インディジョーンズ5/運命のダイヤル
タータラッタ~タータタ~ タータラッタ~タッタタータータ♪
レイダースマーチが耳に届くたびに胸躍るモンキーです。
今回鑑賞する映画は、シリーズ最新作にして最終作と位置付けられたアドベンチャー大作「インディ・ジョーンズ」。
考古学の大学教授にして冒険家であるインディが、危険を伴いながらも数々の秘宝を手にしたり遺跡を巡る姿に、我々は何度も胸をときめかせてきました。
しかし主演のハリソン・フォードも既に80歳。
さすがに冒険できるような体ではありません。
それでも本作で「最後」としっかりピリオドを打ってくれることが嬉しいのです。
ちゃんとさよならを言えるしね。
正直言ってリアルタイムで見てるような古参ではないんですが、それなりの思い入れはあるつもりなので、泣きやしねえかなと今からソワソワしておりますw
というわけで早速観賞してまいりました!!
作品情報
ジョージ・ルーカスとスティーブン・スピルバーグが、1930年代のアクションヒーローへのオマージュとして生み出した考古学の大学教授「インディアナ・ジョーンズ」の冒険譚を描いたシリーズ最終作。
前作「クリスタルスカルの王国」から12年後、アメリカとソ連が「宇宙開発競争」に明け暮れた1969年を舞台に、旧友の娘から持ち掛けられた話を機に、「人類の想像を遥かに超える力を持つ」と言われる秘宝「運命のダイヤル」を求め、最後にして最大の冒険に挑む姿を描く。
ルーカス・フィルムがディズニーに買収されて以来初となる本作は、これまでのシリーズで製作総指揮を務めたルーカスが降板、そして監督であるスピルバーグがプロデューサーに回り、「ウォーク・ザ・ライン」「ローガン/LOGAN」、そして「フォードVSフェラーリ」などで、男のロマンと内に秘めた悲哀を惜しみなく描いたジェームズ・マンゴールドが監督を務める。
主演のインディ・ジョーンズ役にはこれまで演じてきたハリソン・フォードが続投。
80歳にしてまだまだ冒険への野心を抱くインディの姿に心奪われるに違いない。
共演には、BBCTwoで放映されたドラマ「フリーバッグ」で多くの賞レースで受賞し、「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」の脚本に携わるなど女優以外での顔も持つフィービー・ウォーラー=ブリッジ、デンマークの至宝なる異名を持ち、近年では「ドクター・ストレンジ」や「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」などのディズニー配給作品でも存在感を放つマッツ・ミケルセン、「ペイン・アンド・グローリー」、「アンチャーテッド」のアントニオ・バンテラス、「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」、「エンパイア・オブ・ライト」のトビー・ジョーンズ、そして過去作でサラ―を演じたジョン・リス=ディヴィスなど豪華な顔ぶれが並んだ。
近代アメリカ史において非常に重要な年であり、様々なムーブメントやカルチャーが生まれた1969年で、インディはどんな冒険を繰り広げたのか。
巨匠ジョン・ウィリアムズの音楽にのせて、インディと共に冒険の旅に出かけよう!!
あらすじ
引退宣言をしたインディ(ハリソン・フォード)は、旧友の娘で自身が名付け親でもあるヘレナ(フィービー・ウォーラー=ブリッジ)から“運命のダイヤル”の話を持ちかけられる。
それは若かりし頃のインディが発見した、歴史を変える力を持つ代物だった。
そんな“運命のダイヤル”を巡って、彼は因縁の相手である元ナチスの科学者フォラー(マッツ・ミケルセン)と全世界を股にかけた争奪戦を繰り広げていく。(Movie Walkerより抜粋)
キャラクター紹介
- インディ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)・・・幼いころから歴史や遺跡の研究を続け、発見・発掘した秘宝は”人類すべての遺産”として博物館に収めることが正しいと考えている。大学教授として考古学を教えてきたが、本作でついに引退。親友の娘ヘレナが現れたことで、人生をかけて探し求めた究極の秘宝”運命のダイヤル”をめぐる新たな冒険へと巻き込まれていく。好奇心旺盛で、ロマンチストで皮肉屋。
- ヘレナ・ショー(フィービー・ウォーラー=ブリッジ)・・・インディの朋友バジルの娘で名付け親はインディ。父の教育もあり、古代言語や歴史に精通している。その父が追い続けてきた「運命のダイヤル」の行方を捜してインディの前に現れる。
- ユルゲン・フォラー(マッツ・ミケルセン)・・・元ナチスという過去を持つ物理学者。表向きは別名を名乗り、米国政府最大のプロジェクトにも参加している。第二次世界大戦末期に、「運命のダイヤル」の一部を発見するが、インディ・ジョーンズとの出会いによってダイヤルを奪われ、その奪還に残りの人生を費やしてきた。
- レナルド(アントニオ・バンテラス)・・・スペイン最高の潜水士でもあり、自分の船を持ち仲間たちと航行する日々。
- テディ(イーサン・イシドール)・・・ヘレナの相棒で、モロッコで暮らす。飛行機で空を飛ぶことを夢見て日夜イメトレ中。スリの腕前はピカイチ。相手の隙をつき素早く忍び込むなど優れた身体能力を持つが、泳ぎは得意ではない。
- サラー(ジョン・リス=ディヴィス)・・・かつては故郷エジプトで発掘屋をしており、インディの聖櫃(アーク)発掘を手助けした。スエズ危機を機にアメリカに移住。子だくさんで家族思い。
- メイソン(シャウネット・レネー・ウィルソン)・・・鋭い眼光でインディとヘレナを執拗に追いかける。その目的は謎に包まれている。
- バジル・ショー(トビー・ジョーンズ)・・・オックスフォード大学の考古学教授。娘のヘレナが幼いころから古代言語や歴史を教え込む。インディからは”バズ”と呼ばれ、第二次世界大戦の末期ではタッグを組み、「運命のダイヤル」をはじめとするナチスが強奪した秘宝や歴史的資料の奪還に尽力していた。
(以上HPより)
常に過去の歴史への探求を続けてきたインディは、激化する宇宙開発という未来に夢中な時代に何を思うのか。
そんな時目の前に転がってくる「最後の冒険」への扉に、インディと同じように僕もワクワクしています。
ここから観賞後の感想です!!
感想
#インディジョーンズ と運命のダイヤル観賞。誰もが宇宙に思いを馳せる時代でただ1人「歴史」にしがみつく男インディの前に訪れた最後のマジカルミステリーツアーは、男のロマンを忘れないマンゴールド監督の手によって、我々にもう一度歴史や冒険の素晴らしさを教えてくれた。 pic.twitter.com/upTWU2z9EX
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) June 29, 2023
少々真面目な所があったが、150分あっという間でアトラクション感満載の王道アドベンチャーでした!!
やっぱさ、あの頃の空気を感じられるのは映画ならではだよね。
以下、ネタバレします。
1969年という時代で。
引退を迎えたインディの前に突然現れた「最後の冒険」は、過去作同様あらゆる場所に赴き凄まじいアクションを見せながらトレジャーハントしていく彼らの姿にうっとりされると同時に、古き良き時代へのあこがれを決して忘れないマンゴールド監督の手によって、現代劇では決してできない「男のロマン」を見せつけた、最後に相応しい作品でございました。
ザックリあらすじを先に言っておきますと、かつてナチスに属していたフォラーから奪った「ダイヤル」の片割れを大事に持ってたインディだったが、名付け子であるヘレナに奪われ、しかもダイヤルへの思いを諦めていなかったフォラー一味にも追われることで、ダイヤルの片割れ探しの旅に出るというもの。
モロッコ、ギリシャ、シチリアとエーゲ海周辺をめぐりながら、学者アレキメデスが作り出したと言われるダイヤルの片割れを見つけると、それはなんと「時空の裂け目」を示す鍵であることが分かる。
しかもフォラーはナチスに属していたが、本当の目的は「ヒトラーに勝利」するためにダイヤルを使って1939年の8月20日へ戻り、第二次世界大戦に勝利するという歴史を変えることと判明。
しかし時計の針が示した場所は、大陸移動を考慮していなかったせいで遥か2000年も前の紀元前214年のシュラクサイ包囲戦へと導くことに。
飛行機をドラゴンだと勘違いし攻撃され墜落すると共にフォラー一味は死亡。
アレキメデスと対面したインディは、現代に戻っても何一ついいことない理由からここに留まると言い出すが、ヘレナのワンパンによって現代に帰り、協議離婚中のマリオンと再会。
息子の戦死やマリオンと離れ離れになっていたという過去の呪縛から解き放たれ、平穏な日々を取り戻すところで終わり、という話。
まず本作で感じたのは、マンゴールド監督でなければならない理由が本作にはあったのではないかという部分。
今やハリウッド映画は配信プラットフォームによって居場所を失いつつあり、興行収入が激変。
真っ先に削られたのは予算のかかるオリジナル作品であり、映画作家はコンプライアンスや多様性を重んじなくてはならない現代劇を避けるために、時代設定を変えることで何とか「描きたい映画」を作り続けてきたが、それすらもままらない時代へと加速していったことが窺えます。
個人的には大作級の「刑事映画」や「犯罪映画」、本作のようなドベンチャーをもっと見たい。
だけど映画館に行けばアメコミや続き物ばかりがひしめき、かつて楽しんだジャンルの映画はもうどこにもないことを憂いていたんです。
この気持ちを代弁するかのようにインディは、自分の居場所のなさを背中で語っていたんですよね。
時代は1969年。
ベトナム戦争に反対し、若者たちによるヒッピー文化やカウンター―カルチャー横行する中、宇宙開発が盛んな時代でもあった時代。
劇中では宇宙飛行士の帰還を祝ってのパレードの真っ最中。
授業で語っても誰もが「歴史」という過去に興味を持たず、これからを象徴するかのような「宇宙」に想いを馳せていた。
そう、誰も後ろを振り替えならいんですよ。
ある意味ではすごくいい事のように聞こえるけど、インディにとっては「置いてけぼり」を喰らうかのような時代の移り変わり以上に前を向けない事情もあった。
それが息子の戦死とマリオンとの離婚調停だったわけ。
僕にとってこのインディの姿は、今の映画事情に嘆く自分と凄く重なる部分があったんですよね。
この先どんな凄い映画が待ってるんだろう、とは決して思えないハリウッド映画大作のラインナップなわけですよ。
だから昔の映画に憧れるというか、もっと過去の名作を探求したい。
マンゴールド監督も「フォードVSフェラーリ」を代表するように、時代設定を昔にして「あの頃のアメリカ」を描くことに長けた人。
これに加えて「男のロマン」を描くのにも長けていて、久々に「自分が見たかったあの頃の雰囲気の映画」に巡り合えた、そんな作品でした。
終わらせて良かったかもしれない
しかしこれはインディジョーンズ。
前作でも感じたが、1930年代に活躍したアクションヒーローの姿は、さすがに第二次世界大戦後に発展した世界の中で暴れまわるのは無理がある。
お馴染みの帽子に革ジャン、鞭を振り回しても、1~3のような輝きはどこを探しても見当たらないんですよ。
やはり最後の聖戦で幕を閉じるべきシリーズだったなと、改めて思わされる作品だったなとも感じ、非常に複雑な思いでした。
冒頭では1945年のインディが描かれており、ナチスが強奪した美術品の数々を奪還するため、そして親友バジルを救出し、フォラーからダイヤルを奪うために暴れまわる姿が映し出されます。
もちろん当時のインディはハリソン・フォード本人がCG合成によって若々しい姿で現れ、軽い身のこなしで列車の上を走り回ったり戦ったりするんですが、どうもテンポがよろしくない。
基本大作でのオープニングって観客の心をにツカミを与えるために、少々大掛かりなアクションで盛り上げる傾向があります。
それはすごくいいことですが、本作はこの1945年のエピソードが約30分ほどあるんでんすよね。
インディが捕まって逃げるけど、今度はバジルが捕まる。
列車にたどり着くまでに1シーン激しい攻防戦があり、その後も列車の中でキャラの掛け合いを入れながら、ダイヤルの存在を明かし、本来の目的である「ロンギヌスの槍」奪還のついでとしてダイヤルを奪う流れになってたんですよね。
だったら最初からダイヤル奪還で描けばいいのでは?と思うほど、そこまでにたどり着くのが長いです。
またアクションについてもかつてのスピルバーグのようなテンポの良さが失われている気がしました。
マンゴールド監督もスピルバーグ同様ジョン・フォードを始めとする往年のアクション映画に倣ってアクションシーンを構成したように思えるんですが、どうも編集が足りないというかカット割りが足りないというか、結構1ショットが長く感じたんですよね。
しかもマンゴールドの映画って基本真面目で武骨なイメージがあり、ユーモア性は乏しい面が垣間見えます。
そこが彼の良い所でもあるんでんすが、しっかりユーモア性も見せてこそのインディジョーンズだと思うんですよ。
それを削って、さらに真面目でテンポの悪いアクションに仕上げられてしまうと、どうしてもインディジョーンズが別物になりゃしないかい?と。
馬で逃げるインディにバイクで追いかけてくる敵という構図も、どこか「過去」を象徴する「馬」と現代を象徴する「バイク」というように見立てると面白いシーンではあったんですけど、追いかけっこ自体に面白みが感じられないんですよね。
見せ場的には地下鉄のホームに逃げて線路に降りるインディだけど、前から電車が走ってくる。
それからどう回避するかというヒヤヒヤ具合が足りなかったなと。
キャラクターに関しても少々設定が弱いと感じてしまいましたね。
まず今回の敵であるフォラーですけど、ナチスに属していながらも古代の代物には目がない学者であり、特にダイヤルにはインディ以上に執着してるキャラ。
目的のためには手段を選ばないスタイル故に、非常に悪い奴に思えるんだけど、「目的のために手段を選ばない」という意味において、また歴史的アイテムに想いを馳せるという点ではインディと歯コインの表と裏のような存在だったんですよね。
そうしたキャラを用意しておきながら、インディとフォラーが同等に対立できてない気がするというか。
これは多分インディの方に原因があって、彼がダイヤルに対して「誰にも渡さない」ような熱意が見えないことが原因かなと。
もちろんフォラーに渡してはならないアイテムだし、ヘレナに渡せば売り飛ばされるから止めなくてはいけない、それ以前にインディは今回巻き込まれての冒険てのも大きいのかなと。
そう、一番よくわからないのはヘレナなんですよね~。
きっとお父さんが果たせなかった夢を叶えるためってのが根底にあるとは思うんですけど、行動的には「ダイヤル盗んで売り飛ばす」っていうキャラで、途中までは追いかけてくるインディを疎ましく思ってたわけですよ。
だけど気が付くとインディの冒険心と歴史への探求心に釣られて、ヘレナもどんどん謎にのめり込んでいくんですね。
だったらどこかでこのダイヤルに対しての本当の思いを吐露するような舞台を用意すればいいのになと。
最初のキャラとは違うんですという明確な分岐点が必要だったなぁと。
一見キャラ的には過去作を彷彿とさせる立ち位置ではあるんですよね。
いちいち歯向かう強気な女性に、口だけ達者な子供、インディが手に入れたアイテムを後から横取りする悪者。
この立ち位置こそインディジョーンズだなぁと感じたんですけど、細かい部分を見ていくと、どうもややこしい設定になってたなぁ、インディと噛み合わせの悪いキャラになってたなぁと。
あの飛行機大好きなテディとインディの絡みも少ないし。
また、クライマックスでの「包囲戦」にやってきてしまったシーンですが、僕は涙を浮かべる所まで感動したんですよね。
その最たる理由は「ここに留まる」とインディが哀しい表情で語り出すから。
アルキメデスはフォラーがやってきたことでダイヤルと腕時計を手にしたから正史が完成するわけですが、インディが留まってしまうと歴史が変わってしまう恐れがあるので、物語の都合的には現代へ帰るという流れは適切ではあるんですよね。
でも個人的には留まってほしかった。
あれほど時代にそぐわない異物感だらけのインディが、大好きな紀元前のローマに留まることで「映画」そのものの時間を止めるというか。
こうしてインディは過去に留まり我々の前から姿を消したのです、そうして「インディ・ジョーンズ」シリーズは永遠に続編を作ることなく完結、みたいな。
インディが前を向けない理由は、親から離れるためにベトナム戦争に行って戦死した息子マットを止めることができなかった、それによってマリオンとの関係も悪化、さらには教授引退という大好きな仕事を失うという三重苦がのしかかったからではあるんですが、この設定が劇中では最後しか活かされてないんですよ。
これに関して一切の言及なく進むのでこちらがインディの内面を頑張って読み取るしかないんですが、その悲哀を最大限に活かす行為が「過去に留まる」で良かったんじゃないかなと。
現代に帰るなら、ちゃんと現代に帰る意味をしっかり描くことが大事で、結局ヘレナによって強引に連れ帰られて、マリオンが待っていたってだけではどうもしっくりこないわけですよ。
最後に
「トップガン/マーヴェリック」の劇中ピートが、まるで劇場映画の役目はまだ終わってないと言わんばかりに「いつか終わりは来る だが今日じゃない」というセリフが感動を呼びましたが、本作もどこか「終わりは今日じゃない」というメッセージ性を含んだかのような作品な気もしたんです。
だってそうでしょう、未来を視れなかったインディが、今回ダイヤルをめぐる冒険をする過程で過去に留まろうと一旦は決意するけど、あんたは今を生きろと強引に連れ帰られて、最後には外に干してあった帽子を取って終わるわけですから、あなた=古き良き映画は、まだまだ今を生きるよと。
実際このシリーズはこれが最後と銘打ってるので、ハリソン・フォードのインディ・ジョーンズは終わるけど、こういう冒険活劇の灯はまだ消えないよ!とマンゴールドが言ってるような気がするというか。
ただね~ディズニーなんで、若いキャストを使ってリブートしたり変に世界観を拡大するような展開になりそうで怖いんですけどw
今回楽しめた部分も多いんだけど、やっぱり「スピルバーグ」が作ったインディ・ジョーンズの方が全然楽しかったよなぁと思わざるを得ない作品だったなと。
パンチ音だったり、毎度不死身なインディだったり、「どこが痛くない?」と段々キスに近づくマリオンとのやり取りが失われたアークからの引用だったり、魔宮の伝説で血を飲んだことへの言及だったりと、過去作を見てるとクスっとする場面が多かったのは事実。
あくまでシリーズモノとして楽しめる以上の面白さは僕は感じられなかったなぁというのが今回の感想でした。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10