束はしないでしょうよ😕 pic.twitter.com/6xXNMl4Sbp
SNSの浸透によってみえてきた「孤独」の蔓延、良かれと思ってついた嘘。
良い話かもしれないが、現実はこんなもんじゃねえからな!
炎上なめんなよ。
以下、ネタバレします。
僕らはそのままでいいのに
社交不安症を抱えた少年が、相手を思いやるあまりついた「嘘」の連続によって、周囲の人をも巻き込む思いがけない事態と、それらをどう収束させ成長を遂げるかという過程を描いたドラマは、優しい嘘が人を救うこともあれば傷つけることもある教訓を伝えつつ、それでも誰かと繋がりたいという願いにそっと寄り添うメッセージを添えた、SNS全盛期の今だからこそ刺さるテーマ性ではあったが、あまりにも美談過ぎて現実味が全く感じられない生ぬるい作品でございました。
twitter、ガンガンやってます。
インスタグラム、ガンガンやってます。
ブログ、ガンガンやってます。
なぜここまでやるのか。
根幹にあるのはアイムヒアだってことですよ。
現実で頑張って笑顔作っても取り繕ってるだけの日もあるし、誰かと何かしたってその時は楽しいけど、一人になったら孤独が襲ってくるわけですよ。
で、多分それって俺だけじゃない。結構な人がそんな「孤独の闇」と向き合いながら言生きてる。
そんな闇に飲まれないためにSNSやってるんじゃねえかって。
エヴァンは病を抱えてる以上に、友達を作れないでいる悩みを抱えていたんですね。
それを克服するためにセラピーに通ったり薬飲んだり、自分に向けて手紙を書いていた。
だけどその手紙を、校内で孤立した存在のコナーに奪われ、しかも彼はその日に自殺。
息子の近況を全然知らない両親は、その手紙を遺書だと思い込み、エヴァンをコナーの親友だと勘違いする。
いたたまれなくなったエヴァンは、悲しむ母親を見て、つい「嘘」をついてしまう、というのが発端。
きっとエヴァンは、木に登って墜ちても誰も助けてくれなかったこれまでの日々とはまるで違う事態に遭遇したことで、「誰かに必要とされてる」と思ったのかなと。
僕も結構そのタイプだったりするんですよね。
友達も多い方じゃないし、特に誘われることもない。
だから急に頼られたり声をかけられると、「必要とされてる」と思い込んで、無理でも期待に応えようとしてしまう癖があるというか。
ただエヴァンと違うのは、さすがに「嘘」はつかない。
でもこれはしょうがない。
だって彼は僕と違ってまだ若い。
経験値も違うし、ブレーキの掛け方もセーブの使い方も判断力も違う。
何より、今の僕より満たされてない。
今まで友達もいない「孤独」を抱えていたのだから。
劇中では、エヴァン以外でも「孤独」に苛まれている人たちが多数登場します。
コナーもそうだし、妹のゾーイも、そのお母さんもお父さんも、拡散されたエヴァンのスピーチを見た人も。
とにかく孤独。
忙しい毎日を社会の中で過ごす私たちは、なぜか「孤独」なんですよね~。
どんなに頑張ってても報われないからでしょうか。
多分なんですけど、みんな「背伸び」してるからだと思うんですよ。
背伸びってのは要するに、「無理してる」って意味。
普段の自分のキャパシティを越えて生きてるんですよ、恐らく。
毎日twitterひらいてつぶやいたり、誰かに「いいね!」あげたり、いいニュースがあればRTして、酷いツイートしてる人のもRTして言及したり。
そうやって自分を主張することに時間を割いて、頑張り過ぎて、「背伸び」している。
本来の自分を誇張して偽って生きてしまっている。
でもそんなに気張って生きなくても、ちゃんと誰かは見ていて、ちゃんと誰かは評価してくれてる。
周囲の目なんて気にしないで、今日という日を普通に過ごせば、孤独に襲われることもないのかなと。
今回映画を観ながらそんなことを考えてました。
美談過ぎるし偽善過ぎる
全体的には監督の優しさが溢れた作品だったように思います。
敵を作らないし、登場人物のほとんどに見せ場を作って心情吐露の歌を歌わせる。
主人公が犯した罪も、なるべくお咎めなしにするような配慮した結末になっている。
でもなぁ、美談過ぎやしないかと。
まずアメリカの映画でこういうのよく見るんですけど、誰かが自殺したり殺されたりすると、「このようなことが二度と起きないために」と急いで財団だの基金だの設立するじゃないですか。
良い事です。すごくいい事です。
僕も賛同します。
ですが、劇中でほとんどの人間がコナーを孤立させてしまったことを反省してねえというか。
終盤エヴァンは嘘をついたことを謝罪するんですが、結局校内で彼は孤立しちゃうんですよ。
確かにエヴァンのやってしまったことは、なかなかの罪です。
思いやりとはいえ、その嘘を隠すために色んなことを丁稚あげて、クラファンで基金を募ってしまうまでに至るんですから。
とはいえ、孤立させてしまうのは違うんじゃないかなぁと。
あの動画を見て、まずエヴァンに「いったいどうしてあんな嘘をついたの?」と下世話根性でもいいから話しかけるとかして耳を傾けるやつとかいないのかと。
実際相当叩かれたことでしょうし、意気消沈してコナーみたいに自死してしまったら、結局コナーの二の舞になりゃしないかと頭を働かせる人物が一人くらいいてもよくね?と。
アラナちゃんでしたっけ?
きっと彼女がその役目を果たすべきだった気がするんですよね。
まぁ後はSNSの炎上ですね。
まず一つ目は、遺書(実際は自分に宛てて書いたエヴァンの手紙)をSNSにアップしたことでコナーの家族に誹謗中傷が来て炎上してしまうケース。
SNSってホント画面に出た情報だけで判断してしまう傾向が多いから、その前後の情報とかどういう意図があるとか考えずに、しかも匿名ってのもあって無意識に攻撃しがち。
無論家族は、知らない人たちから「あんたらのせいでコナーは死んだ」と攻撃されてしまいます。
誰かを敵に仕立てたり下に見ないと生きてる心地のしない連中ってのは万国共通で、見てて可哀想でしたけど、エヴァンの告白後から炎上したことによる家族の疲弊具合があまり描かれてなくて。
それこそゾーイちゃんは学校であまり仕打ちを受けてないように見えましたし、それこそ両親、特に義父とか会社に勤めててなんか嫌がらせとか受けなかったのかなと。
スクリーンで映し出されてない部分が多すぎやしないかと感じてしまいましたね。
終盤のエヴァンの動画に関してもそう。
恐らくクラファンにお金を出した人は、相当怒ったんじゃないでしょうかね。
動画で明かしたことの多くは「実は嘘でした、ごめんなさい」ってのを涙ながらに謝罪しただけで、なぜこういうことになったのかを伝えてないわけです。
だからそれしか情報がない中で判断すると激怒して誹謗中傷のメッセージを送った人が大半だと思うんですよ。
金返せ!とかこの嘘つきめ!とか、コナー信者に至っては「人の死を金もうけに使うな!」みたいな。
なのに腹据えたからなのか、覚悟を決めたからなのか、自分のやるべきことを見つけたのか知らんけど、スマホ開いて反応を見ずに、達観した姿勢でコナーの過去を辿るために、彼の好きなモノを読み漁ったり調べたり、連絡取ったりしてるんですね。
いやいやメンタル保てないっしょw
ただでさえ社交不安症で薬いっぱい飲んでた子が、スピーチで極度の緊張をしてカンペ読み間違えちゃう子が、手汗ボンバーだった子が、周囲の反応を気にしないわけなかろうが。
まぁこの前には、コナーの家族にキチンと全てを打ち明けたことへの罪悪感と、自分が悪いのになぜかコナーの家族が攻撃されてることに居てもたってもいられず涙に暮れる姿が描かれてますけど、それ以上に苦しい姿を描かないと現実味がないというか。
自分で蒔いた種ことですから仕方のないことと割り切ったという解釈は通るっちゃア通るんですが、そもそもメンタル弱いことなわけでさすがにこれは無理があるんじゃないかと。
あとはなんでしょうね、嘘をつき始めスピーチ動画が拡散されてからエヴァンの環境は見違えるほど変化するんですが、エヴァンを見る限りあまりに幸せ過ぎて嘘をついたことによる罪悪感とか後ろめたさってのが一切ないのが気味悪かったですね。
孤独を描いてるのだから、事態が上手くいってる時ほど、嘘に対する思いとかエヴァンの反応をもう少し挟んでもいいのかなと。
俺結構ヒヤヒヤして見てましたからね。
それこそエヴァンが大学の学費目当てで「作文コンテスト」に応募しようとしてることをゾーイに明かすんですけど、コンテストの概要が描かれた書類の中に、コナーとの手紙のやり取りが自作自演だった決定的な証拠とか混ざってやしないかなとか、基金のミーティングをサボったエヴァンに疑いの目をかけるアラナちゃんが、独自で色々探っていくとか、もうちょっと疑惑の追及とかハラハラドキドキしてしまいそうな部分とかあっても良かったのかなぁと。
とはいえミュージカルだからそんな展開は要らないのかな。
最後に
歌は素晴らしかったですね。
ベン・プラットの柔和でありながら芯のある歌声が、心情吐露した歌詞にリンクしてグッときましたし、久々にジュリアン・ムーアやエイミー・アダムスの歌声も聞けるってのも見る価値ありましたし。
また監督の前作である「ワンダー君は太陽」のように、エヴァンだけでなく周囲の人たちにもスポットを当てて、誰もが皆辛いことなく過ごしてるわけではないことを謳ってるし、その孤独を隠して生きていると。
コナーのお母さんは色んなものにハマって孤独を隠してるし、ゾーイは確かにあったいい思い出を掘り出さずに、兄を敵に仕立てて平静を装ってる。
義父もコナーとの思い出に蓋をしてしまっていた節がありました。
その殻を破ったのは紛れもなくエヴァンの嘘であることは事実であり、ようやく自分のした過ちに気付いたエヴァンは、コナーが歌った歌を口ずさんで「今日という日が少しだけ近くに感じる」日々を生き始めるラストを見て、これからエヴァンは背伸びしないで生きていくことだろうと思えた瞬間でもありました。
そうした酸いも甘いも青春であるという部分は「ウォールフラワー」に共通する部分でもあり、監督らしいメッセージ性だったなと。
基本的には全然ハマらない作品でした。
ミュージカルパートがどうとか、物語の構成がどうとかではなく、単純にSNSの光と闇ってこんな甘っちょろいものか?ってのが引っ掛かって。
確かに孤独を感じてる人を救う映画でもありますよね。
そこまで救われた気がしない俺は、孤独と思ってないのかしら?
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆★★★★★★4/10