フェイブルマンズ
映画の子・スティーブン・スピルバーグ。
「ジョーズ」に「未知との遭遇」、「E.T.」、「インディ・ジョーンズ」、「ジュラシック・パーク」。
「シンドラーのリスト」に「プライベート・ライアン」、「リンカーン」、そして「レディ・プレイヤー1」、「ウエスト・サイド・ストーリー」。
これだけの名作話題作を、50年かけて作り続けた人。
彼の映画を見たことがない人は、そう簡単に見つからないと思うんですよね。
そんな巨匠は、いかにして映画監督となったのか。
昨今いろんな監督が、映画愛を語った作品や半自伝映画が製作する傾向が強まっている中、いよいよ真打の登場です。
なぜ彼は宇宙人に詳しいのか。
なぜ彼は怖がらせるのが得意なのか。
スピルバーグをもっと知りたい人はもちろん、知りたくなくても絶対面白い予感の本作。
いざ、感想です。
作品情報
50年に及ぶキャリアの中で、私たちにたくさんの感動を与えた巨匠S・スピルバーグ。
記録でも記憶でも金字塔を打ち立てた彼が、「この物語を語らずにキャリアを終えることなんてできない」と作ったのがこの「フェイブルマンズ」。
初めて映画館を訪れて以来、映画に夢中になった少年が、両親との葛藤や絆、そしてさまざまな人々との出会いによって成長していきながら、人生の一瞬一瞬を探求し、夢を追い求める物語。
本作は「第80回ゴールデングローブ賞」のドラマ部門で作品賞と監督賞を受賞、「第95回アカデミー賞」でも、作品賞を含む7部門にノミネートされた1作。
スピルバーグの「記憶」をめぐる本作には、監督自ら「少年期の自分にそっくりだ」と語る「ザ・プレデター」のガブリエル・ラベルをはじめ、少年の母親役を「グレイテスト・ショーマン」のミシェル・ウィリアムズ、父親役を「ザ・バットマン」での怪演が光ったポール・ダノ、少年の叔父役を「ビューティフル・マインド」のジャド・ハーシュ、フェイブルマン一家とともに暮らす父の親友ベニー役を「宇宙人ポール」で宇宙人の声優を務めたコメディ俳優セス・ローゲンが演じる。
また脚本には「ウエストサイドストーリー」はじめ、近年のスピルバーグ作品を手がけるトニー・クシュナーや、「シンドラーのリスト」以降スピルバーグが見せたい映像を撮り続けてきたヤヌス・カミンスキー、そして音楽には巨匠ジョン・ウィリアムズが担当するなど、スピルバーグ作品に欠かすことのできない製作陣が集結。
映画に夢中になった自分自身を描くことで、夢を持つことの素晴らしさを伝えたいと語る巨匠の、集大成ともいえる作品です。
あらすじ
映画館を初めて訪れて以来、映画に心奪われるようになった少年サミー・フェイブルマンは、母親からカメラをプレゼントされる。
家族の休暇や旅行の記録係となった彼は、しだいに妹や友人たちが出演する作品を制作するようになるが、サミーを応援し支える母親とは反対に、父親は単なる趣味にすぎないと考えていた。
そんな両親の間で葛藤するサミーだったが、引っ越し先の西部で出会う様々な出来事によって、その未来は大きく変わっていく。(MovieWalkerより抜粋)
監督
本作を手掛けるのはもちろんこの人、スティーブン・スピルバーグ。
50年に及ぶキャリアもあるおかげで、彼には数々の逸話があります。
彼は17歳の頃、ユニバーサル映画のスタジオのバスツアーに参加。
トイレ休憩のタイミングを見計らって単独行動を実行。
迷子になってしまうが、映画ライブラリーの館長の計らいで入館パスを発行してもらい、スタッフと人脈を作ることに成功。
後に職員となったそうです。
しかもここで「駅馬車」や「捜索者」など傑作西部劇を作り続けたジョン・フォード監督と出会っており(劇中ではデヴィッド・リンチが演じてます!)、いろいろと映画の神様から強運をもらっているんだなぁと。
また、彼の作品には自身が幼少期に体験したことが多く反映されているのも有名。
幼少期は運動神経が悪く、特に水泳が苦手だったことから、彼の作る作品には「水」による悲劇が多々描かれていますし(E,T,やジョーズ、マイノリティ・リポートなど)、極度の怖がりだったことから「恐怖を克服するため」に、映画の中でホラー描写を演出したり(ジュラシックパークやジョーズ、インディ・ジョーンズなど)、学習障害もあったことから、言語によるコミュニケーションがうまくいかない作品(E.T.やターミナルなど)、両親が離婚した経験から、父親をネガティブになるようなキャラとして描いてること(未知との遭遇や宇宙戦争など)が多いです。
本作はきっと、スピルバーグという人がどのようにして形成されていったかを知りながら、夢を追い続けた少年の姿に感動することでしょう。
きっと本作を見た後、スピルバーグの過去作を見たくなるような気持になるんでしょうし、個人的には「ROMA」や「ベルファスト」など、監督の自伝映画は大好物なので期待しかありません、
ここから観賞後の感想です!!
感想
#フェイブルマンズ 試写にて。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2023年2月24日
映画の子スピルバーグは如何にして映画監督への道へ進んだのか。
恵まれた環境で映画に没頭した後出来上がった自主映画のクオリティ!自分の話をここまで面白く見せられるってホント天才だなぁと。
そして全編かけてミシェル無双。お母さんのこと大好きだったんだなぁ。 pic.twitter.com/xFwQgwzmRn
科学と父と芸術の母の遺伝子によって「映画の子」となったスピルバーグの自伝的映画は、あまりにパーソナル過ぎて物語としての満足度は低いが、それでも面白く見せようとあらゆる演出と編集で魔法をかける、不思議な映画でした。
以下、ネタバレします。
まずは雑感。
ニュージャージー州、アリゾナ州、そしてカリフォルニア州と、3度の引っ越しをきっかけとした3幕構成で描くスピルバーグ少年の「映画監督になるまで」と描いた本作は、映画にのめり込んでいく過程、地味だけど優しいお父さん、天真爛漫過ぎてぶっ飛んでるお母さん、兄貴の撮影に付き合う妹たち、寅さんのような伯父さん、お父さんの親友のふりしてお母さんと不倫する陽気なおじさんなど、フェイブルマン一家の愉快ながらも波風立ちまくりな数年間を描いた、巨匠風サザエさんな映画でした。
上映時間2時間半。
最初こそ初めて映画を見た時から「恐怖」を克服するためにひたすら映画撮影をし、気が付けば映画製作にハマり、映画を作る上で徐々に知っていく「罪」と、夢を追うことで背負う宿命と、無我夢中のままでは務まらない夢の道を肌で感じていたら、なんとまさかの母親不倫、高校でのいじめ、彼女に振られるなど、一度は夢を捨てようと決心するも再び映画製作の道を志していくサミー少年の波乱万丈な少年時代だったわけです。
ただ、おいおいむっちゃ裕福な家庭じゃん!映画撮る環境揃ってんじゃん!と嫉妬すら覚えてしまう恵まれた環境、両親のDNAあってこそ見出せる撮影センス、そしてひらめき、その才能に惚れこんだ友人らによってどんどん規模を大きくしていく自主映画のクオリティ、ただの遊びで作ったにも拘らず一人のイケメンを泣かしてしまうほどの影響力など、既に少年の時点でむっちゃ名監督じゃん!!と驚かされる作品でもありました。
ただですね、家政婦への愛を認めた「ROMA」とか、自身の故郷への思いと分断による悲劇を子供目線で描いた「ベルファスト」と比較してしまうと、あまりに物語がパーソナル過ぎるし、普通のホームドラマメインになってるし、家族にフォーカスし過ぎて「あの映画のきっかけはここだったんだ!」という片鱗がどこを探しても見当たらない。
単純に「巨匠はどう生まれたのか」を、「家族を焦点にして描いてる」から、スピルバーグの凄さは肌で感じるけど、もっと欲しいのよこっちは!と思ってしまう映画だったんですよね。
確かに劇中ではものすごいクオリティの自主映画を作ってて、そこの製作過程をちゃんと描いてはいるんだけど、その姿に没頭している姿の尺よりも、お母さんの奔放な行動に翻弄される子供たちとお父さんのエピソードばかりで、サミーという少年がどう育ったかは伝わるけど、「映画監督」という括りで描いてないので、こちらが求めていたものとはまるで違う映画だったんですよね。
色々褒めたい部分は多々あるので、後程語ろうととは思いますが、かなりの期待値だった故に、全体的な物足りなさやカタルシスが弱く、これだけの尺なのに途中で飽きてしまった感が強い作品でした。
しかしながらこの映画、なぜかあの日あの時あの場所といったシーンが、脳裏に鮮明に焼き付いて、数日、数週間、数か月たっても強く記憶に残ってるんですよね。
そういう意味ではこれめちゃくちゃ良作なんじゃねえの?
人の心に焼き付けてこそ映画という意味合いにおける使命をしっかり果たしてるんじゃねえの?
と、あとからふつふつと良さを感じた映画だった、ってことはここで強く言っておきたいです。
自主映画のクオリティは抜群
どうにか自身の自伝的映画を面白く見せようと試行錯誤、いやもはや熟練度の高い経験と故に、サクッとものすごいショットやカット、シーンの連続ではあったんですよね。
そういう意味ではさすがスピルバーグ!な映画でしたよ。
まず特筆したいのは、どうやって映画を面白くするかをちょっとしたアイディアで作ってしまう凄さ。
お父さんの8mmカメラをこっそりサミーに渡し、残したいものを作らせようとするお母さん。
するとサミーは、買ってもらった鉄道模型を何度も走らせ、初めて見て頭から離れなかった「地上最大のショウ」の列車衝突のシーンを再現します。
ただ線路を走る鉄道模型に、ボカシのような照明を当て、リアルな蒸気音と近距離によってスピード感を出すカメラワークによって、「地上最大のショウ」さながらのシーンを見せてしまうではありませんか。
きっと実際撮影したものはそこまでの迫力はないはず。
ですがこれは映画。
サミーの脳内では凄まじい臨場感で映っていたに違いありません。
これをきっかけに映画製作に目覚めるサミー少年は、妹たちを巻き込でのホラー映画の撮影を始めます。
家中にあるトイレットペーパーを体に巻き付ける、度を越えたいたずらでミイラ男の映画を撮影したり、クローゼットから飛び出す骸骨の人形に絶叫する妹たちのリアクションを収めるサミー。
よく飽きねえなぁと思いながらも「好きこそものの上手なれ」な精神で、どんどん映画というモノを理解し、徐々に「面白く見せる」工夫を施していくわけであります。
もちろんこれらも実際はそこまでのクオリティではないんでしょうが、これは映画。
「サミーにはこう見えた」という思い出を、見事な演出で我々に突きつけます。
第2幕となるアリゾナ州でのサミーは、ジョン・フォード監督の「リバティ・バランスを射った男」に興奮し、ボーイスカウトの仲間たちと共に西部劇を製作し始めます。
手持ちの8mmカメラで長回しのように撮影し、フィルムを切り貼りしながら編集をするも、どうしてもアクションとして作り物感が消えない。
そんな壁にぶつかったサミーは、TV出演を控えたお母さんのピアノ演奏を聴きながら考え込んでいると、目の前にお母さんがヒールで踏んづけて穴が開いてしまった楽譜を見てひらめきます。
「そうか、穴か」←決して言ってませんw
サミーはフィルムに穴をあけることで、まるで銃声と共にフラッシュが出るように見せ、作り物感を払拭したのであります。
上映会に集まったお客さんたちは、バンバン!と発射してるかのような映像に大興奮。
これがスピルバーグのセンスか、と驚かされたエピソードでもありました。
そして、戦争映画の製作を始めるサミー。
40人ものエキストラや役者を集めて製作した戦争映画は、土に穴を掘り、そこにシーソーのような要領で演者が板を踏むと砂塵が飛び散るという仕掛けを発明し、迫力ある被弾を演出。
これらを長回しで撮りながら主演の役者に演技指導するんですよね。
その情熱溢れる姿は、既に大物感を漂わせておりました。
カリフォルニアに引っ越してからは、家族の中での出来事により映画製作を一切やめてしまったサミーでしたが、高校卒業記念のビーチパーティーを撮影することに。
ユダヤ教徒であることにより人種差別を受けていたサミーは、いじめのリーダー格ローガンの輝かしい瞬間をさらに高めるような演出を施します。
スローモーションを巧みに使いながら、彼の躍動する姿をクローズアップした映像は、生徒たちの心をわしづかみにします。
ローガンは、一度はフラれてしまった女性から再び求愛されるほど、サミーの映画はローガンを普段以上に輝かせていたのであります。
スピルバーグが両親から受け取ったもの
とにかく映画を作ることが大好きなサミーでしたが、アリゾナ州で家族と父の親友ベニーおじさんとみんなでキャンプに行った時の事。
家族旅行の記録映画を作るために撮影していたサミー。
車のライトに照らされ、華麗に舞う母親のダンスが印象的だったこのエピソードでしたが、帰宅後編集作業をしていたサミーは、観てはいけないモノを見てしまいます。
それはなんと、お母さんとベニー伯父さんが二人で仲睦まじくカラダを寄せ合う姿。
そう、お母さんはお父さんが目の前にいながらベニーおじさんに想いを寄せてたんですね~。
想えばニュージャージー州からお父さんの仕事の都合でアリゾナ州へ引っ越す時、同僚のベニーは一緒に行かないことを知ったお母さんは激怒するんですよね。
友人を裏切るなんてひどい、転職する会社にお願いすれば何とかなるでしょと憤慨し、引っ越すことに反対してたんですよね。
結果的にそれは、お母さんにとって、ベニーはかけがえのない存在だったということだったわけです。
サミーはお母さんに苛立ち、ベニーおじさんにもそっぽを向いてしまうほど怒りを抱きます。
結局ベニーがカリフォルニアへは付いていかなかったことで、猿を飼いだしたり(しかもベニーって名前付けるほど・・・)、家事も全くしなくなってしまうほどお母さんのメンタルは低下していきます。
結果お父さんとは別居してしまうことに。
妹たちとも離れ離れになり、サミーはお父さんと共にカリフォルニアへ残ることに。
このエピソードで印象的なのは、カリフォルニアで完成した新居での家族映像を撮影していた時の事。
意気揚々とお母さんを抱きかかえるお父さんでしたが、お母さんは作り笑顔を見せるんですよね。
で、お父さんもお母さんがベニーおじさんに気持ちを寄せてるのは、薄々勘付いていたように思えます。
それでも終盤、お母さんから送られてきた手紙を見て、悲しそうな表情を浮かべるんですが、天井に浮かぶ影はお父さんではなくお母さんの影なんですよね。
実際、お父さんは離婚後スピルバーグと妹たちを捨て出ていったそうで、サミーと父親が一緒に住むということはなかったはず(多分ね)。
本作は「寓話」という意味のFableという単語が混じった、いわゆるおとぎ話でもあるわけで、事実とは違う物語にすることで、スピルバーグの両親への思いが詰まった作品になっていたってことだと思うんですよね。
それこそ現実では、夫婦げんかが絶えなかったそうです。
冒頭でも初めて映画を見ることに脅えているサミーを、「これはただの光だよ」と科学の視点であやすお父さんに対し、「これは夢なの」と諭すお母さんを映すんです。
もうこの時点で、両親は全く視点も価値観も違う夫婦であることを提示するんですよね。
だからゴールは自ずと見えてしまうというか。
そんな両親の良いところを取ったのがスピルバーグでありサミーなんですけどもw
他にも、劇中では子供たちの前では仲睦まじい姿を惜しみなく見せていますし、お母さんの中では優しいお父さんと自分を笑わせてくれるベニーおじさん、両方の存在が必要不可欠だったというような描写になっています。
そんな少年時代を見ると、より彼の製作した映画が彼の幼少期に起きた出来事に反映されてることがより理解できるのではないでしょうか。
最後に
そして本作を通じてスピルバーグが描きたかったことは、映画という魅力と影響。
子供のころから憑りつかれたように映画製作に没頭するサミーは、その情熱を演者にぶつけ演技指導しますが、その演者はあまりに感情を込め過ぎてしまい、カットがかかっても途方に暮れながら歩く姿を見せています。
そしてローガンもまた、サミーが作った映像が現実とかけ離れた姿になっていたことに怒りをぶつけます。
またお婆ちゃんが亡くなったことを知ったボリスおじさんは、お母さん肌のサミーは芸術の道を進むべきだと伝えたのち、その道は家族を犠牲にするほど険しい道であることを伝えます。
夢を追うことは素晴らしいが代償は付いてくる、そして魔法によって人々の心をわしづかみしてしまうことは、ある種の脅威にもなってしまう。
映画に夢中になったことで、あらゆる人を巻き込んだり、カメラを通じて見てはいけないモノを見てしまったりと、決して自分の好きなことやりたいことは全てが良い面ばかりではないことを言いたかった気がします。
そんな映画の美しさと危うさを自伝的映画で見せた本作ですが、それでも思いがけないことの連続があり、人生の素晴らしさを讃えるかのようなラストで幕を閉じます。
全ての出来事には意味がある。
竜巻を追いかけにみんなと出かけた車中で、お母さんが唱えたこの言葉がラストで憧れの映画監督ジョン・フォードとの出会いに集約されていたように思います。
満足度的には決して高いものではなかったですが、自身のパーソナルな物語を熟練された魔法=映画的手法によって、唯一無二の映画愛を詰め込んだ作品でした。
だからこそもっと浮き沈みのあるドラマにしてほしかったと。
悔しい部分とすごいと思えた部分が混在した作品でしたかね。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10