バービー/Barbie
続編モノばかりがひしめく昨今のハリウッド映画大作に、ようやく光が差し込みました。
玩具を題材にした本作「バービー」が、まだ日本での公開が決定していないクリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」と同日公開ということも手伝って、北米では空前の大ヒットを記録しています。
2023年、脚本家組合と俳優組合によるストライキによって、来年以降のハリウッド映画の公開数が乏しくなるのが目に見えている中、「バーベンハイマー」なるミーム化も含め(是非はともかく)、海の向こうでの盛り上がりが非常にうらやましいです。
北米での初週は、早朝から満席が続き、劇場をピンク色に染めたという異例の事態となった「バービー」。
なぜ皆がそこまでして映画館に足を運び、絶賛の声を上げているのか。
その理由を探りながら、早速観賞してまいりました!
作品情報
UNOやホットウィールなどを手掛ける玩具メーカー「マテル」が生んだ着せ替え人形「バービー」を、「ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 birds of pray」、「アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル」のマーゴット・ロビーを主演に実写映画化。
完璧でハッピーな毎日が続く“夢”のようなバービーランドで暮らすバービーとケンが、ある日完璧とは程遠く悩みの尽きない“人間世界(リアルワールド)”に迷い込む姿を、歌やダンスシーンを交えながらポップに描く。
自身の青春時代を投影した「レディ・バード」や、名作小説を新たな視点で描いた「ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語」などでアカデミー賞に数多くノミネートや受賞を果たしたグレタ・ガーウィグ監督が、バービーランドを大胆かつ繊細にぶっ飛んだ世界に構築し、「完璧な存在=バービー」の変化を通じて、世の中の女性やそうでない人たちにもハッピーになれる物語を作り上げた。
バービーのボーイフレンド・ケン役には、「ラ・ラ・ランド」でのミュージカルパフォーマンスや、「ナイスガイズ!」でのコメディ演技が記憶に新しいライアン・ゴズリングが演じる。
他にも、「シャン・チー テン・リングスの伝説」のシム・リウや、クリス・エヴァンスの弟スコット・エバンス、MCUドラマ「シークレット・インベーション」のキングズリー・ベン=アディル、BBCドラマ「ドクター・フー」の14代目主人公に抜擢されたチュティ・ガトゥなどが「もう一人のケン」を演じる。
女性陣では「ゴーストバスターズ」のケイト・マッキノン、世界的歌手デュア・リパ、「ナイル殺人事件」のエマ・マッキー、トランスジェンダーモデルとして活躍するハリ・ネフ、「アグリー・ベティ」のアメリカ・フェレーラ、「プロミシング・ヤング・ウーマン」を監督しアカデミー賞を席巻したエメラルド・フェネル、「ワイルド・スピード」シリーズでも活躍する大女優ヘレン・ミレンなどが出演する。
またウィル・フェレルやマイケル・セラ、ジョン・シナといったコメディ映画御用達の面々も忘れてはならない見どころの一つ。
撮影で大量に使用されたピンク色の塗料が、全世界で品薄状態になってしまったともいわれる本作。
完璧な世界から人間の世界へとやってきたバービーとケンは、何を見つけるのか。
あらすじ
すべてが完璧で今日も明日も明後日も《夢》のような毎日が続くバービーランド!
バービー(マーゴット・ロビー)とボーイフレンド? のケン(ライアン・ゴズリング)が連日繰り広げるのはパーティー、ドライブ、サーフィン。
しかし、ある日突然バービーの身体に異変が!
原因を探るために人間の世界へ行く2人。
しかし、そこはバービーランドとはすべて勝手が違う現実の世界、行く先々で大騒動を巻き起こすことに─?!
彼女たちにとって完璧とは程遠い人間の世界で知った驚きの〈世界の秘密〉とは?
そして彼女が選んだ道とは─?
予想を裏切る驚きの展開と、誰もの明日を輝かせる魔法のようなメッセージが待っている─!(HPより抜粋)
キャラクター紹介
- バービー(マーゴット・ロビー)…カラフルでおしゃれな衣装に身を包み、いつもハッピーな人気者。ある日体に異変が起こり、空は飛べなくなり、シャワーからは冷たい水。かかとの上がった“バービー・フィート”も床にべったり。どうしたらいいのかわからなくなったバービーは、自分の持ち主を見つけるため、人間世界へと旅立つ。
- ケン(ライアン・ゴズリング)…バービーの幼なじみでボーイフレンド。ピュアすぎてちょっぴり暴走しがち。“みんなバービー!みんなケン!”の中のひとりで、その他大勢のただのケンにすぎない存在だが、おしゃれで人気者なバービーに恋焦がれ、バービーの気を引くために目立とうと必死な毎日を送る。
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マーメイドバービー(デュア・リパ)
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大統領バービー(イッサ・レイ)
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ノーベル物理学賞受賞の天才博士バービー(エマ・マッキー)
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ベストセラー人気作家のバービー(アレクサンドラ・シップ)
- “ケン”と何かと張り合う“ケン”(シム・リウ)
- ケンの仲間のケン(スコット・エバンス)
- 同じく仲間の1人であるケン(キングズリー・ベン=アディル)
- 世界の秘密を知る変わり者のバービー(ケイト・マッキノン)…リアルワールドに行くのよ!と選択を迫りつつ、この世界の真実を知ったら元に戻れないと…とバービーに話す。
- グロリア(アメリカ・フェレーラ)バービーとケンが人間世界へと迷い込むきっかけとなる人間。
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「マテル社」の社長(ウィル・フェレル)…“人間の世界”で出会う玩具メーカー「マテル社」の社長。バービードールの生みの親。
(Fassion Pressより抜粋)
「トイ・ストーリー」や「トランスフォーマー」、「G.I.ジョー」など玩具を題材にした映画とは違う面白さになりそうですね。
ここから観賞後の感想です!!
感想
#映画バービー 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) August 11, 2023
えーと、そんなにいいか?これ。 pic.twitter.com/S5AVQ26qEQ
お人形が人間の世界で見つけたのは「完璧でなくていい」という答え。
・・・というオチでいいんですかこの映画は。
正直、凄く現代的なメッセージで自虐的な笑いもあっていいのだけど、個人的にはNot for me でした。
以下、ネタバレします。
人間の世界で見つけたものとは
毎日パーティー三昧で女の子たちだけが活躍するバービーランドを舞台に、定番バービーとただの添え物扱いだったケンが、人間の世界で自分の存在価値を見出していく物語を、バービーの世界を見事に映像化しながら如何に男性社会の中で女性が役割を与えられているかや、有害な男性らしさが何をもたらすか、そして「理想」を与え続けたバービーが自分の価値をどう見出すかを表現した作品でしたが、楽しい部分はありつつも僕が望む「映画」ではないことにがっかりした作品でした。
お話の内容はザックリ説明します。
バービーだけが職業を与えられることを筆頭に、バービーだけが主役の世界に住む主人公のバービーに「死を考える」ことや「セルライトが出た」などの異変が生じる。
その最たる理由は、バービーランドと人間の世界との間に「裂け目」が生まれたから。
彼女が心配なケンと共に人間の世界にやってきた二人は、男性ばかりが活躍し、女性は彼ら合っての存在であることや、理想を押し付けてきたことで女の子たちに飽きられた存在とみなされていたことなど、驚きを隠せないでいた。
バービーの持ち主であるグロリアと娘は、バービーと共にバービーランドに向かうが、一足先に帰っていたケンによって男社会化されており「ケンダムランド」になりつつあった。
ケンに触発されたその他のケンたちの横暴を阻止するために、グロリアとバービーたちはその他のバービーたちの洗脳を解き、元の世界に戻そうと画策。
作戦に成功し、バービーのための世界に戻ったが、バービーはこれでいいのか自問自答。
ありのままの自分を見つけるため、人間の世界で人間として生きるのでした。
ちゃんちゃん、というお話。
バービーだけが総理大臣はじめ様々な職業を持ち、毎日が幸せで楽しくて完璧な日々を送る一方で、ケンを始めとした男どもはバービーあってのケンという役割にされ、全く陽の目を見ることなく、全くパジャマパーティーに参加もさせてもらえない陰の存在と化してるわけです。
正に、未だ家父長制の抜けない男あっての女状態の現代社会を逆にしたかのようなバービーランドなんですね。
そんな中、ヒールばかり履いていたバービーの踵が地面にくっついたり、太ももにセルライトがついたりと、完璧でない状態となってしまったバービーが、その現認を探るために人間の世界へとやってくるわけです。
バービーの発売開始当初は冒頭での「2001年宇宙の旅」のパロディのように赤ちゃん人形ばかりで遊んでいた女の子たちの前に革命的に現れた存在でしたが、時代の変化と共にその「女生徒はこうあるべきだ」と突き付けてるような人形に飽きられ、それが現代で「そのままでいい」ことに気付いた女の子たちにとっては害悪と見做されたわけです。
今や様々なタイプのバービー人形が作られ販売されてるそうですが、全てにおいて役割があるわけで、それを押し付けることは人間にとって果たして善なのか悪なのかという問題をバービーと共に我々は考えていくのが本作の見どころの一つなのでしょう。
しかも人間の世界では女性という存在が、男社会の中で生きる上でどれだけ大変かをグロリアが代弁します。
女性に権利を与えるとか言いながら、こうしろああしろこうであれといちいち言われ、それで頑張ってみれば目立つなと言われ、キレイでいたいけどキレイ過ぎると叩かれ、などなど、とにかく他人から見て「過ぎる」といちいち目くじら立てられる、と。
このシーンは中々辛辣でありながら芯を突いた言葉で、如何に男社会の中での女性という存在が日々こんなにも「人の目」を気にしながら生きなくてはいけないのかと思わされたセリフでしたね。
こうした中でバービーは、完璧であることや完璧でなくてはいけないことから解放されるかのような道を辿っていくわけです。
こうしてみると本作がいわゆるフェミニズム映画として括られるのかと思いがちですが、そうさせないためにケンがしっかり役割を果たすのであります。
これまでバービー&ケンとして売り出されたものの、あくまで「バービーの添え物」扱いだったケン。
実際バービーランドでも職業に就くことはなく、ただビーチでバービーに声をかけてもらうことだけが生きがいかのような「ホントにそれだけで満足か?」と思えるような存在でした。
そしてバービーと共に人間の世界に行くと、そこがバービーランドとは大違いな「男社会」であることを知ります。
ちゃんと勉強して職業に就けばなんにでもなれることや、ただの置物扱いだった自分が「今何時ですか?」と聞かれたことに驚くほど、自分という存在が認識されていること、自分が活躍できる世界であることを知ります。
ただ、ケンがここで学んだことはあくまで「男は力強く逞しく」といったようなマッチョイズム(なぜか馬を強調してたけどw)。
その知識を持ち帰り、バービーランドに混沌を招き入れてしまうわけです。
結果、バービーとケンの立場が逆転し、人間の世界と同様な関係性を作り出してしまいます。
あくまでケンはバービーと対等でありたかったのだと思います。
決して男がイニシアチブを取って世界を牛耳るつもりはなかったのだと思います。
その理由は単純に言えばバービーに振り向いてもらいたかったからなのかと。
振り向いてもらうためには男らしさが必要だという、人間の世界で学んだ直結的な答えでしかなく、その男らしさは人間の世界では「有害」とされてるわけで。
だから本作は実は、ケンの悩みと悲哀を浮かび上がらせる側面を持つ映画だったってことなんですよね。
総じて本作は決してフェミニズムな映画なんかではなく、一人一人が互いに役割を押し付けるようなことのない、平等を目指すことが大切だと。
そのためにバービーは人間の世界で、ケンはバービーランドで「ありのままの自分」を見つけるという着地をしたのだと思います。
正直そこまでの面白さはなく
このように本作は非常に現代的なテーマを背景に、人形の世界と人間の世界を行き来することで、人形としての役割や人間のとしての役割から解放することを目指した物語だったと思います。
もちろん人形から映画を作るというアイディア然り、それをどこまで映像化し物語に落とし込むか、キャラクターを通じて如何に鋭い風刺や自虐的なセリフで笑いと気づきを与えるかに特化した作品だったと思います。
また、監督が本作を製作するにあたり参考にした映画がいくつか公にされてるんですが、バービーを始めとする早口なやりとりはハワード・ホークス監督の「ヒズ・ガールズ・フライデー」や、キャサリン・ヘプバーン主演の「フィラデルフィア物語」でしたし、ピンク色で塗りたくられたバービーランドの世界観は「ロシュフォールの恋人たち」や「シェルブールの雨傘」、色味の強さ的なことで言えば緑を基調とした「オズの魔法使」の如く鮮やかでしたし、ダンスシーンは「オール・ザット・ジャズ」のクライマックスのようなミュージカル調のものでしたし、序盤のダンスパーティーではミラーボールで煌びやかにした「サタデー・ナイト・フィーバー」でしたし、クライマックスでのルースと歩く場所は「天国から来たチャンピオン」での天国のような風景でしたね。
グレタ・ガーウィグはこうした名作をヒントに映画を作ったことが、映画ファンとしてさすがだなあと感心しました。
しかし、しかしですよ。
果たしてこれが面白いのかどうかと言われると、個人的には×です。
大前提として映画としての面白さが感じられませんでした。
それこそどのキャラクターを見ても自分のような存在がいないし、そのキャラクターたちが、全てにおいて説明的なんですよね。
ギャグを入れて笑いを生み出す点においては特に不満はないんですが、突如問題が発生したり何か答えを見つけ出す度に、それが教科書的な言葉にしか聞こえないというか。
そういう意味で説明になってやしないかと。
それこそ行間もなければ感情も全部吐き出してしまっている辺りが、僕の映画を見る評価の基準として既になしなんですよね。
またおもちゃの世界ということもあって、バービーランドの世界観がどうも平面的に見えてしまう。
その奥行きの無さが人間の世界でも表現されているんですよね。
そうなってくると、虚構と現実という見た目的な区別はできるけど、映像としての区別をはっきりしてほしいなと。
例えばさっき言ったように映像として平面と奥行きをはっきりさせるとか、人間と人形なんだから動きを区別化するとか、人間には魂が宿ってて人形にはそういうのがないとか、いろいろな点で区別がされてないというか。
恐らくグレタの考えは、そういう線引きを無くして一つの世界を生み出そうとしてるんだろうし、あくまでガーリーなポップ感とキャッチーなルックを表向きに、セリフの内容から深みを出そうと試みたんだろうけど、どうも俺が求めてる映画からかけ離れたものになってるというか。
ギャグに関してもバービー人形自体をもっと知っていたり馴染みがあれば笑えたんでしょうけど、男の俺からすれば全くの別世界で、廃盤になった人形を登場させたり高価なおもちゃを登場させたところで、俺にとってはそれが笑いだったりワクワクに繋がらず。
とはいえ40歳越えのライアン・ゴズリングが金髪でプロテインの偽マッチョとして、バービーの周りではしゃぐ姿はゴズゴズ好きとしては最高によかったんですけどね(もちろんI'm Just Kenの歌も込みで)。
最後に
「バーベンハイマー」というミーム化、それを本国の公式が乗っかったせいで日本の評判が地に落ちた本作。
決して本作がミーム化されたコラ画像のような原爆を小バカに扱った内容では100%なく、確かに良くないことだなぁと思う反面、向こうで盛り上がってるだけだから俺としては特に反応することないです。
あくまで僕は作品として面白いかどうかを基準に感想を述べてるのであしからず。
結果、名作を引き合いに色々パロディやオマージュを捧げていても、作品のメッセージ同様監督の主張でしかなく、それが映画に機能していたかというと個人的には微妙でした。
映画は道徳の材料としてアリである一方で、決してそこだけが大切ってわけじゃないって思うんですよ。
人形とはいえキャラですから、セリフや動きや表情で肉付けして、他のキャラと交わることでドラマが生まれるわけです。
そのドラマがどうも定型的なものだったし、何より物語としての工夫が、過去作である「レディバード」や「ストーリー・オブ・マイ・ライフ」より欠如してるというか。
何でドラマチックに描けてないんだろう、あれだけ実力がある人なのに、と疑問しか生まれませんでした。
多分ですけど、これ全編通してセリフで問題提起して悩みも葛藤も解決策も答えに至るまで全部セリフで教えちゃうんですよね。
それじゃキャラに気持ち乗っからねえよと。
そんな監督ではない人だと思ってた故に非常に残念でした。
どこかで「スナイダー・カット」をdisったセリフがありましたが、多分あれこそ女性が眠たくなるような映画なんでしょうね。
ざけんな、クソおもろいわ。
・・・こういうのが男らしさを押し付けるんでしょうかねw
まさかゴッドファーザーをそういうことで引用するとは。笑えないです…。
とにかく、様々な問題を茶化したり真面目に見せたりしながら、自己肯定の道を開いていく意味では現代映画としての役割を見事に果たした映画と言えるでしょうが、僕は正直映画にそういうのあまり求めてないんでNot for me でした。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆★★★★★★4/10