影裏
親友という言葉。
僕の場合一体誰のことを指すのだろう、と考える。
すると浮かぶのは、今つるんでる映画仲間やしょっちゅう飲みに行く仲間なんかよりも、長い時間苦楽を共に、同じ釜の飯を食べ、そいつらの好きなとこと嫌いな所10個をすぐいえるくらい連れ添った、高校時代から音楽で一緒に夢を叶えようぜと、共に上京し活動したバンドメンバーの事で、
そんな「親友」は今となっては疎遠となってるんだけど、風の噂で「あいつ今どうしてる?ってお前の事言ってたぜ」と。
正直いつも仲良く過ごしてなどいなかったし、しょっちゅう口論になったりしたし、逆に傷つけてしまうからと本音を言えなかったりと、決して関係は良好ではなかったかもしれない。
ただ離れてみてわかるのは、決して険悪な時だけでなく、死ぬほど笑いあったり、彼らとしか味わえなかった瞬間だったり、同じ時間を共有し続けていたこと。
「あいつ今どうしてる?」って気持ちは、そんな時間を過ごしたからこその想いというか。
常に心のどこかにあの頃の俺らがいるからというか。
親友って英語にしたらBEST FRIENDじゃないですか。
僕としてはそれ以上の友達はもう作れないと思っていて、今仲良くしてる人をそう呼べないのは、その人たちを親友と呼んでしまったら、バンドメンバー=親友に失礼だと思ってしまって。
・・・といきなり感傷に浸った話をしてしまいましたが、今回鑑賞する映画は「消えた親友」にまつわる物語。
親友の影を探すことでどう今と向かい合っていくのか、そんなお話のように思えます。
というわけで早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
第122回文學界新人賞を受賞しデビュー、そのまま第157回芥川賞を受賞し話題となった沼田真佑の同名小説。
東日本大震災前後の盛岡を舞台に、見知らぬ土地で唯一仲良くなった友との出会いと別れ、彼の本当の姿を探しながら自身の喪失と再生にたどり着くまでを、原作が持つ魅力を削がないよう行間たっぷりに魅せる。
「るろうに剣心」をはじめ日本映画の可能性に挑戦する監督が、同じ故郷が舞台であることや、自身が震災で何もできなかったことへの想い、原作が持つ言葉の美しさや世界観に感銘を受け快諾、制作に取り掛かった。
人間が必ず持っている表と裏、そして光と影。
消えてしまった友人のこれまで見えてこなかった部分を知ることで、主人公は何を思うのか。
果たしてその事実を受け入れられるのだろうか。
あらすじ
今野秋一(綾野剛)は、会社の転勤をきっかけに移り住んだ岩手・盛岡で、同じ年の同僚、日浅典博(松田龍平)と出会う。
慣れない地でただ一人、日浅に心を許していく今野。
二人で酒を酌み交わし、二人で釣りをし、たわいもないことで笑う…まるで遅れてやってきたかのような成熟した青春の日々に、今野は言いようのない心地よさを感じていた。
夜釣りに出かけたある晩、些細なことで雰囲気が悪くなった二人。
流木の焚火に照らされた日浅は、「知った気になるなよ。人を見る時はな、その裏側、影の一番濃い所を見るんだよ」と今野を見つめたまま言う。
突然の態度の変化に戸惑う今野は、朝まで飲もうと言う日浅の誘いを断り帰宅。
しかしそれが、今野が日浅と会った最後の日となるのだった—。
数か月後、今野は会社帰りに同僚の西山(筒井真理子)に呼び止められる。西山は日浅が行方不明、もしかしたら死んでしまったかもしれないと話し始める。
そして、日浅に金を貸してもいることを明かした。
日浅の足跡を辿りはじめた今野は、日浅の父親・征吾(國村隼)に会い「捜索願を出すべき」と進言するも、「息子とは縁を切った。捜索願は出さない」と素っ気なく返される。
さらに日浅の兄・馨(安田顕)からは「あんな奴、どこでも生きていける」と突き放されてしまう。
そして見えてきたのは、これまで自分が見てきた彼とは全く違う別の顔だった。
陽の光の下、ともに時を過ごしたあの男の“本当”はどこにあるのか—。(HPより抜粋)
監督
今作を手掛けるのは、大友啓史。
「るろうに剣心」シリーズや、「3月のライオン」など話題作に起用されるイメージの強い監督。
他にも「秘密」や「プラチナデータ」といったSF要素の濃い作品や、「ミュージアム」のようなスリラーモノも手掛けるなど、監督は画作りや題材など、常に海の向こう側を意識した意欲的な作風が持ち味だと僕は思ってます。
とはいえ、当たりはずれが結構多いなぁというのも個人的には思っていてw
監督はこの後「るろうに剣心」の最終章に取り組むことは告知で知っていたので、今回そこまで力入れてるのかなぁ、案外サクッと作ってやしねえか?とちょっと疑っております…
もちろんプロですから手抜きなんてことしないと思いますし、今回震災に対し何もできなかった後悔の念が強かったからこそ、故郷への恩返しと思って製作したんでしょうし、ちゃんとお仕事すると思ってますよ。はい。
でもやっぱり熱量をどれだけ注いでるかって結構作品追いかけてると分かったりするじゃないですか。
これ作ってる最中に剣心のこと考えてたりしないだろうな…?って勘ぐっちゃうんですね、僕は。
とりあえず剣心以外正直面白みの欠ける作品が多かったなぁと僕は思ってるので、普通の期待値で臨む所存です、はい。
監督に関してはこちらをどうぞ。
登場人物紹介
- 日浅征吾(國村隼)・・・失踪した子を持つ父。
- 西山(筒井真理子)・・・今野・日浅の同僚。
- 副島和哉(中村倫也)・・・今野の旧友。
- 鈴村早苗(永島瑛子)・・・今野の近隣住人。
- 日浅 馨(安田顕)・・・過去を知る日浅の兄。
- 清人(平坐生成)・・・今野の友人。
「人を見るときは、その裏っかわの、影の一番濃いところを見るんだよ、」
予告で日浅が今野に語るシーンが印象的ですが、その真意とはいったい何なのでしょうか。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
相手の全てを読み取れなかったとしても、自分が「友」と呼べればそれでいいじゃないか。
全てを把握せずとも、友を愛せる力がある。
以下、ネタバレします。
側面だけでも人は判断できるのか。
単身赴任によって独りぼっちだった今野の前に突如現れた同い年の同僚・日浅とのかけがえのない日常、些細なことで仲違いしてしまった後の彼の行方不明、やがて気づく自分の中に芽生えた「本当の友情の意味」までを、盛岡の自然や街並みを背景に、行間たっぷりに描くことで、小説で空想することしかできなかった部分を見事に可視化し、登場人物が様々な出来事に対し芽生える心情をこれでもかと見せつけた、大友監督の力作でございました。
僕は常々「人間には必ず側面がある」ということを頭の中に入れて人付き合いしてるんですけど、そうでないと仮に仲のいい奴が普段と違うような言動や行動表情をしたときの「妥協」ができないからで。
普段僕に見せている部分はもしかしたら「いい部分」かもしれない、でも僕と別れた後、こいつは別の「側面」を見せているに違いない、と。
で、そちら側を見せた時に、僕が動揺しないためです。
え、こいつそういうこと言うような奴だと思わなかったのに…とならないためです。
だから僕はうまく人づきあいができないんでしょうw
逆に僕も「側面」しか見せていないのかもしれません。
最近仲良くさせてもらってる人たちには自分の「いいソトヅラ」しか見せていないのかもしれません。
B型は心を開くまでに時間がかかる、なんて診断をよく見るんですが、それが原因なのかもしれません。
でも心許して僕の「側面」を見せたら離れていく人も結果いるわけで、今のままの方がいい関係を保てるのかなぁ、なんて頭でっかちになったりならなかったり。
この映画は、友達と思ってた男の「側面」を知ってしまった時、あなたならどうするのか、ということを描いていたように思えます。
些細な事で、あ、こいつもうやだな、と思っても、友達の知らない一面を知ったとしても、行方不明になった時心配できるのか、彼の安否にどこまで心配できるか。
人の裏側を知ったとしても、影の一番濃いところを見てしまったとしても、自分がどう捉えるかで関係は築けるのかなぁ、なんて見ながら感じていました。
てか、日浅って良い奴か?
はっきり言って日浅は、僕からしたら近づいちゃダメな様なタイプの、裏で何やってるかわからない奴だったんですけど、それでも埼玉から何もかも清算しリスタートを切った今野にとって、自分を慕ってくれた日浅はかけがえのない友人だったんですよね。
ひとつひとつ日浅の行動を思い返してみると、まぁフワフワしたように見せておいて、裏じゃしっかり計画的だったり、相手の心の隙間にそっと入ってくるような男で。
従業員連絡口の入り口で禁煙にもかかわらず堂々と喫煙してたり、どうやって調べたのか酒が好きだからと夜中に今野の家に押しかけ宅飲み始めたり、こいつともっと親しくなりたいなぁと心開いた今野に、連絡先もロクに教えてくれない一枚壁を作るようなよそよそしさ、というかもったいぶらせてる?
しかも友達だと思ってたのに急に会社辞めて、数か月経ったらひょっこり姿現して、日浅の影響で始めた釣りしたことをきっと今野はうんと語りたいはずなのに、自分の話ばかりする。
人んちになってるザクロを勝手にもぎ取ってきて食うし。
挙句の果てには、契約ノルマまであと一つだから互助会入ってくれ?
しかも人んちの前でプカプカすいまくって吸殻片づけんのかい!
色々と日浅の綻びがちょこちょこ出てくるんですけど、見ていてなぜにそこまでこいつを許すのか今野よ!と。
数か月も音信不通だった友人に、今野は「今まで何やってたんだ?連絡くらいしろよ!」と詰め寄ることをしないのですよ。
俺だったら寂しがり屋ですから、最初の段階でこっちをもてあそぶような付き合いした時点で連絡しろ!って怒るし、急に現れて「飲もうぜ」とか言われても、は?ふざけんなよ、帰れよ!とツンデレモンキーになりますから、はい。
お前あっての俺じゃねえからな、と。
・・・自分の事は置いといて、とにかく今野は日浅に甘いことろが多々あるんですよね。
これ多分ですけど、今野があまりにも周りに溶け込んでないことを悟った日浅は、彼に近づいていくことで、利用としようと最初から企んでいたのかなぁと。
会話とかを聞いてると、日浅はとにかく蘊蓄だの昔話だの話してばかりで、今野はそれを聞いているやり取りが多いんですよね。
もちろんそれが今野にとって居心地がいいなら話は別なんですけど、いかにもいいか俺の言うことよ~く聞いとけよ?みたいな先輩気質な男に見えるんですよね、日浅が。
久々の再会でも今野は積もり積もった話があるだろうに、それを遮って自分の話にスライドするような会話に見えたんですよ。
だから今野が言うこと聞かなかったときに、イラッとするんですよね日浅は。
「そのニット帽被るのやめろよ、ゴムみたいで気持ち悪い」
この一言でカチンとくるんですよ、今野は。
これに拍車をかけるように、「車真ん中に停めすぎだ、今から移動してこいよ、井上さんに悪いだろ」と、移動しないと俺が何言われるかわからない、せっかく彼のご厚意で使わせてもらってるのだから、おれに迷惑かけるな、とでもいってるかのような。
これに今野はさっきの「気持ち悪い」が頭から離れないのか、彼の命令を無視し、しかも酒を飲む予定だったのに、今日は帰るから飲まないの一点張り。
まぁここでは日浅が折角用意してくれた場所なので、今野は車を移動するべきだと思うんですが、その命令口調なのが鼻に付いたのかなぁ。
そもそも仕事中に何度も電話してきて今日の夜釣りに行こうと。
旧友がこっちに来てるからって連絡してきた矢先に。
今野の中で天秤にかけるわけですよ、今の友達と旧友と。
で、日浅を取った。で、この様。
友達の関係は対等であるべきだと思うんですね。
しかもこの二人は同い年なわけですから。
何故に先輩風ふかすのだろう日浅という男は、と見ていて思ったんですよ。
やはりそうでしたか、という冒頭。
冒頭、盛岡での単身赴任間もなくといったような、引っ越しの荷物が片付いてない今野の部屋。
朝日が差し込んだベッドに美しく照らされる足。
そしておパンツ。
今野の起床の様子を随分と丁寧に映すわけです。
ジャスミンの植木鉢を外に出し水をやる今野。
カメラはジャスミンの植木鉢の高さから今野を少し見上げるような位置で捉えています。
だから、なのか、いや、わざとだよな…ボクサーパンツをはきながら水をやる今野の下半身にどうしても目が行くわけです。
予告やポスターを見て、この映画が男と男の友情を描くブロマンスな話なのだろう、そんな予想はしていました。
そしてもしかしたらこれはBLな話なのかも、と。
その予感はこの冒頭の映像を見てかなり確信に近い感情を抱きました。
結果、親しくなった日浅が夜中に宅飲みしにやってきて、眠りこけてしまった際に、なぜか今野の胸の上に蛇がいるのを見つけた日浅が、今野の上に四つん這いの状態になって取ってくれるんですよね。
で、蛇を追っ払ってくれたあと、今野は日浅にキスしようと迫るんです。
これ見ていた時はなんでこのタイミングでキスをせがんだのだろう?と思ったんですけど、今野は日浅もそっちの気があると勘違いしたんじゃないかなぁと。
だってふと目を覚ましたら自分の上を四つん這いになってる相手がいるわけですよ、しかも親友であり、好意を寄せている日浅が。
ぶっちゃけ蛇の事よりもそっちの事で頭一杯だったんじゃねえかなぁって。
まぁココ偉いのは日浅ですよね。
それで制止したけど、そのやり取りがきっかけで関係がこじれたわけでもないのは、日浅が自然な態度で今野と接してたからだよなぁと。
また今野の元カノも登場。
あの人がやってるという意外な器用にビックリですが、妙にキレイでしたw
別れ際涙を浮かべてたなぁ、そうだよなぁもしかしたらと思って連絡したんだから。
最後に
日浅はどういう人間なのか。
序盤で、春先に起きた山火事の痕をを見てきたと語ったり、母親の葬式の際、喪失感に駆られて号泣していた兄とは違い、参列した人たちや母の遺体を見て見入っていたと兄が語ってました。
また最後には震災が起きた海岸で、津波が来るのをじっと見ていた日浅が映ります。
彼はもしかしたら「崩壊したもの」に感動する性分なのではないかと。
積み重ねてきたモノが崩れた瞬間に高揚してしまうのではないかと。
ちゃんと定職に就かない感じも、自身の生活を崩壊したいのかなってのは深読みでしょうか。
てかね、正直大友監督だからま~たゴリゴリセツメイセリフぶち込んでくるのかなぁと思ったら、意外にも映像で推す作品だったんですよね~。
なんでだろうと思ったら監督が脚本やってなかったからだったのかと。
どおりでいつもよりテイストが違うわけだw
監督、今後は脚本を脚本家に任せましょう。
正直言うと好みの作品ではありませんでしたが、監督はこういうのもいけるってのはプラスでした。
しかし行間てのは1行ないし2行程度の感覚だからいいわけで、びっしり行間だらけってのは、ただの薄く伸ばしただけのように思えてしまう。
今作はそのせいで凡長になり過ぎているのが残念なところでした。
流木の件や屍の上に立ってるセリフの意図を拾えなかったのがちょっと後悔。
まぁいいや。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10