母性
松たか子主演の壮絶な復讐劇「告白」。
事故と判断された娘の事故死は、実はクラスの生徒による殺害と伝えた担任教師の告白から、関わった者による様々な告白を、中島哲也による劇薬な演出が印象的な映画でした。
その原作を書いた湊かなえの覚悟が詰まった小説の映画化ということで、再び「告白」のような刺激の詰まった内容になってるのではないかと期待しております。
あることに対して自分の視点と相手の視点とで全くちがうように見えたり捉えたりというのはよくあります。
事件もそう事故もそう、誰かと関わるときには必ず差が生まれるものです。
そんな別の視点から生まれる証言によって描かれる母娘の物語。
母は娘に何を思い、娘は母に何を思ったのか。
早速観賞してまいりました!
作品情報
「告白」の湊かなえが作家を辞す覚悟で執筆し、累計発行部数100万部を突破した衝撃的問題作「母性」を、「ヴァイヴレータ」、「ノイズ」、そして「あちらにいる鬼」、「月の満ち欠け」と待機作が控える廣木隆一監督によって実写映画化。
女子高生の遺体が発見されたことを機に、愛せない母と愛されたい娘との食い違う証言から、事件はなぜ起きたのかを見つめていく。
約40年に渡り骨太なドラマからキラキラ映画まで手掛ける廣木隆一監督の手によって製作された本作には、「ライアーゲーム」や「SPEC」といったTVドラマの劇場版や、「阪急電車 片道15分の奇跡」、「あの日のオルガン」などのハートフルなドラマで熱演した戸田恵梨香と、「そしてバトンは渡された」や「マイブロークンマリコ」など常に新たな役柄に挑戦し続ける永野芽郁が競演。
年齢が近いながらも母娘という間柄としてドラマを繰り広げていく。
他にも大地真央や高畑淳子といったベテラン女優らが揃い、灰汁の強い芝居で物語を盛り上げていく。
同じ出来事なのに視点が違う本作。
本作はあなたの視点によって完成される。
あらすじ
女子高生が遺体で発見された。
その真相は不明。
事件はなぜ起きたのか?
普通に見えた日常に、静かに刻み込まれた傷跡。
愛せない母と、愛されたい娘。
同じ時、同じ出来事を回想してるだけなのに、ふたりの話は次第に食い違っていく。
母と娘が其々語る恐るべき「秘密」。
2つの告白で事件は180°逆転し、やがて衝撃の結末へ。
母性に狂わされたのは母か?娘か?(HPより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、廣木隆一。
近年は「マーマレード・ボーイ」や「PとJK」などキラキラ映画の製作が目立ちましたが、Netflix映画「彼女」や「ノイズ」など、ここ数作はこれまた違うタイプの作品を作ってますね。
特に「ノイズ」は過疎化しつつある街を舞台にどんどん歯車が狂っていくサスペンスということで非常に見ごたえのある作品でした。
また監督の特徴としてロングショットの多用がありますが、本作でも廣木ショットはあるんでしょうか。
キャスト
母・ルミ子を演じるのは戸田恵梨香。
個人的にはTVドラマの人というイメージがあるので、彼女の映画で代表作って何だろうと考えると、結局のところまだアイドル女優扱いだった「ライアー・ゲーム」とか、そこから成熟して引き出しを増やし始めた「SPEC」や、ずっと演じてきた「コードブルー」くらいなんですよね。
本作をオファーされた際に、娘役の永野芽郁との年齢差が近すぎるから断ったそうですが、本作の構成やコンセプト、何故自身でなくてはいけないのかをしっかり受け止め承諾したことや、母に強い思いを抱く母親ということから、母役の大地真央の演技を終始観察したり、娘を演じる永野芽郁に芽生えてしまう母性を何とかして振り払うなど、演じるにあたって苦労したことなどを、公式サイトのコメントで語ってます。
本作で30代としての代表作になってくれたらいいですよね。
他のキャストはこんな感じ。
ルミ子の娘・清香役に、「君は月夜に光り輝く」、「マイ・ブロークン・マリコ」の永野芽郁。
ルミ子の実母役に、「高台家の人々」、「SING:ネクストステージ」の大地真央。
ルミ子の義母役に、「駆け込み女と駆け出し男」、「女たち」の高畑淳子。
ルミ子の親友役に、「海よりもまだ深く」、「Arc/アーク」の中村ゆり。
ルミ子の義妹役に、「あのこは貴族」、「Ribbon」の山下リオなどが出演します。
「告白」のように劇薬ともいえそうな演出が使われてそうな本作。
一体母娘の間には何があったのでしょうか。
ここから観賞後の感想です!!
感想
#母性 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2022年11月24日
この世には2種類の女性がいる。
依存しまくりの女たちが愛欲しさに苦悩する2時間。
なんでのっぺりした画で棒読みな芝居で淡白な構成なのか。
最終章むちゃくちゃだろ。
てか夫がポンコツだから成立する話だよね。 pic.twitter.com/FPuf85Uz7c
愛能う限り尽してきた母という名の娘の人生。
男の俺は何も共感できなかった。
てか、最終章を母と娘の視点を混ぜて描いたせいで、前2章を分けた意味がないだろ。
以下、ネタバレします。
「告白」のようにはいかないよね。
ルミ子の懺悔から始まる「母性」についての物語を全3章に渡って描く本作は、全ての女性が先天的に「母性」を宿してるわけではなく、一生娘として愛されたい女性もいることを伝える「2種類の女性」がいることを記すことで「母性」の姿を描いた作品でしたが、画角や構図や脚本や構成、芝居などといった映画的な魅力が全く感じられないのっぺりとした作品としか思えず、男性故に全く共感も面白みも感じられない作品でございました。
まず最初に言っておきたいのは、明らかに予告が「告白」を意識した編集になっていたための先入観があったために、「告白」との比較をしてしまったが故の感想になります。
そもそも監督が違うわけですから、作家性も作風も違いますし、むしろ全くの他人が「告白」と同じ手法で映画製作をしていたら怖いですから、冷静に考えれば僕が「告白」のような映画かもしれないと思っていたこと自体がおかしいです。
それだけ「告白」って映画は全体的に印象に残る作品だったわけで、宣伝もそこをターゲットにした予告編製作だったのでしょう。
よって見事にやられたというわけです。
中身はというと、母と娘の視点の食い違いから母性はどのようにして作られていくのかといったテーマを軸に、母も娘であることや愛されたいが故に苦悩を続ける母娘の姿を3章によって描かれていました。
全体的には正直ガッカリな点が多かったです。
まず朗読劇でもしてるんじゃないかというほどセリフがのっぺりとしていて感情がこもっていない芝居を続ける女優2人。
戸田恵梨香に関しては、きっと母を失ったことで心を失いながらも、嫌味を言い続ける義母に尽くすことが母への恩返しと言い聞かせることで、感情を抑えた芝居をしたのではないかと考えます。
そういう演技をすること自体は特に不満はありませんが、お嬢様育ちという設定からか枠からはみ出たような人間臭さが全く感じられず、本当に苦悩してるのか感じられませんでした。
というのも基本的には「証言」という形で物語が進行するので、映画をおみてるというよりかは「話を聞いている」印象になってしまいがちな作品になっていたんですよね。
だから結果的にこれが「説明」になってしまってるのが、本作の一番やっちまった感な部分だったんじゃないかと。
この時私はこう思いました、みたいに全部心情を語ってしまうから、見る側がキャラに入り込めないんですよ。
さらに辛かったのは永野芽郁の棒読み芝居。
「マイブロークンマリコ」を鑑賞した時も感じましたが、基本この女優さんは朝ドラを経験したが故になんでも「こなしてしまう」感じがしてしまいます。
マリコの時も普段からイメージのつかない役柄を熱演しましたが、完全に背伸びしてる印象があり、何をやっても板についてない感じが見て取れます。
そこに「娘の証言」を語る際のトーンと、演技をしてる時のトーンが一緒ということで抑揚のない喋りを延々と聞かされることから、段々苦痛になってきました。
この苦痛という部分は、僕が抱いた感情を細分化すると、母の歪んだ教育が故にはき違えた「正しさ」を身に付けて成長してしまったという点もあります。
単純にキャラ的に鼻に突くんですよねw
正しいことをすれば母は自分をほめてくれる、そんな思考が見ていてきつかったですw
逆に高畑淳子のクソ義母芝居は行き過ぎた芝居にも感じてしまいました。
恐らく本作で一番イラッとする役柄なので、誰もが嫌だという感情=すごい演技と結びつけると思いますが、よく考えるとあそこまでオーバーにしなくともねちねち嫌味を言うだけで十分な役だったとも考えられるんですよね。
まぁ高畑さんの場合、滑舌がはっきりしていて声が通るのでああいう役でも問題はないんですが、他のパターンでもよかったかなぁと思ってしまいました。
このように芝居云々に関しては僕の好みでもあるので決して鵜呑みにしないでほしいんですが、もっときつかったのは構成です。
3章にわけて母、娘と分けたのに、最後の章は母と娘の真実という括りで語られるというモノ。
同じエピソードでも、母と娘ではこんなにも違ったという差を生むために章を分けたのに、なぜ最後は一緒にしてしまうのかさっぱりわかりませんでした。
おかげで、今一体誰の視点なのか誰の証言なのかが境目が無くなってるんですよね。
意図としては、互いの証言やルミ子の母を失った影響がどのように生じたのかを描きたかったから2人の真実として描いたのでしょうが、冒頭から言ってるようにこれでは何のために2人の真実を分けたのか意味が解らないんですよね。
ルミ子の見てる景色が美化されていて、答えは娘の方でっていう章になってるので、その後はぶっちゃけ描く必要ないんですよ。
せっかく別の視点で描くのだから、2章でいいと思うんですよ。
それか全く別の、それこそ夫の視点で描くとかならまだわかるんですけどね。
娘の名前がようやく明かされる所が本作のピークだと思うので、そこまでの人生を両者の視点で描いちゃった方が面白いと思うんですけどね~。
母と娘の視点とは。
さて本作の話に入りますが、冒頭から「あれ?」という事態が起こります。
予告編では永野芽郁演じるルミ子の娘が首を吊って木から落ちるシーンが挿入されていたため、きっとルミ子が愛するが故に娘を殺害したのだろうと想像したのであります。
ですが、学校の職員室で教師になった永野芽郁の姿が映し出されているんですね。
あれ?生きてんじゃん。
これ、歪んだ愛情によって娘を殺しちゃった母親の懺悔を延々見せた後に、答え合わせとして娘の証言を描くって話じゃないの?と、いきなり肩透かしを食らったわけです。
この時点で僕の満足度は底辺とまではいきませんが、だいぶ「?」が浮かんだ展開に。
するとシーンは突如ルミ子が教会で懺悔をするではありませんか。
見るからにだいぶ老け込んだ姿から想像するに現在の時間軸で、ここから回想録となるのだろうと。
予想の結果はその通りで、神父様に懺悔室で「娘に対する懺悔」を始めるのであります。
第1章はそんなルミ子の視点で描かれる母と娘の物語。
大地真央演じるルミ子の母から愛能う限り尽くしてもらったが故に、さらにはお嬢様家庭で育ったという穢れも不自由もない生活を送ったことで、目に映るものすべて「For mother」で生きたルミ子。
いきなり驚いたのは、後に結婚する田所が描いた絵が嫌いなのに、母は高く評価することでルミ子の視点も変わってしまうところ。
1枚の画を見て全く違う視点を持つという本作の肝というべきシーンから始まるのは非常に象徴的なシーンでしたが、それ以上に母が言うことなすことすべて正しくて、自分もそういう視点で物事を捉えたい思考が、飛躍して「母に褒められたい」という価値観に変化していってるということ。
確かに幼いころから両親が言うことやることが正しくて、他が間違ってるという視点になることはあります。
そりゃ子供は色々分別もないし寄り添ってくれるのは間違いなく親なわけで、ルミ子のような思考になりがちですけど、このルミ子は既に24歳という立派な大人ですよ。
この後娘に向ける眼差しが歪んでいくのは、きっと社会の現実を全く知らない箱入り娘だったからだろうと思ったのであります。
そんなルミ子が母を喜ばせるためだけに田所と結婚。
めんどくさい義母がいることも承知でプロポーズを受けたルミ子は、愛ある家庭を作ろうと母の助言を受けながら料理に掃除にと家事に奮闘しますが、田所は全くの無関心。
それでも娘を妊娠したことで母からの感謝を受け、ルミ子はますます愛ある家庭を作ろうと努めるのであります。
しかし娘が5歳になるとルミ子の表情が一変。
自分が愛する母を娘が独占するかのようなワガママやおねだりに嫉妬とも言うべき情念が沸き、娘に圧力をかけていくのであります。
そして第2章は娘の視点で語られる証言。
おいしい料理に仲睦まじい家族の風景は娘から見たら一切なく、毎度決まった三食どんぶりに朝は目玉焼きというワンパターンの食卓に、父親は競馬新聞を見てばかりで家族の会話など全くない。
祖母に小鳥の刺繍でなくキティちゃんの刺繍をおねだりした時には、ルミ子の視点では優しく諭す語り口でしたが、娘から見ればめちゃめちゃ圧の強い助言、いや強制的扇動によって、いつしか娘は子供ながらに「周りの顔色を窺って気を遣う人間」になってしまうまでに。
そして景色が違う2人の真実は、台風の日に起きた事故によって全く違う受け止め方をしてしまうのであります。
結末までは伏せますが、詰まる所ルミ子が子供を授かっても母親ではなく娘でありたいという姿勢が、娘を苦しめていたわけで、オチとしてはいつまでも娘でいたい母親もいることを知っておくのがいいという教訓を与えてくれた作品だったなぁと。
だからと言ってそれを娘が語るってのもどうかと思うんですけどw
よって母性というのは女性が全員持ってるわけではないって話だったのかなぁ。
もうあれですよ、男の俺からしたら全く入る余地のない世界というかw
確かに男はマザコン気質な所もあるんで、母親に対する多少の依存てのは存在すると思うんですけど、ルミ子の場合それ以上の依存度があって、一体なぜそこまでして母親が好きなのか理解できないんですよね~w
実際自分の母親を孫が独占している姿を見て嫉妬を抱く人っているんだろうか。
あとこれ思春期にいわゆる反抗期を通ってるかってのも鋭意狂あるんじゃないかなと。
反抗期があったらあそこまで母親みたいになりたい!母が言うことなすこと正しいみたいな考えにはならない気がするんですけどね。
それもこれも社会の現実を知らずに母親との時間を長く過ごしたからなのかなと。
またこの映画って、男が全く機能してないのが印象的でしたね。
永野芽郁演じた娘の父親、ルミ子の夫ですね。
最初こそルミ子と付き合って結婚するまで存在感在りましたけど、実家でも一緒に住んでても全くの威厳が無く、ただ仕事に行って帰って寝て、競馬新聞読んでの繰り返しで、実家に住む事になって姑によるいじめも全くの無関心。
一応あなたの嫁さんがいびられてるんですけど、味方もしないし仲裁もしないって一体何考えてるんですか…ってふたを開けたらルミ子の親友と二人でルミ子の母が所有してる家で不倫してるっていうね。
学生運動をしていたって過去があるんで、若い頃は色々血気盛んだったんでしょうけど、要はあんたすべて逃げてるだけじゃんという娘の啖呵は最高でしたね。
ワイン飲んでカッコつけてるけど、最高にダサかったですよw
とにかくこの映画にはそういった父性に関する点や男からの視点を、夫をポンコツにしたことで排除するという設定にすることで母性オンリーに絞った作品になってたってことです。
現実的に考えれば父親の視点だったり、父親の影響ってあるはずなんですけどね。
最後に
もっとドロドロした関係の母娘だったら面白かったんですけど、いかんせんキレイな話にしたいって思惑が透けて見えてて、それこそ「告白」のような劇薬な演出は全く持って皆無でしたね。
あと凄くどうでもいい事ですが、ルミ子って一切娘に手を挙げることはしないんですよね(一応終盤で首は締めるけどもw)。
子供に「考えて行動しなさい」って中々ハードルの高い要求はするし、圧をかけて気を遣わせるという毒親ぶりを見せはするんですけど、手を挙げることはしないんですよ。
娘でありたい母親ではあるけれども、ネグレクトをする親ではないって意味ではまだ良心的だったんじゃないかと。
きっということを聞いてくれる娘だから、行き過ぎた行為をしなかったのかもしれないけど、そこはちゃんと「母親」だったんじゃないかと。
とにかくもっとぐちゃぐちゃにしてエグい母娘の愛を描いてほしかったですね。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆★★★★★★4/10