ヴィレッジ
村社会とは、「有力者を頂点に、厳しい秩序としきたりを重んじながら、よそ者を受け入れようとしない排他的な社会」ということだそうです。
過疎化された村では、古くから伝わるしきたりは絶対だったり、村長よりも名家や大地主の方が権力があったりと、新参者には耐えがたい社会が形成されています。
ディズニープラスで配信されている「ガンニバル」はまさに「村社会」をテーマに、権力を持つ地主一族が人食いをしているというカニバリズムホラーで、居心地の悪さはもちろん、「おらこんな村いやだ」と思いたくなる、ハイクオリティな作品でした。
村社会は決して村のことだけではなく、職場や学校、様々なコミュニティでも起こりうる現象です。
古参の言うことだったり、果たして何のための決まり事なのかわからないルールだったりと、新しくその場に入った人からは理解できない必要かどうかわからない、変えようとしてもはじかれるなど、いわゆる「風通しの悪い」閉ざされた空間なんですよね。
今回観賞する映画は、そんな閉ざされた「村」を舞台に、日本の縮図ともいえるリアルな「生きにくい」世界を描いた作品。
洋画ではこの手の現代社会のなんちゃら、ってのはよく目にしますが、邦画、特に商業映画となるとなかなかお目にかかれません。
早速観賞してまいりました!!
作品情報
報道することとは何かをテーマに描いた「新聞記者」や、反社の生きにくさや、それでもその道を歩む男の姿を描いた「ヤクザと家族 The Family」などを手掛けてきた映画製作会社スターサンズが、「余命10年」で大ヒットを飛ばした藤井道人監督と再びタッグを組んで製作したドラマ。
集落で希望のない日々を生きる青年が、幼馴染の帰郷をきっかけに、この排他的な世界から抜け出そうともがく姿を、圧倒的な映像美と世界観で描く。
「新聞記者」や「余命10年」以外にも、TVドラマ「アバランチ」で絶賛評を受けた藤井道人が、スターサンズの亡きプロデューサー河村光庸氏の思いを受け継ぎ、日本の事なかれ主義や同調圧力に一石を投じるべく製作。
小さな村で繰り返されてきた慣習が、村人にどのような影響を与え負の連鎖を続けてきたのかをベースに、目の前を覆う闇を必死で振り払おうとする青年の姿から、今日本人が見つめなくてはならない部分を突き付ける。
出演は「アキラとあきら」や「嘘喰い」などで主演を務め、Netflixドラマシリーズ「新聞記者」で監督とタッグ経験のある横浜流星をメインに、「余命10年」の黒木華、「MOTHER」の奥平大兼、「宮本から君へ」の一ノ瀬ワタル、「空白」の古田新太、「孤狼の血」の中村獅童など実力派の俳優陣がそろった。
同調圧力、格差社会、貧困。
日本そのものが村社会ともいうべき時代に、この映画は我々に何をもたらすのか。
あらすじ
夜霧が幻想的な、とある日本の集落・霞門村。
神秘的な「薪能」の儀式が行われている近くの山には、巨大なゴミの最終処分場がそびえ立つ。
幼い頃より霞門村に住む片山優(横浜流星)は、美しい村にとって異彩を放つこの施設で働いているが、母親が抱えた借金の支払いに追われ希望のない日々を送っている。
かつて父親がこの村で起こした事件の汚名を背負い、その罪を肩代わりするようにして生きてきた優には、人生の選択肢などなかった。
そんなある日、幼馴染の美咲(黒木華)が東京から戻ったことをきっかけに
物語は大きく動き出す――。(HPより抜粋)
登場人物紹介
- 片山優(横浜流星)…霞門村に住み、村のゴミ処理施設で働く青年。村の伝統として受け継がれてきた「薪能」を見たことで能に魅せられ能教室に通うほどになっていたが、村のゴミ最終処理場建設を巡るある事件により、人生は大きく狂っていくことに…。過去のある事件によって、“血縁”によって村にとどめ置かれ、周囲に蔑まれながら“地縁”によって最も憎むべき相手の下で不法な労働に手を染めていく。母親が抱えた多額の借金の支払いに追われ、ゴミ処理施設で不法投棄を強制させられる。
- 中井美咲(黒木華)…優の幼馴染。一度は村を出て上京したものの再び霞門村に戻り、優に手を差し伸べる。
- 大橋修作(古田新太)…大橋一族の母・ふみの息子/霞門村村長
- 大橋透(一ノ瀬ワタル)…ゴミ処理施設で働く修作の息子
- 筧龍太(奥平大兼)…優と共にゴミ処理施設で働く青年
- 中井恵一(作間龍斗)…美咲の弟
- 丸岡勝(杉本哲太)…陰で村を牛耳るヤクザ
- 大橋ふみ(木野花)…大橋一族の母
- 大橋光吉(中村獅童)…修作の弟/刑事
- 片山君枝(西田尚美)…優の母親
(以上HPより)
僕にとってここ数作の藤井監督作品は、テーマこそ意義あれど映画文法的に相性が良くないので、似たような感想にならなければと願っておりますが果たして。
ここから観賞後の感想です!!
感想
#ヴィレッジ 観賞。終始「オラこんな村いやだ」な話。相変わらずそれっぽいテーマを掲げた割には刺さらない物語で乗れない。とはいえヤクザと家族よりはマシか。一番わからんのはゴミ処理センターと伝統芸能だけでどうやって観光客を誘致できたのか。まさか広報になった主人公で呼べたとか?ありえん。 pic.twitter.com/cyWFngUSoj
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2023年4月21日
サスペンスとしてもドラマとしても、テーマ性としても半端が目立つ雰囲気映画。
はまり役は多いし、主人公の複雑な気持ちもわかるけど、全てを捨ててでも村出た方が賢明だったんじゃないかと。
以下、ネタバレします。
また問題提起して終わりかい
ゴミ処理施設がそびえ立つ「閉ざされた」村を舞台に、「犯罪者の息子」というレッテルを背負い、母が作った借金を返済するだけのために生きてきた主人公が、過酷な運命から抗おうともがく姿を、能の演目「邯鄲」をベースに描いた本作は、同調圧力や格差社会、貧困といった大義名分を掲げておきながら、どれも中途半端な物語を構築し、後半以降疑問が連発するような展開で、雰囲気だけ味わえばそこそこいい映画に思えてしまう不思議な作品でございました。
劇中で能を鑑賞する主人公・優と幼馴染の美咲がこんなことを話します。
「能は、あくまでも型であり、解釈は受け取る側にゆだねられている」と。
だから眠ってしまってもいいし、様々な見方があってもいいということで、その言葉にあやかり色々言いたい放題語っていこうと思います。
日本では様々な問題があり、それに賛成する者、反対する者と別れる。
しかしいざその問題が過ぎれば、反対派の者も何も声を荒げず、ただ見てみぬふりをして同じ方向を向いて歩いていってしまっている。
本作は同じお面を被った行列を見たことで、当時怖い思いをしたという美咲の話から、日本というムラ社会が、正に同調圧力によって強制的にマジョリティにされてしまうことへの恐ろしさや、その問題に対して事なかれ主義を貫いてしまう風潮があることを、このシーンから示唆しており、亡きプロデューサーの河村さんならではの問題提起として機能していました。
実際主人公自身何も罪を犯してないのに父親が犯罪を犯したというだけで、村民のほとんどから白い目で見られ、後ろ指をさされる毎日を送っており、これぞまさしく「皆同じ面を被っている」という世界そのものであると。
さらには有識者や権力者の圧力によって、反対派の者は成すすべなくおとなしく従うしかない世界であり、優もまたそうした強い力に従うしかない立場として描かれていく作品でした。
しかしながら本作は、そうした問題提起を解決する方法を蔑ろにしているように感じた作品でもありました。
ゴミ処理施設反対を掲げるが、同調圧力によって他者を殺害し自らも自害した父親、そんな事件をもみ消しクリーンな村をアピールしたい村長によって、臭いものに蓋をされた経験を持つ主人公でしたが、運命に抗う兆しを見つけるや否や、そんな村長の下で働き一時の希望を抱くわけですが、結局自らが臭い物に蓋をする羽目になり、どんどんドツボにハマっていくという中々救いようのない話だったわけです。
藤井監督は新聞記者もヤクザと家族もそうですが、基本的に主人公は救われない結末を迎える話が多く、今回も救われないパターンで話を閉じたわけですが、そろそろこのパターンやめませんかと。
河村さんの意向なのかはわかりませんが、いい加減問題提起だ消してこちらに委ねるやり方では、もう通用しない気がするんですよね。
娯楽としても社会派としても。
今こういう状況が起きている、その中で当事者はどうすれば道を開くことができるのか、またどうすれば解決の糸口は見えるのか。
結局この映画の中で一番正しかったのは中村獅童演じる村長の弟ってことになるんですよね。
ということは、何か面倒なことになる前にこの世界から出ろってことですか?それが答えですか?と。
確かにこの村はどんどん若い者が離れていき、どうやって活性化させるか、国からお金もらって潤えるかを取り残された者たちで色々工面してやっていくって歴史があったんでしょう。
その結果、ごみ処理施設の設置という誰もやりたがらない役目を受けて、なんとか村を保てていると。
でもそれだけではどうにもならないから不法投棄をして難を逃れていると。
悪いことをしてきたという慣習は、やがて大きな代償として帰ってくるわけで、こういうのは良くないですよ!といいたいのはわかるけど、じゃあどうすればよかったのかをこの映画で教えてください。
結局どこで踏みとどまれば問題は小さく済むのか。
あれですか?もっといろいろな意見に耳を傾けて熟考すればよかったんですか?
もう少しヒントになるような描き方をしてくださいよと。
とか言うと、能の解釈と同じだから自分で色々解釈してとか言うんですか?それは違うだろと。
能の話がベースだけど
また本作では能の演目である「邯鄲」を披露するシーンがあります。
ある男が宿で「邯鄲の枕」で寝ると、なぜか自分が皇帝となっていて栄華をほしいままにし、そのまま50年という月日を過ごしたんだけど、実はそれは夢でしたという話。
実は本作はこの演目に沿って描かれており、主人公がとあることを機に、運命に抗う好機を見つけ、そこから脱却して成り上がっていくんだけど、結局立ちはだかる壁に対して犯罪を犯してしまったことがきっかけで転落していくというお話なんですよね。
村民から白い目で見られ、ごみ処理施設で汗を流し、夜は不法投棄の手伝い、家に帰ればパチンコ狂の母の借金返済に頭を抱えるという地獄のような毎日を過ごす主人公・優。
その村に東京に言っていた幼馴染の美咲が訪れることで、優はあれよあれよとゴミ処理施設の広報として出世。
子供のころから密かに思いを寄せる村長の息子・透は、これまで社長兼村長の息子という強い肩書をぶら下げ、さらにはデカい図体と威圧的態度によって優を追い込んでいたが、なんでもかんでも美咲が優の肩を持つせいで、いら立ちが募っていく。
優は美咲と付き合い、広報として観光客誘致にも成功して村長から厚い信頼を受けていくが、少しづつ歯車が狂っていく。
まず美咲の弟が、外の処理場でバイオハザードマークの付いた廃棄物の箱を見つけてしまったこと。
広報として早急に対処しろと村長から命令された優は、なんとかその場を凌ぐが、今度はその場所から透の遺体が出てきてしまう。
不法投棄に遺体、せっかくTVの取材を受けたり観光客がやってきたりと上昇気流に乗っていた村に転落の危機が訪れる。
村長は全ての責任を優に押し付け、優は情緒不安定になりながらもなんとか仕事をこなす。
犯罪者の息子としてレッテルを貼られていた優が、こうして村をPRできるまでになったことで、他のワケアリな人たちから憧れの存在として見られるようになったわけだが、彼の人生は、正に邯鄲のように夢から現実へと引き戻されていくのだった。
というのが大体のあらすじ。
このように邯鄲をベースにした話ではあるけれど、結局能の話ではないんですよね。
ただの記号的な設定でしかない。
能という伝統芸能を使って、この映画はいかように解釈していいんだよ、としてしか機能してない気がしたんですよね。
それでも中村獅童と優の親父がこの能を受け継いできたという過去があり、彼らの次の世代が誰も受け継いでくれないという意味で、伝統芸能が伝統されないという危機を描いてる側面もあるんだけれど、能そのものを伝える気が一切しない。
また冒頭では幼き優の視点で演目を眺める光景が描かれますが、そこに過度なストリングスのBGMが加わっていくことで、演出が過剰になってしまっており、せっかくの能の勢いめいたものが嘘くさく感じてしまう。
あんな音楽付けなくても、能の演目と親父がしでかしたことを同時進行で見せるだけで、十分伝わる気がしたんですよね。
一番ツッコミたいところ
一番謎だったのは、なぜ村が活性化したのか。
子どもたち向けの見学ツアーのガイド役に抜擢された優は、美咲の企画案である「TV取材」で広報を任させることになり、TV出演まで果たす。
それから1年経って、村はかつての雰囲気から一変。
観光客でにぎわい、優はルックスの受けもいいことから全てのTV取材でPRを任されるまでになった。
さて、一体この村は何を売りにしてここまで活性化したのだろうか。
優が言うには、ごみ処理というエコロジー的な面と代々受け継がれてきた伝統芸能という二つの行事をメインに観光客を呼び込んだと言っているが、果たしてそれだけでここまで賑わえるのだろうか。
ゆるキャラもいない、上手い飯があるわけでもない。
そこにはゴミを捨てる場所と、誰も受け継いでない伝統芸能があるというだけ。
神社よりも高い場所にごみ処理施設はそびえ立つせいで、絶景でもない。
霧ではなく煙だし。
そんな村に誰が行きたいのだろうか。
そんな場所で食う飯は果たしてうまいのだろうか。
ちょっと考えれば、そんなとこの水が旨いと思えないだろうし、そこで採れた野菜も食べたいとも思えない。
この村はそういう「この村で採れた野菜は旨い!」なんてPRもしてないし、それこそ安心安全をPRしている節も見当たらない。
それらをしっかり映し出せていれば、この村に行きたいと思えるが、劇中では観る者をそのような気持ちにさせない状態で、活性化した村を見せている。
とても不思議な光景だった。
また、ここまで盛り上がっているにも拘らず、未だに不法投棄を続ける施設側のリスクに対する甘さも不可解。
もう止めることなどできないほどヤクザとズブズブなのに、よく観光客誘致できたなと。
ちょっとどころではないほどリアルに描ける設定でした。
さらに優は透の遺体をこのゴミ処理場に捨てるんですが、なぜこの場所にしてしまったのか。
映画的都合と言えば何でも片付いてしまうわけですが、これだけたくさんの山々がある中、なぜそこを選んだと個人的には疑問に感じました。
また透の消息が不明であることに誰も心配しないのも気味が悪かった。
実際問題、本人がこんな村早く出たいと豪語してるので、急にいなくなっても不思議ではない。
ましてあれだけ親の力で好き放題やってきたクソ野郎なので、皆心の中でいなくなって当然とかいなくなってせいせいしたと思ってる連中ばかりであるのは容易。
しかしながら、警察も動こうとしないのが不思議。
行方不明届が出ないと動かないのか警察は。
それこそ中村獅童演じる村長の弟が単独で動いても良い気がしたんだけど。
彼も彼でどうなったのか予測がついてるのも変だったけどね。
最後に
描きたい事や伝えたいテーマがあるのはわかるけど、それをどうやって作品に落とし込んで面白くもあり考えさせることができる映画にできるかを、監督は見失ってる気がする。
確かに生きにくい世界ですよ今の世の中。
だからってこの話を「日本」として描くのはちょっと無理な気がするんですよ。
主語がデカ過ぎるというか。
こういうムラ社会てきなコミュニティはどこにでもあって、それを正すために抜け出す以外に何か方法はないだろうかってのが大事で、結局それを抜け出せないまま村特有の負の連鎖の術中にはまってしまうっていうオチが、全然見ごたえがない。
多分誰もがわかってることなんじゃないですかね。
だから個人的にはその打開策のきっかけを描くことが大事なんじゃないかなと。
演者はどれもハマっていたので正直勿体なかったですね。
特に古田新太や杉本哲太はさすがでしたし、木野花なんて顔が能面そのもので不気味でしたよw
あと一之瀬ワタルは存在そのものが凄いので今回もイメージ通りの役柄で安定してたんですけど、今後の彼の役者人生を考えたら、そろそろ別の役柄をやってみてもいいのではと。
いつまでこういう悪役だったりやんちゃな奴をやるんですか。
普通の役柄もそろそろやっておかないとワンパターンな役しか来なくなっちゃうと思うので、この辺で悪役をセーブしてほしいですね。
余計なお世話が入りましたが、僕の中ではどんどん藤井監督の評価が下がってるので何とか挽回してほしいなと感じた映画でした。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆★★★★★★4/10