モンキー的映画のススメ

モンキー的映画のススメ

主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「エンパイア・オブ・ライト」感想ネタバレあり解説 暗闇の中から光を見出そうよ。

エンパイア・オブ・ライト

アルフォンソ・キュアロンの「ROMA」、

ケネス・ブラナーの「ベルファスト」、

グレタ・ガーウィグの「レディ・バード」、

ジョナ・ヒルの「mid90's」、

アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの「バルド、偽りの記録と一握りの真実」、

そしてスティーブン・スピルバーグの「フェイブルマンズ」。

 

これらに共通するのは、映画監督が少年少女時代に経験した「半自伝」映画。

 

近年大御所から新鋭監督に至るまで、監督自身の経験を踏まえた作品が非常に多く製作されています。

もちろん映画を制作する際には、監督自身が見てきたものや感じたこと伝えたいことが反映され、それが「作家性」となることが一般的ですが、自分の幼き時代そのものを描くとなると、また違ってきますよね。

 

こういった傾向になっている背景はよくわかりませんが、実際半自伝映画を見ると、監督がみな特別な環境で順風満帆に育ったわけではなく、希望を見つめながらも挫折や苦悩を味わうなど、我々と何ら変わりない青春の日々を送っていることを知り、どこか親近感が沸きます。

 

今回鑑賞する映画は、サム・メンデス監督が自身の少年期を投影したとされる、古びた映画館での物語。

上に挙げた作品ほど半自伝ではないとは思いますが、監督が多感だった時代に影響を受けたものがたくさん描かれてるとのこと。

 

また、コロナ禍によって映画館への足が遠のいてしまった人に、映画の素晴らしさを伝えたい思いが含まれてるそうです。

早速観賞してまいりました!

 

 

作品情報

1917 命を懸けた伝令」や「007スカイフォール」、「アメリカン・ビューティー」など、独自の様式美を用いた映像でドラマを紡いでく名匠サム・メンデスが初の単独脚本を手掛け、「もっとも個人的な思いを込めた」という1作。

 

1980年代初頭のイギリス南部の町マーゲートを舞台に、厳しい不況と社会不安のなか、心の病を抱えながら映画館で働く主人公が、前向きで心優しい青年と出会うことで、生きる希望を見いだそうとしていく姿を描く。

 

シングルマザーで育った監督が、自分を育ててくれた母への思い、多くのインスピレーションを受けた映画や音楽、サッチャー政権下のイギリスといった当時を作品に反映しながら、今もなお続く差別や偏見とどう向き合うべきかを、ドラマを通して語る。

 

主演には、「女王陛下のお気に入り」以降、「ファーザー」や「ロスト・ドーター」などアカデミー賞常連となったオリヴィア・コールマン

彼女が出演したドラマシリーズ「ザ・クラウン」を見た監督が、彼女をあて書きして脚本を仕上げたそうで、彼女と監督の母親が重なったことがうかがえる。

 

.他にも英国アカデミー賞ライジングスター賞に輝いた期待の新星マイケル・ウォードが主人公を支える劇場のスタッフの青年スティーヴンとして出演。

 

また「ジュラシック・ワールド/炎の王国」や「キャプテン・アメリカ」のトビー・ジョーンズ、劇場の支配人役に、「1917 命を懸けた伝令」、「スーパーノヴァ」のコリン・ファースらが脇を固める。

 

撮影監督ロジャー・ディーキンスによる夜の風景や映画館の内部といった映像の美しさにも注目したいところ。

 

舞台である映画館を人生の交差点とした、心の病を抱える女性と黒人青年の物語。

サムメンデスだからこそ描くことのできた「温もり」がここにある。

 

1917 命をかけた伝令 (字幕版)

1917 命をかけた伝令 (字幕版)

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あらすじ

 

1980年代初頭のイギリスの静かな海辺の町、マーゲイト。

辛い過去を経験し、今も心に闇を抱えるヒラリー(オリヴィア・コールマン)は、地元で愛される映画館、エンパイア劇場で働いている。

 

厳しい不況と社会不安の中、彼女の前に、夢を諦め映画館で働くことを決意した青年スティーヴン(マイケル・ウォード)が現れる。

 

職場に集まる仲間たちの優しさに守られながら、過酷な現実と人生の苦難に常に道を阻まれてきた彼らは、次第に心を通わせ始める。

 

前向きに生きるスティーヴンとの出会いに、ヒラリーは生きる希望を見出していくのだが、時代の荒波は二人に想像もつかない試練を与えるのだった…。(Fashion Pressより抜粋)

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感想

1秒24コマの静止画で見せる「映画」の中には暗闇が宿っている。

しかし、私たちは光の先を見ている。

暗闇の中で光を見出しながら生きている「人生」のように。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

 

エンパイア劇場に行ってみたい。

「ブルース・ブラザーズ」、「オール・ザット・ジャズ」、「レイジング・ブル」に、「炎のランナー」。

これらは劇中エンパイア劇場で公開されている作品たち。

 

重いガラス扉を潜れば、そこは赤いじゅうたんと白い壁、金色のポールに、温かみのある白い照明で輝く映画館。

目の前では六角形で仕切られた場所でお菓子を販売し、左にはポップコーンを売っている。

スクリーンの前では半券をもぎる係が待ちかまえ、この後抱くであろう感動へのエスコートをしてくれる。

城内にエンジ色と黄色で配色された大きなカーテンが目の前に飛び込んで、劇場ならではの様式美で我々を出迎える。

 

雪が降りしきる海岸沿いにそびえ立つこのエンパイア劇場を、冒頭出勤するヒラリーの一連のルーティーンによって魅せていくシーンは、ロジャー・ディーキンスによる撮影マジックによって、一気に映像の世界に引き込まれていく。

 

ただこの劇場、3階と4階はは立ち入り禁止になっている。

新人スタッフのスティーヴンの好奇心によって明かされる風景は、かつてのスクリーンとダイナーだった。

ゴミと廃材の山、壊れたピアノと殺風景の客席は、鳩の住処となっており、ひどく冷たい空気と色味を突き付け、この劇場の歴史はもちろんのこと、悲哀すらも窺える場所となっている。

 

それはまるで心ここにあらずなヒラリーと、黒人差別で虐げられているスティーヴンそのもののようだ。

 

本作はそんな、暗闇の中で埋もれ光を見失っている2人の心の交流を軸に、光を放つ映画の素晴らしさと、人生の中で光を見出す素晴らしさの両面を見せていく、一見地味ながら心に光を灯すドラマでした。

 

全体的にはテーマ性が希薄

物語は、統合失調症を診断されたヒラリーが、この映画館で統括マネージャーとして働き、スタッフらと分け隔てなく接するが、彼らの知らない場所では支配人の性処理を押し付けられ(突如の手コキシーンは驚き)は、心のバランスを崩しながらもなんとか平静を保っている姿が映し出される。

 

 

そして黒人青年のスティーヴンと出会うことで、ヒラリーの心の中にひとつの光が見出されていくというもの。

 

まず感じたのはヒラリーの表情。

表向きは普通の表情であるものの、一人になると一気に浮かない表情へと変化する。

一体どこを見てるのか、何を見てるのか、そして何を思うのか、我々が感じる疑問に答えを出すことなく、ただ見せるその表情をオリヴィア・コールマンが見事に演じていたのが印象的。

 

スティーヴンと出会ってからは、一度は彼の行動に叱責する姿を見せるも、大学進学を断念した彼を励まし鼓舞する姿や、彼の登場によって日常に彩りが生まれていくことで、冒頭のヒラリーとはまるで違う姿も、オリヴィアはナチュラルに魅せていく。

 

本作は、彼女を想定して脚本を書いたというだけあって、オリヴィア・コールマンのありとあらゆる表情を、様々な出来事に応じて見せているのが素晴らしい。

 

途中で嫌なことが起き、心のセーブが効かなくなったことで突飛な行動に出たり、はしゃいだり、終いには大声で怒鳴ったりした後に、冒頭で見せたような表情に戻るという喜怒哀楽、いや喜怒哀楽の隙間に存在するであろう感情を全部出しきっていたかのようだった。

 

そんな終始コールマン劇場だった本作。

個人的には様々なテーマ性を入れ様と欲張っていた節が感じられた。

 

時代は1980年から81年のサッチャー政権下のイギリス。

労働階級者たちは鉄の女と言われた彼女の緊縮財政によって、仕事を失った若者らが怒りの矛先を向けたのは、自分たちの居場所を奪う黒人たちだった、という背景がセリフやちょっとしたシーンで汲み取ることができるが、直接的に劇中で関わってくるのは黒人差別くらいだったろうか。

 

現在も尚差別や貧困にあえぐ時代であり、当時の風景を描写することで、あの頃起きたことが再び起こることは容易だという注意勧告を内包した作品は多々あるが、本作はそれを意味してるようでしていない印象を受けた。

 

劇中では、「さらば青春の光」よろしく、ベスパにまたがりモズコートを着こなす若きモッズ野郎どもがエンパイア劇場の前を行進し、ヘイトパレードを行う。

危険を察知したスタッフたちは劇場の扉を閉めるが、黒人であるスティーヴンを目の当たりにしたモッズ野郎どもは、一斉に怒りの矛先を彼に向け、強引に侵入し、スティーヴンに暴行を加えていく。

 

このシーンの前にも街を歩くスティーヴンが白人連中に絡まれる姿をヒラリーが見てしまうというシーンがあるが、それ以外直接的に、時代が黒人差別で溢れてるような作りになっていない。

 

仕事を失う若者や、差別が横行している社会というものが、映画の中で蔓延ってないのが非常に残念だった。

それもそのはずこの映画はエンパイア劇場の中での出来事を中心に描いており、外で今どんな社会問題が起きているかをしっかり見せつけるような描写が存在しないからだ。

 

またロジャー・ディーキンスの美しい撮影描写は、確かに目を見張るものがあるが、あまりの美しさに1980年代の空気感を見いだせていないようにもみえ、より当時の社会問題描写が、とってつけたかのように思えて仕方がなかった。

 

 

そこに本作は心の闇を抱えた者同士が恋仲に発展する恋愛要素も絡んでいく。

マイノリティ同士が支え合うかのように交流を深めていくことに関しては、何の問題もないのだが、なぜ中年女性と大学進学を目指す青年でなければいけなかったのか。

 

一番自分が引っ掛かったのはここでした。

仕事をする中でスティーヴンへ向ける視線が多くなっていくことでおよその予想はでき、大みそかのカウントダウンでヒラリーの方からキスをせっつく。

それを受け入れたスティーヴンは、仕事の合間を縫っては廃墟と化した劇場の4階で体を重ねていく。

 

心に闇を抱えたものほどこうした接近をするのを、人生の中で何度か見かけたことがあるが、わざわざ性愛にする必要があったのか。

友愛ではダメだったのか。

 

せめて同世代の恋愛にするとかできたと思えて仕方がない。

コールマン最優先のキャスティングなら、やはり近しい年齢、もしくは10歳差程度の小黒人青年の方が自然というべきか。

そう、結局のことろ年齢的に恋愛に発展するのは不自然だというのが、率直な所。

可能性としてはあり得るんだけども。

 

 

結局のところ、本作は映画館で映画を見ることの素晴らしさを伝えたいというゴールがあり、そこまでの道のりを差別に苦しむ青年との恋愛要素を踏まえたうえで、心に闇を抱えた女性がどうやって人生の、自分というエンパイアオブライトを探し当てることができるかという部分いとどめておけばよかった気がする。

 

それ以外の要素はとりわけ必要ない気がする。

 

また、悪役となる存在である支配人も最後までヒラリーを脅かす存在かと思ったら、ヒラリーの暴露によって退場するだけの味気ない消え方になってるし、その代わりに登場するのが白人労働者の若者になっているのも、上手いと感じなかった。

 

二つの悪を出すの出れば同時進行で二人に襲い掛かり、最後に消えていく方がスマートな気がするんだけど、サムメンデスはやはり正攻法の映画は作る気がしないのか、こういう歪さを突拍子もなく入れて来るので、好きな時と嫌いな時が同居する稀有な監督だなぁと。

 

 

そういう意味で言うと、本作はまるでヒラリーのように浮き沈みの回数が非常に多い作品にもなってたように思う。

 

途中でも書いたように、淡々と仕事するヒラリー、スタッフと談笑するヒラリーという明るい部分を見せた方と思えば、いきなり支配人から手コキを強要されるシーンを入れてきたり、廃墟と化した4階でのスティーヴンとの逢瀬を知ったスタッフから忠告を受けたヒラリーが、スティーヴンからも同じことを言われ、一気に心を閉ざしていくシーン、海岸で二人きりで砂の城を作っている最中に、触れてはいけない領域にスティーヴンが踏み込んだせいで情緒不安定になっていくヒラリーなど、ハッピーとサッドのギアチェンジが急なのだ。

 

他にも、病院に運ばれたスティーヴンの安否を心配するヒラリーの前に、看護師として働くスティーヴンの母親が登場。

一定の距離を保ちながら、ひとつひとつの言葉を間を入れて会話に取り組む母親の佇まいから、白人で中年の女性と自分の息子が二人で海岸に行ったことへの思いから、今起きている問題に対する社会的立場、母親として黒人として、目の前の人物とどう関わっていくべきかに困惑しながらも動揺を隠せない姿を、絶妙な緊張感で描いていたのは中々の迫力だった。

 

こうした部分がどこかサムメンデス的な雰囲気を醸し出しており、ロジャー・ディーキンスが見せる映像と、一筋縄では見せない監督のクセによって、決して簡単に「つまらない」「地味」とは言い切れない見ごたえはあった。

 

 

最後に

あの~堅苦しくて断定的な文章な時は、基本映画にノレてない時ですw

集中して鑑賞できたし、結果つまらなくはないんだけども、どこか散漫してるなぁという部分を無理矢理ほじくってみただけですw

 

てか、仕事中にエッチしちゃうような奴らは好きになれませんw

そりゃ心に病を抱えてなくても、スタッフに忠告されるだろうが。

狭いコミュニティなんだからもうちょっと配慮すればね~こんなことにならないのになぁとw

 

冒頭でも書いたように、一番個人的なことを入れた作品てことから、もっと自伝的要素を入れた作品なのかと思いましたが、どちらかというと「バビロン」や「エンドロールのつづき」のような映画愛をメインとした映画でしたね。

 

ホント、映画って光を投影してるだけのもので、そこに描かれた物語に我々は魅了されるわけで、実はその光には暗闇が存在してるんだけど、目が錯覚を起こしてるおかげで暗闇なんて見えないようになってると。

 

人生の中でもそうして暗闇は確かに存在していて、僕らはそれを確かに見てるんだけど錯覚してるおかげで無事に生きてるだけかもしれないと。

 

だけどヒラリーのようにそこしか見えない人もいて、そんな人にはぜひ映画を見て心潤してほしい、光を見出してほしいという監督なりのメッセージだったのかもしれません。

ただ、内容としては可も不可もあって、良い評価ってのは出しづらい作品だったなっぁというところです。

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10